蜘蛛だって空を飛びます




 実を言えば、蜘蛛が空を飛ぶことは珍しくはない。

 お尻から長く糸を引き出し、その糸を凧のようにして風に乗って空を飛ぶんだ。これをバルーニングと言うらしい。

 風まかせ運まかせの飛行だが、それでも数百キロも移動することもあるのだとか。

 最近の研究だと、風がほとんどなくても蜘蛛は空を飛べるらしい。蜘蛛のお尻にある出糸管は数百にも及ぶらしく、蜘蛛が一度に出す糸は一本ではないんだって。

 で、複数出した糸の間に微弱な静電気を発生させ、空中電場を利用して飛ぶことも分かってきたらしいんだな、これが。

 なお、空中電場とはなんぞや? と言うと、地球規模の電気の流れにより常に維持されている大気中の電場、とのこと。正直、よく理解できんのだけどね、俺には。

 とにかく、空中には電気の流れがあって、その流れに蜘蛛は乗ることができる、と理解すればいいと思う。多分。

 そして、大体予想できると思うけど、蜘蛛が飛べるのは小さな子供の時だけ。電場に乗るにしろ風に乗るにしろ、比較的体の大きな成体の蜘蛛が飛ぶのは難しい。

 だから、主にバルーニングをするのは生まれて間もない子蜘蛛たち。その理由は、生活圏を広げるためだと言われている。

 同じ母蜘蛛から生まれた子蜘蛛たちが、狭い範囲で生きていくことは難しい。蜘蛛は一度に大量の卵を産むので、狭い範囲に留まったままだと餌が不足するなどの理由から生き延びることができなくなる。

 広範囲に棲息圏を広げることで、生存率を上げようという本能なのだろうね。だから、蜘蛛たちはバルーニングをするのだ。

 もちろん、最初の飛行が最後の飛行になる可能性は極めて高い。空中で外敵に捕食されたり、生きていけない環境に着地したりする場合も多いからだ。

 それでも蜘蛛がバルーニングをするのは、生きていくための本能なのだろう。うん、自然は厳しいということだ。

 余談だが、昔のヨーロッパではこのバルーニング時の蜘蛛の糸を、「エンゼルヘアー」と呼んだのだとか。

 蜘蛛が糸を伸ばして飛ぶということが知られていなかった時代なので、空中を漂う蜘蛛糸を抜け落ちた天使の髪の毛だと考えていたらしい。それで、「エンゼルヘアー」と呼んだというわけだ。



 さて。

 今、俺たちの頭上を飛んでいる蜘蛛は、決して子蜘蛛ではないと思う。

 空中ゆえに周りに比較物がなく、距離感も掴みづらいために具体的な大きさはわかりづらいのだが、相当大きいのでないだろうか。

 あれで子蜘蛛だとしたら、大人の蜘蛛はどれだけの大きさになるのやら。うん、それを考えるのは止めよう。

 ちらりと視線を動かせば、香住ちゃんとミレーニアさんもぽかんとした表情で空を見上げていた。

 先程まで波打ち際で互いに海水をかけあっていたけど、今は呆然としながら空を見上げている。

 だけど、すぐに異変に気づいて、俺の方へと駆け寄って来る。

「し、茂樹さん! あ、あれは一体何ですか?」

「この異世界では、あのような異様なものが空を飛ぶのですか?」

 あー、うん。俺に聞かれても答えようがないよ? でも、二人とも聞かずにはいられないのだろう。

「俺には……蜘蛛に見えるけど、その正体までは……」

「や、やっぱり、あれは蜘蛛なんですかね?」

「少なくとも、シゲキ様やカスミの住む世界の蜘蛛の姿をしていますね」

 聞けば、ミレーニアさんの住む「小世界」にも、蜘蛛はいるけど、多少は姿形が違うらしい。

 彼女の世界の蜘蛛は、総じて魔物扱いなのだそうな。で、その姿は俺たちがよく知るところの「アラクネ」だ。

 人間の上半身に蜘蛛の下半身がくっついているあれだね。大きさは上半身の人の部分がほぼ人間と同じサイズらしいから、その下半身がいかに巨大かは推して知るべし。

 動物や他の魔物を襲って食べる肉食の恐ろしい魔物で、もちろん人間が襲われることもあるそうだ。

 だからミレーニアさんにしてみれば、今、俺たちの頭上を飛んでいる蜘蛛はサイズこそ違和感がないものの形としては少し変、といったところなのだろう。

「あ、あの蜘蛛……襲いかかってきたりするのでしょうか……?」

「分からないけど、その可能性はあるな……聖剣!」

 今、聖剣は俺の手元にはない。なんせ、砂浜にビーチパラソルやらを設置していたところだったから。

 で、その聖剣はといえば、今はビーチパラソルの下だ。俺たちがいる場所からは、少しだけど距離がある。なお、香住ちゃんとミレーニアさんの剣も、聖剣と一緒だ。

 そして、俺は聖剣に呼びかけながら右手を聖剣が置いてある方へと伸ばす。

 それと同時に、他の荷物たちと一緒に置かれていた聖剣の姿がかき消えた。もちろん、香住ちゃんたちの剣も一緒にだ。

 次の瞬間、剣たちはそれぞれの持ち主の手の中に現れた。

 以前、店長の家で見たように俺の聖剣には転移能力がある。で、そのことを俺が知ってからというもの、聖剣もその能力を隠すようなことをしなくなった。

 今のように俺が呼べば、聖剣はどこからでも俺の手の中へと現れる。つまり、これでいつ何に襲われても、俺は聖剣を召喚できるわけだ。

 でも、どうして聖剣はその力を俺に隠していたのかな? やっぱり、聖剣が照れ屋さんだからかな?

 それはともかくとして、俺たちの手の中にそれぞれの剣が現れた。香住ちゃんとミレーニアさんが手にする剣も聖剣と同じ姿になって。

 俺たちは剣を構えながら、頭上をゆっくりと通り過ぎようとする白い蜘蛛を改めて見上げた。



「シゲキ様、あの蜘蛛ですけど……段々とこちらへと近づいてきていませんか?」

 警戒心を声に滲ませながら、ミレーニアさんが問う。

 確かに、彼女が言うように蜘蛛の高度が下がって来ているっぽい。そして、その進行方向が俺たちへと向けられているようだ。

 空飛ぶ白い蜘蛛は一体だけ。しかし、空飛ぶ白いクジラなら聞いたことあったけど、まさか白い蜘蛛が空を悠々と飛ぶ姿を見ることになるとは……さすがは異世界としか言いようがないね。

 そして、その蜘蛛が徐々に高度を下げ、俺たちとの距離をそれなりに詰めた時。

 白い蜘蛛からどこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「おい、そこのニンゲンどもっ!! ここは貴様たち薄汚いニンゲンが足を踏み入れて良い場所ではないっ!! そんなことも分からないとは、やはりニンゲンとはどこまでも愚かな生き物ということか!」

 あー、うん。やっぱり、この声とこの喋り方には聞き覚えがあるね。ってか、この「小世界」で聞き覚えのある声や喋り方って、ほとんど限られているけどさ。

 と、俺が内心で溜め息を吐いている間も、蜘蛛から響く声は続いていた。

「ふ、愚鈍なニンゲンどもめが。我がペンギーナル帝国が誇る空中戦力、白き飛竜の偉容を目の当たりにして声もないようだな!」

 え、えっと……何かもうね、いろいろあり過ぎてどこから突っ込んだものやら。

「しかも、体を覆う下品な衣さえほとんど纏えぬほどの貧相ぶり……そもそも、なぜに衣などというものを着たがるのか、我ら高尚なるペンギーナ族には理解できないがな!」

 そうだね。ペンギンは服着ないものね……って、前にもこんなやり取りをしたような気がするぞ。

「はーっはっはっはっはっはっはっはっ!! ペンギーナル帝国最強騎士である、このロクホプ・ペンペー様を前にして、愚かなニンゲンどもは声も出せないほど委縮しているか! まあ、分からぬでもないがな……………………ん?」

 徐々に高度を落とした空飛ぶ白い蜘蛛の上、見覚えのあるイワトビペンギン……じゃなくて、イワトビペンギンっぽいペンギーナ族がいるのが見えた。

 近づいたことで見えたものはうるさいペンギーナ族だけじゃない。この蜘蛛の上には鞍のようなものがあり、手綱のようなものもあるようだ。どうやら、この蜘蛛はペンギーナ族に飼い慣らされている馬に該当する騎獣なのだろう。

 そういや以前も、こいつはヤドカリに乗って現れたっけな。で、今度は蜘蛛に乗って現れたってわけか。しかも、先程はこの蜘蛛のことを飛竜とか言っていたし……この世界の飛龍って、蜘蛛の姿をしているのか。俺たちの感覚からすると、全く飛竜って感じがしないけどさ。

「き、貴様たちは………………以前出会った妙に強いニンゲンかっ!!」

 おや?

 どうやら、向こうも俺たちに気づいたようだぞ。



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