限界窮地
一体、いくつのひびを破壊しただろうか。
ひびを一つ破壊する度、俺の体を疲労感が襲う。そして、俺には分からないが、ひびを破壊するごとに俺の魔力もまた減少しているはずだ。
救いなのは、このひびは以前に海洋世界で潰した黒い穴に比べると、レベルとかランクとかその辺のものが低いことだろう。おかげで、ひびを破壊するのは黒い穴ほど疲れないのだ。
とはいえ、いくつものひびを破壊すれば、その疲労は全て積み重なるわけで。
今、俺は片膝をつき、聖剣で上体を支えながら喘いでいる。
いや、ホントにきっついんだ、これが。
これ、フルマラソンよりも絶対厳しいだろ? いやね、俺、フルマラソンなんて走ったことないけどさ。
それぐらい疲れ果てた俺は、片膝ついてぜえはあ喘いでいるわけですよ。
「大丈夫ですか、茂樹さん」
俺の背後から、心配そうな香住ちゃんの声。彼女はペットボトルをそっと差し出してくれた。もちろん、中身はエルフ印のエリクサーだ。
エリクサーは疲労回復にも効果がある。ただ、傷を治すほど劇的ではない。そのため、エリクサーを飲めば疲労も全て回復、とはいかないのだ。
俺たちをこの世界へ呼び込んだ時、カーリオンはエリクサーの入ったリュックも一緒に運んでくれた。だが、こちらに持ち込んだエリクサーにも数に限りがある。
今、香住ちゃんが差し出してくれたのが最後の一本で、ペットボトル内の残量は四分の一といったところ。
対して、ひびはまだ結構な数が残っている。いや、いくら潰しても後から後から発生するのだから、潰してもきりがないのだ。
だけど、泣き言なんて言っていられない。
──シゲキ……
頭の中にカーリオンの悲し気な声が響く。今、彼の姿は見えない。何でも、俺たちを支援しつつ、他にもすることがあるのだとか。だから、人間の姿を維持するだけの余裕がないらしい。
カーリオンも限られた力を振り絞ってがんばってくれている。俺も負けていられないよな。
俺は聖剣を改めて握りしめると、手近にあったひびを目指して走り出した。
はい、もう限界です。
俺、全く動けません。
今、俺は地面に大の字で寝ころび、はあはあと激しく息を吐いていた。
とりあえず、見える範囲のひびは全部破壊した。今のところ、新たにひびが発生する様子もない。
で、ひびを破壊し尽くした俺は、見ての通り疲労困憊ってなわけですよ。
今、俺の近くには誰もいない。他のみんなは、残っているイモムシを退治している最中だ。
──ありがとう、シゲキ。
「お、おう、これぐらい朝飯前……と言いたいところだけど、さすがに疲れたよ」
俺だけに聞こえる声に、俺は弱々しい笑みを浮かべながら答える。何となく、カーリオンが泣きそうでいて嬉しそうという複雑な表情を浮かべている姿が脳裏に浮かんだ。
しかし、何とかひびは全部破壊できた。果たして、俺の魔力値はどれだけ下がったのやら。
俺、自慢じゃないけど自分で自分の魔力とか、全然分からないんだよね。だから、店長の言う魔力の最大値が今どれぐらいなのか、さっぱり分からないのだ。
ただ、疲労の方はよく分かる。なんせ、今の俺は全く動けないから。
最後に残っていたエリクサーも飲み干してしまった。とりあえず、少し休憩すれば動けるようにはなる……と思いたい。
「とにかく、これで『害虫』の侵略は防げたんだよな?」
「害虫」がこのカーリオンの内面世界にやってくる侵入経路であるひび。そのひびを全て破壊した以上、これでしばらくこの内面世界は大丈夫なのだろう。
だけど。
──ごめん、シゲキ……おそらく、今はただの小休止だと思う。やつらはまだまだこれからも僕の内側に入り込んで……
と、カーリオンの沈んだ声が俺の脳裏に響き、その直後にあのぴしりというひび割れの音が再び聞こえてきた。
「茂樹さん!」
「シゲキ様!」
どうやらこの内面世界では香住ちゃんたちにもあのひび割れ音が聞こえるらしく、彼女たちは慌てた様子で俺の元へと駆け寄ってくる。
もちろん、瑞樹とかすみちゃんも同様だ。
「あの黒いイモムシは、結構な数を片付けたけど……」
「どうやらお代わりのようですね……」
空に浮かぶ黒いひびを見上げながら、瑞樹とかすみちゃんが溜め息混じりに呟いた。
うん、俺もいい加減にして欲しい。
みんなと同じ思いでひびを見上げる。と、俺たちが見つめる先で、ひび割れがどんどんと大きくなっていく。
「おいおい……あれって……」
「も、もしかして……ペンギンさんたちの世界で見た……?」
「あの時の黒い穴……ですわね」
そう。
ミレーニアさんが言う通り、ひびはどんどん広がり、遂には黒い穴へと変化したのだ。
あの黒い穴が開いた。ということは……。
「よう、久しぶりだな!」
黒い穴の向こうから、気安そうにひょいと片手を上げながら登場した人物。もちろんそれは、「黒い俺」だ。うわー、また出やがったよ。
「また会えたね!」
「再会できる日を楽しみにしていましたわ!」
いや、黒い穴から出てきたのは「俺」だけじゃない。黒い「カスミ」と黒い「みれーにあ」も一緒だった。
「今日こそセカイノタマゴをオレたちのモノにしてみせるぜ」
「ワタシたちの邪魔をするなら、容赦しないよ?」
「逃げるというのであれば、特別に見逃してさしあげますわよ」
にたにたとした笑みを浮かべる偽物たち。
しかも、その背後からは海洋世界で見た「蛇」が、その長い体を不気味に蠢かせながら次々に現れた。
「さぁて…………と。今日こそ決着をつけようぜ?」
腰から黒い剣を引き抜いた「俺」が、そう宣言した。
聖剣そっくりの黒い剣を手にした「俺」が、一瞬で俺に肉薄する。
高速で振られる黒い剣。それを、俺は何とか聖剣で弾き返した。いや、弾かれたのは俺の方。なんせ、今の俺にはいつもほどカーリオンからの支援がないんだ。何とか「俺」の剣を防ぐのがやっと。
今の一撃だって、もしもカーリオンの支援が一切なかったら、間違いなく防ぐことさえできなかっただろう。
いや、カーリオンの支援がほとんどなく、その上疲労しきった状態で、「俺」の一撃を防ぐことに成功した俺を褒めて欲しいぐらいだ。
──シゲキ……っ!!
俺の脳裏でカーリオンが苦し気な声を上げる。その声は弱々しく、カーリオンが相当消耗していることを表していた。
「かかか! もうふらふらじゃないか、セカイノキテン!」
至近距離で、「俺」が嗤う。
それは、勝利を確信した嗤いだった。
うん、何かすげームカつくぞ、それ。
俺は至近距離に迫っている「俺」に前蹴りを繰り出す。だが、所詮は素人の蹴り、「俺」は軽々と後ろに跳び下がって蹴りを躱した。
俺と「俺」の間に距離ができたことで、ちらりと周囲に目をやってみる。
香住ちゃんは黒い「カスミ」と交戦中。ミレーニアさんも、同様に黒い「みれーにあ」を相手取っていた。
二人にもカーリオンの支援が届いているらしく、何とか偽物たちと互角に戦っているようだ。あれ? もしかして、香住ちゃんたちの方がカーリオンの
いやいや、単に香住ちゃんとミレーニアさんの方が、俺よりも基本の身体能力が高いってことなのかもしれないけど……それはそれで何か凹むぞ。男としては。
一方、俺たちを侮っているのか、それとも単なる様子見なのか。無数にいる「蛇」は動きを見せない。まあ、今の状態で「蛇」にまで動かれたら間違いなく「詰み」だからね。舐めプだろうが様子見だろうが、動かないでくれるのは正直言ってありがたい。
そして、瑞樹とかすみちゃんだが、二人は俺たちの後方に下がってもらった。なんせ、彼女たちは偽物や「蛇」に対して戦う術がないからね。
もしもカーリオンの調子が万全であれば、二人にも支援を飛ばして戦えるようにできたかもしれないけど、今のカーリオンにそれだけの余裕はないだろう。
だから、瑞樹たちには後方で大人しくしていてもらおう。今の二人は、偽者たちや「蛇」を初めて目の当たりにしたせいか、互いに抱き合うような感じで顔色を悪くしながら、俺たちの戦いを見つめている。
「余所見とは随分と余裕だな、セカイノキテン!」
先ほど以上の速度で踏み込んでくる「俺」。そこから繰り出される攻撃を、俺は後退することで何とか回避。ちなみに今の回避、すっげぇへっぴり腰だったと思う。
なんせ、ほとんど自力で回避したからね、今。いや、あれが回避できるって、俺、結構凄くね? 誰も褒めてくれないから、自分で褒めておこう。
「かかか! やるじゃないか、セカイノキテン! だが、いつまでそれが続くかな?」
おまえに褒められても嬉しくないんだよ!
とはいえ、「俺」の言う通りなんだよな。
今の俺は本当にへろへろ。最後のエリクサーを使って多少の疲労は回復したものの、今の数回の攻防でそんなものは容易くふっとんだ。
香住ちゃんとミレーニアさんも、それぞれ自分の偽物の相手で精一杯。とてもじゃないが、俺のフォローは難しい。
そして、俺たちの要というか、真のリーダーとも言うべきカーリオンもまた、相当力を消耗しているらしく俺たちの支援も最低限。
ホント、これ、相当ヤバい状況だ。とてもじゃないけど、俺にはここからの逆転劇が全く見えてこない。
でも、全く絶望ってわけでもない。
なぜなら。
──あと少し……あと少しだけがんばって! あと少しで
先ほどから、声なき声でカーリオンが俺にそう言っているからだ。
相変わらず「繋がる」という意味は分からないが、それがカーリオンの秘策なのは間違いない。
であれば、俺はこの状況に耐えるのみ!
だけど。
だけど、どれだけ俺が気合を入れようが根性を見せようが、それだけで状況が良くなるわけがなく。
「かかか! もう限界だろう、セカイノキテン! そろそろ楽にしてやろう!」
今までで一番の速度で「俺」が剣を振るう。俺自身の肉眼では捉えることさえできないほどのその剣閃は、まさに黒い流星のようだった。
そして、そんな流星のごとき剣閃を、十分なカーリオンの支援もない俺が防ぐことなどできるわけもなく。
掬い上げるような斬り上げが、防御しようとした聖剣を容易く弾き上げる。だが、「俺」の攻撃はそれで終わらない。
振り上げられた黒剣が頭上でくるりと翻り、その剣速を更に増して振り下ろされる。
もう、俺では目で追うことさえできないその速度。当然、弾き上げられた聖剣を引き戻す暇さえなく。
高速で振り下ろされた黒い刃が、袈裟懸けに俺の体を深々と斬り裂いたのだった。
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