砕け散る



 これまでにないほどの速度で、俺たちは邪竜王へと突き進む。

 それなのに、俺には周囲の状況をはっきりと知覚できていた。

 いや、流れる周囲の光景が、逆にゆっくり感じられるほどだ。なぜに?

 その理由はともかく、邪竜王との距離がどんどん詰まっていく。

 もちろん、邪竜王とて俺たちの攻撃をただ黙って受けたりはしない。

 邪竜王の周囲がゆらゆらと揺らぐ。

 邪竜王を取り囲むかのように、その巨体を覆い尽くさんばかりに揺らぎが生じたのだ。

 これって見えない障壁か? いや、違う!

 どうやらあちらさん、逃げたり防御したりするよりも迎撃することを選択したようだ。

 邪竜王を取り囲む揺らぎの塊から、無数の揺らぎが剥がれ落ちるように撃ち出される。

 撃ち出されたいつくもの揺らぎは、真っすぐに俺へと迫る。

 今の俺にははっきりと分かる。俺へと迫るそれら揺らぎは、その全てが見えない斬撃と見えない爆撃だ。

 俺たちは真っすぐに突き進みながら、斬撃の方は聖剣で弾き飛ばし、爆撃の方は回避する。

 斬撃はともかく、爆撃は回避しても爆風と爆炎の影響をどうしても受けてしまう。

 至近距離で炸裂する爆風に煽られて吹き飛ばされそうになるが、残った力を全て下半身に集中し、歯を食いしばって耐え、走り続ける。

 転移することも、障壁を張ることもしないのは、残された力を全て攻撃に回すためだろう。多分。

 迫る斬撃を聖剣で弾き、炸裂する爆撃を最小限の動きで回避する。そして俺たちは、いよいよ邪竜王へと肉薄した。

 聖剣の刀身は、これまでにないほど光り輝いている。これだけの力があれば、邪竜王を一撃で倒すことだってできるだろう。できるに違いない。…………できるよね?

 そして、俺たちは遂に最後の一歩を踏み込む。邪竜王を聖剣の間合いに捉える、その一歩を。

 脇構えに構えられた聖剣が、その貯め込んだ力を解き放つべく動き出す。

 だけど。

 だけどその時、俺ははっきりと見た。

 眼前の邪竜王が、その真紅の双眸を嗤うかのように歪めたのを。



 動き出した聖剣。標的は邪竜王の首。

 聖剣の刀身からは眩い光がずずっと伸び、光の刃を構成する。

 邪竜王の首は俺の身長よりも高いところにあるが、この光の刃であれば十分届く。

 俺は最後の力を振り絞り、聖剣を逆袈裟に振り上げる。

 遠心力を乗せた光の刃が、邪竜王の首に食い込む。

「え…………?」

 ──────はずだった。

 だが、光の刃は邪竜王の首に届かない。その黒い首の前に、ゆらゆらと揺らぐそれを俺ははっきりと知覚する。

 気づけば、邪竜王を取り囲むように存在していた大量の揺らぎは一切なく、ただ、A4サイズのノートほどの大きさの揺らぎが聖剣の光刃を受け止めていたのだ。

 こ、これは……あれだけあった揺らぎを一か所に集め、聖剣を受け止めたのかっ!?

 先ほど見た大量の揺らぎ。あれらは全て斬撃か爆撃だと思っていたが、その中に見えない障壁を紛れ込ませていたらしい。

 いや、俺に向かって撃ち出された斬撃と爆撃は全てフェイントであり、この障壁こそが邪竜王の本命だったのだろう。

 そして、その本命である障壁を一か所に密集させることで、聖剣の光刃さえをも止めてみせたのだ。

 ふと見上げれば、邪竜王の赤い双眸が嫌らしく嗤いながら俺を見下ろしている。

 そして、俺に向かって大きく開かれるあきとと、その奥で揺らめく真紅の火種。

 次の瞬間、邪竜王の口から炎が氾濫する濁流のように流れ出た。

 俺の体勢は攻撃を繰り出したまま。とてもではないが、回避することも火炎を斬り払うこともできない。転移をするだけの魔力もない。

 邪竜王の口から溢れ出た真紅の奔流が、瞬く間に俺たちを飲み込んだ。



 仲間たちが悲痛な悲鳴を上げる。

 から聞こえるその悲鳴を、俺は確かに聞いた。

 そう、下からだ。

 俺は今、邪竜王の上にいた。いたというより、邪竜王に向かって落下している真っ最中だ。

 どうして俺はこんな所にいるんだ? カーリオンが転移してくれたのか?

 だが、俺もカーリオンももうそんな力は残されていなかったはず……ってことは、勇人くんかフロウちゃんが?

 そう思い、ちらりと仲間たちがいる方へと視線を向ける。遠目でよく分からないが、勇人くんもフロウちゃんも落下する俺の方を見ていない。それに、どうも悲痛な表情を浮かべているっぽい。

 あれ? ってことは、俺たちを転移させたのは彼らじゃない? じゃあ、誰?

 その時、俺は勇人くんの傍らに立っている人物が、俺を見ていることに気づいた。

 その人物は、相変わらずクールに微笑んでいた……うん、つまりオスカルくんだね。

 もしかして、俺たちを転移させたのは彼?

 って、今はそれどころじゃない!

 仲間たちだけではなく、邪竜王も俺が転移したことに気づいていないようだ。

 これ、もしかしなくても最大の──そして最後のチャンスじゃね?

 俺は落下しながらとある場所をしっかりと見定める。邪竜王の頭部と首が繋がる、人間で言えば頸椎の先端に当たる部分を。

 刀身の長さこそ元に戻っているが、いまだ聖剣の刀身に光は宿っている。

 おそらくカーリオンは、もう一度突き刺した刀身から邪竜王の体内に力を流し込み、内側から焼き尽くすつもりなのだろう。

 おーけー、おーけ、乗ったぜ、その作戦!

 俺は聖剣をしっかりと構える。

 だが。

 だが、邪竜王は俺たちに気づいてしまった。

 落下する俺を真紅の双眸がはっきりと捉える。そこに驚愕が浮かぶが、それは一瞬のこと。邪竜王はすぐに俺を迎撃すべく動き出す。

 落下する俺に左右から何かが迫る。

「つ、翼ぁっ!?」

 それは翼だった。邪竜王の巨大な翼が、左右から俺を圧し潰さんと迫ってきたのだ。

 このままでは、俺は掌で潰される蚊のようにぱちんといってしまうだろう。

 ど、どうしたら……? どうしたらいい?

 焦る俺。だけど、俺の相棒はこの時でも冷静だった。

 突然、俺の足が何かを蹴った。空中に蹴るようなものがあるわけがない。だが、俺には……いや、俺たちにはそれを可能にすることができるのだ。

 見えない足場。

 俺が初めて異世界へ転移した時にも使った、ある意味で最も馴染み深い能力。

 カーリオンが空中に足場を作り出し、それを思いっきり蹴り飛ばしたのだと気づいた時、

 俺たちは邪竜王の翼をやり過ごし、その黒くて太い首へと迫っていた。

 ──シゲキ!

「おう!」

 相棒の声に応え、俺は力一杯聖剣を突き出した。

 聖剣の光刃が邪竜王の鱗と皮膚を貫く感触が、俺の手に伝わってくる。

「このまま一気に貫いてやる! おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 裂帛の気合を吐く。だが、邪竜王の防御力は高く、思ったように聖剣が突き刺さらない。

 俺たちの体調が万全であれば、こんなこともないのだろう。俺たちにもう少し力が残されていれば、もっと簡単に突き破れただろう。

 だが、俺もカーリオンも限界だった。

 そして、そんな俺たちに巨大な翼が再び迫る。

 ──もう少しだけ刀身が刺されば……っ!!

 頭の中に響く、相棒の悔しそうな声。カーリオンのこんな声を、俺は初めて聞いた。

 左右から巨大な黒壁が、俺たちを圧し潰さんと迫る。

 それを感じつつ、俺はぎりっと歯を思いっきり噛み締めた。

 もう少し……もう少しだけ俺たちに力が残されていれば……もう少しだけ勢いがあれば……っ!!

 誰でもいい! 力を貸してくれ! あと少しだけ、俺の背中を押してくれ!

 そうすれば、聖剣は邪竜王の体に突き刺さるだろう。

 この状況で力を貸してくれる可能性があるとすれば、勇人くんかフロウちゃんぐらいだ。だが、二人ももう限界だろう。転移できるだけの魔力が残されているかどうか。

 ここまでか? ここまでなのか? あと一歩……いや、あと一押しで邪竜王を倒せるのに……っ!!

 奥歯が砕けそうなほどに噛み締める。

 その時だった。

 上空から何かが降ってきたのは。



「ぬぅぅぅぅわあああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああっ!!」

 それは黒くて小さな何か。

 その黒くて小さな何かが、激しく俺の背中に激突した。

 激突した衝撃で、聖剣の刀身がずぶりと邪竜王の首に埋まる。

「あ」

 どん、と背中に激しい衝撃が走る。だけど、そんなことを俺が感じる暇もなく。

 聖剣の刀身を伝って、俺に残されていた最後の力が流れ出していく。

 流れ出た力は邪竜王を内側から焼き、破壊していくのが分かる。

 そして、ちらりと背後へと目をやれば。

 そこには、黒くて小さなもの──体長1メートルほどのイワトビペンギンによく似た生き物が目を回していた。

 こ、こいつもこの世界に来ていたのか……?

 自称、ペンギーナ族最強の騎士。

 その最強騎士様は、最後の最後でその実力を発揮し、文字通り俺の背中を押してくれたようだ。

 まあ、どうせ偶然なんだろうけどね。

 それでも、こいつが最後の一押しになったのは間違いなく。

「助かったよ、ロクホプ」

 と、俺は感謝の言葉を口にした。



 邪竜王の巨体が、端から徐々に塵へと返っていく。

 聖剣の刀身から流れ込んだ俺たちの力が、今度こそやつを内側から焼き尽くしたのだ。

 先ほどは体中から煙が吹き上がっただけだったが、今度こそ邪竜王を倒したのだろう。

 その光景を呆然と見つめていた仲間たちから、わっと歓声が上がった。

 いまだ邪竜王の体の上にいる俺は、みんなを見下ろす。

 香住ちゃん、ミレーニアさん、ビアンテ、ブレビスさん、セレナさん、マークを始めとした〈銀の弾丸〉のみんな、瑞樹、かすみちゃん、ジョバルガン、ボンさん、フィーンさん、エルフたち、勇人くん、フロウちゃん、最後の最後で大活躍……と言っていいか分からないけど、結果的に俺を助けてくれたロクホプ。そして、いまだに正体不明のオスカルくん。

 崩れ行く邪竜王の頭から、いまだ目を回したままのロクホプを小脇に抱えて飛び降りる。

 自力で飛び降りるにはちょっと高かったけど、まあ、そこは何とかね。着地した時、尻もちを搗きそうになったのは俺だけの秘密です。

 そして、俺は笑顔を浮かべて仲間たちへとゆっくり歩く。

 本当に……本当に長かった。ようやく邪竜王を倒し、カーリオンを救うことができた。

 「害虫」との戦いを思い返し、その決着がついたことを実感して大きく息を吐く。

 仲間たちも笑顔で俺を出迎えて…………あ、あれ?

 みんなの顔、笑顔じゃないよ? 笑顔どころか、驚愕で引きつっているよ?

 よく見れば、みんなの視線の先は俺じゃない。俺よりももっと背後で………………え?

 反射的に振り返った俺の目に、聖剣そっくりの黒い剣を大上段に構え、今にも振り下ろそうとしている黒い「俺」の姿が映り込む。

「ははははははははははっ!! 最後の最後で油断したなぁ、『セカイノタマゴ』ぉっ!!」

 思わず小脇に抱えていたロクホプを放り投げ、俺は聖剣を両手で保持して「俺」の黒剣を受け止めようと試みる。

 この時、俺は気づいてしまった。「俺」の目が俺を見ていないことに。

 今、黒い「俺」は何と言った? 間違いなく「セカイノタマゴ」と言ったはずだ。

 実際、「俺」が目を見開いて凝視しているのは、俺ではなく俺の持つ聖剣だった。

 それはつまり──

 力一杯振り下ろされる黒剣。それを受け止めるべく、俺は聖剣を構えて。

 黒剣と聖剣の刀身同士が激しく激突し、かしゃん、という甲高い金属音が周囲に響き渡った。

 そして。

 そして、俺は見た。はっきりと見た。

 黒い「俺」が振り下ろした黒剣が、俺の聖剣の刀身を粉々に打ち砕いたその瞬間を。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る