ムシとの遭遇



 「蟲」もしくは「害虫」と俺や店長が呼んでいる存在。

 以前に下水道で遭遇した〈ビッグフット〉は、そいつらが憑依していた。

 とはいえ、そのことをセルシオくんに話すわけにはいかない。いや、話したとしても信じてもらえないだろう。

 それぐらい、あの「害虫」たちは常識から外れた存在なのだから。

 「害虫」がまた、俺たちに……というか、俺の聖剣に何かちょっかいをかけてくるかもしれない。

 一応、店長が作ってくれたペンダントはあるが、それだって絶対的なものじゃないそうだし、警戒しておくに越したことはないだろう。

 そういや店長で思い出したけど、何でも知り合いに「害虫」関係の協力をお願いしたとか言っていたっけ。

 ってことは、その知り合いって店長と同じ魔術師ってことだよね。どんな人なんだろうか。いつか会ってみたいものである。

 それはさておき。

 俺たちは今、下水道の中にいる。前回入った場所から再びこの地下の世界に足を踏み入れたわけだ。

 先頭はマーク。その次に俺と香住ちゃんが続き、隊列の真ん中に隊長であるセレナさんと、今回の依頼者クライアントであるセルシオくん。彼の傍にはミレーニアさんもいる。

 その後ろにも《銀の弾丸》の隊員たちが二人いて、背後を警戒しながら下水道を進む。

 ちなみに、今回の依頼は正式な依頼として扱われているらしい。つまり、セルシオくんは正規の報酬を支払って《銀の弾丸》の隊員たちを雇ったってわけだ。

 決して、親戚だから無償で動いたわけではないらしい。ブレビスさん、さすがはプロの傭兵だ。まあ、親戚ってことで多少の割引はあったのかもしれないけど、そこは俺には分からないことである。

 前回同様、暗視ゴーグルと防毒マスクを着用しながら、俺たちはゆっくりと進んでいく。

 照明を使わない理由は、もしも〈ブラムストーカー〉がいた場合、連中を引き寄せてしまうからだそうだ。〈ブラムストーカー〉は蚊の変異体だけあって、集光性があるそうなんだ。

「みんな、足元に気をつけてね。何か落ちていたらすぐに僕に知らせて欲しい」

「足元? 何か重要な手掛かりが落ちているってことかい?」

 俺がセルシオくんに訊ねれば、彼はこっくりと頷いた。

「特に注意して見つけて欲しいのは糞なんだよね」

 糞? つまり、変異体の排泄物ってこと? 下水道だけに排泄物はあれこれとあると思うけど。

 暗視ゴーグル越しにでも俺が不思議そうにしたことを感じたのだろう。セルシオくんは立てた人差し指をゆっくりと振って見せた。

「生き物の糞っていうのは、学術的に見た場合情報データの塊なんだぜ、シゲキ兄さん」

 単純に「糞」と言えばどうしても汚い物ってイメージがあるけど、生物学的に排泄物を調べることは重要なことだとセルシオくんは言う。

 排泄物からその生物の食性や行動範囲などが割り出せるらしい。排泄物に含まれているものからその生物が普段何を食べているか、どのように行動しているかが分かるそうなんだ。

 確かに排泄物を縄張りの目印にする動物もいることから、排泄物を調べるのは極めて重要なことなのだろう。

 人間だって、排泄物を調べることで病気の有無が分かる場合があるしね。たかが排泄物、されど排泄物。ただ単に「汚い」で済ませてしまっていいものではないんだね。

 だけどセルシオくん。ここで変異体の糞を探すのは難しくないかな?

 俺はそう思いながら、ゆっくりと周囲を見回す。色のない暗視ゴーグルの視界の中、所々でゆっくりと蠢いているものがあることに、俺は気づいていた。

「ああ、シゲキ兄さんが考えていることは分かるよ。確かに、下水道には掃除屋がいるからね」

 下水道のあちこちで蠢いているもの。それはブロブと呼ばれるスライム状の生物である。このブロブ、下水道を掃除させるために故意的にここに放されているのだと、前回聞かされている。

「ブロブが熱心に『掃除』すると、僕たちが探そうとしているものまで綺麗にされちゃうから、僕も〈ビッグフット〉の糞が簡単に見つかるとは思っていないよ。でも、もしかしたらってこともあり得るからね」

 確かに、掃除屋であるブロブだって、下水道を隅々まで「掃除」しているわけではない。当然、「掃除」し忘れることだってあるだろう。

「見つけたらラッキーぐらいの気持ちでいいんだ。でも、注意だけはしておいてね」

 依頼者クライアントであり、高名な生物学者でもあるセルシオくんの言葉に、俺たちは皆頷いたのだった。



 俺たちが下水道に潜って大体一時間が経過しただろうか。

 その間、下水道内で遭遇したのはブロブばかり。〈ビッグフット〉どころか〈ブラムストーカー〉にさえ遭遇しなかった。

 それはそれでいいことなのかもしれないが、反面、俺たちが探している変異体の手がかりもまた皆無なのだった。

「うーん……この下水道に生息しているブロブは、かなり仕事熱心のようだね。変異体の手がかりがここまで見つからないとは……」

 地面に這いつくばるようにして、何らかの手がかりを探していたセルシオくん。だけど、求めていたものは見つからなかったようで、ゆっくりと立ち上がりながら肩を竦めた。

 前回、俺たちが〈ブラムストーカー〉と〈ビッグフット〉と遭遇した場所は、とっくに通過している。そこでも特に変わったことはなく、そこから更に下水道の奥へと進んだのだが、これまで目立った手がかりはなし。

 セルシオくんだけではなく、セレナさんたち《銀の弾丸》のメンバー、そして俺たち──最近、俺は自分たちのことを密かに『聖剣チーム』と呼んでいる──も、代り映えのない下水道にやや辟易とし始めていた。

 人間の集中力ってそれほど長続きするものでもないから、こればかりは仕方ないと思う。どれだけ鍛え込んだ傭兵だって、人間には違いないのだから限界はどうしたって存在する。

 隊長であるセレナさんもそこは理解しているだろうから、そろそろ何らかのアクションを取ってくれると思うのだが。具体的には休憩とかね。

 そんなことを考えていた時だった。

 突然、俺の体が勝手に動き出したのは。

「シゲキっ!?」

 背後から聞こえる、驚いたようなセレナさんの声。

 いや、誰より驚いたのはきっと俺本人だろう。でも、改めて考えればいつものことであり、俺の中の驚きはすぐに治まった。

 だが。

 体が勝手に動き出した驚きは治まったものの、すぐに次の驚きで俺の中は一杯になる。

 なぜなら、勝手に動き出した俺の前方に、巨大な「ナニか」がいたのだから。

 暗い下水道内にわだかまった闇より尚黒い、「ナニか」。

 見た目は周囲で蠢いているブロブによく似ている。だが、その大きさがまるで違う。

 ブロブが大体50センチほどなのに対し、その「ナニか」は優に全長1メートルを超えている。体高だってブロブは足首ほどまでしかないのに、黒い「ナニか」は俺の腰ぐらいまでありそうだ。

 ブロブでもなければ、これまでこの「小世界」で俺が見てきた変異体でもない「ナニか」。

 だけど、俺にはその「ナニか」の正体に心当たりがあった。そして、その心当たりはおそらく間違っていないのだろう。

 だから、こうして俺の体は勝手に動いて──いや、聖剣があの「ナニか」に先制攻撃をしかける必要があると判断したのだ。

「茂樹さん!」

「し、シゲキ様っ!! きゅ、急に体が……っ!?」

 下水道内を疾走する俺の左右から声がする。もちろん、香住ちゃんとミレーニアさんだ。

 俺と並走する二人の少女たち。その手には俺と全く同じ聖剣が握られていた。

 これまでに何度も聖剣に操られてきた香住ちゃんは、特に疑問に思うことはないのだろう。だが、今回初めて聖剣に操られるミレーニアさんは、疾走しながらも目を白黒させているに違いない。もっとも、装着した暗視ゴーグルのせいでそれを目にすることはできないけど。

 並走していた俺たち三人。だが、香住ちゃんとミレーニアさんが突然その進路を変えた。

 ちらりと左右を見てみれば、黒い「ナニか」は一体じゃなかった。合計三体の「ナニか」が、闇の中に潜んでいたのだ。

 聖剣が明らかに敵視するこいつらは、間違いなく「害虫」どもが関係しているのだろう。

 その証拠に先ほどから俺の耳には……俺の耳だけには、奴らの声が聞こえている。


 ──ミツケタ ミツケタ!

 ──ヨウヤク ミツケタ!

 ──セカイノタマゴ ミツケタ!

 ──クサビ モ イル! クサビ モ ミツケタ!

 ──タマゴ モ クサビ モ タベテ シマエ! キシシっ!!


 連中が言う「クサビ」とは、間違いなく俺のことだろう。俺が世界を安定させる「基点」とかいう特殊な存在であることは、しっかりと連中にもバレているようだ。店長が言っていた通りだな。

 おそらくは音を耳で拾っているわけではなく、いわゆるテレパシーのようなものだと思われるが、不快な気分にさせられることに変わりはない。そんな連中の声を「聞き」ながら、俺は真ん中の一際大きな個体に向かう。

 右側の個体には香住ちゃん、そして、左側にはミレーニアさん。二人も手に聖剣を構えつつ、「害虫」へと斬りかかる。

 間近で見てようやく気付いたのだが、これってあれだ。ペンギン騎士のいる海洋世界で遭遇した、黒いイモムシがそのまま大きくなった奴だ。

 ってことは……とあることを思い出した瞬間、俺は宙を舞っていた。そして、その俺を追いかけるように下水道の床が爆ぜる。

 そう、これだ。あのイモムシ……「蟲」たちには見えない攻撃手段があるんだ。

 そして、もう一つ。こいつらには厄介な能力がある。

 空中で爆風に煽られながら、それでも何とか姿勢を制御する俺──じゃなくて聖剣。そのまま空中から眼下の黒いイモムシ目がけて急降下しつつ、両手で保持した聖剣を振り下ろした。

 振り下ろしに落下速度を乗せた、強烈な斬撃。だが、俺が振り下ろした聖剣の刃は、イモムシから少し離れた所で弾かれてしまう。

 見えない障壁。これもまた、このイモムシの能力だ。見えない攻撃と見えない防御。まさに攻防共に優れたイモムシ。

 こいつの撃破は、さすがの聖剣先生でもちょっと難しそうである。



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