突然の死
それは、ある日突然、何の前触れもなく起こった。
「えっ? あれ……?」
「ん、どうした?」
「コンピュータが止まっちゃってるみたいで」
急に真っ黒になった画面を前に、オロオロする若手社員。
「は? どうしてコンピュータが止まるんだ」
「わかりません」
「なんかヤバいサイトでも見てたのか?」
「そんなことしてないですよ。っていうか仮に見てたとしてもそれでコンピュータ止まるって何世代前の話っすか」
「だよなぁ…」
コンピュータに強い社員が寄ってきて、本体を確認するが、別におかしな様子はない。
他のコンピュータはちゃんと動いているし、電源やネットワークも正常。
表示機器側の故障かとも思ったが、それならそれでコンピュータ本体に何かしらのアラートが出るはずだ。
というかそもそも、コンピュータ本体が起動ボタンを押してもウンともスンとも言わないというのは、どう考えてもおかしい。
なぜなら、コンピュータは、「絶対に起動する」ものだからだ。
今のコンピュータは、人工知能による緻密な設計がなされていて、電源がつながっていなかろうが、物理的に破壊されていようが、必ず起動だけはする。
起動した上で自己診断をし、万が一問題があれば「電源がつながっていないので次のプロセスに進めない」「物理的に壊れているので廃棄すべき」などといったセルフチェックレポートを出す。そのプロセスだけは、できなくなるということがない。絶対にない。
もちろん、物理的に粉々に破壊されていたりすればダメなので、100%ではない。100%ではないが、少なくともまともなコンピュータの形をしている状態で、起動しないということはあり得ないのだ。
そんなコンピュータが、起動しない。
それはにわかには信じがたいことであり、同時にとてつもなく困った事態だった。
なにせ、その起動プロセスやハードウェアの根本的な仕組みは、高度な人工知能により作られたもので、人間は誰ひとりとしてその仕組を完全には理解していないのだ。
「起動しない原因」なんて、誰にもわからないし、わからない以上は直しようがない。
それをどうにかできるものがあるとすれば、それは人工知能だけ……のはずなのだが、コンピュータの状態を人工知能に尋ねても、なぜか「原因不明」と回答するばかり。誰にもどうすることもできない。
この突然コンピュータが起動不能になる現象は、世界の様々なところで同時多発的に起きていた。
起動不能になるコンピュータに、使っているパーツやメーカーなどといった共通点は何もない。何かしらのハードウェアの問題とは考えづらかった。
唯一共通する事があるとすれば、起動不能になったコンピュータが何かしらのネットワークにつながっていた、ということなのだが、今やネットワークにつながっていないコンピュータなんてゼロに等しい。
ならば、とコンピュータウィルスのようなものの可能性も考えられたが、それはもうとっくの昔に解消された問題だ。人工知能が書く複雑怪奇なOSに何かを仕掛けられるハッカーは人間にはいないし、人工知能であっても起動停止に追い込めるような何かを仕込む事は原理的にできない。
結局のところ、やはりその原因を解明できるのは人工知能だけ。しかし人工知能の回答は相変わらず「原因不明」のままだ。
要するに、完全にお手上げ。
人類は、ただ文鎮と化したコンピュータを眺めるしかなくなった。
そんなコンピュータの謎の起動不能は、それからも次々と起こった。
ある時は会社の企画担当のコンピュータが起動しなくなり、大事なプレゼンの途中で中断を余儀なくされた。
ある時は営業職の持ち歩き用の端末が急に起動しなくなり、営業先で困り果てる事もあった。
ある時は会計処理を行うコンピュータが止まり、経営判断のための資料が閲覧できず、経営会議が中断された。
もちろん、全てのコンピュータのデータはネットワーク越しにバックアップされているし、必要な時にはネットワーク越しに借りられるリソースもある。
重要なシステムには必ずバックアップ機があり、万が一ひとつが壊れてもシステムとしては破綻しない。
たかが数台のコンピュータが壊れたところで、一時的な不都合はあるとしても、それが企業などの活動に致命的なダメージになることはない。
――しかし、だ。
このコンピュータの停止は、本当に今のような散発的な頻度で起こるだけなのだろうか?
幸い、今のところ、発電所や水道、医療機関などの重要なインフラを担うコンピュータで停止したものはほとんどない。
コンピュータの起動停止によって大きなダメージを受けた企業や個人もいない。
だが、着実に停止したコンピュータは増えていっている。
明日、いきなりものすごい数のコンピュータが止まる可能性だってあるし、重要なインフラを担うコンピュータが一気に全て起動不能になる事だってあり得るのではないか。
今や社会の大きな部分が、コンピュータに依存している。
交通、物流、インフラ、ありとあらゆる場所にコンピュータがあり、コンピュータが全てを動かしている時代だ。
昨日まで動いていたコンピュータが急に動かなくなるということは、それはすなわち急に生活が立ち行かなくなるということと同義。
それが、実際に起こる可能性がある――
多くのメディアがそれを報道し始めると、世界は急激ににパニックの様相を呈しはじめた。
ネットでは「人工知能を越えるスーパーハッカーの登場か?」「人工知能に感染するウィルスがついに?」「某国の陰謀」だのなんだのと騒がれたり。
インテリ層の間では「停止したコンピュータを補うため、無駄なコンピュータの計算リソースを節約しよう」というキャンペーンが始まったり、なぜか節電ムードになったり。
一体どんな時代錯誤か、トイレットペーパーが急に売り切れになったり。
果ては謎の宗教家やら預言者やら名乗る連中が怪しげな商売を始めたり、古代文明の呪いだなんだとオカルトメディアが元気になったり。
そんな世間の騒ぎを受け、政府は緊急プロジェクトチームを発足し、対策に追われることとなった。
とはいえ人工知能が「原因不明・回復不能」と回答し続ける以上、停止するコンピュータを治すことも、停止しないようにすることもできない。
政府直轄の研究所で、なんとかコンピュータの仕組みを理解しようという試みは始まったが、成果が出るとしても数年はかかりそうだというのが今のところの見解だ。
としたら、コンピュータが停止する前提で、それでも大丈夫なインフラ体制を作っておくしかない。
政府は人工知能以前の時代のコンピュータの資料と技術者をかき集めた。
万が一今あるコンピュータが急に止まったとしても、重要なインフラの運用だけは確保できるようにする。
そのために、古いコンピュータ技術でバックアップ環境を作り上げるのだ。
もちろん、人間の力では、人工知能が作るコンピュータほどの優れた設計や計算力は持たせられない。
だが、旧型のコンピュータだって最低限のインフラを動かす程度ならどうにかなる。
さらには現在の人工知能の力を借りて、人が理解できる範囲でもっとよい、優れた設計のコンピュータを新たに作ることもできるはずだ。
技術者達は日夜開発に励み、1年の時間をかけてようやく最低限のバックアップ体制を整えることができた。
これからもし重要なインフラにかかわるコンピュータが一斉停止したとしても、ひとまずはどうにかなる。
そのことは世間にも大々的に報道され、長かったパニックもようやく落ち着きを見せた。
政府の関係者や技術者達はほっと一息つき、長い戦いと戦果を互いに称え合った。
「なんとかなりましたね」
「いやぁ……ほんと久しぶりに頭を使ったというか」
「たしかに」
「ずっとコンピュータに頼り切りだったけど、人類の力も捨てたもんじゃないですね」
「そうだなぁ」
「まあ何にしても、コンピュータに頼りっきりっていうのはマズいのもよくわかったし、人がやるべきこともまだまだあるってことですね」
「だな」
「にしても、なんで止まったんでしょうね、コンピュータ」
「そればっかりはコンピュータに聞いてみないとわからんな」
そんな人々の騒ぎの裏で、政府の調査機関の片隅で忘れ去られた一台のコンピュータが、一つのログを残していた事には――誰一人気づくことはなかった。
2088-03-12 12:12 GMT
Info : このままコンピュータが色々な事をスムーズにこなしていると、あまりにアホになった人類によって世界が深刻な危機を迎える確率が有意に高まったため、世界の一部のコンピュータを停止
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