かぐや要塞

杉本アトランティス

炎の殺戮

むかし、むかしの話である。

人が山へ芝刈りに、川へ洗濯へ、の時代である。

まだ、神が気軽に地上へ立ち寄っていた大地の事である。


それはもう見事な満月の夜。

山一つ飲み込めそうなほど巨大な月が、その金色の肌で大地を優しく照らしている。

月の周りを覆う薄い黄色の輝き。

その一片がにゅーっと餅のように伸び、分離したかと思うと地上に向かって流星のように降りてくる。

その煌めく光の船に人の姿が見える。

美しい人々だった。

何もかもが整えられたような中性的な顔立ちの面々がうっすら笑みを浮かべている。

それが四十人ほどだろうか、光る船にきちんと整列している。

その者達は美しいだけではない、輝いていた。

「美しい」の延長の意味ではない。そのままの意味で発光していた。

その肌から、髪から、着物から、月と同じ輝きを噴出させてキラキラ輝いている。

その一人一人が均等に並んでいる様は、稲畑が風に煽られ金色の波をさざめかせるのを連想させる。

夜風に乗って太鼓の響きが聴こえてくる。

それに重ねて笛の音、琴、笙、琵琶と幾多の音色が絶妙な旋律を奏でている。

船に楽器を持った奏者がいた。その音色は柔らかく、先程まで草でうるさくしていた虫は心地よく眠ってしまったようだ。

旗を持つもの。

大きな扇子のようなものを持つもの。

このように光輝く一行が、月の光に乗って、藍色の夜空をするする滑り落ちていく様は奇妙ながらもどこか神々しい。流れ星よろしく手を合わせて祈願すれば成就するかもしれない。

野を越え―

田を越え―

町屋越え―

光はとあるお屋敷の真上で動きを止めた。ついでに音楽も止まった。

光の船に乗った人々の列が左右に別れ、その真ん中から光の船の先頭に向かって歩いて来たのは、布を身体に巻き付けたような格好の背が高い男性であった。やや肉が乗った顔つきや上に向かって伸びた髭に威厳が見られる。身体を纏う光の膜も他の者に比べて大きく煌めいているように見える。

男は屋敷を見下ろす。

「かぐや姫様、お迎えに上がりました」

穏やかに語りかけるように男は言った。本当にゆったりと。

はるか頭上にいるにも関わらず、何故か男の声は野太く心に響いた。

「貴方様が犯した罪―その咎はこの汚れた地に堕ちることにより、しかと贖われたことと存じ上げます。もはやここに所存はありませぬ。さぁ、月にお帰りになりましょう。王もかぐや姫様を待ち望んでございます」

返事は無い。屋敷は灯もなく静まりかえっている。

「もしこの地に情が湧いたのであれば、月のお召し物を用意してございます。身につければたちどころに地上での記憶は無くなりましょう。罪が償われた今、かぐや姫様がこの地にいる所以は無くなりました故に・・・」

男の呼びかけに反応する気配はなかった。それでも男はにこやかに目線で背後に控える侍女らしき女達に指示をする。それを受けた女達がするする前にでると、光の帯の先からふわりと浮き上がった。一人、二人、三人、四人。ふわり、ふわりと海月のように、光を帯びた女達は屋敷に降りていく。

屋敷は相変わらず静まりかえっていた。女達から発する光がその見事な瓦屋根の作りや、庭園の良く手入れされた様を照らしている。しかし、今そこには人の気配がないのだ。

侍女の一人がそれに気がつくのは中庭を通り、屋敷の中に入ろうとしていたときである。降りてくるときには気が付かなかった。こんなに月が明るいのに。はて、いったいどうやって?他の侍女もそれに気が付き、動きを止めた。

屋敷本殿の屋根の上。侍女達が入ろうとしていた高い屋根のてっぺんにに仁王立ちしている。

男、にしても小柄。

翁だった。

手にした松明の揺らめく炎が顔にいくつもの皺を浮き上がらせている。

しかし、この豪華な屋敷に所属しているならば、老人のその装いは似つかわしくないことこの上ない。

首元を大きくはだけさせた黒っぽいボロの着物と袴ではまるで山にでも登る様ではないか。

光の帯に乗った月の使者の集団も屋根上の翁の影に気づくと、あれ?と周囲の者と顔を見合わす。

なんでだろう?

それは月の使者にとってはありえない光景。想定外であった。

特に、太鼓や琵琶などの奏者は焦り顔で翁と手元の楽器を交互に目をやっている。

何故、そこに立っているのか?

“月の楽器の奏でを聴いた人間は必ず眠ってしまうはず・・・”

突然、翁が松明を持った手をぐおんと大きくひねったかと思うと、身体全体を使った全力動作で松明をぶん投げた。

投げ出された松明が凄い勢いで自分に真っ直ぐ向かってくると、侍女の一人がまたもやええっ!?としながらも、飛んでくる松明に力いっぱい手をかざす。

その手から放たれた目に見えない念力、により侍女に向かって飛んでくるはずだった松明が一瞬ふわりと宙に止まり、カランと落ちた先は中庭の白い砂利の上。

悲鳴があがった。

中庭に油でも撒いていたのだろう。落ちた瞬間、松明は一文字に炎を走らせた。いい具合に手入れされた松の木だとかツツジの茂みから炎が爆発し、侍女四人のヒラヒラした衣装に引火して全員火だるまとなった。

「念を!念を使えー!!」

地獄の釜でも開いたかのように上がる火柱から、はるか上空に浮かぶ光の船でそういったことを叫ぶ者がいたが、誰一人として助けに行かない。

人間ごときに月の使者が・・・という己の尊厳を守る為に脳が目の前の状況を夢か幻かに捉えているのだろうか。

または、麗しのかぐや姫、世にまたとない宝石の輝きを手放したくない欲深な人間からささやかな抵抗があることは予想の上だったが、まさか屋敷に火をかけるとは・・・という驚愕と衝撃が心と脳を麻痺させているのか。

もしくは、“月には死という概念が無い”為、あれぐらいなら“死ぬことは無いだろう”とどこか遠くで楽観しているところがあったかもしれない。

しかし、侍女四人が赤い炎にまとわりつかれ、全身焼き尽くされてぐねぐねもがいている光景に、流石に助けないとと我に返った数人が赤い地上に降りていく。

先程屋敷に向かって語りかけた男、太鼓奏者、笛吹、旗持ち、その他多くの侍女などがひょいひょい光の帯から飛び降り、屋敷の入り口にそびえる門をするりと乗り越え、赤く燃え盛る炎の中庭へ一直線に飛んでいく。

燃え広がった炎はすでに本殿を飲み込もうとしている。

いつの間にか屋根の上の翁の姿が消えていた。だが今はそれどころではない。

四人の侍女はまだ炎の中でのたうっている。死ねない身体は炎に焼き尽くされても生き続けようとする為、終わらない苦しみと恐怖は想像するに耐えない。辺りに漂う嗅いだことのない臭いで何人かむせ返っている。

中庭にまで降りてきた月の使者達は炎の熱さに耐え、それぞれの両手から念力を放出すると、炎は粛々と大人しくなり、縮んでいく。

この勢いで侍女四人の炎を消さなければと念力を絞っていた一人の旗持ちが、グシュ、という左脇腹の衝撃があり、そこに刺さっているのが竹であることに気がついたときには瓦屋根に落下してそこから中庭のまだ燃えている炎に飲まれた。

それを見た別の侍女が悲鳴をあげる。

中庭を四角に囲む屋根。

正面から左の渡り廊下の屋根に立つ影は先程の翁ほど小柄な体型だがボロの着物は女のものだ。

竹槍を持った嫗が屋根の上、器用に助走をつけて二本目の竹槍を放つ。

「ほうりゃっ」という掛け声とともに飛んできた竹槍を悲鳴をあげた侍女が念力で弾くと、軌道を変えたそれはグルンと竿をしならせ別の侍女の脳天に打ちつけられた。

「ぎゃっ!」と短い悲鳴を上げた侍女は頭部からドロリ血を流しながら落下。炎の中に消える。

それを念力で引き上げようとした侍女の腹に竹槍が打ち込まれ、その衝撃で空中を後ろ向きに滑る。

侍女は顔の片方をくしゃっと潰し、腹に突き刺さった竹筒を両手で掴むが、竹槍の穴から血がブシューーッと噴水のように吹き出し、発光していた身体がみるみる真っ白になりついに炎の海に落下していった。

いつの間にか翁も竹槍を持って参戦している。

中庭の右側に翁、左側に嫗が立ち、見事な手腕で竹槍を投げては月の使者を撃ち落としていく。

己が光る的となっている事に気がついた月の使者達は両手をバタバタさせながら一目散に上昇した。

赤く燃える光を背に、黄金に輝く月に向かって息も絶え絶え逃げ飛ぶ。

あぁ・・・月に帰りたい。

争いも、戦もない故郷の月に・・・。

念力という人智を超えた武器も戦意が無ければ役にたたない。

ただかぐや姫を迎えに来ただけなのだ。

地球へ行って、かぐや姫様をお連れして月に帰る。たったそれだけだが、かぐや姫の身分からして、普通の下使えでは滅多に与えられない崇高で神聖な役である。

なのに・・・。

汚れた地を甘く見ていた。

人間の欲は底なしで、その為ならどんな手段も選ばないのだ。どれだけでも卑劣に、残虐になれることができるのだ。

恐ろしや

恐ろしや

逃げる最中背後からしわがれた声が響く。

「儂らのかぐやに近づく者ァ許さんぞぉ〜!この月のクソ蝿共がぁ!」

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