第11話
2
天井から降り注ぐ強い人工光に、空中を漂う埃がランダムに反射していた。だが幸い、視界を遮るほどではない。あたりには、いつものように火薬の匂いが漂っていたが、それを何年も嗅ぎ続けたせいか、鼻はすでに慣れきっていた。
F6731号は部下たちに建物の裏側から侵入するように命じ、自分一人で正面玄関へ近づいた。物陰を伝い、死角になりそうなコンクリートの残骸のうしろに身を隠したが、建物からは丸見えだったようだ。こいうときにからだが大きいのは損だな、と感じた。
すぐに建物のなかから激しい銃撃が浴びせられた。適当に応射しつつ、F6731号は無線で命令した。
「いまだ。かかれ」
裏口から建物内になだれ込んだ部下たちは、数分で敵を制圧した。F6731号が建物内に入ると、部下たちが銃を構えて敵役の兵士たちを監視していた。彼らは全員ひざまずかされ、頭のうしろで手を組まされていた。
部下と反対側の正面から建物内に入ったF6731号は、すぐに残敵の気配に気づいた。2階のバルコニー部分から部下の一人を狙撃しようとしている敵を見つけ、腰だめで自動小銃を発射した。ペイント弾が敵に命中し、赤いマーキングが迷彩服に散った。
「油断するな」
狙われた部下の肩に手を置くと、さらに敵がいないかを確認した。どうやら建物内に敵は残っていないようだった。
「こちら第3小隊。制圧完了」
無線で教官に連絡した。
「これまでの新記録だ。よくやった」
訓練の様子をモニターで監視していた教官の声が、スピーカーから響いた。F6731号はかぶっていたヘルメットを取り、深呼吸をした。戦闘訓練で彼女が小隊リーダーを務めるときは常に良好な成績を収めていたが、記録を更新したのは今回が初めてだった。
モニター室から降りてきた教官が歩み寄り、耳打ちした。
「F6731号。戦闘指揮コースの入学を許可する」
「ありがとうございます!」
敬礼して答えたF6731号は、思わず喜びの表情を浮かべた。この戦闘員養成所では感情を表に出すことは厳しく禁じられていたが、一五歳の少女がそれを守るのはかなりの困難を伴うことだった。
訓練を終え、小隊を解散させたF6731号は装備を解いた。訓練用とはいえ、装備は全部合わせると10キロ近い重さがある。本格的な戦闘訓練が始まった10歳の頃には、持ち上げるだけでせいいっぱいだった。
シャワーで汗を流し、Tシャツとスウェットの課外服に着替えてから食堂へ向かった。途中、M6803号が「いっしょに食べたい」と言ってついてきた。先ほどの訓練で敵に狙われた男だった。
食事を平らげながら、ふと天井から吊り下げられた大きなテレビ画面を見上げた。そこには岸辺個人を称えるプロパガンダ映像が流れていた。すぐに視線を手元の皿に戻し、食事に集中した。
やがてプロパガンダ映像は終了し、今度は日本国民の暮らしぶりが映し出された。F6731号はフォークを途中で止め、思わず画面に見入った。周囲にいる生徒たちも、その多くが食事の手を止め、食い入るように画面を見つめている。
柔らかそうなベッドや座り心地の良さそうなソファが並べられた家、たくさんの皿に見たこともない料理が盛られた食卓、色とりどりの服で着飾った人々。そして透き通った海やきれいな花が咲き乱れる丘、さまざまな種類の木々が競うように天をめざす樹林などの美しい自然の風景などなど。
それらのすべてが、戦闘員養成所には存在しないものだった。それだけに、F6731号を含めた生徒たちはみな、日本国民になることに強い憧れを抱いていた。彼女たちにとって日本国民は、そうした美しい国に住む価値のある選ばれた人間だった。
映像の最後には、スローガンが大きく映し出された。
《戦いこそが、日本国民への道》
戦闘指揮コースを卒業すれば、ゆくゆくは部隊の指揮官として戦場に出られる。そこで功績をあげれば……。これで、日本国民になるという自分の夢に一歩近づいた、とF6731号は思った。
「F6731号は、戦闘指揮コースに行くんだってね」
M6803号が話しかけてきた。
「ああ」
この男は最近、訓練が終わると自分といっしょにいたがるが、なぜなのだろう。F6731号は不思議に思った。
「俺は、もうすぐ前線だ」
戦闘員養成所での訓練期間も、残すところあとわずかだ。訓練が終われば、戦闘指揮コースへ進む者以外は、すべて戦場に駆り出される。
「俺は、戦いたくないなあ」
「何を言ってるんだ。私たち〝
F6731号もM6803号も、国籍離脱者センターで生まれた、いわゆる〝純非〟だった。生まれつき運動能力に優れた純非はすべてセンター内に作られた戦闘員養成所に入れられ、戦闘の実技と、それに必要な知識のみを教えられた。
「そうだね。でもF6731号はいいな。いつも成績優秀だし、戦闘指揮コースを出て功績をあげれば、すぐに日本国民だね」
そう言うとM6803号は、F6731号の顔をまぶしそうに見た。彼らは幼い頃から、岸辺個人に対する忠誠と、戦場で功績をあげれば日本国民になれるという一種の幻想を叩きこまれ続けていた。
「戦闘員になっていなかったら、俺は何になっていたのかなあ」
なぜそんなことを言うのだろうか。F6731号は訝った。
「F6731号」
M6803号は急に声を低くした。
「死ぬなよ。何があっても生きろよ」
「軟弱なことを言うな」
死ということについて、F6731号は何も具体的なイメージを持っていなかった。養成所の訓練は過酷だった。ケガなどで脱落した者は養成所からすぐに姿を消した。噂では、殺処分されているという。働けなくなった者には何も価値はなく廃棄されるだけだ、という程度の認識だった。
そんなF6731号には、M6803号が何を考えているのかがまったく理解できなかった。
戦闘指揮コースのカリキュラムは、小規模な部隊の指揮や戦闘のコントロールを中心に組み立てられていた。この日もF6731号は小隊を指揮し、墜落した航空機から乗員を奪還するという模擬戦闘訓練を行っていた。
広大な室内訓練場のなかには擬木のジャングルが造られ、その中央部の空き地に、墜落して大破した状態に作られた航空機のレプリカが置かれていた。乗員は二名。武装した三名の敵に捕えられ、縛られて航空機の前に座らされていた。
「たった三人じゃねえか。全員でかかれば、三分で任務完了だ」
隊員のM6657号がうそぶいた。身長は二メートルを超え、体重はF6731号の二倍以上というケタはずれの体格を持った男だった。
「待て、M6657号。他にも敵がいる可能性がある」
「いたって、たいしたこたぁねえ。蹴散らすだけだ」
「指揮官は私だ」
「けっ。女の言うことなんか、聞けるか」
M6657号は他の隊員に合図し、彼らを連れていっせいに木の陰を飛び出した。
「あっ、よせ!」
F6731号の制止も聞かず、小隊はすでに敵に向かって走っていた。三人の敵はすぐに制圧したが、反対側のジャングルや地面に掘った穴、航空機のレプリカの中で待ち伏せていた敵たちに返り討ちに遭い、小隊の半数以上が失われた。M6657号を含む3人が捕虜となった。
F6731号は装備の大半をその場に捨てた。アーミー・ナイフ一本と拳銃一丁の軽装備で敵に近づくとジャングルのなかにじっと潜み、敵の数を確認した。
「5人か」
ナイフを口に咥えると手頃な木を選んで登った。しばらく待っていると、木の下を敵の一人が近づいてきた。その背後に音もなく飛び降りると、敵の首にナイフを当てた。
「一人」
次に、航空機の陰で小用を足している敵に背後から近づき、先ほどと同様に首にナイフを当てた。
「二人」
航空機の上に登って腹ばいになり下を覗くと、M6657号ともう二人が縛られ、乗員とともに地面に座らされていた。F6731号は手近にあったコンクリートの塊を投げた。遠くで、樹木にぶつかる軽い音が聞こえた。
「どこだ?」
「あっちだ」
三人の注意が音のした方向に向いた瞬間、F6731号は立ち上がって拳銃を発射した。敵の戦闘服に赤いペイントが広がった。
模擬戦闘訓練が終わると、教官はM6657号を強く叱った。
「勝手な真似をするな。指揮官の命令に従え」
「はい」
「お前は自分の戦闘能力を過信しすぎる」
その場は殊勝そうな顔をしたものの、教官がいなくなるとM6657号は吐き捨てるように言った。
「あの女、いつか殺してやる」
そう言うと、手に持ったヘルメットをコンクリートの柱に強くたたきつけた。なにごとかと顔を向けたF6731号を見つめるM6657号の目は吊り上がり、ほとばしるような怒りに燃えていた。
カリキュラムには、個人の戦闘能力向上の科目もあった。その一つである素手での格闘戦は、特に重視されたもののひとつだった。毎週行われる格闘戦の演習は勝ち抜きで行われる。連続で七人に勝つと、その週の優勝者となる。F6731号は、すでに六人を倒していた。
だが最後の相手は、ケタはずれのパワーを持ったM6657号だった。
「お前か。ここで殺してやる」
「……」
「半殺しにして、殺処分送りにするという手もあるな」
格闘戦にはそれなりに自信があったが、F6731号は攻めあぐねていた。こんな相手とどう戦えばいいのか。持久戦に持ち込まれたら勝ち目はない。
開始直後こそ相手と間合いを取り、常にそのリーチの外側から攻撃を仕掛けたが、決定的な打撃を与えることはできなかった。やがてF6731号は、じりじりと守勢に立たされていった。
残された方法は、一撃必殺の方法しかなかった。F6731号は右わき腹への攻撃を囮に、相手の顔面にうしろまわし蹴りを叩きこもうとした。
しかし、その攻撃は読まれていた。左腕をつかまれて地面に引き倒された。さらに、腕の上から全体重でのしかかられた。骨の折れる乾いた音がした。その音は、戦士としてのF6731号を弔う音でもあった。
控室で、F6731号は号泣していた。訓練によって心の奥に押し込めていたはずの感情があとからあとから湧き出し、自分ではコントロールすることができなかった。激痛を発する左ひじを右手で押さえながら、声をあげ続けた。
そこへ教官が入ってきた。F6731号は反射的に立ち上がり、敬礼した。からだに染みついた習性だった。
敬礼を返した教官は、静かな口調で言った。
「残念だったな、F6731号」
「自分は、殺処分ですか?」
教官は苦笑した。
「君たちの間でどういう噂が流れているのかは知らんが、治療が可能な場合は治療して一般の非国民になってもらう」
「治療が不可能な場合は、どうなりますか?」
それには答えず、教官は医務室に行くよう命じた。F6731号は敬礼し、その場を離れようとした。
「言い忘れた。M6803号が戦死した」
感情を交じえない、静かな声だった。
「最後の言葉は、『スシを食べてみたかった』だそうだ」
自分の心のなかに、これまでに経験したことのない感情が生まれるのを、F6731号は感じた。だが、それをどのように表現してよいのかわからなかった。しかたなく、それは心の奥へ押し込めた。
「わかりました」
それだけを言い、控室を出た。
教官は一般の非国民になれと言ったが、それがどういうものなのかは教えてくれなかった。これまでに習ったのは、戦うことだけだった。
数週間後。左腕の骨はつながったが、動きはまだぎこちなかった。強い負荷をかけたり、素早い動きを求めたりすることはできなかった。戦闘員としては、ほとんど役立たずだった。
F6731号の治療にあたった医師たちは、みな若かった。大学を出たばかりで、経験を積むためにここに来ている、と話していた。
「ここへ来れば、どんな失敗をしても許されるからな」
そう言って笑う医師たちの横で、F6731号は左腕の手術痕を眺めた。これからどうなるのか、という不安だけが心のなかに渦巻いていた。生まれてからこのかた、教えられたのは戦う方法だけだった。
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