閑話 始まりのゴングは高らかに




「え?」

 きょとんとした顔で私を見つめるミレーニアさん。

 対して、私は心の中で「しまった」と呟いた。

「水野くんも香住くんも、まだまだ未成年だし結婚してなどいないよ。まあ、法律的には二人とも結婚できる年齢ではあるけど」

 ご丁寧にそう解説してくれたのは、もちろん店長……茉莉花さんだ。

 茂樹さんが茉莉花さんの家から帰った後、私と茉莉花さん、そしてアルファロ王国からこっちの「小世界」について来てしまったミレーニアさんは、女の子三人だけでいろいろな話をしていた。

 うん、一応、茉莉花さんだって女の子ってことにしておこう。そうじゃないと、後が怖いから。

 それはともかく、三人であれこれと話をしているうちに、茉莉花さんがぽろっと零してしまったのだ。私と茂樹さんが、実は夫婦ではないことを。

 最初はそれがよく理解できていなかったっぽい、ミレーニアさん。だけど、徐々にその意味が理解できたのか、彼女の表情がどんどん明るいものになっていった。

 今のミレーニアさん、絶対に良からぬことを考えているに違いない。

 見た目こそ純情可憐な正統派プリンセスといった感じのミレーニアさんだが、その内面は意外としたたかだと思う。もちろん、王族なんてものはしたたかじゃないとやっていけないのかもしれないけど。

 そのミレーニアさんの目がきらきらと輝いている。つい先ほどまでは、どちらかと言うと落ち込んでいたのに、だ。

 彼女が落ち込んでいた理由、それはもちろん茂樹さんに振られたからだろう。

 当初は王女という立場ゆえの、政略的な理由──アルファロ王国では、茂樹さんと私は神様かそれに準じるような存在だと思われていたようだ──で茂樹さんと結婚したがっているのだと思っていたのが、どうやらミレーニアさんは結構本気で彼のことを好きだったみたいである。

 私たちが普通の人間であると分かった後も、彼女は熱の篭った眼差しで茂樹さんを見ていたのだから。

 そのミレーニアさんが、だ。

 私と茂樹さんが本当は夫婦ではないと知ってしまった。そうなると、当然彼女は彼を狙って動き出すだろう。なんせ、私たちが夫婦であると思っていた時だって、堂々と第二夫人になると宣言したほどなのだから。あ、いや、宣言はしていなかったかな? ただ、茂樹さんが複数の奥さんを持つことをどう思うか、と聞かれただけだっけ。

 とはいえ、そんなことを尋ねるということは、自分が茂樹さんの奥さんの一人になるつもりがあったということに違いない。

 その当時からミレーニアさんは油断ならないと思っていたが、今後は更に警戒レベルを引き上げる必要がありそうだ。

 しかも、ミレーニアさんは今、私たちと同じ「小世界」にいる。これで別の世界にいるのであればそれほど脅威ではなかっただろうけど、はっきり言ってとんでもない強敵が身近に居座ってしまった。

 でも、茂樹さんの恋人は私だ。それは揺るぎようのない事実だし、茂樹さんがそう望んでくれた結果でもある。その茂樹さんもミレーニアさんに対して好意はあるものの、それはあくまで友人としてのもののようだ。

 今のところは大丈夫だろうけど、だからといって今後も安心してばかりはいられない。

 少なくとも、茂樹さんとミレーニアさんを二人っきりにだけはしないようにしよう。うん。



 シゲキ様とカスミ様が、実はご夫婦ではなかった。

 その話をマリカ様から聞かされた時、わたくしの脳裏にとある言葉が浮かび上がりました。


──心から欲しいと思ったものは速攻で手に入れろ。後悔してからでは遅いのだ──


 これは、偉大なる国父、建国王陛下の言葉だと伝わっています。

 一介の傭兵から一代でアルファロ王国を興し、発展させ、繁栄させた偉大な建国王陛下。

 そのようなお方ですから、存命中はありとあらゆる富を手中に収めていらしたとか。

 その富の一部が今でも我が王国の宝物庫に収められているわけで、建国王陛下が当時どれほど莫大な財を集めたのか、容易に想像ができます。

 しかし、そんな建国王陛下も本当に欲しかったものだけは、手に入れることができなかったそうです。

 それは、国父様が心から愛した一人の人物。

 それがどのような人物で、どのような理由で手に入れられなかったのか、具体的なことは伝わってはいません。

 ですが、国父様ほどの方が心より望んだ人物ともなれば、おそらくとてもお美しい方だったのでしょう。

 一説によると国父様が心より愛したのは、アルファロ王国建国の際に建国王様に尽力された御使様ではないかと言われています。

 神々の下より遣わされた御使様ともなれば、建国王様が心惹かれるだけの美しさを持った女性であったとしても不思議ではありません。

 更には、国父様の腹心の方たち全員が、その御使様に心奪われていたという説もあるほどです。建国王様の下に現れた御使様が、どれほど美しい方であったのかという証拠でもありましょう。

 別の説では、御使様は男性であったというものもありますが、わたくしは女性であった説を信じております。だって、御使様が男性であったならば、建国王様とその腹心の方々は揃って同性愛者ということになってしまいますから。

 アルファロ王国において、同性愛はそれほど一般的ではありません。

 傭兵や兵士、僧院や尼僧院など、異性が極めて少ない限られた環境でのみ、同性愛者が存在していると言われております。

 貴族などの中にも一部同性愛者が存在するようですが、どちらかと言うと日陰の存在なのは違いありません。

 それを考えると、やはり国父様の下に現れた御使様は女性、仮に御使様が男性であったとしたら、国父様が愛されたのは別の女性だったとわたくしは思うのです。

 ただ……国父様は傭兵出身だったと言われております。であれば、国父様が同性愛者だったという可能性も……いえ、そのようなことを考えるのは建国王陛下に対して不敬というものですね。ええ、これ以上は考えないようにしましょう。

 話が逸れましたが、シゲキ様が妻帯者ではないと知れた以上、ただ座していては駄目でしょう。ここは国父様のお言葉に従い、どんどん攻めるべきだと私は思うのです。

 しかし、敵──カスミ様は強敵です。艶やかな黒髪や、生命力と躍動感に溢れたその雰囲気など、私にはないものをたくさん持ち合わせています。

 もしもシゲキ様が静かな女性よりも活発な女性がお好きであれば、わたくしはとても不利だと言えましょう。

 アルファロ王国では、一般的に活発な女性よりも物静かな女性の方が男性には好まれているようですが、シゲキ様たちのこの国がアルファロ王国と同じとは限りません。まずはシゲキ様がどのような女性を好むのか、それを知るのが先決ではないでしょうか。

 座して待つのは論外であるとしても、まずはどのように攻めるかを考えるのも重要なはず。

 建国王陛下のお言葉は速さを重視しているようですが、ここは拙速よりも巧遅を選ぶべきかもしれません。建国王陛下のお言葉通り後で後悔しないためにも、最適な戦術を選択しなければ。



「さて、それはそうと、ミレーニア姫がここで生活するのに必要なものを買いに行こうか。たとえ数日とはいえども、着替えなどはどうしたって必要だろう?」

 茉莉花さんがふと思いついたようにそんなことを言い出した。確かに、近日中──茂樹さんの聖剣の調子が戻り次第──ミレーニアさんをアルファロ王国に送り届けることになるだろうが、それまでの間は茉莉花さんの家で彼女は生活することになる。

 そうなると、着替えやその他の生活必需品はどうしたって必要だ。それを今から買いに行くわけだ。

 私はちらりと壁に掛けられた時計を見る。時刻は午後九時ちょっと過ぎ。今から出かけて、服が買えるようなお店があるだろうか?

「ああ、それなら心配はいらないよ。私が馴染みにしている店に連絡を入れておくから。服以外の細々としたものは、そこらのコンビニででも買えばいいさ」

 時計を見た私が何を考えているのか、茉莉花さんはお見通しのようだ。

 早速とばかりに、出かける準備を始める茉莉花さん。私も座っていたソファから腰を上げ、財布などの入っているバッグを手に取った。

「さあ、行きましょうか、ミレーニアさん」

「どこかへ出かけるのですか? もう夜ですよ?」

 と、ミレーニアさんは窓の外を見る。窓からは様々な光が溢れる町の光景が見下ろせるが、確かに今は夜だ。彼女の感覚からすれば、夜に外に出かけるなんてことは考えられないのだろう。

 だけど、この国では午後九時ならまだまだ開いているお店はたくさんある。それこそ、私たちがバイトしているようなコンビニを始めとした、二十四時間開いているお店はいくらでもあるのだから。

 その辺りのことを簡単に説明したら、ミレーニアさんは目を見開いて驚いていた。

「本当に……この国は驚くことばかりです」

「ミレーニアさんの国を悪く言うつもりはないけど、こっちじゃこれが普通なの」

 私たちは互いに顔を見合わせ、くすりと笑い合う。

「カスミ様……よろしければ、一つだけお願いがあるのですが」

「私にお願い?」

 一体何だろう? もしかして、どストレートに茂樹さんを譲ってください、とか? だとしたら、それだけは頷けないというものだ。

 だけど、彼女の言うお願いは、全く別のものだった。

「わたくしのことは、どうかミレーニアとお呼びください。カスミ様はシゲキ様を巡って戦う相手ではありますが、それとは別にわたくしはカスミ様と友人になりたいのです」

 ああ、なるほど、そういうことか。

 ミレーニアさんってば、真正面から宣戦布告してくれたわけだ。いいでしょう。その戦い受けて立とうじゃありませんか。

 それに、私もミレーニアさん……いや、ミレーニアのことはそれほど嫌いじゃない。こうして、真正面から挑んでくる潔さは好感が持てるというものだ。

「分かった。その代わりじゃないけど、ミレーニアも私のことも名前で呼んでね?」

「承知しましたわ、カスミ」

 再び互いに笑い合った私たちは、どちらからともなく手を握り合った。

 この日、私は新たに一人の素晴らしき友と、したたかな強敵を得たのだった。



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