第16話

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 岸辺総理大臣臨時代理のもとに集まる報告は、西日本の絶望的な状況を刻々と伝えてきた。

「いかがいたしましょう?」

 名ばかりの危機管理監は、上がってくる報告を取り次ぐだけで自分からは何の提案もせず、安直に岸辺の判断を求めた。

 この15年間というもの、権力の頂点に独裁的に君臨してきた反動で、岸辺の周囲からは有能な人材が次々に離れていった。

 そして独裁者の常として側近の誰をも信用しないために、気がついてみれば阿諛あゆ追従ついしょうの徒ばかりがまわりにうごめく、という状態になっていた。国家の非常時でありながら、適切な判断を行い必要な措置を指示する人間がいなかった。

「自衛隊の災害派遣を行いますか?」

 岸辺は板挟みになっていた。東アジア各地の前線でA国とにらみ合っている自衛隊を災害派遣に割く余裕はない。だが西日本の各自治体からは、救援要請が矢の催促だった。窮した岸辺は、福神に電話を入れた。

「福神君。非国民を救援に出してくれ」

「しかし総理。それでは、非国民を使っているクライアントの生産性が落ちてしまいます」

「やむを得ん。暴動でも起きたら、この国はおしまいだ」

「津波で高知と和歌山のセンターは全滅してしまいましたからね。出せる人数は、それほど多くありませんよ」

「そんなことはわかっている! 出せるだけ出せ! いますぐに!」

 受話器にむかって怒鳴ると、たたきつけるように電話を切った。


 福神は舌打ちをして電話機を置き、側近を呼んだ。

「西日本の非国民を救援に出せ。クライアントには岸辺総理の命令だと言っとけ。文句があるなら総理に言え、と」

 直ちに手配します、と言って出ていく側近を見届けると、内線電話で秘書を呼んだ。

「ニューヨークへのチケットを手配してくれ。今日の便だ」

「は? 何か、あちらに急用でも?」

「うん。急用、急用」

「わかりました」

 高い背もたれに体重をあずけ、福神は窓の外を見た。ここ東京には、一見いつもと変わらぬ日常が流れていた。

「岸辺は、もうダメだわ」

 早々に向こうへ逃げて、この15年の間に稼がせてもらった財産で残りの人生を面白おかしく送るとしよう。福神は日本を捨てる腹を決めた。


 地上の惨禍などなかったように、いつもと変わらぬ太陽が青い空をバックに燃えていた。夏の輝きはとっくに失われているとはいえ、その光はまだそれなりに強く暖かかった。ただ、皮膚に当たる風はすでに冷たく、本格的な秋の訪れを予感させた。

 水面がわずかな風に押されて、半分土に埋まったパチンコ屋の看板に小さな波を寄せていた。どこから運ばれてくるのか、焦げたような匂いがときに濃く、時に薄く漂った。その異臭に鼻の神経を刺激されるのか、飼い主を失った犬が鳴きやもうとしない。

 いちめん水浸しの平らな地平に、もとは多くの人が暮らしを楽しんだであろう建物の残骸が無残な姿をさらしていた。人々はただ茫然と、廃墟となった街の風景を眺め続けた。大規模な救援はいつまでたっても来ず、政府は沈黙を続けた。人々の間で政府の対応を非難する声が出はじめた。

「政府は、何をやっとんのや」

「自衛隊は来んのか」

「我々は見捨てられるとんのとちゃうか」

 やがて、日本各地の国籍離脱者センターから、多くの非国民が災害救助に動員されはじめた。薄緑色のつなぎを着た集団が10人ほどの小グループに分けられ、グループごとに赤いつなぎを着たスーパーバイザーに引率されて損壊の激しい地域に投入された。

 大阪の西成区でも、倒壊したビルの下敷きになった人の救助や、緊急車輛通行路の確保のための瓦礫処理に働く非国民が多く見られるようになっていた。彼らは昼間、長時間の作業に従事したあと、夜は鎖につながれて瓦礫の間で眠っていた。満足に食事も与えられず、ときおり家畜のエサのようなものを口にするだけだった。

 それでも非国民たちは文句ひとつ言わず、黙々と与えられた仕事をこなした。スーパーバイザーの気分しだいで容赦なく電撃を食らわせられる彼らに、逃亡などできるはずもなかった。いまも、若い男の非国民が疲労で倒れかけたところを電撃の罰を受けた。非国民は短い悲鳴を上げて、その場に倒れ込んだ。

 その様子を見かねた一人の中年女性が、スーパーバイザーに詰め寄った。

「そこの赤い服を着た兄ちゃん。兄ちゃんはこの人たちのまとめ役か?」

「……」

「何で黙っとんねん。あんた、耳、聞こえへんのか?」

「……。邪魔するな」

「邪魔しとんのは、あんたのほうやないか。この子、ちゃんと仕事しとるやないの。なんでそんな酷いこと、すんの」

 騒ぎを聞きつけ、片付けをしていたほかの女性たちも集まってきた。

「サナエちゃん、どないしたん?」

「いやな、この兄ちゃんが若い子ぉたちをあんまりいじめよるんで、やめさそう思うて」

「ああ。それ、ウチらも見とったわ。かわいそぉや思っとったんよ」

「そのことを言うたらな、この兄ちゃん、『邪魔するな』ぬかしよんねん」

「『邪魔するな』? ホンマにそう言うたんか?」

「ホンマよ。何様のつもりやのん、自分」

 サナエの怒りに、他の三人が同調した。

「せやせや。この子ら、みんな食べるものもろくにもらわんと、一所懸命働いとるやないの」

「あんた、なんの権利があってこの子らいじめるの」

「夜は鎖でつながれて、瓦礫のなかで眠っとんのやで。かわいそうやん」

 スーパーバイザーは舌打ちし、耳に挿した携帯端末で上層部に連絡を入れた。

「そうです。国民が集まってきて、何か文句を言ってます。対処しきれませんから来てください」

 すぐに、お仕着せの黄色いネクタイを締めたグッドジョブ社の社員がやって来た。拡声器を片手に、傲岸な口調で言い放った。

「非国民に接触するな。これは我々グッドジョブ社の所有物だ」

 その一言に、女性たちは一斉に怒りを燃え上がらせた。

「所有物とは、どういう意味やねん」

「人は、物とちゃうぞ」

「グッドジョブちゅうのは、奴隷商人か」

 サナエを中心とした被災者たちは、社員ににじり寄った。恐怖を感じた社員は拡声器を投げ捨て、停めておいた社用車に飛び乗って走り去った。

 サナエはスーパーバイザーに向きなおった。

「あんたは、どないすんの?」

 持っていたタブレットをその場に落とし、スーパーバイザーは逃げていく車を走って追いかけた。

 地面に落ちたタブレットを、女性たちは覗き込んだ。

「これ、どないしたらええの?」

「スイッチ切ったら、ええんちゃう?」

「スイッチって、どれ?」

「知らん」

「ああ、もうメンドウやわ。こうしたる」

 サナエは、近くにあったコンクリートの塊を頭上に持ち上げて落とした。衝撃で、タブレットは火を噴いて壊れた。

 その様子を怯えた表情で見ていた非国民の若い男は、自分の身体に何の異常もないとわかると、サナエたちの顔を見て涙を浮かべた。

「よしよし。怖かったなあ。もう大丈夫やで」

「安心しい。アンタはもう、ウチらの仲間や」

「アテらといっしょに、大阪の街、直していこうなあ」

 若い男と同じグループの非国民たちも、おずおずと集まってきた。彼ら彼女らをサナエたちは快く迎え、乏しい食糧を分け与えた。そのわずかな食料を食べてむせる非国民の背中を、被災者が笑いながらさすった。

 それは廃墟となった大阪の一角で起きた、ほんのわずかな人数によるささやかな出来事だったが、国民と非国民の間に成立した初めての和解だった。


 各国の救援部隊は、続々と現地入りしつつあった。イオ、美沙、スリの三人も、B国のボランティア・スタッフとして大阪にやって来た。三人は目の前に広がる惨状に息を呑んだ。

「ひどい……」

 手で口を覆い、泣きそうになるスリの肩をイオがしっかりと抱いた。

「とにかく、オレたちにできることをやろう」

 B国のボランティア本部で指示されたのは、泥のなかから遺体を掘り出す作業だった。スコップを慎重に使い、少しずつ地面を掘った。

 人口密集地だけに、遺体は次々に見つかった。掘り出された遺体は地区ごとに決められた場所に集められ、遺品などの有無を調べてから荼毘に付された。身元をじっくりと確認する人手と時間の余裕はなかった。

 その作業に入って数日後のことだった。数十メートル離れた先で、何やら喧嘩のような声が聞こえた。イオたちは作業の手を止め、そちらの様子をうかがった。

 黄色いネクタイを締めた十人ほどの男たちが、緊張した面持ちで横一列に並んでいた。なかには銃のようなものを構えている者もいる。その視線の先には、手に棒きれなどを持った被災者の集団が対峙していた。

 イオたちは互いに顔を見合わせ、スコップを捨ててそちらへ走った。

「待て。お前たちは何者だ? ここで何をしている?」

 イオは黄色いネクタイの男たちに怒鳴った。銃のようなものを構えた男の一人が、イオの着ているB国の国名を大書したジャケットを見て答えた。

「日本語が話せるのか?」

「話せる。何があったんだ?」

「我々グッドジョブ社への妨害を阻止しているんだ」

「妨害? 妨害とは?」

「災害救助活動に対する妨害だ。だが、あんた方には関係ない。あっちへ行ってくれ」

 その間に、美沙は被災者の間に入り、事情を聞いていた。

「あいつら、あの子らに酷いこと、しよんねん」

「一所懸命働いてくれとんのに、食べるものも食べささへんのや」

「気に食わんと、からだに電気、流しよんねん」

 数日前、西成区の一角から始まった国民と非国民の連帯が、隣のこの地区へも広がりつつあることを美沙は知った。

 突然、黄色いネクタイの男たちに向けて、被災者が罵声を浴びせかけた。

「あの子らを、早よ解放したれや!」

「何の権利があって、あの子らを奴隷にしとんねん!」

「アホ!」

「ボケ!」

「カス!」

 その怒鳴り声を聞いて、B国のボランティア・スタッフも集まってきた。スリは彼らにB国語で状況を説明した。スタッフたちは非国民のことを聞かされて驚き、ざわついた。

 被災者とB国のボランティア・スタッフ、そしてまわりを囲まれたグッドジョブ社社員の間に緊張が高まった。そして、その緊張に耐えられなくなった社員の一人が引き金を引いた。

 ゴム弾が発射され、被災者の一人を直撃した。次の瞬間、興奮したボランティア・スタッフが社員に殴りかかり、それにつられるように被災者たちも社員に殺到した。あたりは大乱闘となった。

 狙いも定めずにゴム弾を連射する黄色いネクタイの男に、シャベルが振りおろされた。倒れこむ男から別の黄色いネクタイの男が銃を奪い取り、シャベルの男に撃ち込もうとした。そのうしろから、B国のボランティア・スタッフが羽交い絞めにした。土埃と血しぶきが混じりあって風に舞うなか、あちこちでケガ人が地面に倒れ込んでいた。

 被災者もボランティア・スタッフも、そしてグッドジョブ社の社員も、全員が理性を失っていた。心のなかに溜まった負の感情を、暴力という形で吐き出す作業にひたすら没入していた。

 その間にイオは、例の黒い箱を使って非国民たちの腕から次々にナビゲーターをはずした。解放された非国民たちは疲労と空腹でその場に座り込む者が多かったが、なかには乱闘に参加する者もいた。

 彼らが加わったことがきっかけとなり、社員たちはたちまち劣勢となった。ゴム弾を打ち尽くした社員たちは、負傷者を置き去りにして逃走した。

「ざまあみさらせ!」

「これが大阪人の底力じゃ!」

 乱闘が終わり、我に返ったボランティア・スタッフが負傷者の救護に当たった。元気な被災者は動けない非国民を助けて横になれる場所に運んだ。瓦礫に埋め尽くされた廃墟の一角で、被災者と非国民、そしてB国ボラインティア・スタッフの奇妙な連帯が生まれつつあった。

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