第13話

4


 パーティー会場には、500人以上の客が集まっていた。非国民プロジェクトで潤った企業家たちが、岸辺の誕生日を祝って開いたものだった。

 無数の生花が大宴会場の壁面いっぱいを使って飾り付けられ、その豪華さを互いに競っていた。会場のあちこちに設けられた屋台では、それぞれ趣向を凝らした料理が供されていた。スーツやドレスを身にまとった人々が飲みものを片手に談笑し、それに飽きると屋台からぜいたくな食べ物を取ってきては、よく味わいもせずに飲み込んでいた。

 来賓がかわるがわる演壇に登り、口々に岸辺をほめちぎった。

「岸辺総理大臣臨時代理のおかげで、わが社の業績はこの15年間、ずっと右肩上がりで推移しています」

「財政赤字も、どんどん解消に向かっていつとお聞きしました」

「もはや、21世紀が生んだ最高の宰相と言っても過言ではありません」

 花から発せられる香りの強さが耐え難いのか、見え透いた追従ついしょうに飽き飽きしたのか、岸辺はいらだっていた。30分ほどは我慢していたものの、ついに限界を迎えた。手に持っていたシャンパン・グラスを、ゴミでも捨てるように床に投げた。ガラスが砕ける音に、その場にいた全員が沈黙した、

「帰る」

 呆気にとられる企業家たちを顧みることもなく、岸辺はドアへ向かった。SPがあわてて周囲をとりかこみ、専用車へ誘導した。パーティー会場を後にした車列は信号に止められることもなく、総理大臣官邸へと向かった。

 虎ノ門の交差点にさしかかった時だった。車列が停止した。

「どうした?」

 助手席に乗ったSPが無線で連絡を取った。

「事故のようです」

 岸辺は機嫌が悪かった。一刻も早く官邸に帰りたかった。

「裏道を行け」

「それは危険です。テロリストの罠があるかもしれません」

「うるさい。俺が行けと言ったら行くんだ!」

 岸辺は運転席の背もたれをうしろから蹴飛ばした。運転手がSPの顔を伺うと、しかたがないという様子で首を縦に振った。

 専用車は少しバックしてから左にハンドルを切り、横道に入った。対向車線には、目立たない色の乗用車が停まっていた。その運転席の窓が開き、何かが投げられたのを、SPは見逃さなかった。

 SPに命じられた運転手は一気にアクセルを踏んだ。その瞬間、加速しようとする専用車の下に転がり込んだ爆弾が炸裂した。専用車はこの程度の爆発には耐えるように設計されている。少し車体を震わせただけで、何事もなかったように走り去った。


 一方、テロリストの乗用車は猛スピードで発進し、赤信号を無視して西新橋の交差点に飛び込んだ。そこへ、右方向から大型トラックが接近した。乗用車は急ハンドルを切ってこれをよけようとしたがバランスを失い、三回ほど横転したあとに、さかさまになって停車した。

 四方八方からパトカーが到着し、警官が運転席からテロリストを引っ張り出した。頭から血を流していたが、まだ息はあるようだった。救急車が呼ばれた。

 だが救急車は病院へは行かず、川崎沖の人工島へ走り込んだ。テロリストが運び込まれたのは、村井前首相が爆殺された部屋だった。改装され、新たな拷問室として使われている。たまに政治家や政府高官が美少女や美少年をいたぶるのに使われたれりもするが、いまやこの部屋のメインのユーザーは警察庁警備局、いわゆる公安警察だった。

 中東で研修を積んだ拷問官が、裸にされ両手吊りにされたテロリストを尋問していた。腹を一周するように皮膚に切れ目を入れ、そこから生皮を剥いでいた。あまりの痛みに気絶を繰り返すテロリストに、拷問官は容赦なく塩水を浴びせかけた。

「アジトの場所を言え」

 断末魔のような悲鳴を上げ続けたテロリストは、ついに屈服した。

「……のスポーツ・ジムだ」

 同席していた公安警察官は携帯端末を取り出し、何かを命じた。


 空気の微妙な乱れを、美沙は敏感に感じ取った。足音を消してジムの入り口の横に身を隠し、これから起こることに備えた。するとドアがわずかに開き、一瞬だが自動小銃の銃身が見えた。と同時に、何か黒いものが投げ込まれた。閃光弾だった。

 美沙はそれを素早く拾い上げるとドアの向こうに投げ返し、ドアを閉めて背中で押さえた。

 閃光と轟音が走った。その直後、美沙はドアを開け、一番手前にいた隊員の自動小銃をつかみ、手前に思い切り引っ張った。不意をつかれた隊員は前のめりになってジムの入り口に倒れ込んだ。すかさずドアを閉め銃を一連射すると、倒れている隊員の脇腹を銃床で殴ってあばらを折り戦闘不能にした。

 狭い階段で思わぬ反撃に遭って混乱する隊員たちの隙をつき、奥の事務室に走り込んだ。そこでは、イオとオーナーのおっちゃんが拳銃を構えていた。

「逃げ道は?」

「こっちや」

 おっちゃんが指さす先には、縦抗があった。

「先に行って。早く!」

 二人が縦坑に入ったのを見届けると、美沙はジムの入り口から突入しようとする隊員に向かって自動小銃をオートで乱射し、そこへ飛び込んだ。

「早く!」

 イオの声に促されてマンホールの蓋を閉めると同時に、大きな爆発音が響いた。こうした事態に備え、おっちゃんがあらかじめ爆発物を仕掛けておいたようだった。

「用意がいいですね」

「まかしとき」

 おっちゃんは片目をつぶって笑って見せ、慣れた動きで縦坑を降りていった。


 おっちゃんが先導し、3人は無言で走りつづけた。途中、イオはポケットから例の黒い小箱を取り出し、美沙のナビゲーターをはずした。美沙は、それがつけられていた場所を右手でしきりに撫でまわした。

 やがて3人は大きな地下空間に出た。そこは集中豪雨などの時に一時的に雨水を貯める場所で、いまは足元にわずかな水たまりがあるだけの、コンクリートの巨大ながらんどうだった。

 おっちゃんは通い慣れた様子で巨大空間を横切り、階段を上ると、その途中にある鉄のドアを開けた。そこからさらに薄暗い通路を数十分歩くと、また鉄のドアがあった。

 ドアの向こうは、倉庫のような場所だった。段ボールの箱や何かの機材が無造作に置かれていた。3人はそこを通り抜け、事務所のような場所に入った。

 事務用の椅子の上に、埃が絨毯のように厚く積もっていた。おっちゃんが手で払うと、埃は灰色の煙のように舞い上がった。ただでさえ埃っぽい部屋の視界が、さらに悪くなった。

「いやあ、姉ちゃん。あんた、凄いな。あんなん、どこで覚えたんや?」

 戦闘員養成所で叩き込まれた習性で、反射的に反撃してしまった。いまになって、こんなことをしてよかったのか、と美沙は後悔した。

「襲ってきたのは、誰だったんですか?」

「おそらく、公安やろ」

「コウアン? コウアンって?」

「簡単に言えば、ワシらのようなのを捕まえる政府のスパイやな」

「私は、どうなるのでしょうか?」

「どうなるって、もう、ワシらの仲間になるほかないのと違(ちゃ)うか」

「あなたがたは、どういう……」

「ワシらか? ワシら、非国民プロジェクトをぶっ潰すために戦うてんねん」

「非国民プロジェクトを、ぶっ潰す?」

「せや。秘密結社〈待っとくんなはれ〉』ちゅうねん。カッコええやろ」

「マット? クンナーレ?」

「『待っとくんなはれ』や。純非のアンタにはわかりにくいかもしれへんけど、非国民プロジェクトちゅうのは人の道をはずれとんねん。そういうものはぶっこわさな、あかんのや」

 美沙は混乱した。おっちゃんの言うことはまったく理解できなかった。かといって、もう国籍離脱者センターに戻ることもできそうにない。

「美沙。もう、お前は非国民じゃない」

 イオの言葉は、美沙の混乱に拍車をかけた。

「非国民じゃないとしたら、私は何?」

 泣きそうな顔をしている美沙を、イオはそっと抱き寄せた。

「人間だ。オレたちは人間が人間らしく暮らせる場所を作りたいだけだ」

 美沙は、人の温もりは心地良いということを初めて知った。これまで、人の体温は敵の気配を感じるためか、格闘の際に相手の興奮度を探るためのものでしかなかった。力を抜き、イオの抱擁に身をゆだねた。

「オレたちといっしょに来い。いっしょに居場所を作ろう」

 政府を相手に一戦を交えてしまった以上、彼らと行動を共にする以外に選択肢はなかった。美沙はイオの腕のなかで、こくりとうなずいた。

「さ、急がんと。こっちは、もうあかんやろ。いったん大阪へ戻って、態勢を立て直そぉか」

 おっちゃんに促され、3人は目立たない服に着替えてからワゴン車に乗り込んだ。

「ほな、いくで。ちょっと飛ばすよってに、目ぇ、回さんといてや」

「これ、飛ぶんですか?」

 美沙は本気で驚いた様子で、車内を見回した。

「悪心坊。美沙は、そういう比喩的な表現に慣れていないんだ」

「アクシンボウ?」

 聞き慣れない名前で呼ばれたおっちゃんを、美沙は見つめた。

「せや。ワシ、もともと坊主やねん。あんまり生臭なまぐさなもんで、仲間から悪心坊て呼ばれとんのや」

「ボウズ? ナマグサ? 何ですか、それ」

「道々、ゆっくり説明してあげるよ」

 そう言うイオの言葉は、車窓を後方に流れていく風景に見入る美沙の耳には入っていないようだった。

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