夕飯を準備しよう
気づけば、時刻は既に夕方になっていた。
ホント、あっという間の一日だったよね。
あっという間と言えば、俺の両手が買い物した荷物で埋まるのもあっという間だった。恐るべし、女性の買い物。
しかも、荷物のほとんどがミレーニアさんの物だったり。ちなみに、彼女の買い物は店長のカードで支払っている。
ただ、ミレーニアさんの金銭感覚がちょっと怖い。あまり悩む様子を見せることもなく、気に入った物はほいほいと買っちゃうんだよ、彼女。
そもそも、ミレーニアさんはこれまでに、「買い物」をしたことってあったのかな?
ロイヤルであるミレーニアさんが、自分でお金を払って物を買う、なんてことはなかったんじゃないだろうか? 彼女に必要な物は、おそらく国が買っていたと思うし。あと、私物の中には家族や臣下の人たちから贈られた物も多かっただろう。
そんな彼女に、俺たちのような金銭感覚を求める方が間違っているよなぁ。
なお、ミレーニアさんが買った物の値札は見ていません。いえ、怖くて見られませんでした。一体、今日だけでいくらぐらい使ったのやら。
いくら店長がお金持ちでも限度ってものがあるだろうし、一応、その辺りのことは途中でやんわりとミレーニアさんには告げたので、それからは彼女も買い物を控えてくれたけど。
やっぱり、後で邪竜王の宝石をいくつか店長に渡しておいた方がいいような気がしてきた。
ミレーニアさんがいつまでこっちの「小世界」に滞在するのかは今後の聖剣の回復次第だが、金銭感覚も教えていった方がいいのかもしれないね。
結局、荷物を三人で均等に分担し、俺たちは店長の家を目指す。
香住ちゃんが店長の家の鍵を預かっているらしく、勝手に入ってもいいそうだ。
慣れた様子でカードキーを操作し、エレベーターで店長の家まで上がる。
どうやら店長は仕事に行っているみたい。先ほど、俺のスマホにそうメッセージが来たし。
そのメッセージには、店長の仕事が終わるまで、この家で待っていて欲しいとのことだった。おそらく、聖剣のこととか今後のミレーニアさんのこととか、いろいろと話があるのだと思う。
ちなみに、明日の月曜日からは俺もバイトのシフトが入っている。もちろん、香住ちゃんも一緒だ。
さて、とりあえず夕食でも作ろうか。キッチンを使わせてもらう許可は、店長からもらっているし。当然、帰ってくる店長の分も作るぞ。
食材は買い物のついでに買ってきた。まあ、俺には簡単な料理しかできないけどね。
「あ、私も手伝いますね」
俺がキッチンに立てば、香住ちゃんも一緒にキッチンに立つ。
「…………カスミも料理ができるなんて……わたくしも料理を覚えるべきでしょうか?」
と、並んで料理する俺たちを見て、どこか悔しそうなミレーニアさん。
当然ながら、ロイヤルなミレーニアさんは料理なんてこれまで縁がなかったわけで。そう言えば、初めて彼女と出会った時も、俺が簡単な料理を作ったっけな。
俺と香住ちゃんが並んで料理するその姿を、悔しそうな顔をしながらも、同時に楽しげに眺めているミレーニアさん。時には俺たちの背後に来て手元を覗き込んだり。
「誰かが料理するところなんて、あまり見たことがないのでついつい興味が湧いてしまいました」
と、ミレーニアさんが微笑む。
そう言えば、初めて彼女と会った時は、邪竜王の城の炊事場らしき場所で俺が調理し、それをミレーニアさんが幽閉されていた部屋に運んで、ビアンテも含めた三人で食べたんだった。
それに、お姫様であるミレーニアさんが、お城の炊事場に顔を出すこともないだろうし。目の前で料理をするところなんて、見たことがないのも頷ける。
でも、パーティの余興などで、パーティ会場で料理人が料理を披露したりはしないのかな? 何となく、セレブなパーティではそういうことがありそうだけど、それって俺の単なる思い込み?
まあ単に、アルファロ王国ではそういうイベントは行わないだけかもしれないな。
俺が作ることができる料理なんて限られている。そんなわけだから、ここは手軽に焼きそばなどを作ってみようか。焼きそばなら、箸が使えないミレーニアさんも、フォークで食べることができるしね。
俺が焼きそばを作るのと並行して、香住ちゃんがポテトサラダを作るそうだ。手際よく準備を始める香住ちゃん。その慣れた様子から、相当料理の腕は上だということが窺える。
以前、異世界で彼女が作ってくれた弁当を食べた時、その中にポテトサラダが入っていたっけ。あの時のポテトサラダ、とても美味かったなぁ。うんうん、今日も期待していよう。
フライパンの中で、麺と具材──キャベツ、タマネギ、ニンジン、豚肉、竹輪などなど──が混ざり合いながら踊る。そこへ、ソースを投入。途端、周囲にソース特有の食欲をそそる匂いが立ち込める。
「…………とても美味しそうな匂いですね」
俺の手元のフライパンを、じっと見つめるミレーニアさん。あ、あの、お姫様? あまり顔を近づけると危ないですよ? 油が飛ぶかもしれないし。
「これほどまでに食欲をそそる匂いは初めてです」
にこにこしっぱなしのミレーニアさんの視線が、俺の手元から香住ちゃんの手元へと移動する。
「カスミが作っている料理は、シゲキ様とは別の料理なのですね」
そりゃそうだ。二人して同じ料理を作っても、単に量が増えるだけだし。でも、同じ料理でも家庭によって味付けは違うだろうから、それを食べ比べるのもおもしろいかもしれない。
茹で上がったジャガイモの皮を剥き、香住ちゃんはそのジャガイモをボウルに放り込む。
「香住ちゃん、ジャガイモ潰すの手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。こう見えても私、腕力にはちょっと自信がありますから。伊達に毎日竹刀を振っていません」
さすが剣道少女、頼りになるね。確かに俺よりも腕力ありそうだから、男としてのプライドがちょっぴり傷つくよ。
心の傷に絆創膏を貼りつつ彼女の手元を見れば、確かに軽快に茹でたジャガイモを潰していた。
ジャガイモを潰す時のコツは、まだ熱いうちに潰すことなんだって。ジャガイモのでんぷん質はペクチンという物質に包まれているのだが、そのペクチンは熱いうちだと弾力性があって、でんぷん質の粒が潰れにくいそうなんだ。
でんぷん質の粒が壊れないと、ジャガイモ特有のホクホクした食感になる。逆にペクチンが壊れてでんぷんの粒が潰れると、餅のような粘りを持ってしまうらしい。
粗方潰し終えたジャガイモの粗熱を取る間に、香住ちゃんはサラダに混ぜる具材を刻む。
タマネギ、ニンジン、キュウリ、ハム。そして、それらの具材を粗熱を取ったジャガイモのマッシュと一緒に、ボウルの中でマヨネーズと絡ませる。
うんうん、マヨネーズの匂いもまた、ソースとは違う食欲を刺激するよね。
マッシュと具材を十分にマヨネーズに絡めたら、最後に塩と胡椒で味を調整して完成。
俺の方も、とっくに焼きそばは仕上がっている。ところで、ご飯はどうしよう? 俺の家は、焼きそばと一緒に白米も食べる派なんだよね。
あ、でも、肝心の米がないや。そういや、冷蔵庫の中も空というわけではないものの、食材はほとんどなかったな。おそらく、店長は自炊しない人なのだろう。
キッチンから見えるリビングへと視線を向け、壁に掛けられている時計で時間を確認すれば、既に午後七時を過ぎている。
そういや、香住ちゃんは門限大丈夫だろうか? 家族の知り合いである店長の家にいるってことで、門限も大目に見てもらえているのかな?
でも、今日は家に帰るだろうから、その時は家までしっかりと送っていかないとね。
そんなことを考えていると、スマホに店長から再びメッセージが。どうやら今日の仕事が終わったらしく、これから帰宅するらしい。
俺たちがバイトしているコンビニから、店長の家までそれほど遠くはない。どうやら、作った料理が温かいうちにみんな揃って食べることができそうだな。
「いやー、なかなか美味しいじゃないか、水野くんの作った焼きそば」
俺の作った焼きそばを食べながら、店長が実に満足そうに告げた。
「今後、時々ここへ来て食事を作ってくれないか? もちろん、報酬は出すし、香住くんも一緒に来ればいい。最近、一人で食事するのが味気なく感じられて仕方ないんだよ」
いやいや、さすがに俺なんかの料理で、店長が満足する物を作り続けるのは無理ですって。そもそも、俺の料理のレパートリーなんて数点しかないし。
「でも、店長の帰宅、思ったより早くありませんか? 予定では、もうちょっと遅かったはずでは?」
「ああ、確かに水野くんの言う通りなんだけど、ちょっと所用があると言ったら、田中くんが仕事を代わってくれてね。いや、彼には感謝だね」
なるほど、田中──田中はバイト仲間で、俺と同じ大学生──の奴がそんなことを……そういやあいつ、以前に店長のドレス姿を見た時から、店長に惚れているっぽかったからな。おそらく、店長の仕事を代わることで点数を稼ごうと思ったのだろう。
店長にしたって田中にできない仕事を回しはしないだろうから、今頃田中は喜々として仕事に励んでいるに違いない。がんばれ、田中!
その後、夕食を終えた俺たちは、食後に日本茶を飲みながらのんびりとくつろぐ。
なお、俺の焼きそばは三人にとても好評だった。もちろん、香住ちゃんのポテトサラダも絶品である。
さすがに焼きそばとポテトサラダだけではちょっと寂しいので、トマトをスライスして塩を振ったものと、インスタントのコーンスープも食卓に並べた。
まあ、俺が用意できる料理なんて、この程度でしかないんだよね。
そして、お茶も飲み終えた頃、店長が切り出した。
「では、改めて話をしようか。まずは、水野くんの聖剣についてからにしよう」
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