「害虫」の進化



 左右から走り込んだ香住ちゃんとミレーニアさんが、交差しつつ聖剣を振るう。

 しゅばっと勢いよく振られた二振りの聖剣が、確かに巨大なイモムシの体を斬り裂いた。

 これが普通の生き物であれば、勢いよく血なり体液なりが噴き出すのだろうが、イモムシの体からは何も噴き出さない。それだけ見ても、このイモムシが普通の生き物ではないことがよく分かる。

 だが、イモムシの巨躯には確かに二条の裂傷が刻まれた。そして、それはイモムシにとって無視できないダメージだったようだ。

 声なき声を上げるように身を捩り、苦し気にその体を蠕動させる黒いイモムシ。

 と、そんなことを考えながらイモムシを観察していた俺の体が、突然そのイモムシに向かって突進した。

 もちろん、俺の体を操っているのはあいぼうだ。その聖剣をやや下段に構えつつ、俺はイモムシに肉薄する。

 そして、下方から掬い上げるような一閃。聖剣を握る俺の手に、何と表現したらいいか迷う手応えが伝わってきた。

 ぐにゃぅ? ぐなぁぅ? ぐちゃぅ? うん、強引に音にすると、大体こんな感じ。

 こんな手応えは初めてなので、言葉では表現しにくいな。

 それはともかく、俺の聖剣はイモムシの体を深々と斬り裂いた。普通の生き物であれば、間違いなく致命傷なのだが、このイモムシにはどうだか全く不明だ。

 だからだろう。俺は再び聖剣を構えていた。その俺の所に、香住ちゃんとミレーニアさんも戻ってくる。

「茂樹さん、今ので倒せましたか?」

「いや、正直全く分からない。だからまだ油断しちゃ駄目だ」

 俺の返答に、香住ちゃんは小さく頷いた。彼女の手の中にある聖剣も、全く油断していないようだから、俺が言うまでもないだろうけど。

「し、シゲキ様……や、やはり、突然体が動き出すとびっくりしますね……」

 ちょっと動いただけなのに、既に肩で息をしているミレーニアさん。うん、彼女はもっと体力をつけた方がいいかも。

 そんなミレーニアさんも、聖剣だけはしっかりと構えている。聖剣先生の辞書には油断という言葉は載っていないのだろう、きっと。

 一方のイモムシはというと、今も尚ぶるぶると蠕動を続けている。

 こちらに攻撃を仕掛けてくる様子は見受けられないけど、俺たちの攻撃が結構効いたのかな?

 それなら、追撃を行うチャンスじゃないかと俺は思うのだが……聖剣が動かないところを見ると、そうではないのだろう。

 実際、聖剣はその切っ先をぴたりとイモムシに向けて動かない。これ、相当イモムシを警戒しているようだ。

 そして、聖剣の警戒は間違いじゃなかった。

 なぜなら、突然「声」が聞こえてきたのだから。



「やれやれ。予想以上にやってくれたね、『セカイノタマゴ』。まさか、ここまで力を得ているとは思いもしなかったよ」

 え、えっと………………だ、誰? 今喋ったのは誰?

 思わず周囲をきょろきょろと見回す。だが、ここには俺と香住ちゃんとミレーニアさん、そして、少し離れた所にフィーンさんとボンさんがいるだけだ。

「茂樹さん? どうかしたんですか?」

「突然きょろきょろと周囲を見回して……何かありましたか?」

 きょとんとした顔で俺を見つめる香住ちゃんとミレーニアさん。

 え?

 あれ?

 も、もしかして?

「ふ、二人には今の声が聞こえなかったのか?」

「声、ですか?」

「わたくしには何も聞こえませんでしたわ」

 や、やっぱりか! 先ほど聞こえてきた謎の声は、俺にしか聞こえていないみたいだ。

 そ、そういや以前も似たようなことがあったよな。「害虫」どもがイモムシのような形を取れるようになる前、まだ黒い霧のような状態だった時にも、あいつらの声は俺にしか聞こえていなかった。

 ってことは、よ?

 思わず、俺はいまだに蠕動を続けるイモムシを見た。

 その時だ。

 イモムシが突然蠕動を止めたのは。

 そして、イモムシの巨体に一条の亀裂が入った。そりゃあもう、ぴしって音がはっきりと聞こえたよ。

 そして。

 そして、その亀裂が徐々に広がっていく。

 それはまるで、蝶が蛹から成虫へと羽化するかのように。

 イモムシの体に走った亀裂がどんどんと広がり、その中からソレがずるりと姿を現した。

「やあ、『セカイノタマゴ』とその宿り木たる『セカイノキテン』。こうして直接言葉を交えるのは初めてだね」

 イモムシの中から出てきたのは、一人の人間。いや、人間そっくりの姿をした「ナニカ」だった。

 でも、最大の問題はそこじゃないと思う。

 俺が、香住ちゃんが、ミレーニアさんが、フィーンさんが、ボンさんが。

 全員が全員、その顔に驚愕を張り付けてイモムシの中から現れた「ナニカ」を凝視する。

 なぜなら。

 イモムシの中から現れたのは、間違いなく「俺」だったのだから。



「とりあえず、現界するために手近にあった『セカイノキテン』の姿を写させてもらったが……ふむ、まあまあというところかな?」

 自分自身の体のあちこちを確認しながら、イモムシの中から現れた「俺」がそう言った。

 いや、確かにその姿は俺にそっくりだ。だが、俺とは明らかに違う点も存在する。

 例えば、「俺」の肌は褐色で、髪の色は白。そして、人間なら白目に当たる場所が黒く、黒目に当たる場所が白い。

 大雑把に言えば、俺とはポジネガを逆さまにしたような姿をしているのだ。

 その黒い「俺」が、俺を見てにやりと笑う。

「やれやれ、ようやくここまで漕ぎつけたよ。あちこちの『小世界』で誰かさんが邪魔してくれなければ、もっと早くここまで来られただろうにね」

 え、えっと……?

 黒い「俺」の言うことはイマイチよく分からないが、イモムシ……いや、「害虫」たちが人型へと進化したということなのだろう、きっと。

 店長も奴らは進化すると言っていたし、その推測で間違いないと思う。

「し、茂樹……さん…………?」

「シゲキ様がお二人…………?」

 香住ちゃんとミレーニアさんは、目を見開いて俺と「俺」を何度も見比べていた。

 その気持ちはよく分かる。俺だって、状況が許せばもっと「俺」をよく見たいって思うから。

 ちなみに、「俺」はしっかりと服を着ている。とはいえ、あれは服というより「俺」の体の一部が変化しているのだと思う。いやまあ、単なる勘だけど。

「そこの『セカイノタマゴ』の複製を持った彼女たちは……もしかして、『セカイノキテン』の恋人たちかな?」

 いや、それはちょっと違うぞ。恋人なのは香住ちゃんだけで、ミレーニアさんは単なる友人だ。

 とはいえ、何となくミレーニアさんからプレッシャーのようなものを感じるので、それを言葉にすることはしないけど。

「安心していいよ、彼女たち。この姿はただ単に一番手近にいた『セカイノキテン』を写し取っただけで、中身は全くの別モノさ。ぶっちゃけると、オレだってできればもっとイケメンの姿を写したかったんだけどね」

 ほっとけ! どうせ俺はイケメンじゃないよ! 俺だって、できれば福太郎さんのような爽やか系のイケメンに生まれてきたかったさ!

 黒い「俺」が勝手なことを言う。だけど、香住ちゃんとミレーニアさんはきょとんとするばかりだ。

「ああ、そうか、そうか。オレの声は正当な『セカイノタマゴ』の契約者である『セカイノキテン』にしか聞こえないんだっけ」

 あははー、とどこか能天気に笑う黒い「俺」。

 奴が言うように、やはり「俺」の声が聞こえるのは俺だけのようだ。

 ん? 今、手の中の聖剣がちょっと震えたぞ? ああ、おまえにも聞こえていると自己主張したんだな。

「オレたちの声は、普通の人間には聞こえないからね。それこそ、世界を世界として固定する『セカイノキテン』や、世界そのものである『セカイノタマゴ』といった、特殊な能力を持つ者だけがオレたちの声が聞こえるのさ。ああ、ちょっと特殊な才能を持った者も、オレたちの声が聞こえるようだね」

 これは後で香住ちゃんとミレーニアさんに教えてもらったのだが、彼女たちには「俺」がしゃべっていることは分かっても、「きーん」とか「ぶーん」とかいった耳鳴りのような音にしか聞こえなかったそうだ。

 だから「俺が」言うように、奴らの声は誰にでも聞こえるというものではないらしい。

「さて、前置きはこれぐらいにして……」

 「俺」の目がすぅと細められ、その口角がきゅっと吊り上がる。

「そろそろ本題に入ろうじゃないか」



「本題……だと?」

「そう、本題さ。今日はキミたち……『セカイノタマゴ』と『セカイノキテン』にちょっとした提案を持って来たのさ。もっとも、このスガタに進化することで、ようやく提案することができるようになったんだけどね」

 両手を左右に広げながら、自分自身を見せつけるようにする「俺」。しかし提案だと? 一体、何を言い出すつもりなんだ?

「単刀直入に言おう。キミたち……我々と組むつもりはないかい?」

「おまえらと組むだと……?」

「そう、オレたちとキミたちが組めば、もうこの周辺の世界群……えっと、確かキミたちは『小世界』とか呼んでいるよね? この周辺に散らばっているその『小世界』に、オレたちと争えるような存在はいなくなる。もちろん、キミたちにも相応のメリットを提供しよう」

 要するに、だ。こいつは俺や聖剣と同盟とか不戦条約のようなものを結びたいというわけか?

 俺は「俺」から目を離すことなく、頭の中であれこれ必死に考える。

「ああ、もちろん、そちらにいるキミの恋人たちにも手を出さないことを約束しよう。何なら、恋人たちだけじゃなくキミの家族とか友人たちとかにも不干渉を貫くことを約束してもいい。おっと、勘違いしないでくれよ? 今の提案はおまけであって、キミたちに提供するメリットはもっと別のものだから」

 「俺」はにちゃぁと粘つくような嫌らしい笑みを浮かべる。

「本来、オレたちが創造するセカイには、キミたちが生きていくことはできない。だが、そんなオレたちが創り出すセカイでも、キミとキミが認めた者たちだけは生きていけるように取り計らおう。更には、オレたちのセカイの一部をキミに割譲する。そのセカイでキミはキミが望むようなセカイを創ればいい。恋人たちと毎日甘い生活を送るもよし、波乱万丈に満ちた冒険を楽しむのもよし。そのセカイにおいて、全てはキミの思うがままだ。どうだい? 悪くない提案だろう?」

 な、なんてことだ。

 まさか、「害虫」たちからこんな提案を受けるなんて思いもしなった。

 こんな……あまりにもこんな……

「ばぁか! そんなありきたりでテンプレに満ち満ちた提案、受ける奴がいるかよ?」

 ホント、こいつは馬鹿じゃないのか? 「世界の半分をやろう」とかいいながら、本当にくれる奴なんているわけがないだろう?

 そんな使い古されて手垢にまみれた話、誰が受けるものかってんだ。



 でも、恋人と甘い生活──断じて、「恋人」ではない──を送るという部分にちょっとだけ心が揺れたのはここだけの秘密だよ?


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