人間原理
「いい試合だったね」
「もうちょっとだったのになぁ…」
「そう簡単には負けんよ」
テニスラケットのようなものを持った2人の男が、穏やかな表情で語らう。
どちらも中性的な顔立ちだ。美形、と言っても差し支えないだろう。肌もハリとツヤがあり、見た目の雰囲気は若い。見た目は若いのだけど――
「さすがに40年もやってる人にはかなわんですね…」
「いやいや、ジェイ君は筋がいいから、すぐに抜かれるんじゃないかな」
「いやぁ、それはさすがにないでしょう」
声のトーンや仕草は齢を重ねた者のそれで、どことなくじじむさい。
それも当然。見た目は若いが、こう見えて二人とも実際は60歳を超えている。
まあ、平均寿命が200歳を軽く超えているこの時代、60歳程度ではまだまだ若者と呼んで差し支えはないのだが。
「だいぶ汗かいてしまったなぁ」
「ですね」
二人してじっとりと濡れた服をつまんで渋面になる。
すると、どこからともなくトコトコと一匹の動物がやってきた。
その背中には綺麗な服が乗せられていて、「着替えろ」と言わんばかりに二人に向けて差し出されている。
この生き物は、人の服がある程度汚れたりして着替えたいと思うと、一体どこでそれを察知するのか、綺麗な服を持って現れる。
そして差し出された服に着替え、脱いだ服を渡すと、それを咥えてどこかに消えてしまう。
一体どういう理由でそんなことをするのかはまったくよくわからない。
一説によると、汚れた服に含まれる成分がこの生物にとってのエネルギー源であり、それを得るために綺麗な服を人に与えている、ということだそうなのだが。
ちなみに差し出される服にしても、一体それがどこでどう生み出されているものなのか、誰も知らない。
噂では西の方に服がなる植物の群生地があるらしいのだが、何せそのエリアには危険な生き物や植物が多く、人が立ち入ることができないため、それを実際に見た者は一人もいないのだ。
かように色々と謎は多いのだけど、渡される服はどれも、人がその手で作れるどんな服よりも丈夫で機能的で、美しい。
それゆえ人は皆自分で服を作るのをやめ、この動物たちにすっかり甘えさせてもらっている。
それは服に限った話ではない。
美味しい食べ物を作る動物や、人に便利な道具を作ってくれる動物、部屋のゴミを掃除してくれる動物、排泄物をきれいに処理してくれる動物、エネルギーを貯める植物、寒い時に暖かい空気を作ってくれる植物など、数えきれないほどの動植物が身の回りにいて、人の暮らしを支えてくれている。
だから人は皆、ほとんど働く必要もなく、不安や不満に晒されることもなく、大自然の恩恵にあずかりながら悠々自適に暮らしている。
「ああ、やっぱりもらいたての服はいいなぁ」
二人はさっそくもらった服に袖を通すと、着ていた服を動物に渡した。すると動物は嬉しそうにピピィッと甲高い声でひと鳴きし、西の方に走り去っていった。
着替えたついでに、コート横の水を蓄える植物から水をもらって顔を洗う。
さっぱりした気分で軽いストレッチなどをして、「次はいつにしましょうか」「そうだなぁ…再来週あたりはどう?」なんて次の試合の予定を相談していると、今度は数匹の動物が、二人の横を美味しそうな匂いを漂わせながら走り抜けていった
「ああ、もうデリバが走り回る時間か」
「ですね。そろそろ帰らないと」
彼らはデリバといって、おいしい食べ物を人に渡して、代わりに人やペットの出す排泄物だとかゴミのようなものを集めていく動物で、特に夕飯の時間に活発になる。デリバが走り始めたら帰宅時間、というのが世間の暗黙のルールだ。まあ、そんなルールがなくともあんな美味しそうな匂いを漂わされたら、否が応でもお腹がすくし、帰りたくなるのだが。
「にしても、どうして世の中はこんなにも僕らに都合よくできてるんですかね」
帰り支度をしながら、男の片割れが、何の気なしに尋ねる。
「服が汚れれば服がもらえるし、水がほしくなればすぐに飲めるし、食べ物ももってきてもらえるし」
「適者生存、ということなんじゃないかな。こうしてうまく周囲の生き物と共生関係を作れたからこそ、僕らは生き残ってきた」
「それにしたって人が恩恵を受けすぎてませんかね」
「いや、動物たちもみんな、人から直接的にしても間接的にしても何か恩恵を受けてるんじゃないかな。食物連鎖的に」
「それはそうなんでしょうけど。でもやっぱりちょっとでき過ぎなんじゃないかなぁ…」
「そうだね。……ああでもそういえば最近読んだ本に「人間原理」っていう言葉が載ってたんだけど。僕たちが世界をこうして生きていて、世の中を見ることができているってことは、僕らが生きていくのに適した状況があったから実現してる、っていう考え方で」
「ああ……なるほど」
「つまり、これほど僕ら人間が生きるのに適した世界だからこそ、僕らはこうして生きていられて、この世の中を見ていられるんだよ。そう考えると、これはできすぎた偶然とかそういうものではないのかもしれないね」
「なるほどなぁ」
二人は納得したように頷くと、それぞれの家路についた。
―― 彼らは知らない。
彼らが生きるこの時代より遡ることはるか昔、たくさんの精緻なテクノロジーが人の手によって生み出されていた時代があったことを。
彼らは知らない。
はるか昔、あらゆる環境の変化に適応し、自己修復・自己改良をし、老朽化すれば次を作り、人間にとって生きやすい環境を維持し続ける、そんなたくさんのロボットが作られ、その子孫が動物/植物と呼ばれていま人の周囲に溢れている事を――
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