光の特攻
火は赤く、じくじく横べりに這い、触れるもの全てを黒に蝕んだと思えば、橙色の柱を上げてヘドロのような煙と燃えカスを夜空に巻き上げている。
“すす”をたっぷり含んだ煙は、なかなか空で死なず、辺り構わず嫌な臭いを撒き散らしている。
地獄の釜が開けられたかのようだった。
現に月の使者―
侍女六人
旗持三人
太鼓奏者一人
が今もその生きたまま炎に焼かれ、身を引き裂かれる程の痛みに苦しんでいることだろう。
だがその苦しみに終わりは無い。
“月の使者は不死の身体である”
当然、病などかかったことはない。歳をとることが無く、常に肉体は若く美しい。
正直、悩みという悩みもない日々を送ってきただろう。
しかし、先程の大屋敷で生まれて初めての恐怖を味わった月の使者達は、上空の光の船、抜け殻のようになっていた。
数刻前まで金色に輝いていた身体は今や青白い。
月の光と相まって幽霊のように顔は蒼白し、ほうれい線の影を映し出していた。
謎の翁と嫗の凶刃ならぬ凶竹は、月の使者の心に癒えぬ傷をつけ、脳に恐怖を焼き付けていた。
胸を抑えている者が多い。
喉が干上がり、ひゅうひゅうという呼吸の音。
ぐすりと鼻を啜る音。
しばらく言葉が出なかった。
「かぐや姫様を助けに行かねば」という声を挙げたのは、やはりリーダー格の髭の男性である。
皆、顔をひきつらせた。
死ぬことはない、がそれより恐ろしい目に合うことがわかっている。
何故行かなければならないのか。
そんな空気を読み、リーダーは言う。
「このまま月に帰ることは出来まい」
皆、顔を挙げた。
地球は汚れた地だ。そこに住まわる人間というのは、卑しく浅ましく野蛮な存在である。
我々のように、光を帯びることはない、空を舞うこともない、楽器の奏で眠気を誘う技術もない、手を使わずに物を動かす念力も使えない。
なのにだ。我々はうっかり噛まれたのだ。月がスッポンに噛まれた。
それを知った月の王はやはりお怒りになるだろう。
私達の使命はかぐや姫様を月にお迎えすることなのだ。やすやす命じられたことを放棄して月に帰っては面子が立たない。
それに、この地球への道は満月の夜しか開かれない。一度月に帰ってしまえばまた満月を待たなくてはならない。
「まあまあ」とリーダー格の男は両手を見せるような仕草をして。
「確かに我々はこの地の人間を侮り過ぎていたやもしれぬ」
そして真っ直ぐな目で言う。
「だが、同じ手は通用すまい」
油断していなければどうということないと、力強く説く。
「そ、それにしても・・・」
と、琴奏者の青年は自分の琴を強く抱きながらおずおずと言った。
「何故、あの人間達は、私の琴の音を聴いて眠らなかったのでしょうか…?」
他の楽器奏者達も怪訝に各々の楽器を見つめている。
「人間は歳をとるごとに耳が聞こえづらくなる。あれほどの老人なら耳に音が入ってこないのだろう」
「そう・・・でしょうか・・・?」
それに、と琴奏者は続ける。
「あの者達は、手慣れているように思いました。何の躊躇いもなく私達を討ちにかかって・・・その・・・私達の不死を知っていて、火を使ったのではないかと・・・」
言い終わると同時に一同が周りの者と顔を合わせる。
「なんと・・・!」
「そうなると・・・」
「何故知っていたのだろうか・・・?」
「老人夫婦の入れ知恵の素は・・・」
「まさか・・・かぐや姫様から・・・?」
「何故に・・・?」
騒然とする中、旗持ちの女がポツリ
「姫様は月を恨んでいるのでは・・・」
かぐや姫は地球に堕とされたのを逆恨みしているのでは・・・と。
夜風が止んだように感じた。
「それは、有り得ない」
リーダー格が一蹴した。
罪を犯し、地球に落とされたかぐや姫。それが三年程前のことだろうか。月はずっとかぐや姫を監視していた。そして罪の埋め合わせは済んだと判断を下した。
詰まるところ、かぐや姫はその三年間の地球生活で己の罪を懲りたということなのだ。
罪を犯したことを悔やみ、後悔し、月に帰りたいと確かに望んだのだ。
月は瞬時にその希望を察知した。
月の民に戻るか戻らないのは月自身が決める。
月の民にとって月は絶対の存在である。
そうなると、かぐや姫は間違いなく「月に帰りたい」という希望を持っているはずである。
だから、大屋敷から顔を覗かせていてもいいはずなのだが・・・。
「囚われておられるのだ」
リーダーが宣言した瞬間、月の使者達は二人の老人の影を思い返す。
地上を見ると、大屋敷はもはや半分ほど炎に飲み込まれており、噴き出す煙が誘い込むようにぐねりぐねりうねっている。
そんなところにかぐや姫は、おそらく幽閉されている。
あの恐ろしい翁と嫗に・・・。
火は屋敷を全て飲み込もうとしている。
考えている時間は無い。
嘆いている時間は無い。
ふと、リーダー格の男は空に手をやる。手の先に光が集中する。
すると、差し出された手の先、屋敷から立ち上らんとする煙のうねりが、そこだけ時を取られたかのように動きを止める。
手が握られた瞬間、その煙がぎゅうと凝縮して空に消えた。
リーダー格は全身に光を漲らせ、一同を振り返る。
「恐れるな!」
その視線は力強い。
二重の意味で光が宿っている。
「我々は月の使者であるぞ!暗闇を照らす夜の太陽であるぞ!人を恐れることがあるか。闇を恐れることがあるか」
力一杯発光し、もはやリーダー格の輪郭は見えなくなってきている。
その熱に釣られたのか、他の者々も己の光を一層強く輝かせた。
「そうだ!」
「そうだ!」
「我々の力を見せてやろうぞ!」
「我々は月の使者であるぞ!」
「かぐや姫を無事月へお連れするのだ!」
やがて船は太陽のような眩しさとなり、燃える大屋敷に向かって降下していく。
船が近づくと炎が、その眩しさに慄いたかのように縮まっていく。
目を刺すような光を放ち、光の船は中庭に降り立った。
そこに翁、嫗が居たとしても、強烈な光で目がくらんでしまうだろう。
不思議な光の働きで火はすっかり消えた。
目を開けてられないほどの光りが、中庭を白く染め、月の使者達は船を降りる。
次々に本殿に踏み込む。
そのうちの一人。
旗持ちの首を掴んだ。
光からにゅうと伸びてきた焼け爛れた腕が。
腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が腕が
「「「「かかかかかかぐややややややひ姫姫姫姫」」」」
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