閑話 魔術師



「しかし、マリカは本当にうまいことやったわよねぇ。『世界の卵』の《守役》だけではなく、『世界の基点』までも手中に収めるなんて。いくらあの御方の子孫だからと言って、ちょっと優遇されすぎじゃないかしら?」

 心地よいゆったりとした音楽が流れる、とあるバーの一角で。

 二人の女性が会話を交えながら酒精が満たされたグラスを傾けていた。

「人聞きが悪いことを言わないでくれるかな、シャーロット」

 手にしたグラスの中の氷が、からんと心地よい音を立てる。

「確かに《守役》はご先祖様から仰せつかった役目だが、『基点』は私のものというわけじゃない。彼は単にバイトで雇っているにすぎないよ」

「『世界の基点』をバイトで雇う……ねぇ。世界中の魔術師たちが聞いたら、絶対に卒倒する者が続出するわね」



 この世の中には、人類が知らないが数多く存在する。

 華やかな文明の影に隠れ、太古よりひっそりと受け継がれてきたモノ。

 世界の闇に潜み、大昔から生き続けているモノたち。

 もしくは、異なる世界からやって来た来訪者。

 それらの中には、人類とは絶対に相いれない危険なモノも存在するのだ。

 そして、そのようなモノと相対し、人類を陰から支えてきた者たちもまた、世界の影に隠れながら存在し続けてきた。

 魔術師、霊能力者、祈祷師、陰陽師、異能者、超能力者など、その呼び名は国や地域、時代によって様々だが、その本質は同じである。

 つまり。

 異能の力を操る者たち。

 そして今、とまる町のとあるバーの片隅でグラスを傾けている二人の女性こそが、現代に生きる魔術師なのである。



「ふぅん……じゃあ、彼を……『世界の基点』を私が引き抜いても構わないわよね?」

 シャーロットと呼ばれた長い金髪の三十代前半ほどの女性が、意味ありげな笑みを浮かべて茉莉花に問う。

「確か彼……まだ学生だったわよね。なら、卒業後にわが社に正式にスカウトしましょうか。私の秘書待遇で」

「世界規模で事業展開している君の会社でいきなり秘書待遇? それはまた、随分と彼を評価したものだね」

 世界を股にかけて展開する、とある超大手商社。その商社の経営者こそがシャーロットという魔術師の表向きの顔なのである。

「だって、『世界の基点』よ? それぐらい優遇して当然でしょう? 彼を身近におけば、この世界でも魔力に困ることはないもの」

 この世界には人類が繁栄する陰で、怪異や物の怪、妖怪、妖魔、魔獣などと呼ばれるものが存在している。それらは世界中の伝承や伝説の中に現われており、同時に、現代でもひっそりと実在し続けており、それらの怪異は人類に対して無関心なモノがほとんどだが、中には人類に対して敵対的な行動を取るモノもいる。

 彼らが人類に害をなす理由は様々だ。自分の住処を荒らされたり、自分もしくはその眷属を傷つけられたり、中にはただそのように生まれてしまったモノもいたりする。

 そして、人ならざる怪異たちには、物理的な法則は及ばない場合が多い。怪異には怪異のことわりがあり、それは人間たちの理とは異なっているからだ。

 たとえ核兵器を直撃させようが、理の異なる怪異を倒すことは不可能なのである。

 怪異を倒すには怪異の理に従う必要があり、人間がその理に従う際に力の源となるのが、魔力──これもまた国や時代によって、気や念など様々な呼び名がある──なのであった。

 だが、この世界は極めて魔力が乏しい。怪異は生まれつき魔力と結びつきが強いのだが、人間は本来魔力とは無縁の存在なので、その身に魔力を持たない。

 そのため、怪異と事を構える魔術師たちは、様々な方法で魔力集めに苦心する。

 異世界より魔力を引き寄せる者、魔力を多く含む土地──いわゆる、霊場やパワースポットと呼ばれる場所──を支配する者、人間に対して友好的な怪異と契約して魔力を共有する者など、その方法は様々だ。

 中には鉱物などに魔力を封じ込め、それを他の魔術師に販売して富を得ている者もいた。茉莉花も魔術師として活躍する傍らでそんな商売をしている一人であり、今の彼女には魔力源となっているものは二つあった。

 その一つが「世界の卵」。幼いとはいえ世界そのものである「世界の卵」は、当然ながら膨大な魔力を秘めている。《守役》として「世界の卵」と契約している茉莉花は、その対価として「世界の卵」が有する魔力の一部を受け取っているのだ。

 彼女と「世界の卵」を引き合わせたのは彼女の先祖のとある女性魔術師であり、半ば一方的に「世界の卵」と契約させられたのだが、茉莉花はそのことに感謝こそすれ決して先祖を恨んではいない。

 そしてもう一つが、「世界の基点」という稀有な存在との接触である。

 世界を世界として固定する「錨」の役割を果たす「基点」。当然ながら、「基点」は無限と呼んでもいいほどの魔力を宿している。

 だが、「基点」はその無限の魔力を自ら扱えない場合が多い。そもそも「基点」とは意思を持たない鉱物や植物である場合が多いからだ。

 また、時に人間を含めた動物が「基点」となることもあるが、その場合も自身が秘めた魔力に気づくことさえなく、その一生を終える場合がほとんどなのである。

「しかし、彼がバイトの面接に来た時は本当に驚いたよ。なんせ、『世界の基点』が自ら私の所に来たのだからね」

「私たち魔術師にしてみれば、確かに信じられない話よね」

 でも、とシャーロットは意味ありげに微笑みながら、カウンターの隣に座る茉莉花を見る。

「そのバイトくんに無断で、彼から魔力を搾り取っているんでしょ?」

「搾り取るとは人聞きが悪いな。私はただ、彼の体から漏れ出る魔力をこっそりと集めているだけさ。どうせ漏れた魔力は空気中に拡散してしまうんだ。それなら私がちょっとばかりもらってもいいじゃないか」

「一般の人間に魔力がどうこう言っても、普通は信じてもらえないものね」

 茉莉花が店長を務めるコンビニの事務室にある彼女の机上には、小さな空の瓶が置かれている。店で働くバイトやパートたちは気にも留めないありふれた小瓶が、実は「世界の基点」から漏れ出る魔力を集める収集器であることは、茉莉花だけが知る秘密である。

 何の力も持たない一般人には空の瓶にしか見えなくても、見る者が見ればそこに満たされる魔力の質と量に目を見開くことだろう。

「それに、マリカが『基点』から漏れ出る魔力を集めることで、『あいつら』の目を欺くことにもなるものね?」

 再び何やら含めたもののある視線で、茉莉花を見つめるシャーロット。対して、茉莉花はやや驚きの表情を浮かべた。

「知っていたのか? あいつらが……蟲どもが動き出していることに?」

「当然でしょ? 私だって少しは名の知れた魔術師なのよ? あいつらの動きには常に気を配っているわ」

 世界を無へと導き、そこから自分たちに都合のいい世界を作り出そうとするモノ。そのモノたちにとって、「世界の基点」は極上の餌である。

 「基点」から漏れ出る魔力に引き寄せられるからか、魔術師たちの中にはそのモノを「蟲」や「害虫」などと呼ぶ者もいる。

 世界を無へと導こうとする「蟲」は、魔術師たちにとっては敵である。そのため、「蟲」の動向に注意を払っている魔術師の数は多い。

「それなら、話は早い。友人のよしみで協力してくれないか?」

「協力するのは構わないけど、当然無償で魔術師は動かないわよ?」

 そう言われた茉莉花は、手元にあったバッグから小さな瓶を三つほど取り出し、そのままシャーロットへと手渡した。

 その小瓶が何なのか、シャーロットはすぐに理解し、そして、その整った顔を驚きの色で染める。

「すごいわ……これが『世界の基点』から得た魔力なの? 信じられないほど高純度の魔力……これ、瓶一つで日本円にして数千万から数億ってところかしら?」

 手の中の小瓶に注がれるシャーロットの視線。その視線が驚きから別のものへと変じたことに、茉莉花はすぐに気づいた。

「マリカと『基点』の少年とは、本当にただの雇用関係なのよね?」

「おいおい、本当に彼を君の商社に入社させるつもりか?」

「あら、私は正規のルートで就職を紹介するだけよ? 彼にとっても、私の会社に入社することは決して悪い話じゃないと思うわ。その『世界の基点』の彼、コミュニケーション能力が極めて高いのでしょう? そういう人材は普通に欲しいもの」

「確かに、彼のコミュ力は異常と思える時があるけどね」

 コンビニに限らず、客商売をしていれば少なからずクレームを入れてくる客はいる。正当なものから言いがかりのようなものまで、様々なクレームが寄せられるものだ。

 だが、なぜか彼がクレーマーに直接対応すると、それまで怒り心頭だったクレーマーがなぜか穏やかになることが多い。

 もちろん、彼が何らかの不思議な力を使っているわけではない。いくら彼が「世界の基点」であるとはいえ、「基点」には何ら特別な力はないのだから。

 ゆえに、あれは彼の人柄のなせる技だと茉莉花は思う。そう言えば、その彼と付き合っている少女が、彼のことを「暖かで穏やかな場所」とか言っていたな、と茉莉花は思い出した。

「君のところのような大企業ともなると、クレームの数も半端じゃないだろうからね。だけど、彼を単なるクレーム対応要員として雇うつもりかい?」

「まさか。新人の内はそれなりの研修を積んでもらうけど、最終的には先ほども言ったように私の秘書をしてもらうわ」

「確かに、彼は秘書に向いているかもね。最近ではバイトやパートのシフト管理を彼にさせているが、なかなか上手く人を回しているよ」

 研修の一環として、最近彼にシフト管理をさせてみた茉莉花は、彼が思ったよりも上手くシフトを管理していることに軽く驚いたものだ。その結果、近々彼をバイトリーダーへと昇格させようかと密かに画策している。

「彼が通っている大学に手を回して、君の企業に就職させるのかな?」

「私だって、この国にあれこれと伝手はあるわ。もっとも、マリカのように国の上層部にまでは至っていないけど……そういえば、最近はそっち方面の依頼も多いそうじゃない?」

「まあ、政治家なんてやっていると、いろいろと恨みを買うことも多いだろうからね。中には恨みが高じて、本物の呪詛にまで発展してしまうケースもある。最近もそうした呪詛を祓って欲しいと、とある政治家から依頼があったのさ」

「本当に、どうしてあなたほどの魔術師がコンビニの店長なんてやっているのかしら? その気になれば、私以上の企業だって経営できるでしょうに」

「私にはコンビニの店長ぐらいが丁度いいのさ。それはともかく、彼が本気で君のところに就職するつもりなら、私は特に反対しないよ」

「ふぅん。それは反対しないだけであって、推奨してくれるわけではないのよね?」

「それは当然だろう。私だって魔術師だ。みすみす『基点』を逃がすつもりはないさ。とはいえ、何も彼の伴侶になろうというつもりはないから、今後も友人として付き合っていくつもりだよ」

「じゃあ、私も友人候補として『基点』の彼に紹介してくれないかしら?」

「確かに、今後は君にも協力してもらう以上、彼に紹介しておくことも必要か。まあ、それはおいおいだね」

 そう言って、茉莉花はグラスを持ち上げた。そのグラスにシャーロットは自分のグラスを軽く触れさせる。

 ちん、という澄んだ音が、バーの片隅で静かに響いた。








~~~ 作者より ~~~

 これにて、第6章は終了となります。

 次章は4月8日より再開の予定。

 引き続き、お付き合いいただけると幸いです。


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