策の読み合い



 テーブルに置いておいたスマートフォンが、軽やかな音を響かせた。

 彼女は叩いていたキーボードから片手を離してスマートフォンへと伸ばし、通話状態にする。途端、よく知った声が耳元でがなり立てた。

「マリカ! 世界中がえらいことになっているわよ!」

「分かっているよ」

「その分かっているというのは、どういう意味の『分かっている』なのかしら? 私の話の意味が分かっているの? それとも、世界がおかしくなっている原因の方?」

 彼女──・T・ザハウィー・たてやまはスマートフォンから響く友人の声を聞きながら、視線を窓の外へと向ける。

 窓の向こうに広がる景色は、特に変わった様子はない。だが、「分かる者」には分かるのだ。世界が酷く不安定になっていることに。

「この世界をこの世界として固定する『基点』の一つから、急激に魔力が失われている。その影響が出て世界が不安定になっているんだ」

「そ、それって……例の彼のこと?」

「ああ。彼は今、こことは別の世界──異世界で戦っているからね」

 彼女が店長を務めるコンビニのバイトとして働く彼は、今まさに命がけで戦っているのだろう。聖剣……いや、「世界の卵カーリオン」が彼の魔力を急激に消耗させているため、この世界が不安定になっているのだ。

 とはいえ、世界が滅びたり消え去ったりすることはない。この世界の「基点」は彼だけではないのだから。

 だが、要たる「基点」の一つが急速に力を失えば、全く影響がないわけがない。その影響を何とか軽減するため、茉莉花は先祖であり師でもある女性──その女性本人は師であるとは認めないだろうが──に命じられてここにいるのだ。

「私のところにも、あの御方から連絡が来たわ。いえ、私以外にも世界中の名の知れた魔術師に声をかけたようね」

 なるほど。さすがはご先祖様、手際がいい。と茉莉花は思う。

 自分を彼の元に行かせなかったのは、ここで他の魔術師たちを指揮し、世界を少しでも安定させるためか。

 合わせて、先祖に当たる女性から茉莉花に与えられた課題……「自力での異世界転移」を成し遂げるため、ここで「世界の卵カーリオン」の力を借りてはならぬ、という意味もあるのだろう。

 先祖に当たる女性の魔術理論が正しければ、「世界の卵カーリオン」の力を借りて一度でも異世界転移をしてしまえば、茉莉花も以後は自由に異世界転移が可能になるだろう。それでは、「自力での異世界転移」という課題を成し遂げたことにならない。

「皆に伝えてくれ、シャーロット。これから私が指示を出す」

「ええ。承知したわ。でも、無料では魔術師は動かないわよ?」

「それも分かっているさ。報酬は……そうだね、アメリカ・ドルで一人30万。加えて、私が貯め込んだ彼の──『世界の基点』の魔力をいくつか譲渡しよう。それでどうかな?」

「商談は成立ね。皆にもその通り伝えるわ」

「以後はネットを通じて指示を出す。それに従ってくれ」

 スマートフォンから通話が途切れ、代わりにパソコンの画面に数人の顔が映り込む。シャーロットを始め、全員が高名な魔術師ばかりだ。

 彼らに各種データと指示を送りながら、茉莉花はパソコンに映っている不可思議な文字の羅列を眺める。魔術師ならば、この文字の羅列を見れば世界の状況を判断できるだろう。

 「ネット」、と彼女たちは呼んでいるが、当然ながら、一般的なインターネットのことではない。魔術師たちが「ネット」と呼ぶのは、世界中の地脈を通じた魔術的なラインを繋げたもののことである。

 この魔術的な「ネット」に専用の魔術プログラムを積んだパソコンで干渉し、世界を少しでも安定させるのが茉莉花の……いや、魔術師たちの戦いだ。

 ──水野くん、がんばってくれ。直接きみを助けることはできないが、私も私の戦いに全力を尽くすから。

 茉莉花は彼の穏やかな雰囲気を思い返しながら、パソコンの画面を注視しつつキーボードの上で指を躍らせた。



□ □ □ □ □



 光がはしる。

 光の元は、もちろん俺が手にした聖剣。俺が聖剣を振る度に白く輝く光が空を裂き、邪竜王の鱗を吹き飛ばして巨体を傷つける。

 巨体に刻まれた傷口から、血が流れ出ることはない。あの邪竜王は「生物」ではないからだろう。だが、血の代わりに傷口から何かが漏れ出しているのは感じられる。おそらく、やつらのエネルギー的なサムシングに違いない。

 邪竜王が咆哮する。

 それは傷つけられた痛みからか、それとも傷つけた俺に対する怨嗟か。

 同時に、先ほど与えた傷が見る見る回復していく。あー、くそ、やっぱり反則だろ、それ。

 ──まだまだ、どんどん行くよ、シゲキ!

「おう! やってやろうぜ!」

 答えると同時に、俺の体が大地を蹴る。そして、次の瞬間には邪竜王の懐に飛び込んでいた。

 先ほどまで、彼我の距離が10メートルはあったはず。それが一瞬でゼロになっていた。ああ、そうか。また転移したんだな。

 これだけ肉薄すれば、邪竜王の見えない障壁も役には立たないだろう。

 いや、カーリオンが言うには、先ほどから見えない障壁を発生させていたらしいが、それらは全部貫通していたらしい。

 さすがはカーリオン! 本気になったら一味違うね!

 その代償としてというか何というか、俺の中からがんがんと何かが抜けていく感覚。そして、同時にのしかかってくる疲労感。

 相棒は俺の力を遠慮なく使ってくれているようだ。

 そして、至近距離からはくじんこうが炸裂し、邪竜王の胸の部分をごっそりとえぐり取る。

 おお! 今のは結構大ダメージなんじゃね?

 ──おのれ。

 あ?

 今聞こえた声……カーリオンじゃないぞ?

 ──おのれ、『セカイノタマゴ』と『セカイノキテン』め!

 あ! こ、これ、邪竜王の声か!

 そういやあいつら、邪竜王の姿になってから一言もしゃべっていなかったな。邪竜王の姿になったことで、普通の声帯を失ったのかもしれない。

 ──だが、無駄だ。我らは無限に再生する。どれだけ傷を受けようが、貴様らはただ、力を浪費しているだけに過ぎぬ!

 頭に響く不快な声に顔を顰めながら、俺はちらりと仲間たちへと目を向ければ、彼らもまた顔を顰めたり耳を押さえたりしている。

 どうやら、みんなにも今の声は聞こえているようだ。

 そして再び邪竜王へと目を向けた時、先ほど与えたダメージが回復していくところだった。

 邪竜王をカーリオンの内面世界から隔離したとはいえ、まだこれだけの回復力があるわけか。

 一体、どうしたら邪竜王を倒せるんだ?



「こういう時は、元から絶たないとないと駄目だと相場が決まっているだろう?」

 ふと聞こえてきた声。

 思わず声のした方へと振り向けば、そこにいたのはオスカルくんだった。

 彼は相変わらずクールに微笑み、ぱちんとひとつウインクを飛ばす。

 今の……間違いなく、俺へのアドバイスだよね?

 元から絶つ? 元って………………………………………………?

「目を凝らしたまえ。今のきみになら、もう見えるのではないかな?」

 再び聞こえるオスカルくんの言葉。

 目を凝らす? 一体どういう意味…………あ、あぶね!

 オスカルくんの言葉に意識を割きすぎて、目の前の変化に気づくのが遅れてしまった。

 眼前にある邪竜王の巨体。その巨体を覆う鱗の一部がざわざわと蠢き、俺に向けて発射されたのだ。

 間一髪で気づき、転移で後退して鱗を躱す。まあ、それらを行ったのはもちろんカーリオンです。

「おい、もっと分かりやすく言えないのかよっ!? 相変わらず陰険なやつだな!」

「はははは、そんなことしたらおもしろ…………もとい、彼の成長の妨げになってしまうじゃないか」

 何か、背後で勇人くんとオスカルくんが言い合っているようだけど、今はそれどころじゃない。

 オスカルくんが言った、「見える」ってどういうことなんだ?

 見える? 見る? みる…………?

 気づけば、俺は自分の目に意識を集中させていた。そして、徐々に「それ」が見えてくる。

 それは、もやもやとした黒い霧のようなもの。「害虫」が最初期に取っていた姿に似ていて、その黒い霧が邪竜王全体を取り囲むように流れている。

 そう。

 流れているのだ。

 黒い霧は邪竜王の周囲をゆっくりと回りながら流れ、そして邪竜王へと流れ込んでいる。そして更によく見ると、霧の流れはもう一つあった。

 それを目で辿れば、今も宙に浮かぶ黒い穴に行き着く。

 黒い穴からもやもやとした黒い霧が流れ出し、邪竜王へと流れ込んでいるようなのだ。

「も、もしかして……あれはやつらの力の源…………?」

 本来、「害虫」どもはこのカーリオンの内面世界に属する存在ではない。それを言ったら俺たちだってそうかもだけど、俺たちはカーリオンに呼ばれた「正式な招待客」だ。だが、あいつらはそうじゃない。

 その「害虫」がこの世界に留まり続けるには、それだけで何らかの力を必要とするのではないだろうか。

 そして、その力は「害虫」どもが本来属する世界から流れ込んでいて──つまり。

「まずはあの黒い穴を破壊すればいいってことだな!」

 思わず叫んでしまう俺。同時に、俺の体が空を駆ける。どうやら、相棒も俺と同じ考えのようだ。

 転移ではなく足場を作り出して空を駆けることに意味はあるのか? なんて思いながら、俺は……いや、俺たちは宙に浮かぶ黒い穴を目指す。

 空を高速で駆ける俺たちに、邪竜王から攻撃が飛んでくる。

 火炎、尻尾、無数の鱗、そして、見えない爆撃に見えない斬撃。

 それは今までにない猛攻だった。だが、逆に言えばそれだけ邪竜王が必死になっているという証拠でもある。

 それらの猛攻を、俺たちは身を捻って回避し、聖剣で弾き飛ばし、障壁で受け流す。

 俺の考えは正しかったみたいだ。あの黒い穴を破壊すれば、邪竜王はあの驚異的な回復力を失うに違いない。

 だからこそ、邪竜王は俺を止めようと必死なのだろう。

 邪竜王の猛攻を全て躱し切り、遂に黒い穴が目前に迫った。

 だが、俺たちと黒い穴の間に、邪竜王自身が割り込んだ。その巨体を宙へと浮かべ、自分自身を最後の障壁とするために。

 しかし、その策はカーリオンには予測済みだったようだ。

 邪竜王の巨体が割り込んだ瞬間、俺たちは再び転移する。転移した距離はごく僅か。丁度、邪竜王の体の厚みだけを飛び越えた形だ。

 後で香住ちゃんに聞いたところ、その時の様子はまるで俺たちが邪竜王の体を突き抜けたかのように見えたそうだ。

 これこそが、カーリオンの策。転移ではなく空を駆けたのは、最後の最後で邪竜王がその身を文字通り壁にすることを読んでいたからだろう。そして、その時こそ転移を使って邪竜王の最後の抵抗を躱すために。

 俺たちの勝ちだ! 俺は目の前に迫った黒い穴に向かって、手にした聖剣を高々と振り上げ──振り下ろした。



 意識が飛びそうになる。いや、ごく僅かだが、俺の意識は飛んでいた。

 聖剣を黒い穴に向かって振り下ろそうとした時、横からとんでもない衝撃が襲い掛かってきたのだ。

 その衝撃をモロに受けて、俺たちは吹き飛ばされた。ぼやける視界に、黒くて長い物体が映り込む。

 邪竜王の体を転移で飛び越し、黒い穴に攻撃を加えようとした瞬間、邪竜王は背後の俺たちに向かって尻尾をぶつけてきたのだ、と何となく理解できた。

 おそらく、俺たちが最後に転移することを、邪竜王は予測していたのだろう。

 手の内の読み合いを、最後の最後で勝利したのは邪竜王だったらしい。

 尻尾の一撃を横からまともに受け、俺の体は悲鳴を上げている。そりゃもう、全身がばらばらになりそうなほどの衝撃だ。僅かとはいえ、意識が飛ぶのも無理はないってものだろう。

 まだ朦朧とする意識の中、の邪竜王が、にやりと俺たちをのを、俺は確かに見た。

 ん?

 何か……何か、変じゃね?

 俺は確かにから、尻尾の強襲を受けた。なら当然、俺の体はに吹き飛ばされたはずじゃね?

 それなのに、どうして邪竜王は俺をいるんだ?

 野球のフライのように、当たり所が悪くて打ち上げてしまったのか?

 そうじゃない。これは────────カーリオンの策だな!

 カーリオンは、最後に邪竜王が尻尾を使うことさえ予測していたのだ。そして、その尻尾の一撃をあえて受けた。

 だが、ただ受けただけじゃないだろう。そもそも、邪竜王の尻尾はブレビスさんのCTを一撃で破壊するほどの威力があるのだ。そんなもの、生身で受けて俺の体が五体満足なわけがない。

 おそらく、カーリオンは最低限の障壁で俺の体を護ったのだろう。障壁を最低限に絞ったのは、邪竜王に違和感を与えないためか。

 そして、本来なら横へと飛ばされるはずの俺の体は、転移によってそのベクトルを上へと向けられた。だから今、俺は邪竜王を見下ろしているのだ。

 策が決まったと思った瞬間、それは最大の隙となる。先ほどの俺自身がそうだったように。

 つまり、これこそが俺たちにとっての大チャンス──カーリオンの策ってわけだ。

 現在進行形で打ち上げられている俺の体が、不意に止まる。もちろん、慣性は無視できないので俺の体がぎしっとばかりに軋む。

 先ほどのダメージと合わせて、俺の意識が再び飛びそうになるが、それを俺は歯を食いしばって必死に耐える。

 気づけば、俺の足の下には見えない足場があった。いや、今の俺は頭を下に向けているので、「足の上」の方が正確かもしれない。

 そして。

 そして、俺は両足で見えない足場を蹴る。

 空中に大きな衝撃音が響き、俺の体が下に向かって撃ち出された。

 ぬぐぐぐぐぐぐ。先ほど受けた以上の衝撃が、俺の全身を駆け抜ける。またもや飛びそうになる意識。

 今日の俺、どれだけ衝撃に耐えればいいのかな?

 空中で足場を蹴った勢いと、おそらくはカーリオンによる何らかの加速付加、そして落下速度の全てを合わせて、俺は上から黒い穴に向かって撃ち出された弾丸のように飛ぶ。

 見る見る内に黒い穴との距離が縮み、聖剣の間合いとなった時。

「……りゃ………………ぁぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 俺は、裂帛の気合と共に黒い穴に向かって聖剣を振り下ろし、その刃で黒い穴を捉えたのだった。




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