無敵だから
邪竜王の体のあちこち──漆黒の鱗の隙間から、幾筋もの白煙が立ち上る。
そして、全身脱力した黒竜は、その体を空に留める力を失って降下を始めた。
どうやら、今の一撃は相当効いたらしい。
と、このままじゃ邪竜王と共に墜落する。急いでここから離れないと。
とはいえ、現在の高度はそれなりのもの。ビルやマンションなら五階ぐらいの高さがあるだろう。そこから俺だけで飛び降りれば絶対に怪我をする。なので、ここも我が相棒たるカーリオンに任せるしかない。
さあ、早いところ退避しようぜ、カーリオン。いつものように、空を走ったり転移したりしてさ?
そう思った瞬間だった。俺の体が転移して地上に降りたのは。
転移しても僅かに残っていた落下の慣性を何とか堪えて、転びそうになるのを必死に耐えた。そして、ようやく周囲へと目を向けた時、ずしん、という重々しい音が響いた。
もちろん、邪竜王の体が落下した音だ。
体中の至る所から白煙を上げ、力なく大地に横たわる邪竜王。も、もしかして……倒したのか?
ちょっとあっけないというか何というか、あれで倒せたとは思えない。
実際、カーリオンはまだまだ警戒中で、聖剣を正眼に構えてその切っ先を邪竜王へと向けている。
──気をつけて、シゲキ。あれはまだ滅んではいないから。
「ああ、分かっているさ」
頭の中に響く声に、俺は声を出して答えつつじっと倒れた邪竜王を凝視する。
そして、邪竜王を見つめるのは俺だけじゃない。俺の仲間たちは皆、声を漏らすことなく地面に倒れ伏した邪竜王を見つめていた。
「な、なあシデキ……あのドラゴン、もう死んだんじゃねえか?」
いつの間にか俺の傍にやって来ていたマークが、恐る恐るといった感じで尋ねてきた。
「いや、あいつはまだ倒れていない。カーリオンがそう言っている」
「そ、そうなのか……じゃ、じゃあ、今が追撃のチャンスじゃね?」
そう言ったマークは、何やら妙にデカい銃器を構えた。
「こんな時のために、俺個人で購入しておいた12.7mm口径のガトリング・ライフルだ!」
おお、すげえな、マーク! こんなデカい銃器を個人費用で買ったんだ!
〈銀の弾丸〉は、団員たちに基本的な装備一式を支給する。だが、支給された装備がどうしても使いづらかったり、個人的な趣味に合わかったり、なんてことも当然ある。
そんな時、団員たちは個人で自分に合った装備を購入してそれを使用するわけだ。もちろん、弾薬やメンテナンスなどの経費も個人負担となるが、それでも個人装備を使用する団員は少なくない。
自分に合わない装備を無理して使って、その結果死にました──なんて、誰も歓迎しないからね。
マークが持っている大型のガトリング・ライフルも、そんな個人装備の一つなのだろう。
しかし、個人兵装でガトリング・ライフルを選ぶとは……マークのやつ、漢の浪漫がよく分かっているな。見直した。
「おら、黒トカゲ野郎! こいつを食らいやがれ!」
マークが構えたガトリング・ライフルが、きゅらららららと甲高い音と共に銃身部分を回転させ、連続した銃声を響かせた。
ガトリング・ライフルから吐き出された無数の12.7mm弾が、次々に倒れた邪竜王の体に命中する。
しかし、なあ、マーク? おまえの浪漫を求める心意気は理解できるが、相手が弱った途端強気になるのはプロの傭兵としてどうなの?
それに、そんな凄い武器があるのなら、どうして最初っから使わなかったんだ?
なんて俺の疑問を置いてけぼりにして、倒れた邪竜王に更なる追撃が加えられる。マークと同じことを考える者が他にもいたようで、〈銀の弾丸〉の団員たち、特に年若い連中がマークに続けとばかりに銃撃を加え始めたのだ。
ちらりとブレビスさんが乗るCTを見ると、器用なことに肩を竦めていた。おそらく、こういうことは多かれ少なかれあるということなのだろう。
まあ、それはともかくとして、だ。
銃弾を無数に浴びせられる邪竜王。その巨体の表面に、いくつもの弾痕が穿たれる。
そしてその弾痕からひびが生じ、ひびは邪竜王の体中に広がっていく。
やがて、巨大な黒竜の体を、ひびが覆い尽くし……ぱりんと音を立てて弾けるように割れた。
邪竜王の体が音を立てて割れた時、仲間たちから大きな歓声が上がった。
だが。
だが、その歓声はすぐに掻き消えてしまう。
なぜなら、割れた邪竜王の体から、全く無傷の邪竜王が現れたからだ。
それはまるで、脱皮をしたような光景だった。
傷ついた古い殻を脱ぎ捨て、無傷の体がゆっくりと起き上がる。
そして、新生した邪竜王が高々と咆哮する。
自身の不死身を誇るかのように。俺たちの心を折らんとするかのように。
実際、咆哮する邪竜王の目が俺たちへと向けられ、嗤うかのように細められていた。
ああ、こいつ……こいつは本当に不死身じゃないのか? 俺たちがどれだけ攻撃を加えようとも、倒すことなんてできないのではないか?
思わず、そんな考えが俺の心を染め上げる。いや、それはきっと俺だけじゃない。
絶望。
失望。
諦念。
仲間たちの顔に、それらの感情が浮かんでいる。中には武器を取り落として呆然と立ち尽くす者もいるぐらいだ。
そんな俺たちを嘲笑するかのごとく、邪竜王が咆哮し続ける。
俺たち全員の心が、邪竜王の体色のように闇色に染まっていく。
その時だ。
俺たちの心を覆う闇を斬り払うかのように、一条の光が差し込んだのは。
「
光の元は、俺の手にある聖剣。その刀身が激しく輝いていたのだ。
どうやら俺の相棒は、まだまだ諦めさせてくれないらしい。
まあ、そうだよな。ここで諦めるわけにはいかないよな。
これまで、俺とカーリオンで何でも乗り越えてきたよな。今回だって、俺とおまえならきっと何とかなるよな。
俺は決意を新たに、聖剣の柄をぐっと握り込む。
──そうだよ。ぼくとヒデキは絶対に負けない。無敵という言葉は、ぼくたちにこそふさわしいんだよ。
「ああ、そうだな……そうだったな!」
もう、俺の心に闇はない。あるのは相棒の刀身のごとく、眩しい光だけだ。
「俺の中の
承知した、とばかりに、俺の体が前へ出る。その速度は撃ち出された弾丸に負けないほど。
邪竜王はまだ嗤っている。目だけで厭らしく嗤っている。
だけど、そうやって嗤っていられるのももう終わりだよ。
だって……俺とカーリオンが本気でおまえを倒すからな!
──まずは奴を僕の
「構わない! あるだけ持っていけと言っただろ!」
カーリオンが何をするつもりなのか正直よく分からない。だけど、まずはあの異常なまでの回復力を封じるつもりなのは何となく理解できた。
ざん、と大きく踏み込むと、地面と靴底が熱い摩擦の抱擁を交わす。その摩擦熱で靴底がわずかに溶けたのが、臭いで分かった。
同時に、聖剣を地面と水平に強く鋭く振る。
しゅん、という空気を斬り裂く音と共に、どこか遠くで何かが斬れた感覚。言葉にすると難しいが、髪の毛が一本だけ突然ぷつんと切れたような感覚、と言えば理解できるだろうか。
邪竜王との距離はまだ少しばかりある。剣が届かない間合いであるにも拘らず、カーリオンは何度も分身たる聖剣を振り続ける。
その度に、先ほどと同じ感覚がする。おそらく、カーリオンは自身の内面世界から、邪竜王を切り離そうとしているのだろう。
そして、同時に俺の中から何かが抜ける感覚と疲労感を覚える。空間に作用するためには、俺の力が必要ってことか。
邪竜王は今、先ほどまでの嗤いを引っ込めて、憎しみの宿った光をその赤い双眸に浮かべていた。どうやら、やつもカーリオンの狙いに気づいたっぽいぞ。
邪竜王の顎が大きく開かれ、真紅の業火が吐き出される。だが、その業火は再びカーリオンに斬り払われた。
だけど、違うことが一つだけあった。それは、吐き出された炎を完全に斬り払う直前、俺の体が大きく横へと跳んだこと。
同時に、聖剣を持つ俺の右手に鋭い痛み。見れば、右手首から少し上の部分が〈銀の弾丸〉の防弾防刃ジャケットごと切れて血が流れている。
──あいつ、炎と同時に見えない斬撃を放っていたみたい。ごめん、炎がカムフラージュになって気づくのが遅れた。
なるほど、どうやら邪竜王も馬鹿じゃないってことだ。先ほど通用しなかった火炎を再び吐き出したのは、見えない斬撃から目を逸らすための
気にするなよ、カーリオン。これぐらいの怪我、後でエルフたちからエリクサーを分けてもらえば問題ない。
とはいえ、これからは火炎を斬り払うのは避けた方が良さそうだ。
そう考えていると、再び邪竜王の喉元が大きく膨らむ。
また火炎か? どうせ、火炎を目くらましにして見えない斬撃を使うつもりなんだろ? もうその手は桑名の何とやら……って、えええええええっ!?
大きく開かれた邪竜王の口。しかし、そこから火炎は吐き出されなかった。しかし、火炎の代わりにしっかりと吐き出されたものがある。
俺の目の前で何かが爆発する。こ、これ、見えない爆撃じゃないか!
どうやら、邪竜王は火炎ではなく見えない爆撃を吐き出したようだ。
突然生じた爆炎が俺を包み込む。だが、その炎と熱と衝撃が俺に伝わることはない。
俺を中心にした半円状の障壁が、見えない爆撃をシャットアウトしたからだ。
あ、ああ、そ、そういえば、カーリオンには障壁を張る力もあったっけ。いや、この障壁、本来は俺の能力であって、それをカーリオンが引き出して制御しているんだったか。
どっちにしても、見えない爆撃を完全に防いだのは間違いない。
続けて、邪竜王の周囲の空間がゆらりと揺らぐ。あ、これ、見たことあるぞ。
次の瞬間、何かが障壁に触れて砕け散る。
やはり、邪竜王は見えない斬撃を放ったようだ。あの邪竜王は「害虫」どもが俺の恐怖心を煽るために作り出した姿なので、「害虫」と同じ能力が使えても不思議じゃないよな。
──もう少しでやつを僕の内面世界から隔離できる! あとちょっとだけ耐えて!
おう、任せろ、相棒! ってか、この障壁を維持制御しているのもカーリオン自身なんだけどな!
俺にできることは、聖剣を正眼に構えて立っているだけさ! ちょっと自分で言っていて情けないけどな!
半ば自虐的に心の中で叫んでいると、障壁を解除したカーリオンが聖剣を上段に構えて大きく振り下ろした。
同時に遠くから響く、ぱりんという乾いた音。
──やつをぼくの内面世界から切り離した! これで、理不尽なまでの回復はできないよ!
よっしゃ、その言葉を待っていたぜ!
──でも、回復能力が完全になくなったわけじゃないから注意が必要だよ。
おっと、そんな言葉は聞きたくなかったぜ!
確かに「害虫」、特に俺や香住ちゃんたちの偽物、そして黒い「巨人」は回復力が異様に高かったからな。
邪竜王がそれと同等以上の回復力を有しているのは間違いないだろう。
しかし、これで光明が見えたのもまた事実。
さぁて。ここからが俺とカーリオンの反撃の始まりだ。
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