第19話

10


 黒沢は舞鶴にいた。秘密裏に統合幕僚長と会うためだった。表向き、新たな作戦のために出港する自衛艦を激励するという名目で東京からやって来た統合幕僚長は、基地の近くにあるホテルの一室で待っていた。

「黒沢陸将、お久しぶりです」

 地味なスーツ姿の男が、椅子から立ち上がった。

「いやいや、御子柴みこしば君。私は、一度は退役している身だ。降格もされているんだから、陸将はやめてくれ」

「失礼しました。ついお元気な姿を拝見して、昔に戻ってしまいました」

 社交辞令とわかってはいても、そう言われて悪い気はしない。

「ところで今日は、何のお話ですか? 目立たない服装で、とのご命令でしたが」

「命令だなんて、そんな。現役の自衛隊トップに向かって」

 御子柴を座らせ、黒沢もその反対側に座った。

「話は聞いているだろう?」

 真顔に戻った黒沢は、単刀直入に斬り込んだ。先に送り込んだ部下から、側近を通じてそれとなく話を通してあった。

「新政府樹立の件ですか?」

「そうだ」

 沈黙する御子柴を見て、黒沢は話題を変えた。

「戦局は、どうなんだい?」

 ここだけの話にしてください、と御子柴は念を押し、内情を話しはじめた。

「もう15年も続いている戦争ですからね。こちらも敵さんも、もういいかげん飽き飽きですよ」

「A国からは、現政権が倒れれば停戦に応じるという言質を取ってある」

「本当ですか!?」

 あまりの驚きに、御子柴は椅子から腰を浮かせた。

「町田さんを知っているだろう? 彼女がA国の外務次官補と話をつけた」

「えっ、あの町田さんが」

 地震発生後、大阪府知事の町田から直接、何度も救援出動を要請されていた。

「町田さんは、どういう戦略を立てているのですか?」

「戦争ばかりに目が行って国民を顧みない政府を糾弾するという名目で、デモ隊を東京へ歩かせている。あらゆる方法でこれに国民の大半を巻き込み、政権を退陣させる」

「しかし……」

「主な自治体の半分近くが、すでに賛成している。あとは自衛隊だけだ」

 御子柴は返答に窮した。ここで賛成と言ってしまえば、クーデターになってしまう。自分が統合幕僚長のときに、そんな汚点を自衛隊に残したくはないだろう、と黒沢は御子柴の心中を想像した。

「岸辺というのは、どういう男だい?」

 黒沢は、巧みに話を誘導した。

「はっきり言って異常です。A国のことになると、見境がなくなります。冷静な判断ができれば、こんな戦争、とっくの昔に終わっています」

 やりきれない、という表情を浮かべ、御子柴は急に饒舌になった。

「最近では神経症的と言うのでしょうか、いや、私は専門家ではないのではっきりとは申せませんが」

「ほう」

「急に怒り出したり泣きだしたり、数時間の間にまるっきり逆の指示を出したりと、精神が不安定になっているように見えます」

「そうか。そんな男のもとで、君は国を護ることができるのか?」

「……」

 御子柴は答えず、黒沢の目を無言でじっと見据えた。黒沢は、さらに尋ねた。

「戦死者は、増えているか?」

「はい。と言っても、実際に死んでいるのは非国民の戦闘員ですが」

「現場は何と言っている?」

「自分の息子や娘の年頃の子が次々に死んでいくのは、見ていられないと」

「どう思う? このままでいいと思うか?」

 視線を落とし、御子柴は大きくため息をついた。

「ずるいなあ、黒沢さんは」

 御子柴は椅子から立ち上がり、窓の外を見つめた。穏やかな海の上に、出港を待つ自衛艦の影が浮かんでいた。

「私に、どうしろと?」

「岸辺から内乱鎮圧の出動命令が出ても、応じないでほしい。とりあえずは、それだけだ」

「それだけで、いいんですか?」

「もし可能ならば、あのフネを東京湾に回航してもらえんかね?」

 黒沢も立ち上がって御子柴と並び、自衛艦を指さした。

「回航したとして、そのあとは?」

「お台場の沖に浮かんでくれているだけでいい」

「なるほど、砲艦外交ですか。無言の威圧ですな」

 黒沢は何も言わず、柔らかな笑みを浮かべながら御子柴の肩を数回叩いた。


 デモ行進の一行は、大阪の府域を出た。このあたりまで来ると、地震と津波による被害は、大阪の中心部に比べればかなりましなようだった。

 倒壊した建物はなく、路上に散乱する瓦礫もはるかに少なかった。しかし道路には亀裂が走り、車の往来は少なく、人通りもほとんどなかった。点滅するネオンも看板もなく、むなしく光る信号の光だけが建物に赤や緑の影を投げかけていた。

「なあ、今夜も野宿やろか」

 サナエが、つぶやくようにこぼした。

「ほら、ほうやろ。ここいらかて、かなりの被害を受けとるのやで。被災者がタタミの上で寝られんものを、なんでワシらがベッドの上で寝られるもんかいな」

 面倒くさそうに答えながら、悪心坊は背中に担いだビリケンさんを揺すりあげた。そのとき、背後から声が掛かった。

「これ、ビリケンさんかや?」

 悪心坊が振り返ると、着の身着のまま逃げてきたらしい老婆が立っている。

「そうだよ。おばあちゃん」

 美沙が答えると、老婆は「触らせてくれ」と懇願した。美沙は悪心坊に頼んでしゃがんでもらい、ビリケンさんを老婆にちょうどいい高さにした。

「ありがたや、ありがたや」

 老婆はビリケンさんの足の裏を何度も撫でながら、口のなかで何かを唱え続けた。

「おばあちゃん。どうして、ビリケンさんの足の裏を撫でるの?」

 不思議そうに尋ねる美沙に、老婆も不思議そうな顔をした。

「なんや、あんた、知らんのかいな。ビリケンさんの足の裏を撫でるとな、幸せになれるんやで」

「へええ」

「友だちも連れてくるさけ、拝ましたってや」

 老婆の口コミでビリケンさんは評判を呼び、「拝ませてくれ」という老人たちがぞくぞくとやってきた。ビリケンさんの前は、長い祈りを捧げる老人たちで足の踏み場もなくなった。

 この光景を見た岡田は興奮し、太ったからだを揺すってまくしたてた。

「こりゃすごい。運動を浸透させる突破口になるかもしれん。すぐに動画をアップだ。美沙ちゃん、美沙ちゃん」

 あわただしく動画が撮られた。ビリケンさんを拝む人の波をバックに、美沙が明るい声で紹介した。

《見て見て。私たちの守り神ビリケンさんが、みんなに幸せをおすそわけしてるよ。足の裏を触りに来ると、きっといいことがあるよ。》

 この動画の最後にも、サナエが割り込んだ。

《はーい。サナエちゃんだよ。このビリケンさんは、私が苦労して持って来たんよ。拝みに来てもええけど、来るときはお賽銭を忘れずにな。あっ、ちょっと。何するんや。放さんかい、こらー。》

 前回と同様、カメラの前からサナエが連れ去られる場面で終わった。


 動画は、さらに多くの関心をひいた。デモ行進の一行が訪れる先では、かならず行列ができるようになり、それがさらに大勢の人を呼び寄せた。

 集まった人々に向けて、美沙は訴えた。

「非国民として生まれた子供の多くは、戦闘員として訓練され、一五歳で戦場へ送られます。国は、戦死者はごく少数と発表していますが、ほんとうは何百人も死んでいます。そのほとんどが非国民の少年少女です」

 これも、一般の国民が知らない事実だった。

「それ、ホンマか」

 集まった人々のなかから、声が上がった。

「はい。現に私は、小さいときから戦闘員として訓練されました」

「アンタは、死なずに済んだんか」

「戦場に出る前に、訓練で腕を折られて戦闘員をやめさせられました。ですが……」

 美沙の顔が、少し曇った。

「私と班がいっしょだったM6803号は、戦場へ行って数週間で戦死しました。最後の言葉は、『スシが食べてみたかった』だったそうです」

 M6803号の戦死を聞かされたとき、美沙は経験したことのない感情を表現する言葉を知らなかった。だが、いまなら、それが「悲しさ」や「悔しさ」という感情だったと理解できる。彼が自分に好意を抱いていたらしいことも、なんとなく想像がついた。

「彼は、『戦いたくない』と言っていました。『戦闘員にならなかったら何になっていただろう』とも言っていました。養成所にいるときはその言葉の意味が理解できませんでしたが。今ならわかる気がします」

 どよめく群衆のなかから、一人の男の子が歩み出た。

「ぼくもいっしょに、東京に行きたい」

 見れば、まだ中学生のようだ。

「ぼくと同じぐらいの子が戦争で殺されているなんて、知らんかった。ぼくと死んだ子たちは、どこがちごてたんやろ。ひょっとしたら、死んどったのはぼくかもしれへんやんか。そんなん、悲しすぎるわ」

 泣き出しそうになる男の子の姿に、美沙はとまどった。戦闘員養成所では、自分と近い年齢の同僚が泣くのを見たことがなかった。美沙は、イオがしてくれるように、優しく男の子の肩を抱いた。

「私は美沙。あなたは?」

「ぼく、ヒロシ。笹木ささきヒロシいうねん」

 顔を寄せてよく見ると、整った顔立ちをした少年だった。まつ毛が長く、愁いを帯びた目は深い藍色を湛(たた)えていた。

 次の瞬間、美沙は自分の心の中に突然湧きあがった感情に驚き、あわててヒロシからからだを離した。まだ、ときめきという言葉は知らなかった。

「ぼくの顔に、何か付いとる?」

 瞬きもせず、ずっと顔を見つめる美沙の視線をヒロシはいぶかった。

「あ、いや」

 あわてて視線を逸らせた。そして未知の感情にとまどいつつも、美沙は冷静さを装った。

「そうだよね。非国民として生まれたというだけで、戦争で死ななければならないなんて、そんなの間違っているよね」

「うん。ぼくも、ぼくも何かできること、したい思うねん」

 その様子を見ていたイオが、ヒロシに聞いた。

「だけど君、ご両親は?」

「家の下敷きになって死んでもうた。兄弟も親戚も、おらへん。行くところがないんや。なあ、連れてってぇな」

 イオと悪心坊は顔を見合わせた。

「わかった。いっしょに東京へ行こう」

 さらに数人が、同行を申し出た。彼らも、この男の子と同様、家族をすべて失った者たちだった。

 デモ行進の人数は、ようやく20人を超えるところまで増えた。政府への不満はもちろんあるが、東京へデモをかけるより自身の生活再建が先、というのが被災者の本音だった。


 その夜。避難所の隅にある小さな祠の裏に、イオは悪心坊を呼び出した。そこは明かりのない暗がりにで、用のない人間が来そうもない場所だった。

「なんや。人に聞かれたくない話か?」

「そうだ。特に美沙には」

「ほう。何や」

「東京へ着いたあとのことだが」

「何か、考えとんのか?」

 イオは、さらに声を小さくした。

「拳銃を持ってるだろう? オレによこせ」

「護身用に持っとるけど、何をするつもりや?」

「岸辺をる」

「何を言うとんねん。退陣させれば、それで済む話やないか」

「いや。ヤツの息の根を止めなければ、この戦いは終わらない」

「アホなこと、言いないな。美沙坊は、どないすんのや。せっかく親子が出会えたっちゅうのに」

「美沙のことは、頼む」

「あかん。殺るんやったら、ワシがやる」

 押し問答を繰り返したが、決着はつかなかった。二人は立ったまま、無言でじっと睨みあった。

 その様子を、太い木の陰からそっと窺う男がいた。男は見えるほうの右目を建物の陰から出し、二人の話をじっと聞いていた。アベであった。その右手は、ナイフを固く握りしめていた。


 デモの同行者は、なかなか増えなかった。落胆する一行のなかで美沙だけは、ヒロシが加わったことをひどく喜んだ。年齢が近い友人ができるのは、ニニが死んで以来のことだった。

「ヒロシは、何になりたいの?」

 どのような話をしていいのかわからず、美沙はニニに聞かれたことをそのまま問いかけた。

「ぼくは、ダンサーになりたいんや」

「ダンサーって、何?」

「こういうヤツや」

 ヒロシは素早く立ち上がると、軽快に踊り始めた。リズムが聞こえてくるようなキレのある踊りに、美沙は目を丸くした。

「いい動きだね。だけど」

「だけど、何?」

「それ、何の役に立つの?」

 首をかしげる美沙にヒロシが近づき、手を取って立ち上がらせた。

「いっしょに踊ろう」

「どうしたらいいの?」

「ぼくの動きをマネたらええねん」

 ぎこちない動きで、美沙はヒロシの動きをトレースし始めた。一〇分も経つと、もともと運動神経の良い美沙はコツをつかみ始めた。

「そうや。うまいやん」

「そう?」

「どや。楽しいやろ?」

 どこが楽しいのか、まだよくわからなかったが、美沙はヒロシの顔を見て微笑んだ。

 ヒロシの穏やかで優しい性格は、これまで経験したことのない感情を美沙の心に呼び覚ましていた。これが、ニニが言っていた「恋」というものなのかもしれない、と思った。

 美沙はヒロシを身辺から離さず、可能な限りいっしょに活動し、夜になると隣同士で眠った。その様子を見たイオは、生まれて初めて、父親としての複雑な思いを味わった。


 それでも名古屋を過ぎるころには、デモ行進の人数は100人を超えた。東海地方も津波の被害をこうむっており、いっしょに東京へ行こうという者は少なかった。

「ま、通せんぼされへんだけでも、めっけもんちゃうか」

「町田さんが根回しをしてくれたおかげだな」

 岡田が毎日ネットにアップする動画のおかげで、乏しいながらも食料と寝袋ぐらいは、差し入れで全員の分を賄うことができた。この調子ならば何とか東京へ行きつけそうだ、と一行は安堵した。

 楽観的なムードが漂い始めたなかで、美沙だけが暗い顔をしていた。

「イオ」

「何だ? やけに暗い顔をして」

「イオは、このまま無事に東京へ行けると思う?」

 美沙の懸念は、イオも少なからず感じていた。

「あの岸辺のことだからな。何らかの手は打ってくると思うが」

「私だったら、このデモ隊が大きくならないうちに手を打つな」

「いまが危ない、ということかい?」

「警戒したほうがいいと思う」

「わかった」

 イオは大阪府警から派遣されて同行している湯沢と草津に、美沙の話を伝えた。

「これからは、できるだけ美沙さんの近くで警護さしてもらいます。せやけど」

 私たちだけでは心もとない、と言う草津に湯沢も同調した。

「大人数で来られたらお手上げですわ。いちおう、応援は頼んでみますが」

 彼らはあてにできそうもない、というイオの言葉に、美沙は黒沢さんを呼んでほしいと頼んだ。携帯端末がつながると、美沙はそれを奪い取るようにして耳に当てた。

「もしもし、黒沢さんですか?」

 美沙は自分の懸念を説明し、現状を伝えた。

「お願いがあるんです。黒沢さんはいま、現役復帰していますよね? だったら階級章のついた戦闘服を着て、こっちへ来てくれませんか? そうです。犠牲者を出したくないんです」

 黒沢は美沙の意図がよくわからないようだったが、できるだけ早くそっちへ行く、と言って通話を切った。

「何をするつもりだ?」

「考えがあるの」

 イオの問いに、美沙はそう答えただけだった。そしてその夜から、美沙は一行とは離れた場所で、一人で眠るようになった。

「みんなを巻き添えにするわけには、いかないよ」

「お前ひとりが犠牲になるつもりか?」

「簡単にやられはしないよ。私の戦闘能力は知ってるでしょ?」

「だけど……」

「いまできるのは、これぐらいだから」

 湯沢と草津、そしてイオは、そんな美沙を少し離れた場所から見守ることにした。


 このことにいちばん落胆したのは、ヒロシだった。デモに参加以来、ずっと美沙の隣で寝ていたのに、いきなり「今夜から一人で寝るから」と言われて追い払われた。

 ヒロシは、そのことを激しくなじった。

「なんでや? いままでずっと隣で寝とったやんか? ぼくのことがイヤになったんか?」

 美沙と接するうちに、彼もまた美沙を慕う心が芽生えはじめていた。泣きそうな顔ですがるヒロシの顔を、美沙はまともに見られなかった。

「私といっしょにいると危険なの」

 辛いのは美沙も同じだった。

「何がや? 何が危険なん?」

「私だっていっしょにいたい。でも、私は狙われているの」

「ぼくが守ったる。襲ってくる奴がいたら、盾にでも何にでもなったる」

 そうさせないためなのだ、と説明してもヒロシは納得しなかった。美沙はしかたなく、わざと冷たく言い放った。

「いいかげんにして。あなたがいると邪魔なの」

 ショックを受け、悄然として立ち去るヒロシの後ろ姿を見て、美沙は自分の心がきしむ音を聞いたように感じた。


 ビリケンさんを担いだデモ隊が東京へ向かっているという話は、被災地を取材するマスコミ関係者の間にも伝わった。老境にさしかかったいまでも現役リポーターとして活躍する松村まつむら健吾けんごは、若いカメラマンを連れてデモ隊を追っていた。

「松村さぁん。そんなデモ隊なんか追いかけてどうすんですかぁ。僕らは、街なかのほのぼのとした話題を見つけるのが仕事じゃないですかぁ」

 カメラマンの言葉を聞いて、松村は地面に唾を吐いた。

「イヤなら別に来なくていいぞ。カメラを貸せ」

「どうしちゃったんですかぁ、松村さん。いつもの松村さんらしくありませんよぉ」

「血が騒ぐんだよ。ジャーナリストの血がよ」

「松村さぁん。我々報道は、政府の発表をそのまま歪みなく伝えるのが役目じゃないですかぁ」

 岸辺が総理大臣臨時代理に就任して以来、マスコミはすべて政府の宣伝機関と化した。15年の歳月は、マスコミ報道が自らの存在理由を忘れるのに十分な時間だった。

「ばかやろう。そんなのは、報道でも何でもねえ」

「おおわ。どうしちゃったのかなぁ」

 デモ隊の姿を求めて公園の茂みのなかをさまよっていると、遠くにロウソクの明かりが見えた。

「あそこに誰かいるぞ。デモ隊がどこにいるのか、聞いてみよう」

 松村たちは枝をかき分け、ロウソクの明かりのほうへ近づいた。


 人の気配に気づき、美沙はすばやくロウソクを吹き消した。美沙を見守っていた私服警官は拳銃を抜き、近づいてくる人影のほうへ忍び足で移動した。

「止まれ。何者だ」

「ひいいいっ」

 拳銃を構えた男二人に突然誰何され、カメラマンは悲鳴を上げた。松村はあわてて首から下げた身分証を掲げ、大声で叫んだ。

「尾張テレビです。怪しい者じゃありません。デモを取材に来たんです」

 暗闇のなかから、さらに別の男の影が現れた。

「テレビだって? テレビが何の用だ?」

「デモ行進を取材させてほしいんです。いま、何が起こっているかを知りたい」

「テレビは政府の発表しか報道しないんじゃないのか?」

「そんな政府に対する反感は、急激に高まっている。その現実を、我々は伝えたい。いや、伝えなければならないんだ」

 木の上から、女の声が聞こえた。

「イオ」

「まだ出てくるな。信用できるかどうかわからん」

 そこへ、騒ぎを聞きつけた岡田が巨体を揺すりながら走ってきた。

「待ってくれ。私は広報担当の岡田だ。身分証を見せてくれ」

「岡田?」

 松村は聞き覚えのある声を耳にし、岡田の顔を覗きこんだ。

「岡田、お前、生きていたのか?」

「え? あっ、松村、松村先輩じゃないですか」

「どうしていたんだ。15年前に捕まって以来消息不明なんで、てっきり死んだと思っていたぞ」

 手を取りあって再会を喜ぶ二人に、若いカメラマンは困惑した表情を浮かべた。

「こちら、どなたですかぁ?」

「こいつはな、新聞社時代の俺の後輩なんだ。〈美しい国民の党〉の取材では何度かいっしょに動いたことがある。俺はその後テレビへ移ったが、弾圧がキツくなったあとも、こいつは〈美しい国民の党〉をハデに叩く記事を書きまくって捕まったんだ」

 カメラマンは不安そうな表情をしながら、「どうも」と言った。反政府主義者なんかと親しく話して大丈夫か、と言いたげだった。

「それはそれとして」

 岡田は握っていた松村の手を離した。

「どういう趣旨で取材するつもりです? 『政府の敵がここにいる』とでも流すんですか?」

「俺もジャーナリストの端くれだ。いま、世の中で岸辺政権の評価がどのように変化しつつあるかは、わかっているつもりだ」

「しかし、そうだとしても発表する場がないでしょう。デモの取材をしても、上から握りつぶされるだけじゃないですか?」

「ジャーナリストは腰抜けばかりじゃねえぜ。それに、岸辺は最近どうもおかしい。やることに一貫性がなくて、周囲もそうとう混乱しているらしい。いまなら、出せる」

「ふうむ」

「岡田さん」

 再び、木の上から美沙の声が聞こえてきた。

「待って。まだ出てきちゃいけない。彼らを完全に信用したわけじゃない」

 その声を無視して、美沙が木から飛び降りた。

「私は美沙と言います。デモ隊の一人です。私でよかったらお話をします」

「あんたが、デモ隊のシンボルになっているという例の少女か」

 松村は、背が高くがっしりとした体格に、まず目を奪われた。だが、それよりも彼女が醸し出す不思議な緊張感を伴う雰囲気に強く惹かれた。それは、これまでに接した普通の少女がまったく持ち合わせていないものだった。


 尾張テレビが放送したデモ隊のリポートは、結局、政府から何の妨害も受けなかった。岸辺が率いる政府は、すでにマスコミを統制するキャパシティを失っていた。

 そのことを敏感に察知したマスコミは、一斉に反政府の姿勢に転じた。

《いつまで無策を続けるつもりか 悲鳴を上げる被災地》

《益のない戦争を終結させよ》

《非国民を産んだ社会を変えよう》

《岸辺独裁体制に終止符を打つべきだ》

 連日、過激なキャッチや見出しがテレビ画面や新聞紙面に踊り、岸辺の退陣を促した。さらに美沙たちの姿が、非国民の開放と政権打倒のシンボルとして繰り返し流された。

 デモの隊列に加わる人の数は、日を追って増えて行った。神奈川県に入るころには、千人を軽く超えていた。町田の説得も功を奏し、通り道になっている自治体はもちろん、被害のなかった東北や北海道からも支援が届き始めた。

 岸辺は激昂した。

「自衛隊を鎮圧に出せ!」

 その自衛隊は、各地の前線でA国と対峙していた。

「国内の治安維持活動に出せる部隊など、いまは一つもありません」

 統合幕僚長の御子柴は、頑強に出動を拒んだ。岸辺はいらだった。

「対テロ特殊戦部隊を出せ! あの女を射殺しろっ」

「そのような部隊は、とっくに前線に出ています。国内にはいません」

「くそ! 自衛隊など、肝心な時に役に立たんじゃないか」

 御子柴を下がらせた岸辺は、グッドジョブ社の戦闘員養成所に直接電話を入れた。

「非国民の部隊を出せ!」

 最前線に送られるために待機していた非国民の部隊から一小隊が引き抜かれ、特別な命令が与えられた。命令の内容は、「デモ隊のシンボルとなっている少女の排除」だった。


 永世中立を宣言している第三国の、とあるホテルの一室。町田とA国の外務次官補、そしてA国に敵対している戦争当事国の外交官が秘密裏に集まった。

「では、一週間に一地点ずつ、お互いの陣地から兵員と装備を引き揚げるということで、いいですね?」

 議長を務める第三国の外務大臣の言葉に、B国の外交官が質問した。

「それは結構ですが、引き揚げたという事実を、どうやって確認するのですか?」

 それに対し、A国の外務次官補が穏やかに反論した。

「それは、お互いを信頼するということにしませんか」

「そうね。私たちがここへこうして集まったのは、一刻も早く戦争をやめるためです。まずは、停戦状態を作り出すことが先決です」

 町田の言葉に、各国の外交官は無言でうなずいた。

 会議を終え、A国の外務次官補は町田に歩み寄った。

「お互い、人生の最後に、こんな大仕事が待っているとは思いもよらなかったな」

 会議の最中とはうって変わって、親しげな表情を浮かべた。

「あら、まだ私は全然最後だと思っていないわよ。あなたは、どうだか知らないけれど」

 そう言うと町田は、さっさと部屋を出ていった。そのうしろ姿を、A国の外務次官補は苦笑を浮かべながら見つめた。


 東京に到達したデモ隊は、総理大臣官邸を囲んだ。すでに数千人の人々が、デモに参加していた。

「岸辺、辞めろー!」

「戦争、やめろー!」

「非国民、やめろー!」

 あちこちでシュプレヒコールを叫ぶ群衆を、警察はなすすべもなく見守るだけだった。災害派遣で西日本各地に応援に出ているため、警察官の数は極端に不足していた。さらに町田の根回しが効いているのか、東京都知事からはデモ隊を排除せよとも支援せよともつかない、あいまいな命令が出ていた。

 美沙は、なおも増え続ける群衆の前に立ち、マイクを手にした。

「みなさん。私は美沙といいます。ついこの間まで、私は非国民でした」

 自分の生い立ちを述べ、人間が人間らしく暮らせる場所を作りたいのだと訴えたのは、これまでと同じだった。だが、いつもと違っていたのは、美沙の背後に、戦闘服に身を包んだ黒沢が立っていたことだった。

「自衛隊が、反政府デモに加わっているぞ」

「こりゃ、いずれクーデターだな」

「岸辺は、もうダメだな」

 多くの人々は、自衛隊が反政府側についたと勘違いした。東京湾に任務不明の自衛艦が停泊していることも、その勘違いに拍車をかけた。

「総理官邸にミサイルを撃ち込むらしい」

「いや、あの船で岸辺は外国に逃げると聞いた」

「これから、どうなるんだ」

 美沙と黒沢が打った布石は、着実にその効果を発揮しはじめていた。


 その夜。抗議行動を終えたデモ隊は、ここ数日寝場所としている日比谷公園に戻った。いつものように美沙は、人々から離れた場所に一人で寝袋を敷いて寝た。木枯らしのような冷たい風が吹く夜だった。

 夜中の3時過ぎのことだった。ライトを消したトラックが、公園の裏通りの目立たない場所に停まった。すぐにうしろの扉が開き、自動小銃を持った10人ほどの一団が次々と飛び降り、整列した。

 リーダーらしい男が合図すると、一団は足音も荒く走り、公園内へ踏み込んだ。美沙が集団から離れて一人で寝ていることは、デモ隊に紛れた偵察行動ですでに把握していた。

 最短距離で美沙の居場所に近づき、寝袋を取り囲むと同時に、一斉に発砲した。寝袋は数十発の弾丸を受け、文字どおり粉々になった。だが、血は一滴も流れ出ていない。リーダー格の体格のいい男がしゃがんで確認しようとした時だった。

「撃ち方やめ!」

 襲撃者の輪の外から、大声で号令がかかった。自動小銃を持った一団が振り返ると、戦闘服に身を包んだ自衛隊の将校が立っていた。黒沢だった。

「気を付け! 敬礼!」

 続けざまに発せられた号令に、襲撃者たちは反射的に従った。

「ご苦労!」

 彼らの前に、黒沢が歩み出た。

「お前らの任務を解く。武器を置いて解散! ただちに隊舎に戻れ」

 見れば、襲撃者は全員15、6歳の少年少女たちだった。彼らは拍子抜けするほどおとなしく命令に従い、その場に武器を置くと、乗ってきたトラックのほうへ戻っていった。しかし、そのなかにリーダー格の男の姿はなかった。


 その様子を見届けて、木の上から美沙が降りてきた。

「黒沢さん。ありがとう」

「なるほど。私が呼ばれたのは、こういうわけか」

「それだけじゃないよ。演説のうしろに立ってもらったのは、イオのアイデア」

「それにしても、彼らはやけに従順だったな」

「戦闘員養成所では、命令には絶対服従するように叩き込まれるの。特に戦闘服を着て階級章をつけた人の命令には」

「そりゃ、自衛隊よりも扱いやすいな」

 そう言って笑おうとした黒沢を、美沙は突き飛ばした。何か禍々しいものが、暗い闇を切り裂いて光った。

「ナイフを貸して」

 美沙は黒沢の腰からアーミー・ナイフを引き抜き、右手で持って低く構えた。

「誰?」

 その答えのかわりに、また刃物が空中を走った。美沙は身をひねって地面に転がり、手近な木の裏に身を隠した。しかし、相手の姿は見えない。

 美沙はナイフを口に咥え、木に登った。枝の上でじっと目を凝らすと、数メートル離れた木の陰に人影を見つけた。拳銃を構えた湯沢と草津だった。だが、彼らにも相手が見えていないらしい。

 その時、背後に微妙な空気の乱れを感じた。美沙はすぐに枝から飛び降り、地面を走った。そのすぐうしろを追ってくる者がいる。美沙は走りながら、手ごろな枝を手前に引っ張った。枝は元に戻る反動で、追跡者の顔面を直撃した。

 一瞬、追跡がやんだ。その隙に美沙は再び木に登った。少し離れた場所に、追跡者の大きな影が見えた。獲物を求めてゆっくりと歩を進める追跡者をやり過ごし、美沙はその背後に飛び降りた。背中からアーミー・ナイフを突き通したが、厚い筋肉のせいで心臓には届かなかった。振り返った追跡者に荒っぽく払いのけられ、美沙は地面に転がった。

 すぐさま立ち上がってしばらく走ると、行く手はコンクリートの高い壁になっていた。壁の前は常夜灯があり、スポットライトのように円形に地面を照らし出していた。

 美沙は壁を背に追跡者と対峙した。相手からは丸見えの場所だった。やがて常夜灯のなかに、身長2メートル以上の大きな男の姿が浮かび上がった。その顔には見覚えがあった。

「M6657号」

 戦闘指揮コースの格闘戦演習で、美沙の左腕を折った男だ。

「F6731号じゃねえか」

 相手も美沙を認識した。

「コースでも気にくわない奴だったが、こりゃあ、いいところで出会った。長い時間苦しんでから死ぬように刺してやる」

 M6657号が間合いを詰めた瞬間、美沙が叫んだ。

「いまよ!」

 左右の闇から拳銃が発射された。湯沢と草津が発射した弾丸はそれぞれ、M6657号の右腕と左太ももを貫通した。巨体が地面に崩れ落ちた。同時に美沙は身を躍らせ、持っていたアーミー・ナイフをM6657号の右の手のひらに突き刺した。手から、刃渡り30センチはあろうかという巨大なナイフがこぼれ落ちた。

 そのナイフを手の届かない遠くへ蹴り飛ばすと、美沙はアーミー・ナイフを引き抜いた。鮮血がほとばしり、美沙の頬にかかった。

 出血する右手を押さえてうめき続けるM6657号を見下ろしながら、美沙は頬についた血を拭った。

「自分の戦闘能力を過信するあんたの悪い癖、直ってなかったね」

 二人の私服警官が、暗闇から姿を現した。

「私たちの動きが見えてはったんですか?」

「もちろん。間違いなく仕留められる場所に誘導できて、よかった」

「そこまで考えながら、あの戦闘を」

 しきりに感心する二人の背後に、人影が動くのを感じた。

「誰?」

 再びアーミー・ナイフを構えると、木の陰から男が出てきた。

「ヒロシ……」

 禍々しいものでも見るような様子で美沙を見つめている。

「言ったでしょ。私といると、これから、こういう事を何度も見ることになるの」

 ヒロシは言葉にならない何事かを叫びながら、林の中を駆け出していった。その後ろ姿を目で追いながら、美沙はあふれ出そうになる感情を必死の思いで抑えつけた。

 ヒロシが闇の中に消えると、美沙は様子を見守っていた黒沢とイオに歩み寄った。

「あの男を手当てしてやって」

「わかった。その前に、頬の血を拭け」

 イオが差し出したタオルを使って、美沙は顔を拭った。

「たぶん、もう襲ってこないと思う」

「なぜ、そう思う?」

「戦闘員養成所の非国民を出してくるぐらいだから、もう手元にまともな戦力がないんだと思う」

 やり取りを聞いていた黒沢は、とても残念そうな顔をした。

「どうしたんですか?」

「惜しいな。いや、実に惜しい」

「何がです?」

「君なら、立派な自衛隊の幹部になれたのに。いや、今からでも遅くない。自衛隊に入らんか?」

 その言葉に、美沙は寂しげに笑った。美沙がここ数日で見せた、初めての笑顔だった。

 一方、湯沢と草津は駆けつけた警視庁に事情を説明したり、救急車を呼びに行ったりなど、ほんの少しだけ現場を離れた。その隙に、M6657号は姿を消していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る