第18話
9
美沙の演説は、鎮圧部隊が仲間に加わった映像とともに、その日のうちにネットにアップされた。日本人の多くがその映像を観たが、大半は無視するか、あるいは形ばかりの賛意をあらわしただけだった。
だが、なかには強く共感し、行動を起こそうとする者もいた。その一人が、町田加津代だった。A国による侵攻時に内閣危機管理監だった彼女は岸辺の病的な独善性に危うさを感じ、早々に職を退いた。そしていまは、周囲から乞われて大阪府知事となっていた。
「そうです。これは、長かった戦争を終わらせるチャンスです」
電話の相手は、A国の外務次官補だった。町田は警察庁の官僚時代に外務省へ出向し、たびたび外国の大使館に勤務した経験があった。その時にできた友人も多く、また外国要人との直接の繋がりもあり、そのチャンネルを通じて彼女なりに戦争を終わらせる努力を続けていた。
「それは……、軽々に申し上げるわけにはまいりません。ですが、条件は承りました。またご連絡いたします」
電話を切った町田は、大きく息を吐いた。そして自分に活を入れるように拳を強く握った。
知事室を出ると、すぐに副知事が立ち上がった。
「知事。どちらへ」
「彼らに会いに行きます」
「彼ら、とは?」
追いすがる副知事に、町田は歩みを止めることなく言った。
「非国民解放運動の人たちよ」
「えっ、この非常時にですか?」
「非常時だからこそよ」
怪訝そうな顔をする副知事を残し、町田は70代とは思えぬ足取りで庁舎を出た。
大阪府が緊急時に使う移動指揮車は大型のトレーラー・トラックを改造したもので、優れた通信装備を備えるほか、ちょっとした会議スペースも設けられていた。窓は一切なく、防音も施されているので、秘密の会合にはうってつけだった。
そこにイオ、悪心坊、美沙と黒沢隊長が顔をそろえた。町田と旧知の黒沢が、彼女の要請を受けて呼びかけた会合だった。国籍離脱者センターを脱出し、地下に潜って情報宣伝活動を行っていた岡田も駆けつけた。
挨拶もそこそこに、町田知事はこう切り出した。
「現政権を倒しましょう」
予想もしていなかった発言に、出席者はお互いに顔を見合わせた。
「どうやって……」
「この大災害に何もしない政府を、多くの国民はすでに見限っています。方向さえ指し示してやれば、そちらへ動き出すはずです」
「しかし日本はいま、戦争中ですよ」
黒沢が懸念を示した。
「A国は戦争を終わらせたがっています。経済が停滞し、国内の批判が高まっているようです」
「しかし……」
「心配いりません。A国の外務次官補から、岸辺さえ退陣させてくれれば、こっちはすぐに停戦に応じるという
「いつの間に、そこまで」
「お互い、戦争をやっても何も得るものがなかった、ということですね」
15年の歳月は、戦争の最初の目的を忘れるにも十分すぎる長さだった。
「方向とおっしゃいましたが、具体的にはどうやって?」
岡田の質問に町田はからだの向きを変え、美沙と正対した。
「美沙さん。私は、あなたの演説に心を動かされました。あなたには人の心を引きつける何かがあると思います」
困惑した表情を浮かべる美沙に、町田は続けた。
「あなたが政権打倒のシンボルになって、東京へ向かってデモ行進してくれませんか?」
「デモ行進、ですか?」
「あなたが毎日、自分の気持ちを話しながら東京へ向かえば、賛同して行動を共にする人が雪だるま式に増えるはずです」
次いで町田は、黒沢に向きなおった。
「黒沢さん。あなたは自衛隊を説得してちょうだい。私は全国の首長たちと関係国を何とかします」
「待っとくんなはれ」のメンバーは、
「ひとつだけ、お願いがあります」
「何?」
「非国民たちはたとえ解放されたとしても、この国とつながる身分がありません。それでは安心できないと思うんです」
「国籍を回復しろということ?」
「はい」
「それは、すぐには難しいわね。法律を変えなければ」
町田は少し考えてから、こう提案した。
「そうだ。難民ということにすればいいんだわ。それならば、大阪府が暫定的に受け入れることができるし。当面、それで対応するということでいいかしら?」
「はあ」
不満そうな顔をするイオの肩を、町田はひじで小突いた。
「早く現政権を倒しちゃいなさいよ。そうすれば、いくらでもあなたが望むようにできるわよ。それから」
「何ですか」
「あなたたち、B国のボランティア・スタッフとして働いていたわよね?」
「それが、何か?」
二人の顔に緊張が走った。イオと美沙は書類上、B国人として入国している。
「その経緯を問うつもりはないわ。誰か、信頼できる人がいない? B国政府のしかるべき部門との連絡役になってもらいたいの」
二人は顔を見合わせた。
「それなら、適任者がいます」
イオはスリの名前を挙げた。町田はすぐに会わせてほしいと頼んだ。
「わかりました。話してみます」
「ありがとう。助かるわ」
そう言うと町田は、ポンと一つ手を叩いて立ち上がった。
「さあ、忙しくなるわよ。さぼってないで仕事して」
町田はそう言うと、愉快そうに笑いながら移動指揮車を降りていった。
残された者たちは、お互いの顔を見合った。
「人使いの荒いオバハンやな」
悪心坊がぼそりとこぼすと、イオは片眉を上げて同意した。
黒沢はその日のうちに、部隊のなかからしかるべき人間を選んで各地の自衛隊に派遣し、説得に当たらせた。
イオたちは「待っとくんなはれ」のメンバーを集めて今後の方針を確認するとともに、東京へのデモ行進の準備に当たった。
スリは、ことの次第をイオから打ち明けられ、連絡役になることを二つ返事で承諾した。
美沙は岡田と綿密な打ち合わせを重ね、毎日発表するコメントなどの内容を考えた。
最初に発表された動画メッセージは、次のようなものだった。
《もうやめようよ、戦争も差別も。明日からそれを訴えに、東京へ歩きます。来られる人は、いっしょに来て!》
岸辺に対する新たなかたちの反政府運動が動き出した。
府庁へ戻った町田は幹部を集めて宣言した。
「いまの日本政府は、もうあてにできません。私たちで新しい政府を作ることにしましょう。当面、ここが新政府の拠点よ」
「あのぉ、それって、内乱とかクーデターをやるってことですか?」
幹部の一人が、言いにくそうな様子で手を挙げた。
「それは、内乱やクーデターを起こされた側の言い方ね。私たちは、時代に合った、みんなが必要とする新しい政治の仕組みを作るだけよ」
そして、発言した幹部を見据えた。
「それがイヤだというのなら、私は止めません。いますぐ辞表を書いてくださってけっこうよ」
幹部は、それきり黙ってしまった。
「ほかに異存のある人はいない?」
町田の問いに手を挙げるものはいなかった。全員が、地震発生から今日までの政府の対応に深く憤っていた。
「いないようね。では、まず被災者の救援に全力で当たってください。大阪府にある国の資源や資材は、大阪府に移管されたものとして自由に使ってください。全国の自治体に呼びかけて救援体制を構築してください。必要ならば外国にも応援要請を行ってください。解放された非国民は難民として扱ってください。それから……」
必要な指示を受けるたび、担当する幹部が次々に立ち上がって会議室を出ていった。
「今日からは、ここが国なの。自分の国を救う気持ちで働くのよ」
あらかたの指示を出し尽くすと、町田は制服の男を呼び寄せた。
「府警本部長。もう一つ、別のお願いがあるのだけど」
「なんでしょうか?」
「政府を糾弾するデモ隊が東京へ向けて出発します。その人たちを守ってあげて。割けるだけの人数でいいわ」
「例の、非国民の少女ですか?」
「そう。政権打倒は彼女の働きにかかっているの。万が一にも、妙なことが起きないようにしてほしいの」
「承知しました」
ほとんどの幹部が会議室から姿を消したあと、町田は自分に気合を入れるように、大きな声を出した。
「さ。私は首長や関係国と折衝よ。手伝える人は手伝って」
会議室を出て知事室に向かおうとする町田に、数人の部下が従った。
廃墟の一角。「待っとくんなはれ」のメンバーが、瓦礫のなかから集めた木材で焚いた火を囲んでいた。ささやかな炎がときおり風にあおられ、何度も吹き消されそうになった。
「こんなことになるとは、な」
イオはまだ、事態の急展開についていけていなかった。
「せやけど、良かったん
それまでずっと黙っていた美沙が、口を開いた。
「東京まで行けたとして、その先はどうするの?」
それは、イオも気にかかっていたところだった。
「私たちだけで東京へ行って、『政府を倒せ!』って叫んだところで、政権に何のダメージも与えられないよ。たとえ人数が集まったとしても、追い払われるだけだよ」
イオは、フュルフュールのヨハンの言葉を思い出していた。
《最終的には、人間を始末しなくては終わらんのだよ。》
心のなかで、すでにある覚悟を決めていた。だが、それを美沙に話すつもりはなかった。
「心配ない。明日になれば、きっとたくさんの人が集まっているさ。東京へ着きさえすれば、何か方法が見つかるさ」
楽天的な調子を装ってそう言うと、イオは美沙にからだを寄せ、その肩を抱いた。
「いい匂いがするな」
さきほどから、甘くかぐわしい匂いが鼻孔を強く刺激していた。
「これは、何の匂い?」
「
「桃香って、誰?」
イオは、美沙には桃香の話をしていなかった。うかつな発言を、イオは少し後悔した。
「オレが高校生の頃、好きだった女性だ。彼女の後を追って、オレは非国民になった。残された家族がどうなるかも考えずにな」
「その彼女は、どうなったの?」
「殺された。嬲りものにされて」
イオの声が小さくなったのに気づき、美沙は話題を変えた。
「イオの家族って?」
「父親と母親、それから弟がいる」
「弟って、何?」
「同じ親から生まれた、男の子だ。オレのせいで辛い目に合っていないといいんだが」
「ふうん」
家族というものが、美沙にはまだよく理解できていないようだった。
「私のお母さんは、何の花が好きだったの?」
答えに詰まった。花のことなど、理沙とは話したこともなかった。国籍離脱者センターには、花は一輪も咲いていなかった。
「すまん。知らないんだ」
「そう」
少しの沈黙を置いて、美沙は努めて明るい声を出した。
「私はこの花の匂い、好きだよ。何ていう花だっけ?」
「金木犀だ」
「お母さんも金木犀、きっと好きだったと思うよ」
イオは何も答えず、美沙を抱き寄せると、その頭を自分の肩に乗せた。無言で寄り添う二人の姿を、焚火の炎が闇のなかにゆらゆらと浮かび上がらせていた。
夜が明け、出発時刻になった。だが、いっしょに東京へ行こうという人間は一人も集まらなかった。しかたなく、「待っとくんなはれ」のメンバーと、大阪府警から派遣されてきた私服警官、
いまだ水に浸かったままの廃墟を見渡した一行は、振り切るように視線を断ち切り、東へ向かって一歩を踏み出した。
その時、背後から女性の声が聞こえた。
「ちょっと待って。アテもいっしょに行くさかい、連れてったって」
地面に底が着きそうなほど大きなリュックを背負い、朗らかな笑みを浮かべている。
「アテはサナエ、いいます。よろしゅう頼んます」
非国民解放の最初のきっかけを作った、あの中年女性だった。
頭を下げたサナエは、そのままリュックの重さで前に倒れそうになった。そばにいた悪心坊が、あわててからだを支えた。
「どうもおおきに。あら、こちら、ええ男やないの」
悪心坊のぶ厚い胸を、サナエは無遠慮に撫でた。悪心坊は反射的に身を引いた。
「何で逃げるのん」
悪心坊は、あわてて話をそらせた。
「あんた、一人で東京行くつもりかいな。家族はどうするんや?」
「はい。アテな、子供もおらへんし、ダンナも去年、急な病気で行ってまいよって一人なんやわ。そこへこの地震やろ。もう家も半分潰れてしもうて、行くとこあれへんねん。なあ、いっしょに連れてったって」
「それにしても、こんなえらい荷物持って行くつもりかいな? 何が入っとるん?」
「食料や」
「食料?」
「アテのダンナ、世界を股にかけた輸入食料品卸、やっとったんよ」
「世界を股にかけた、ちゅうのは大げさやろ」
「ホンマや。ほやからな、リュックに入るだけの食料、入れてきたんよ」
「せやけど、入れ過ぎちゃうか?」
「あんさんら、これから東京の政府と戦争しはるのやろ? 腹が減っては戦はでけへんで」
サナエは、凄みのある笑みを顔に浮かべた。
「それに、アテを連れて行くと、ええことあるで」
「何でや?」
「アテ、勝利の女神やねん」
「その顔でか?」
「顔は関係ないやろ。アテが応援したチームは、サッカーでも野球でもバレーボールでも、みーんな勝ちよるねん」
「スポーツ応援しに行くのと、違(ちゃ)うぞ」
「勝ち負けがつくんやから、いっしょや」
「けどなあ。そう言うてもやなあ」
連れて行くと面倒なことになりそうだと考えた悪心坊に、美沙が声を掛けた。
「いまは一人でも多くの味方が欲しいときだよ。サナエさん、いっしょに行ってくれる?」
「あ、この子、見たことある。この前、鎮圧部隊の前で演説した子やがな。いやぁ、凛々しい子ぉや思うたけど、近くで見たらけっこうかわいらしいなあ」
「ありがと、サナエさん。あ、荷物はみんなで分けて持つから、リュック開けていい?」
リュックのなかには、明らかに外国語とわかる判読不能の文字が書かれた大量のカップ麺と、得体の知れない缶詰のほかに、高さ60センチはあろうかという木彫りの像が入っていた。
「オバハン、これ何や?」
木像を持ち上げて、悪心坊が訊いた。
「誰がオバハンや。サナエさんと
凄むサナエにたじろいだ悪心坊は、小さな声で「サナエさん」と言い直した。
「これは、ビリケンさんや」
「ビリケンさん?」
「せや。通天閣の展望台にも飾ってあったやろ。幸運の神さまや」
ビリケンさんは、尖った頭と吊り上がった目をしたアメリカ生まれの幸運の神だ。大正時代に日本に伝わったと言われている。
「知らんな」
「知らんのか。田舎もんやな」
「悪かったな。けど、ビリケンさんは置いていき」
「あかん。アテとビリケンさんとで幸運の神様ペアーやねん。どっちが欠けてもこの戦、勝たれへんようになるで」
激しい議論の末、ビリケンさんは悪心坊が背負っていくことになった。
瓦礫の山を越えながらのデモ行進は、なかなかはかどらなかった。日が暮れる前に一行がたどり着いたのは、大阪城公園だった。
そこには無数のテントが張られ、千を超える数の被災者が救援を待っていた。食料を配布するテントの前には長い列ができ、多くの人がうつむきながら自分の番を待っていた。花壇の縁石など座れる場所には老人たちが雀のようにからだを寄せ、言葉を交わすこともなく寒さと空腹に耐えていた。役所の職員や日本各地から集まったボランティア・スタッフが忙しげに動き回っているが、人手も物資も足りていないのは明らかだった。
ごった返す公園のなかに入るのをためらっていると、目ざとく一行を見つけた被災者の少年が叫んだ。
「非国民の姉ちゃんや! ネットに載っとった姉ちゃんや!」
その声に美沙は、笑顔を浮かべながら大げさなほどの身振りで手を振った。岡田から教えられたアピールの方法だった。
わらわらと人が集まり、その人波が一行を取り囲むようにして広場の真ん中へと押し出した。無言で座っていた老人たちも立ち上がり、お互いに手を貸しあいながら集まってきた。
「これから、東京へ行って政府に文句言うのやろ?」
「ガツーンと一発、きついの喰らわしたり」
「なんなら、あんな政府、ぶち壊してもろてもかめへんぞ」
被災者たちは、おおむね好意的に一行を迎えた。そして美沙たちに自分たちの思いを託した。
「ワシがもう20歳も若ければ、いっしょに行くのやが」
「からだに気ぃつけてな。カゼひかんようにな」
「お守り、持っていき」
老人たちは、自分の孫に接するように美沙たちをいたわり、励ました。その好意に少しでも報いようと、美沙は拡声器を手にして手近な台に上った。
「みなさん、私は美沙と言います」
美沙の前に集まった聴衆が静かになった。
「私は以前、F6731号と呼ばれていました。非国民に名前はありません。全員、番号で呼ばれます」
被災者たちのなかから、どよめきが上がった。一般の日本国民が知らない事実だった。
「私は非国民だったとき、ずっと日本という国に憧れていました。世界にはこれほど豊かで、これほど美しい国があるのだと。そして、日本国民になりたいと本気で願っていました」
指笛を鳴らす若い男を、近くにいた若い女が小突いて黙らせた。
「その憧れの日本が、こんなひどいことになるなんて……」
うつむいて沈黙する美沙を励ます声があがった。
「私の望みは、誰もが人間らしく、安心して暮らせる国を作ることです。戦争も差別も、もうやめにして、みんなで平和に仲良く、助け合って暮らしたい。そのことを、東京へ行って訴えたいと思います」
大きな拍手が沸き起こった。台を降りた美沙を、被災者たちがもみくちゃにした。
「気張りや。応援してるで」
「負けたらアカンで」
「ボクはいっしょに行きたいのやけど、ヨメが『あかん』言うねん」
美沙はイオや岡田と相談し、2回目の動画メッセージを出すことにした。
《いま、大阪城公園。大勢の人々が迎えてくれています。明日も東京へ向けて歩きます。誰もが人間らしく、安心して暮らせる国にしたいから。》
多くの被災者をバックに撮られたその動画の後半には、サナエが強引に割り込んできた。
《ええやん。アテかて一言しゃべりたいんや。しゃべらせてぇな。はーい、みなさん。サナエちゃんだよ。これから政府をぶっ潰しに行くんよ。いっしょに行くと、ええことあるかもしれんで。あっ、こら、何しよんねん。もっとしゃべらせんかい。》
最後は、あわてた「待っとくんなはれ」のメンバーがサナエをカメラの前からどかせようとする場面で終わっていた。
この動画は、思いがけない評判を呼んだ。震災の影響が少なかった東日本の住人から面白がり半分、冷やかし半分の投稿が殺到し、動画は急速に拡散した。
《コイツら、本気(マジ)?》
受け取られ方はともかく、政府を糾弾するデモ隊が東京へ向かっているという事実だけは、全国的に伝わった。
町田はヘリコプターを使って精力的に飛び回った。西日本の被災都市はもちろん、九州や東北などの各県にも出向き、信用の置けそうな首長に新政府樹立の構想を説いて回った。
「本気でおっしゃっているんですか?」
「本気です。現政権を倒さない限り、戦争は終わりませんよ」
「しかし……」
「ずっとこのままでいいとおっしゃるのですか? 新政府ができたときに、最初から参加されていたほうが有利なのではありませんか?」
一種の脅しともとれる誘い方に反発する首長もいれば、その場で賛意を示す首長もいた。いまのところ、町田に賛成する自治体は、少なくとも反対しないというものを含めて半々というところだった。
「なかなか、賛成してもらえませんね」
疲れた顔を見せる部下に、町田は明るく言った。
「半分も賛成してくれれば、いまは十分。残りは様子見だから、こちらに分があるとみればついてくるわ」
「そういうものでしょうか」
「物事は勢いのあるほうへ転がるものなのよ。さ、次はどこ?」
「中部地方です」
「デモ行進の進路ね。支援をお願いしなきゃ」
そう言うと町田は、ヘリコプターのステップを軽々と踏んで機内に入っていった。
部屋の内部は、伝統的な文様をあしらった重厚な木彫で飾られていた。すべてが熟練の職人による手細工で作られたもので、B国を代表する最高レベルの工芸品といってよかった。そんな高価で貴重な調度に囲まれ、スリは緊張していた。ツテをたどって、ようやくたどり着いた大統領官邸だった。託された親書を、B国大統領に手渡す役目を町田に依頼されていた。
「お待たせしました。大統領です」
秘書官の言葉に、スリは立ち上がった。いまは白髪となっているが、若い頃は美貌で知られた女性政治家が、足早に部屋に入ってきた。背は170センチほどで、着ている民族衣装の下からは、年齢に似合わぬメリハリのあるからだつきが見てとれた。顔には皺が刻まれているものの、吸い込まれるように大きな緑色の目は神秘的な光を湛えていて、いまだに相対する者を魅了した。
事情を簡単に説明し親書を手渡すと、大統領は老眼鏡を取り出して顔にかけ、すぐに手紙を開いた。
読み終えた大統領は眼鏡を押し下げ。スリに微笑みかけた。
「カヅヨらしいわ」
そして、遠くを見るような目をした。
「大学時代、カヅヨはいつも強引だったわ。わざと議論を混乱させて、その隙に乗じて自分の思う方向に引っ張っていってしまうのよ。私はいつも困らせられた」
過去の懐かしい記憶を愉しんでいるようだった。
「わかったわ。カヅヨに伝えて」
「何と伝えますか?」
「現政権を倒したら、私が真っ先に新政権を承認します。いくつかの国は、私が説得するから安心して、と」
立ち上がった大統領は、スリの手を握りながら言った。
「終わったらテンプラを……、いや、それだけじゃ足りないわ。テンプラとスシと『萩の月』をおごれ、と言っておいて。それぐらいしてもらってもバチは当たらないと思うから」
片目をつぶって微笑む大統領を、スリはチャーミングだと思った。つい、その顔に見とれ、「萩の月」が何なのかは聞き損ねた。
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