闇の狂気

「おお婆さんや、えらいことになっとるなぁ」

「そうですねぇ…」

焼け残った屋根の上、二つの小柄な影が月に照らされ長くのびていた。

月の使者達が放った不思議な光によって中庭は鎮火されたが、残った熱が霧のように辺りに漂い息苦しいほどだ。

その暑苦しさに翁は手で顔をあおいでいる。

隣の媼のほうは何の表情もない。

ただ皺が垂れてきて細くなった目を中庭に落としている。

「先の眩しいのは流石にこらえきれんかったのぉ」

翁は媼に向かって苦笑いした。

にっと笑った歯はほとんど抜けている。

「そうですね。あれだけかぐやの血を飲んだとしても、光ったり、飛んだりはできませんでしたからね」

「まだまだよ。かぐやは飯を食い終わったかの?また血を抜きにいかにゃな。いくら抜いても死にゃせんからなぁ。次は桶三杯出してもらわんとな」

「そうですねえ」

「しかし婆さん、アレは何か…蜘蛛かの?」

二人が先程から眺めている中庭から悲鳴があがった。

青い闇のなか、屋根に届く巨体の影が見える。

そこから無数の手が伸び、月の使者の一人、美しい天女の身体にまとわりついているのだ。

闇夜に光る蝶が漆黒の蜘蛛に喰われようとしているようだった。

よく見るとその手足は全て人間のそれである。

全て焼けただれ、白く水膨れからどろりとした液体を滴らせているものもあれば、皮が剥がれて赤黒い血が滲んでいるもの、もはや真っ黒に焦げてしまったものと様々で、それら一本一本が未だに焼かれる苦しみから逃れようとする如く、せわしなく空に向かってもがいているのだ。

仲間が一人そのおぞましい手に、手に、手に捕らえられているのを目の当たりにしながらも、他の月の使者達は恐ろしさに身体が動かなかった。

この黒い怪物の正体に気がついてしまったからだ。

使者達のあれだけ強く光っていたものがみるみる縮こまっていく。

全身ほぼ丸焦げになった人の形がいびつに融合したような物体がそこにあった。

逆さまになって、真横になって、あらゆる角度でひっつき合っている一人一人は明らかに致命傷の熱傷を負いながらも生きていた。

その人々が、翁と媼の手にかかってしまった月の使者の成れの果てであるのは竹が数本が胸や背に突き刺さっていることで明らかだった。

着ていた服装はすっかり燃えつきたが、どれだけ炎で焼かれてもその不死身の身体を炎は喰らいきれなかった。

それが月の使者にとって決して終わることがない地獄の苦しみとなっていたが…。

極限を超えた激痛の中、同じく燃える仲間に助けを求めようと身を寄せ合ったのだろうか。

そして熱で溶けた肌と肌が一つに溶接され、このような形になったのだろうか。

どのようにしてそうなったのかはわからない。

しかし、その人形をいたずらに繋ぎ合わせたようなおぞましい造形にかつて美しく輝く、気高い月の人間のかけらは少しも残されてはいない。

怪物の熱で白濁した複数の目玉が完全に正気を保っていなかった。

各々が口をぱくぱくさせながら

「「「「かかかぐやぐやややや姫姫姫姫」」」」

何故「かぐや姫」の名を口々に言ったのか。

そんなことを考えた者は一人もいなかった。

怪我をするということを生まれてから今まで知らない月の使者達は、仲間がこのような姿になりどう対処したらいいのかわからない様子だった。

しかしそのおぞましい手が天女の腕を真っ二つにへし折るのを見た瞬間、反射的に背を向けて屋敷の中に逃げ込んだ。

腕を折られた痛さに悲鳴をあげた天女に

「「「「「血を血を血を血を血をくくくれれれれ」」」」」

と手が、手が、手がいっせいに掴みかかる。

天女の輝く身体はたちまち黒い巨体にすっぽり覆われた。

何をしているのか翁は身をよじって見ようとするが、凄まじい悲鳴以外知るよしがない。

「ありゃあ死ねずに気が狂ったかの」と翁は媼を見やる。

媼の無表情な顔から殺気がどぼりと溢れた。

かと思うと媼は「しぃっっ!!」といきなり手に持っていた竹槍を翁の背後に向かって投げつける。

竹槍が宙に止まった。

「月の使者も全員腑抜けではないのねぇ」

媼の眼差しが鋭利な刃物のように光る。

すぐさま屋根下から息を潜めて(発光も最小限に抑えて)いた月の使者、琴奏者が飛び出し、持っていた琴を最大音量で鳴らす。

じゃらららら~〜んんん

翁と媼はその音の波に押され、少し後ずさった。

不思議な琴の音色は人間をたちまち眠らせる効力を持つ。

と、琴奏者は考えていたが

「うるせえな」

カッと目を見開いた翁が竹槍を琴奏者の持つ琴を叩き落とした。

「なっ!何故眠らぬ?!」

「月の使者の力は同じ血が流れる者には効かん」

その言葉を聞くなり、琴奏者の精巧な陶器のような顔はひびがはいったようにいがんだ。

信じられないとありったけの憎悪を込めて翁を睨みつける。

「下衆どもめ!話を聞いたぞ。かぐや姫様の血を飲み、我々と同じになろうとするなどなんたる…なんたることを!」

わなわなと憤怒を爆発させる琴奏者は実に隙だらけのようにみえた。

すかさずその胸に竹槍をぶっ刺してやろうと翁が投げる構えをとる。

突然老夫婦の足元の瓦が弾けた。

二人はその爆風にすくわれ中庭に落ちていく。

琴奏者は完全に切れていた。

それが無意識に彼の戦闘心に火をつけたらしい。

念力を振るい、屋根の瓦をばりばり剥ぐなり、片っ端から中庭に飛ばしていく。

豪雨のように降り注ぐ瓦に翁と媼も退散するしかないらしい。

飛んでくる瓦を何枚か竹槍で払い除けつつ屋敷の中に逃げ込もうとするが。

「「「「「かかかかかぐやぐやや姫姫姫姫」」」」」

目の前に月の使者だった塊が立ち塞がる。

黒い身体に散りばめられた無数の白い目が翁と媼を恨めしく捕らえている。

「貴様らがやっていることはこの天地を揺るがさんとするほど愚かなことだ。お前達が手にかけた私達の同朋の姿を見るがいい。これはお前達が犯した罪の産物だ。お前達がその肉体を失ったとしても、罪は何度もお前達に苦しみを与えるだろう」

翁と媼にそう叫ぶと琴奏者は仲間と合流すべく飛んでいった。

中庭に残された翁と媼の目の前には、数人を一つに固めた怪物。

たくさんある脚はそれぞれに行きたい方向があるようで真っ直ぐ向かってこれないらしい。

あっちにぐらり、こっちにぐらり、焼けた身体からすすを撒き散らし、たくさんある手を揺らめかせながらこちらに不気味に忍び寄ってくる。

「なに甘ったれたことを…」

媼が背に指していた予備の竹槍をしゅるりと抜いた。

その切っ先を目の前の怪物に向ける。

竹槍を握る皺だらけの手に力強く血管が浮かんでいる。

「おお甘いの、甘いの」

そう言うと翁は「ぐぺっ」と地面に痰を吐きかけた。

「罪を犯すことない人生なぞつまらんもんだ」

「「「「あああああああああああ」」」」

二人は竹槍を振りかざし、目の前の怪物に向かって同時に走り出していた。

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