神様に感謝を




「は……はいいいいいいいいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」

 ロクホプが驚愕しながら、素っ頓狂な声を上げた。どうやら、俺が空を駆けたことに面食らったようだ。

 まあ普通、人間は空中を駆けたりはしないからね。ロクホプの奴が驚くのも無理はない。いや、ロクホプじゃなくても、何もない空中を人間が駆けるのを見たら誰だって驚くというものだろう。

 いやあ、驚かせて悪いね。でもこれ、俺じゃなくてあいぼうがやっていることだから。俺の聖剣、何でもありだから。

 瞬く間に空飛ぶ蜘蛛に接近する俺。彼我の距離は、既に聖剣の間合いだ。ここまで来る途中、蜘蛛は数発の火炎弾をお尻から撃ち出したが、それらは全て聖剣が斬り払った。

 蜘蛛を間合いに捉えた俺は、聖剣を振りかぶる。だけど、このまま蜘蛛をずんばらりんするのも可哀そうじゃね? この蜘蛛、別に俺たちに敵意があるわけじゃないだろうし。単にロクホプに命じられてやっているだけだろうし。

 だったら…………うん、ここはひとつ、非殺傷モードでお願いします、聖剣先生。

 俺の意思を汲んでくれたのか、聖剣の刀身にばちばちと電光が迸る。スタンガン機能が起動したようだ。

 帯電した刀身を、俺はそのまま振り下ろす。もちろん、振り下ろすと言っても勢いよくではなく、あくまでも刀身が軽く蜘蛛の体に触れる程度に。

 だが、それで十分だった。

 聖剣の刀身がその体に触れた途端、蜘蛛が大きく震えた。電撃を見舞われた蜘蛛は苦悶の咆哮を上げたそうな様子だが、残念ながら蜘蛛には声がないんだよね。それはこの世界でも同じようだ。

 そして、蜘蛛はそのまま真下の海へと落ちていく。当然、騎乗していたロクホプもろともに、だ。

 空中と言ってもそれほどの高度はない。しかも下は海だから、落ちてもそんなに大きなダメージはないだろう。

 大きなものと小さなもの。二つの着水音が聞こえてきた時、俺は砂浜へと戻っていた。その俺の傍に、香住ちゃんとミレーニアさんが駆け寄ってくる。

 ああ、ミレーニアさんはもうちょっとゆっくり動いた方がいいんじゃないかな? でないと、ミレーニアさんのシークレットでデンジャーでセクシーなゾーンが零れ出ちゃいそうだよ。今、自分がどんな格好をしているか、もう一度よく思い出そうね?

 でも幸いというか何というか、ミレーニアさんは美乳なれどぽよんぽよんするほどじゃないから、シークレット&デンジャー&セクシー・ゾーンが零れ出ることはなかったけれど。

 うん、決して残念とか思っていません。

 だから、ジト目で見つめるのは止めてください、香住さま。



 俺たちは三人で波打ち際に並び、海を見つめていた。

 先ほど蜘蛛とロクホプが落ちた辺りには、小さな気泡が無数に浮かび上がっている。

 やがて、海面を割って巨大な蜘蛛が浮かび上がった。蜘蛛は器用に八本の脚を動かし、すいすいと泳いで砂浜へと近づいてくる。

 へえ、この蜘蛛、空を飛ぶだけじゃなく泳ぐこともできるのか。

 そういや、地球に棲息している蜘蛛の仲間にも、水中で生活する水蜘蛛って種類がいたっけ。日本にだって棲息している蜘蛛だ。

 そして、蜘蛛はそのまま浜へと上陸すると、俺たちのことは一切無視してかさかさと砂浜を走り去っていく。

 俺たちから見て左手に見える岬のような場所をぐるりと回り込み、その姿が見なくなった。うん、とりあえず電撃の後遺症とかなさそうで一安心。

 これで残る問題はひとつ。

「…………ペンギンさん、浮かんできませんね?」

 そうなんだよねぇ。蜘蛛は海に落ちて割合とすぐに浮かんできたけど、ロクホプは全然浮かんで来る様子がない。

 まあ、あれでもペンギンだし、海中で溺れることはないと思うけど。

 でも、「河童の川流れ」とか「猿も木から落ちる」なんて言葉もあるし、「ペンギンの海溺れ」も可能性としてはないわけじゃないのか? ちょっと心配になってきた。

「私、ちょっと海に潜って様子を見て来ましょうか?」

 俺と海を何度も見比べながら、香住ちゃんがそう提案する。いやいや、香住ちゃんに行かせるぐらいなら、俺が行って来るって。

 でも、俺が何か答える前に、香住ちゃんは海に向かって走り出した。

 何といっても、香住ちゃんの方が俺よりも運動能力が高いんだよね。だからなのか、俺が彼女を止める前に、膝まで海へと入り込んでいた。

 その時だ。

 彼女の足元から、何かがずぼっと飛び出したのは。

「ひゃああああああっ!!」

 突然のことに、悲鳴を上げながらその場で尻餅をつく香住ちゃん。周囲に水しぶきが飛び散るが、もちろん水着を着ているため濡れても特に問題はない。

 だけど……俺は気づいていなかった。この時、彼女にとんでもない問題が発生していたことに。

「うわはははははははははは! まさか、これぐらいで俺様に勝ったと思ってはいないだろうな!」

 海から飛び出してきたのは、ロクホプだった。ペンギンだけあって、思ったよりも長く海に潜っていられるようだ。特に怪我をしている様子もない。

 だけど。

「え?」

「あ?」

「え? えええええええええええっ!?」

 俺たちは思わずロクホプを凝視した。いや、香住ちゃんだけは悲鳴を上げて両腕で胸部を隠すようにしながら俺たちに背中を向けた。まあ、その気持ちは分からなくはない。

 なぜなら。

 ロクホプの頭に、見覚えのある水着のトップスが引っかかっていたから。ロクホプ自身はそのことに気づいていないようだ。

 ロクホプが海から飛び出した時に、やつの頭に水着が引っかかっちゃったんだね。

 そう。ロクホプの頭に引っかかっている水着は、香住ちゃんのものだ。つまり今の香住ちゃんは……皆まで言わなくても分かるな?

 ちなみに、俺はしっかりと香住ちゃんのシークレットでデンジャーでセクシーなゾーンを見ていた。一瞬だったけど、確かに見えた。

 神様、最大限の感謝をあなたに。

「ふははははは! 今更ながらに、俺様の偉大さに気づいたようだ! だからといって、手加減はしないから覚悟するがいい!」

 いや、おまえ、全然違うから。可愛いと思ったことはあるけど、偉大だなんて思ったことはないから。もちろん、俺がこいつに感じる可愛さは、小動物的な可愛さだ。

 ロクホプは腰から剣を抜いて構える。

 その時、ぷらんと頭にひっかかっていた香住ちゃんの水着が、奴の目の前にぶら下がった。

「ん? なんだ、これは?」

 ロクホプが頭に引っかかっていた水着を取り、しげしげと眺める。

「ふむ……これが何かは分からんが、なかなか上等な布のようだ。しかも、色合いもなかなかに鮮やかではないか」

 ふっと笑みを浮かべたロクホプ。奴は香住ちゃんの水着をくるりと頭に巻き付けた。

「ふははははは! この鮮やかな布を巻いたことで、俺様の男ぶりが数段増したことだろう! まあ、元々俺様は国中の女性たちからきゃーきゃー言われているがな!」

 と、ロクホプはドヤ顔を決めた。

 いや、あのな? 水着のトップスを巻き付けて男ぶりって……変質度が増しただけじゃね?

 でもまあ、そこは人間とペンギンの差なのだろう。人間が奴と同じことをしたら完全に変質者だが、ペンギンがやるとどことなく許せる雰囲気になってしまうわけで。実際、今のロクホプの絵面は結構可愛いし。

「ひ、人の水着を頭に巻かないでええええええええええええええっ!!」

 一方、顔だけを俺たちの方に向けながら、香住ちゃんが悲痛な叫び声を上げていた。

 先ほどまで自分の胸元を覆っていた布が他人の、それも男性──この場合オスと呼ぶべきか?──の頭に巻かれているのだから、彼女が叫びたくなるのも理解できる。

「うるさいぞ、ニンゲン! この布も俺様の頭を飾れることに喜びを感じているに違いないだろう!」

 香住ちゃんへそう言い放ったロクホプが、改めて俺へと向き直って剣を構えた。

「さあ、今日こそは貴様を倒して、ニンゲンが持つには不釣り合いな美しいその剣を我が物としてやろう」



「やはりカスミは侮れませんね。あのような手段でシゲキ様の気を引くとは……こうなったら、わたくしも負けてはいられません」

 背後からぶつぶつと何やら場違いな呟きが聞こえてくるけど、あえて無視してロクホプへと注意を向ける。

 そのロクホプは、構えた剣先をゆらゆらと揺らしている。おそらくは挑発のつもりなのだろうが、そんな安い挑発に乗るほど聖剣先生は甘くはないぜ?

「行くぞ、ニンゲン! 我が剣の冴え、その身で受け止めるがいい!」

 気合一閃、ロクホプが剣を横に薙ぐ。

 だけど。

 だけど、相変わらずこいつの剣速はかなり遅い。どれくらい遅いかというと、割と本気で真剣白刃取りだってできるんじゃないかなーって思っちゃうレベル。それぐらい遅いんだ。実際、香住ちゃんぐらいのレベルなら、本当に真剣白刃取りできるんじゃね?

 なので、俺は余裕を持って──聖剣に操ってもらうまでもなく──数歩後退し、ロクホプの剣を回避した。

「く……っ!! やはり貴様は侮れんなっ!! 我が秘剣『水鳥返し』を避けるとはっ!!」

 え? い、今の秘剣とか奥義とか、それっぽいものだったの?

 ところでどうでもいいけど、ペンギンが使う秘剣が「水鳥返し」って……一応、ペンギンだって水鳥の仲間だよね? なのにそのネーミングってどうなの? それとも、ペンギンが使う秘剣だから「水鳥返し」なのか?

「やはり、貴様には──生涯の好敵手と認めた貴様には、我が最終奥義を繰り出すしかないようだな……」

 と、ロクホプが剣道でいうところの脇構えに剣を構えた。

 体勢はやや前傾姿勢。その構えと姿勢からして、一気に間合いを詰めてからの逆袈裟での攻撃だろうか?

 ところで、一体いつの間に俺はあいつの生涯の好敵手に認められたんだ?

「覚悟せよ、ニンゲン! いや、我が生涯の好敵手よ! 最終奥義…………『群雲落とし』っ!!」

 先ほど以上の気合を込めて、ロクホプが砂浜を蹴った。

 一気に詰まる彼我の距離。今まで見てきた中でも、最も速い速度でロクホプが間合いを詰めた。最終奥義とやらは伊達ではないようだ。

 そしてそこから繰り出されるのは、予想通りに逆袈裟の斬り上げ。

 うん、だけどさ。

 確かに今の踏み込みは結構速かった。それでも、それはあくまでも「今まで」でしかないわけで。

 俺からしてみれば……いや、俺じゃなくてもこの海洋世界以外の人間からしてみれば、その速度は決して速いとは言えないだろう。

 ロクホプが剣を振り上げる直前、俺は一歩横へとずれて奴の攻撃をあっさりと躱す。

「な、何だとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

 「群雲落とし」とかいう最終奥義を回避されたロクホプが驚愕の表情を浮かべながら──勢い余って砂浜へ頭からダイブする。

 そしてそのまま、頭を砂に突っ込んで動かなくなる。

 いやー、水の中ならぬ砂の中で、いわゆる「八つ○村の体勢」を見ることになろうとは。世の中何が起こるか本当に分からないものだよね。

 ところで、今の攻撃のどこらへんが「群雲落とし」なのだろう? 頭から砂に突っ込んだロクホプより、そっちの方が気になって仕方がない俺でした。




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