第17話

8


 ゲイバー〈蛸壺〉は、まだ営業を再開していなかった。店の床には割れた酒瓶が散乱し、倒れた椅子や調度品などが混然一体となって転がっていた。軍手をはめた手でそれらを片づけていたママの厚子は、店の扉が開き、サングラスの男が入ってくるのを見て制止した。

「すんまへん。まだ営業できひんのですわ」

 それにかまわず、サングラスの男は奥へ入ろうとする。

「あ、兄さん。待っとくんなはれ」

「電気の修理だすわ」

 男はサングラスをはずし、B国から持ってきたサバイバル・キットと非常食を渡した。

「ケガはなかったかい? 厚子さん」

「へえ、おかげさんで悪運ばっかり強うて。イオはんは、いつこっちに?」

「つい3日前。いる?」

 イオは右手で頭を撫でる仕草をした。

「悪心坊はんやったら、下に」

 微笑を浮かべて奥へ消えるイオを、厚子は熱い視線で見送った。

「いつ見ても、ええ男やわぁ」

 視界からイオが消えると、厚子は店のなかを見回し、ため息をついた。後片付けはどこから手を付けていいのかもわからない状態で、店の再開がいつになるのか、まったく見通しが立たなかった。


 地下への階段を降り、イオはいくつかあるドアのなかの一つを一定のリズムでノックした。

 なかから、悪心坊が顔を覗かせた。

「や、お早いお着きで」

「B国のボランティア・スタッフとして入国した」

 すすめられた椅子に腰かけると、イオはすぐに切り出した。

「運動方針を転換したい」

「テロではもう、あかんやろな」

 悪心坊も同じことを考えていたらしく、小さなため息をついた。

「こういう事態では逆効果だな」

「で、どないするん?」

「昨日、西成区で起きた事件は、知っているか?」

「いや。なんぞ、あったんか?」

 イオは昨日見た乱闘騒ぎの顛末を詳しく話した。

「ほう。被災者と非国民とボランティア・スタッフがいっしょになって、グッドジョブの社員をな」

「それだけじゃない。被災者が積極的に非国民を救おうとしているんだ」

「ふぅむ」

「どう思う?」

「どう思うて、ええことちゃうか」

「オレは、B国で美沙に諭された。『いまは、非国民と国民が手をつなぐのが先じゃないかな』と」

 人間が人間らしく生きる場所を作りたい、という願いを思い出させてくれたと語ると、悪心坊は突然、その強面こわもての顔に涙を浮かべた。

「美沙坊、大人になりよったな」

 イオは笑いがこみ上げてきたが、それを飲み込んだ。

「非国民の開放を最優先にしたい」

「どうするんや、具体的には?」

「これを、できるだけたくさん作ってくれないか」

 ポケットから取り出したのは、ナビゲーターを無効化する例の黒い小さな箱だった。

「幸い、いまは非国民が大量に動員されて表に出てきている。彼らを片っ端から解放する」

「でも、監視しとるスーパーバイザーがいてるやろ」

「それは、被災者に追っ払ってもらう。昨日の騒ぎをきっかけに、非国民を助けようという機運が盛り上がっているんだ」

「わかった。機械の量産はまかしとき。うってつけの人材がおるねん。アベ君、アベ君」

 大声で呼ぶと、奥からアベが出てきた。イオの顔を見ると軽く一礼してすぐに視線を逸らせ、悪心坊に歩み寄った。

「何でしょう」

「君、これをすぐに分解してやな、コピーをたくさん作ったってくれ」

 渡された小さい黒い箱を見て、アベはすぐにそれが何なのか理解したようだった。自分も、その機械でナビゲーターをはずしてもらった経験があった。

「わかりました」

 そう言うと、箱をもって奥へ引っ込んでいった。

「愛想のないヤツやけど、ああいうものをいじらせたら天下一品や。この間もな、公安の暗号通信を解読する装置を作りよってん」

 得意げに語る悪心坊を途中でさえぎり、イオは椅子から立ち上がった。あまり長い時間、ボランティア活動を留守にするわけにもいかなかった。


 西成区から始まった非国民解放運動は、じわじわと周囲に広がり始めていた。悲惨な境遇に置かれながら復旧作業に従事する非国民の姿は、災害に打ちのめされた被災者たちの目から見ても哀れに映った。

 被災者の間から、非国民に対する扱いを疑問視する声が次々に上がりはじめた。

「何か、ちゃうんちゃう?」

「家畜やないねんから」

「グッドジョブ、おかしいんとちゃうか」

 そうした声はまず、現場を仕切るスーパーバイザーに集中した。

「対処しきれません。応援をお願いします」

「人が足りないんだ。そちらで何とかしてくれ」

 被災者に詰め寄られたスーパーバイザーは、すぐに職場を放棄した。もともと彼らは、非国民のなかから性格などを基準に選ばれただけで、グッドジョブ社に忠誠心など持っていない。早々にタブレットを捨てて逃げ帰った。

 一方、グッドジョブ社では社長が突然失踪し、大混乱となっていた。急激に成長した企業の常で社長に権力が集中しており、そのトップがいなくなると同時に社員は烏合の衆と化した。機を見るのにさとい役職者は、会社の財産を持てるだけ持って逃亡した。

 悲惨だったのは、現場を仕切る社員たちだった。現場に応援に出た人間は、非国民に同情する被災者やボランティア・スタッフからたちまち小突き回された。

「待ってくれ。もうグッドジョブは辞める」

 なかにはその場で黄色いネクタイを捨て、被災者側につく者もあらわれた。非国民プロジェクトは、古壁が風化するように崩壊しつつあった。


 アベが量産しはじめたナビゲーター無効化装置が、そうした動きに拍車をかけた。装置はB国ボランティア・スタッフを中心に広められ、解放された非国民は数百人を超えてさらに増え続けていた。グッドジョブ社には、この流れを抑える力はもうなかった。

 さらに被災者の気持ちは、いっこうに進まぬ救援に対して、政府の対応を非難する方向へ向かい始めた。

《政府の地図には西日本が描かれていない》

《戦争より救援だろ》

《いい加減にしろ、岸辺!》

《こんな政府は、いらねえ》

 インターネットに、こうした書き込みが急増した。一五年に及ぶ岸辺独裁体制を倒し、新たな政治体制を希求する動きが、廃墟のなかでともに暮らす被災者と非国民の絆のなかから生まれつつあった。被災者と非国民はともに肩を組み、政府を弾劾するフレーズを叫んだ。

 報告を受けた岸辺は、あわてた。

「くそ。こんなことになるとは」

「B国に抗議したほうがいいかもしれませんね」

 危機管理監が他人事のように言った。

「できるわけないだろ。それこそ、国際問題に火を点けるようなものだ」

 非国民プロジェクトは、かねてから人権問題として世界から非難を浴びていた。公式にB国に抗議することはできなかった。

「それから、企業からもクレームが殺到していますが」

 非国民プロジェクトのおかげで莫大な利益を得ている企業からは、生産性が著しく落ちたと抗議が殺到した。

「福神は何をやっているんだ」

「ニューヨークへ出張中で、連絡が取れないそうです」

「なんだと!」

 まわりに聞こえるほどの音を立てて右手の親指を吸いながら、岸辺は執務机の周りを大股で歩き回った。

「しかたがない」

 窮した岸辺は、元自衛官を招集して鎮圧に当たらせることにした。


 定年やケガなどで退職した自衛官が、半ば強引に大阪に集められた。彼らが持たされたのは、木刀や竹ヤリのようなものばかりだった。

「こんなもので、暴徒を鎮圧しろと言うのか」

「俺たちを何だと思っているんだ」

 同じ日本人どうしでやりあうことに、もともと乗り気でなかった元自衛官たちは口々に文句を言った。それでもしぶしぶ部隊を編成し、被災者と非国民からなる〝暴徒〟と対峙した。

「あーあー、諸君。武器を捨てて、家に帰りなさい」

 拡声器で解散を促すと、さっそくヤジが飛んだ。

「どこに帰れちゅうねん。帰る家がないから、ここでこうしとるんやないかい! アホンダラ!」

「ワシらと戦う力があるんやったら、その力で復興住宅の一つも建てんかい!」

 彼らの言うとおりだった。鎮圧部隊は隊長を囲んで相談した。

「どうします?」

「困ったなあ」

「しばらく、様子を見ますか?」

「お互いやりあって、ケガなんかしたくないしなあ」

 両者は、もと南海汐見橋線の線路だった場所を挟んで睨みあいの状態に陥った。


 そんな状況を見かねた美沙は、イオに相談した。

「イオ、私に説得させて」

「ダメだ。標的になるぞ。危険だ」

「見たところ、たいした武器は持っていないようだよ。戦意も低そうだし」

 渋るイオをなだめた美沙は、解放した非国民の着ていた薄緑色のつなぎに着替え、〝暴徒〟をかき分けてその先頭に立った。

 拡声器を手に大きく息を一つ吸い、美沙は落ち着いた調子で話しかけた。

「聞いてください」

 予想もしていなかった若い女の声に、鎮圧部隊は驚いた。

「私は、生まれてからずっと非国民でした。父も母も、誰だかわかりませんでした。というより、父と母がどういうものであるかも知りませんでした」

 部隊員と〝暴徒〟の目が、いっせいに美沙に注がれた。

「私たち非国民は、人間として扱われていません。でも、法律でどれほど差別されようも、センターでどれほど酷い扱いを受けようとも、私たちは人間なんです。生きているんです」

 両者は一言も発さず、美沙の次の言葉を待った。

「政府は、非国民に人権はないと言います。でも、それは政府が勝手に決めたことです。人権がないと言われても、私たちが生きている事実は変えようがありません」

 美沙は、うしろで見守っていたイオを自分の隣へ引っぱり出した。

「私たちは、人間が人間らしく暮らせる場所を作りたいだけなんです。そしてそのことを、15年も前から願い続けてきた人がいます。私を導いてくれた人、私の父です」

 イオの顔を見て、隊長が双眼鏡を目に当てた。

「おや? あの男は……」

「私は幸運に恵まれ、父に会うことができました。でも非国民として生まれた〝純非〟は一生、父にも母にも会うことができません。戦争で功績をあげれば国民にしてやると言われていますが、みんなその前に死んでしまいます。そんな世界はまちがっていると思いませんか?」

 〝暴徒〟たちの口から賛同の声が飛んだ。

「どうかみなさん、争いをやめて、私たちといっしょに人間が人間らしく暮らせる場所を日本にもう一度作り直しませんか。お互いを尊びながら助け合って生きる場所を作りませんか。お願いです。私たちを殴らないでください。私たちを追い払わないでください」

 先ほどまで一触即発の雰囲気が立ち込めていた場所が、静まり返っていた。誰も、一言も発しなかった。エサを求めて歩き回る鳩の鳴き声だけが、わずかに聞こえていた。


 隊長は沈黙する部隊員たちに向き直り、彼らの顔を見渡した。どうしたいと思っているかは、その顔を見れば一目瞭然だった。

「我々は、ただいまから彼女たちの側につこうと思うが、どうか」

 全員が、強くうなずいた。

「よろしい。全員、武器を置け」

 命令によって部隊員たちは手にしていた武器をその場に置き、かぶっていたヘルメットを投げ捨てた。それを見て隊長は拡声器を手にした。

「安心してくれ。我々はもう君たちの敵ではない。これから手を携えて共にやっていこう」

 そう言うと隊長は、先頭に立って〝暴徒〟たちのほう向かって歩き始めた。そのうしろに、部隊員たちが従った。被災者や非国民も歩きはじめ、出会った両者はハグしたり肩を抱き合ったりしてお互いを迎え入れた。

 まっすぐ美沙に向かって歩み寄った隊長は、右手を差し出した。

「素晴らしい演説だった。これは日本が変わるきっかけになるよ。いや、きっかけにしなければいけない」

 そしてイオのほう向き直り、両手でその肩をつかんだ。

「生きていたか。よかった」

 だが、イオには相手が誰だかわからなかった。

「あの、失礼ですが……」

「君は、B国の地雷原を歩かされただろう?」

 地雷原を抜け出る直前、背後から「生きろ!」「がんばれ!」という声援を投げかけたことをイオに話した。

「じゃあ、あのときの自衛隊の?」

「そうだ。よく生きていたなあ」

 黒沢隊長は自分の息子にするようにイオを強く抱きしめ、その背中を強く叩いた。

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