転移魔法理論




「あはははは、ごめん、ごめん。本気で茂樹さんに弁償してもらおうなんて思っていないから安心してよ」

 ぱたぱたと手を振りつつ、笑顔でそう言う勇人くん。

 そもそも、なぜにメモ帳を使ったのか? 今どき、連絡先の交換にメモ帳を使わなくてもいいだろうに。おそらくだけど、勇人くんの悪戯というか悪ふざけなのだろう。

 ちなみにメモ帳に関して、店長は笑って許してくれた。何でも、勇人くんが使ったメモ帳は定期購読している新聞屋さんが置いていったサービス品なんだって。

 いくら店長でも、何でもかんでも高級品を使っているわけじゃないそうだ。うん、そりゃ当然だよね。

 お金持ちは何でも高級品を使っている、というのは俺の勝手な妄想みたいだね。

 それはともかく、次の目的地はグルググたちのいる地底世界。

 問題は、地底世界に行くまでに聖剣の強化が間に合うかどうかだよね。店長のことだから、きっと間に合わせてくれるだろう。

「それより、次に行こうっていう地底世界はどんな所なの?」

 という勇人くんの質問に、俺は順を追って説明していく。

 巨大なダンゴムシに似た「人類」が築き上げた文明。その社会形態はアリやハチのような群体で、女王を頂点とした階級社会で成り立っていること。

 また、その世界の「人類」であるグルググたちは、考えることを最も尊ぶとても穏やかな者たちであること、などなど。

 一度訪れている香住ちゃんに手伝ってもらいながら、俺は地底世界のことを勇人くんとミレーニアさんに説明していく。

「へえ、巨大なダンゴムシに似た『人類』かぁ。さすがに、爺ちゃんたちが住んでいる世界の、鎧竜よろいりゅうほどは大きくないだろうなぁ」

 勇人くんによると、彼のお爺さんたちが暮らす「小世界」には、竜種と呼ばれる巨大な生物がいるという。

 ただ、その世界の竜たちの姿は、俺たちがよく想像するような「ドラゴン」ではなく、何と様々な巨大昆虫なのだとか。

 いや、昆虫ってただでさえ驚異的な能力を有しているのに、それが巨大って……それ、絶対にアカン奴じゃない?

 で、勇人くんの言う鎧竜とは、巨大なダンゴムシの姿をしているという。いや、鎧竜は水中にも適応しているらしいから、グソクムシやダイオウグソクムシと呼ぶ方が正しいかもしれないね。

 その大きさは明らかにグルググ以上。グルググのように平和的な種族ではなく、何でも食い荒らす危険な生物らしい。

「まあ、確かに危険な竜種だけど、おれとか爺ちゃん婆ちゃんとかなら結構簡単に倒せるよ?」

 え、えっと……そんな化け物を簡単に倒せるっていう、勇人くんとそのお爺さんお婆さんって一体……やはり、彼らはただ者ではないということなのだろう。

「あ、あの……一つ質問してもよろしいでしょうか?」

 俺たちの話を聞いていたミレーニアさんが、ちょっと控えめに手を上げながら質問してきた。

「シゲキ様がおっしゃっている、『ダンゴムシ』とやらは、一体どのような生物なのでしょうか?」

 あ、あー……そうか。アルファロ王国のある「小世界」には、ダンゴムシやそれに類似するような生き物はいないのか。

 異世界だし、そういうこともあるだろうね。

 なお、スマホを使ってダンゴムシの画像を検索し、それをミレーニアさんに見せた結果……彼女、すげー嫌そうな顔をしていた。

 どうやらミレーニアさん、昆虫の類はちょっぴり苦手のようだ。



 数日後。

 店長から聖剣の強化が終わったという連絡があった。

 よしよし、これで問題なく週末に異世界へ行けるね。

「──つまり、世界を渡る経験をすると転移系統の魔法に目覚める、というのが『あいつ』の自論なんだよね。で、実際に俺の爺ちゃんや伯父さん、母さんは転移を経験することで異世界へ渡る魔力を身につけた。もちろん、俺とフロウもね」

 今、俺は勇人くんと俺の部屋で話をしている。

 先程、時間ができたとかでふらっと遊びにきたんだよね、彼。

 で、彼の家族に関する話をしているわけ。

「そうすると……俺や香住ちゃん、ミレーニアさんも異世界転移の魔法が使えるようになったり?」

「んー……悪いけど、茂樹さんたちには無理かなぁ」

 今この場にいるのは俺と勇人くんだけ。今日、香住ちゃんは部活で、ミレーニアさんはバイトだ。最近、ミレーニアさんは正式に店長の店でバイトを始めた。

 当然、バイトの男性陣はすっげぇ浮ついていた。あれだけノーブルな雰囲気の金髪美人が同僚になれば、男であれば誰だって浮つくってものだ。

 だけど、期待に満ちた視線はすぐに怨嗟のこもったものに変わった。なぜなら、ミレーニアさんが俺ととっても親しく接するからだ。

 バイト仲間たちは、既に俺と香住ちゃんが正式に付き合っていることを知っている。パートのおばちゃんたちから、あっという間に広まったからね。

 で、彼女持ちの俺がとびきり美人な新人と親しそうにしていれば……これ以上、言わなくても分かるよな?

 そんなわけで最近バイト仲間たちからの視線が厳しいが……まあ、そこは仕方ない。もしも俺があいつらの立場なら、間違いなく同じことをしただろうし。

 それはさておき。

 勇人くんによると、異世界転移を経験した人間は、確かに転移系統の魔法に目覚める場合があるらしい。勇人くんの言う「あいつ」──店長のご先祖様も、そうそう何人も異世界に転移した人間を知っているわけじゃないらしく、まだその説を実証はできていないそうなんだ。

 で、実際に異世界転移を経験した俺たちだが、自力で転移魔法に目覚めることは難しい、と勇人くんは言う。

「香住お姉さんもミレーニアお姉さんも、全く魔力がないからね。転移魔法に目覚める確率は限りなくゼロに近いんだよ。で、茂樹さんは魔力ならあるけど……」

 「世界の基点」らしい俺は、ちょっと信じられないくらいの魔力があるそうだ。だけど、俺には魔法を使う才能とか能力とかいったものが一切ないとのこと。

 つまり、いくら燃料のガソリンが大量にあっても、エンジンのない自動車は走ることはできない。

 ちなみに、香住ちゃんとミレーニアさんは、エンジンもガソリンもないパターン。まあ、要するに俺たちが自力で転移魔法に目覚めることは無理ってことらしい。

「じゃあ、俺が聖剣の力で店長を異世界へ連れていけば、店長も異世界転移ができるようになる?」

「多分ね。でも茉莉花さんって、普通の転移はできるから異世界転移もそのうち会得すると思うよ。そもそも自力でその力に目覚めろっていうのが、『あいつ』の狙いだろうからさ」

 じゃあ、俺が店長を異世界へ連れて行くのはナシか。店長の師匠であるご先祖様には、ご先祖様なりの狙いや目的があるだろうし、それを俺が邪魔しちゃ駄目だよね。

「で、勇人くん?」

「ん? 何かな、茂樹さん?」

 俺が意味ありげに彼を見つめれば、勇人くんはわざとらしく視線を逸らした。

「きみがここに来た理由って、転移魔法に関する理論を披露しに来ただけじゃないよね?」

「あははははは…………バレてた?」

 そう言う勇人くんの手に、突然数冊のノートやドリルが現れる。

「週末に異世界へ行く時間を作るために……夏休みの宿題、手伝ってくれない?」

 うん、そんなことだろうと思ったよ。



 結局、夕方まで俺は勇人くんの宿題を手伝った。

 勇人くん、別に頭は悪くない。というより、かなり成績はいいと思う。小学生とは思えないほどいろいろな知識を持っているし、教えることはほとんどなかったんだ。

 きっと、こういうのを地頭がいいって言うのだろうね。

 だけど、面倒なことや嫌なことは先送りにするタイプらしく、夏休みも終盤の今日までほとんど宿題には手をつけていなかったらしい。

「いやー、ありがとうね、茂樹さん。おかげで助かったよ」

「教えることなんてほとんどなかったけど、夏休みの宿題はこつこつやっておかないと駄目だよ? それに自分でやらないと意味ないしね」

「はい、以後は気をつけますです」

 残りの宿題は自力で片付けるという勇人くん。

「あとは……母さんになんて言って出かけるかだなぁ。爺ちゃんのところに行くって言っても、きっとすぐにバレるだろうし……」

「そういや、勇人くん。この前、お爺さんの武器を勝手に持ち出したみたいだけど、怒られたりしなかった?」

 俺は彼の右手を見ながら尋ねた。当然ながら、今日は例の「アマリリス」とかいう武器は持っていない。

「あ、あー……あれね。い、いやー、さすがはおれの爺ちゃん、しっかりと俺が勝手に持ち出したことに気づいててさー」

 で、怒られたと。

 きっとあの「アマリリス」とかいう武器、お爺さんの大切なものだろうし、それを勝手に持ち出したら怒られても仕方ないよね。

「でもまあ、理由あってのことなのは爺ちゃんも分かっていたみたいだし、それほど酷くは怒られなかったよ」

 そっか。なら良かった。勇人くんが自分でしでかしたこととはいえ、俺たちに助力するためにやったことだし、あまり酷く怒られていたなら……と気になっていたんだよね。

 さあ、これで憂いなく、週末は地底世界へ行けるというものだね!



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