職質

「こんばんは、ちょっといいかな」

突然後ろのほうから聞こえたその声にビクっとなる。

慌てて振り向くと、そこには紺色の帽子をかぶった…ああ、警官か。

いわゆる職質ってやつだろう。これは面倒なのに捕まった。

「なんですか」

僕はげんなりしつつも応じた。別に応じなくてもいいといえばいいのだけど、変に疑われても面白くない。

「こんな夜中の3時過ぎに何してるの?」

「いや、小腹空いたんで、コンビニでこれを」

ジュースとスナック菓子の入ったポリ袋を差し出す。

「なるほど。ちょっと身分証見せてもらっていい?」

「あー、出すのめんどいんで、生体のほうでいいですか」

そう言って指を出す。警官は慣れた手つきで身元確認デバイスを指に当てる。

「…ああ、そこの青いマンションの人ね」

僕の名前や住所が表示されているのであろうその手元の端末を見ながら、警官は言った。

「ちょっとそのカバン見せてもらっていいかな」

警官は、背負っていたリュックを指差す。

「ダメって言っても見るんでしょどうせ」

「まあねぇ。仕事だからね」

「いいけど、早めにお願いしますわ」

「あ、急いでるとこだった?」

「いや、別に急いでるわけではないけど寒いし」

「いやーごめんなさいね」

どこからどう見ても申し訳なく思ってなさそうな笑顔でそう言いながら、警官はカバンをチェックした。

まあ、中には折りたたみの傘が入ってる程度だし変なことにはなるまい。

「うん、大丈夫だね。いや、最近ちょっとこの辺でおかしな事する人の通報が多くてね」

「そうなんですか」

そういえば最近地域メールで、突然イタズラみたいな事をする人が多いから気をつけるようにっていう情報が回ってきていた。その事かもしれない。

「ま、大した事じゃないからいいんだけど、念のためね」

「そすか。行っていいですか?」

「うん、ご協力ありがとうございました」

大丈夫だったようなのでその場を離れてマンションに向かう。


「……ってなんで一緒に来てるんですか」

「ああ、行く方向同じだし。市民の安全を守る義務というものもあるからね。マンション前までお送りしますよ」

「さいですか」

この警官には何を言っても無駄そうだ。どうせマンション前までだし、と諦める。

「っていうか、こんな遅い時間にもの食べると眠れなくならない?」

僕の手にぶら下がったコンビニの袋を見ながら、警官が言う。

「大丈夫っすよ。どうせ寝るの朝になってからだし」

「ああそうなんだ。夜勤?」

「いや……」

こいつわかってて聞いてるな……と思いつつも言葉を濁す。

「仕事は何してるの?」

「いや、別に」

「無職?」

「そすね」

「ちゃんと働かないとダメだよ~」

やっぱりそれが言いたかったんだな……ったく、オカンじゃあるまいし……。

ため息をひとつついて、少しトゲのある感じで言い返してみる。

「仕事してたらなんか偉いわけですか?」

「いやいや偉いとか偉くないとかじゃないよ」

こんな問答慣れたものなのだろう。警官は顔に張り付いたような笑顔を微塵も崩さずに飄々と返してくる。これだから今どきの警官はやりにくい。

「ただねぇ、犯罪みたいなことしちゃう人に無職の人多いからさ」

そりゃそうだろう。仕事があって忙しくしているような人には犯罪なんていう無駄なことする時間も動機もない。

「だからオジさんは元気に仕事してる人が大好きなのよ」

「そうですか」

っていうかあんたの好みとかきいてないし。ほんとめんどくさい。

「でもきょーび仕事なんて趣味でやることじゃないですか」

「まあそうなんだけどねぇ。でも君みたいな前途有望な若者がそういう事を言うのはちょっとさみしいなぁ」

「さみしいとか言われても」

「働くのはいいぞ」

「いや、だって働かなくても生きていけるわけだし」

そうなのだ。今の時代、別に働かなくても何の苦労もなく生きていける。

かつて人がやっていたような「労働」のほとんどは、コンピュータやロボットがやっているし、最低限の衣食住は全て国から支給されるインカムの範囲で賄える。

もちろん、ちょっと特別なものを食べたいとか、最新の機器が欲しいとかっていう時は少し頑張って働かなきゃいけない場合もあるけど、それは日雇いのような仕事で用足りる。定職に就く必要はない。

今の時代、わざわざ定職について仕事をしているのは、何かの使命感に追われているか、ちょっと特殊な欲を持った人か、たまたま仕事になるような事を趣味に選んだ人だけだ。

そんな時代に「働くのはいいぞ」なんて言われても、そもそもするべき仕事がそんなにないのだからどうしようもない。

「っていうかさ、そう言うおまわりさんだって、アンドロイドじゃん」

「まあね」

肌のところどころに露出した、人にはありえない金属を煌めかせながら、警官は相変わらずのはりついたような笑顔で答えた。

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