毒霧



 俺へと迫る黒い「蛇」。

 実際、この黒い「蛇」はかなり手強い。

 人型ひとがたである黒い「俺」ほどではないが、それでもイモムシよりははるかに強いだろう。何となくだけど、俺にはそれが理解できた。

 その「蛇」が三体、同時に襲いかかってくるのは脅威以外の何者でもない。

 だが、俺にとっては脅威だが……聖剣にはどうってことのない相手みたいだ。

 三体の「蛇」が、同時に俺を襲う。一体目は頭、二体目は腹、そして三体目は足元を、それぞれ狙ってきた。

 その一斉攻撃を、俺……じゃなくて聖剣は宙へ跳ぶことで回避した。その際、俺の頭を狙ってきたやつの胴体を、深々と斬り裂きながら。とはいえ、その傷は致命傷には至らなかったが、それでもそれなりのダメージは与えられたようだ。残念。

 そして俺たちは、いつものように空中に見えない足場を作り出し、宙を軽快に駆け抜ける。

 空を疾走する俺たちを追いかけるように、背後でいくつもの爆発。例の見えない爆撃を害虫どもは繰り出しているようだ。

 だが、空を翔る俺の速度はかなり速く、空中に咲く爆炎の花を全て置き去りにしていく。

「おいおい、人が空を走るなんてチート過ぎだろ?」

 地上から呆れたような「俺」の声が聞こえる。確かに、人間が高速で空を走るのは、チート以外の何者でもないよね。

 でも、間違えないでいただきたい。チートなのはあくまでも聖剣であって、俺ではないので! 俺はただの大学生なので!

 いやまあね? 俺って「世界の基点」とかいうトンデモ存在ではあるらしいけどさ。でも、俺の心はいつまでも普通の大学生ですから! 近い将来には社会人になるだろうけど、そこは今は置いておく!

 俺がそんな場違いなことを考えている間も、聖剣先生は戦い続けている。

 空中を走りながら、刀身から雷を放つ聖剣。迸った雷は「蛇」に命中し、その「蛇」が苦しそうに身悶えする。どうやら、多少なりともダメージが入ったようだ。

 さすがの聖剣先生も、走りながら必殺のびゃっこうじんは放てないようだ。それに、先程の電撃もそれほど威力は高くない気がする。

 やはり強力な攻撃を繰り出すには、聖剣といえどもしっかりと腰を据える必要があるのだろう。

「いい加減、下りて来いって!」

 地上から見えない爆撃や見えない斬撃が絶え間なく飛んでくる。

 それらの攻撃を、俺たちは時に躱し、時に聖剣で弾きながら空を駆け続ける。おそらくだけど、聖剣は反撃の機会を窺っているのだろう。あいつらの隙を突いて、一気に勝負を決めるつもりなのだ。

「ったく、下りてくる気がないのなら、引きずり下ろすまでだ!」

 「俺」が特大の見えない斬撃を放つ。聖剣が力を貸してくれているせいか、最近では見えない斬撃もぼんやりとだけど見えるようになったんだよね。だからある意味で、あれは既に「見えない斬撃」ではないけど……うん、もうこの表現に慣れちゃったから、今後も「見えない斬撃」って呼ぶけど。

 そして、「俺」の見えない斬撃と同時に、三体の「蛇」がその巨体を伸びあがらせた。十字に顎を開きながら、上空の俺へと「蛇」が迫る。

 まず俺に到達したのは、見えない斬撃だった。さすがの聖剣もこの斬撃を弾くことはできないのか、更に上空へと駆け上がってこれを回避する。

 そこへ、三体の「蛇」どもが襲い掛かってくる。

 いくら「蛇」が巨体だからって、この高さには届かないだろう……って、おいおい! あの「蛇」どもジャンプしているやん! 蛇ってジャンプできたっけ? いや、普通の蛇とあの黒い「蛇」を一緒にしちゃ駄目なのは分かっているけどさ!

 なお、木の枝から木の枝へと滑空する蛇なら地球にも存在するらしい。でも、地上から真上へと跳び上がる蛇は地球にはいないと思う。

 予想外の「蛇」の行動に、思わず硬直してしまう俺。だけど、俺が動けなくなっても、聖剣先生には関係ない。

 四方へ開く顎を目一杯まで広げた「蛇」が、空中の俺たちのいる所まで跳び上がってきた。

 しかし、さすがの「蛇」もジャンプは得意ではないらしい。俺たちが今いる場所までは僅かに届かない。

 だが。

 だが、そこで再び「蛇」が予想外の行動に出た。

 四方に開かれた顎の奥から、俺たち目がけて黒い霧のようなものを吐き出したのだ。



 間違いなく、「蛇」が吐き出した霧のようなものは有毒だろう。

 どのような効果の毒かは不明だが、浴びていいものじゃないのは間違いない。

 見えない爆撃と見えない斬撃。害虫の飛び道具はその二種類だとばかり思っていたので、俺は意表を突かれた形になった。

 そしてそれは、珍しくあいぼうにも該当したらしい。毒霧への対処が僅かながら遅れたのだ。

 いくら聖剣が凄いとはいえ、完璧ではない。そもそも、俺の聖剣は人間で言えばまだ就学前ぐらいの子供らしいから、完璧なわけがないんだ。

 それに、今の聖剣は俺だけじゃなく香住ちゃんとミレーニアさんもフォローしている。ちらりと彼女たちの方を見れば、二人はそれぞれ一対一の状況で「蛇」と渡り合っていた。そちらにも聖剣は意識を割かねばならない以上、多少状況判断が遅くなるのは仕方がないというものだろう。

 なお、必要以上に彼女たちのことは見ない。見えてはいけないものが偶然見えてしまうかもしれないから。

 それでも、聖剣はさすがだった。毒霧への反応が遅れたとはいえ、全く無防備に毒霧を浴びるようなことはなかったのだ。

 きん、という鋭い金属同士がぶつかるような音と共に、俺たちの前に光り輝く膜のようなものが現れた。

 え? え? なにこれ? こんなの初めて見たぞ?

 目の前に突如現れた光の膜は、迫る毒霧を完全に遮った。どうやらこの膜、バリアとか障壁とかいった類のもののようだ。

 当然、このバリアを出現させたのは聖剣だろう。だって、そうとしか考えられないし。

 でも、どうしてこのタイミングでこんなバリアを? そりゃ毒霧を防ぐためなのは分っているけど、今まで聖剣はこんなバリアを使ったことはなかったはずだ。

 あ? ちょっと待てよ?

 さっき、至近距離から黒い「俺」の見えない爆撃を食らったけど……もしかして、あの時もこのバリアを使っていた? だから被害が思ったより軽微だったのか?

 ってことは、今までも俺が気づいていなかっただけで、聖剣はこのバリアを使っていたかもしれない。

 いや、それはどうだろう? いくら俺でも、目の前でこれだけ派手なバリアを展開されたら気づくと思うけど……あ、あれ?

 突然、貧血のような脱力感が俺を襲う。い、いや、これは貧血じゃない。この感覚……最近時々感じるあれだ。聖剣が俺の魔力を使ってブーストする時のやつ。

 ってことは、先ほどのバリアはやはり聖剣の仕業で、俺の魔力を使ってバリアを展開したってことか?

 その辺りの事実は不明だけど、俺の体はゆっくりと降下して砂浜に着地する。

「ようやく下りて来たな! 待っていたぜ!」

 その俺に、黒い剣を手にした「俺」が肉薄した。

 「俺」は高速でその剣を振るう。そして、俺もまたそれに対応していく。

 うん、俺自身はちょっと不調だけどね。聖剣先生にはそんなこと関係ありませんからね。

 砂浜に耳障りな金属音が何度も打ち響く。それも、相当な高速で。

 あえて擬音にするならば、「きんきんきんきんきん」って感じじゃなくて、「ききききききん」って感じ。いや、その高速の剣戟をよく理解できるなーと我ながら感心。どうやら俺自身、聖剣に相当鍛えられてきたってことだろう。

 と、それまで剣と剣を打ち合わせていた「俺」が、突然後方へと飛び退いた。

 同時に、俺は突然影に覆われた。反射的に上を見れば、三体の「蛇」が顎を開いて見下ろしていた。

 やばい、と思った瞬間、「蛇」たちが黒い毒霧を吐き出した。

 そして、三体の「蛇」が吐き出した毒霧は、俺たちがいる場所を完全に覆いつくしてしまったのだった。



 先ほどまで俺たちがいた場所。

 そこは今、黒い毒霧で完全に覆われてしまった。

 まあ、その「覆われた光景」をこうして傍から見ている以上、俺たちは無事なんですけどね。

 無事な理由はもちろん、聖剣の転移である。聖剣が転移を使ってくれた結果、俺たちは少し離れた場所で、毒霧がもわもわと漂う場所を見つめているわけだ。

 とはいえ、ここは障害物などほとんどない砂浜。俺たちが転移したことは、すぐに「俺」に気づかれてしまった。

「…………転移して逃れたか。『セカイノタマゴ』はもうそこまで成長していたのかよ」

 「俺」も聖剣が転移したことに思い至ったらしい。それに、先ほどの「俺」の言葉から察するに、聖剣も当初は転移できなかったってことかな。

 異世界へ転移するのと、同じ世界内で転移するのでは、いろいろと勝手が違うってことなのだろう。それとも、それも俺が知らないだけかもしれないけどさ。

 とにかく、俺からすると同じ世界内での転移の方が、異世界転移よりも難易度は低いと思えるのだが、そうじゃないっぽいね。うむ、よく分からん。

ナガムシアルベジン三体じゃ追い込むこともできないか……なら、もっと数を増やしてみるか」

 「俺」がそう言った途端、空中に浮かぶ黒い穴から更に数体の「蛇」が出現した。

 おいおい、これはさすがにまずいだろ? あの穴から「蛇」が無尽蔵に出てきたらどう対処したらいいんだ?

 これはまず、あの黒い穴を塞ぐ必要があるんじゃないか?

 俺のその考えを肯定するかのように、手の中の聖剣がぶるぶると数回震えた。

 そして。

 そして、その直後だった。

 俺の頭の中に、以前に一度だけ聞いたことのある「声」が響いたのは。




──ごめん、シゲキ。ちょっとだけ……ほんのちょっとだけ、きみのチカラをね。


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