家庭内暴力?



 俺に彼女ができたことで、家族中が大騒ぎした翌日。

 久しぶりに実家の自分の部屋で目覚めた俺は、思わずぼーっと部屋の中を見回した。

 何となく覚える違和感に、すっかり今の下宿先の部屋が「自分の部屋」になっているんだなぁ、と改めて実感。

 ちなみに、香住ちゃんには夕べの内に連絡を取り、我が家へ招待する件について了解を得た。

 具体的な日程はまだ未定だけど、お互いの休みが合う日に、彼女には我が家までご足労願うことになりそうだ。

 あれだけ向こうの親御さんにはよくしてもらっている以上、我が家が香住ちゃんに対して何もしない、というのは確かに道理に反するから、父親の言うことはもっともだと俺も思う。

 ただ…………やっぱり、ちょっと気恥ずかしいね。自分の彼女を家族に紹介するってのは。

 もちろん、こんなことは俺も初めての体験だし……まだ日取りも決まっていないというのに、今から緊張してきちゃったよ。

 いかん、いかん。今からそんなことでどうする、俺。

 ここは気持ちを切り替えて、久しぶりに母親が作ってくれる朝食を堪能しよう。

 俺はベッドから抜け出すと、持参した鞄の中から着替えを取り出した。



 朝食を済ませ、再び自室へと戻る。

 途中、廊下から庭先を見れば、春樹がそこで素振りをしていた。

 いやはや、さすがは本気で甲子園を目指す高校球児。熱心なことだ。

 ガラス窓越しに素振りの音が聞こえてきそうなほど、弟は真剣にバットを振っている。そんな弟に何か一言かけようかと思ったが、結局止めておいた。

 野球素人の俺が何か言ったところでアドバイスになんてならないだろうし、下手に声をかけて集中力を途切れさせるのも申し訳ない。

 ここは心の中でエールを送るのみにして、さっさと自室へと戻った。

 とはいえ、自室に戻っても特にやることなんてない。

 下宿に帰るのは、明日の三時頃の予定。こちらを三時に出れば、向こうには五時頃に到着する。その足で香住ちゃんの家に寄り、聖剣を引き取る予定なのである。

 もちろん、そのことは既に香住ちゃんに通達済みだ。

 となると……どうしよう? いきなり暇になってしまった。

 これが下宿先であれば、掃除したり洗濯したりと意外とやることがあるのだが、実家だとその辺りは気づけば母親がやってくれている。

 母よ、あなたは偉大だった。一人暮らしをして、ようやくその事実に気づいたよ。

 妹の環樹は自室で勉強しているようだし、父親は今日も仕事で母親は忙しそうだ。

 …………どうしよう、本格的に暇になってしまったぞ。



 てなわけで、暇を持て余した俺は散歩に出かけることに。

 時刻は朝の九時前だが、既に気温はかなり上がっている。それでも、今住んでいる町よりはやはり気温が低く、日陰を選んで歩けばそれなりに涼しい。

 俺は生まれ育った町を、ゆっくりと歩いて行った。

 幼い頃に遊んだ児童公園、小学校へと続く通学路。お菓子を買いに行ったコンビニや、顔馴染みのご近所さんたち。

 半年も離れていなかったのに、やっぱり懐かしく感じてしまう。

 中にはここ数ヶ月で様変わりしていた風景もあった。それまであった店舗がなくなって駐車場になっていたり、以前はあった家が丸ごとなくなっていたり。

 うーん、時の移り変わりって、こうやって実感するんだなぁ。

「あら、茂樹くん、久しぶりねぇ。しばらく顔を見ていなかったけど、どうしていたの?」

 顔馴染みの小母さんに声をかけられ、俺は朝の挨拶をしてから近況を伝える。

「俺は今、大学の近くで一人暮らしをしているんですよ。で、今日は夏休みってことでこっちに帰って来ているんです」

「まあまあ、そうだったの。あの茂樹くんがいつの間にか大学生ねぇ。ホント、時の経つのって早いわねぇ」

 相変わらずよく喋る小母さんだよ、この人。でも、元気そうでちょっと安心だ。

 しばらくあれこれと喋った後、俺は小母さんと別れて散歩を続けた。

 ただの散歩なので、目的地は特に決めていない。大体三十分ほどぶらぶらと歩いたところで、俺は自宅へと戻るのだった。



 自宅へと帰り着き、玄関のドアへと手を伸ばす。

 その時だ。ふと、何かを感じたのは。

 これは……何だ? よく分からない違和感のようなものを覚えた俺は、ドアへと伸ばした腕を引っ込めて左右を見回す。

 と。

 左を向いた俺の眼前を、何かが高速で横切った。

「………………え?」

 ぶん、という空気を切り裂く音が、今になって聞こえた気がした。

 呆然とする俺の視線の先、そこにはバットを振り抜いた姿勢の弟……春樹がいた。

 あ、あれ? い、今のって素振り? 単なる素振りだよね?

 でも、こんな人の近くで素振りするなんて、お兄ちゃんちょっと感心しないぞ?

「お、おい、春樹……」

 俺が弟へ声をかけると同時に、再び春樹がバットを振る。今度は下から上へと掬い上げるようなアッパースイングで。

 おいおい、そんなスイングじゃ駄目だろ? 野球素人の俺でも分かるぐらい、今のは下手くそなスイングだからな?

 って、おいっ!?

 幸い、無意識に数歩後退したことで、バットは俺の眼前を通り過ぎるだけで済んだ。だが、春樹のスイングは、明らかに俺を狙っている。

 ど、どうして春樹が俺を襲うんだ? もしかして、バットで殴りかかってくるぐらい怒らせるようなことをしたのだろうか?

「ま、待て、春樹! 謝る! 何が原因か知らんが謝るから! とりあえず、バットは置こう? な?」

 とにかく、まずは春樹を落ち着かせよう。そして、どうしてこんなに怒っているのか、その理由を聞き出そう。

 そう思って声をかけてみたのだが、春樹は一向にバットを手放す様子もなく、それどころか更に数回俺目がけてバットを振り回す。

 弟が振り回すバットを、俺は何とか回避する。春樹が振り回すバットの速度は、俺にとってはそれほど速いものには感じられない。アルファロ王国のビアンテの剣や、他の異世界で交戦した魔獣や怪物に比べれば、高校生が振り回すバットを見切るぐらいは、今の俺でも何とか可能だ。

「ああ、もうっ!! いい加減に人の話を聞けっ!!」

 春樹がバットを振り抜いた隙をつき、逆に弟へと密着するように踏み込む。

 そして、そのまま体当たりをして、春樹を強引に後退させた。

 僅かにできた時間的な余裕。それを活かして、俺は家の中へと飛び込む。

 玄関のドアには鍵はかかっていなかった。それほど散歩に時間をかける気はなかったし、庭では春樹が素振りをしていたしで、玄関には鍵をかけていなかったのだ。

 転がり込むように家に飛び込み、土足のまま台所を目指す。

 廊下を汚してごめんな、母よ。でも、今は非常時ってことで許してくれ。後で必ず掃除するから。

 心の中で母親に詫びつつ、その母親がいるであろうリビングへと駆け込む。

 そして、やはりそこに母親はいた。正確には、リビングと繋がっている台所に立っていたのだ。

 生まれた時から見慣れた母親の後ろ姿に、俺は思わず安堵の息を吐き出した。

「か、母さんっ!! は、春樹の様子がおかしいっ!! いきなりバットで殴りかかってき……」

 俺がそこまで言った時だった。

 俺へと顔を向けた母親が、すごい勢いで俺へと何かを投げつけたのは。

 ひゅん、という音と共に、母親が投げつけた「もの」が俺のすぐ傍を通り過ぎる。同時に、右の頬にぴりっとした痛み。

 思わず通過した「もの」へと目を向ければ……リビングの壁に突き立つ包丁が目に入った。

 あ、あれを俺に向かって投げつけたのかっ!? へ、下手したら死んでいたぞっ!?

 もちろん、普段の母親であれば、そんな真似は絶対にしない。確かに怒らせると怖い人ではあるが、誰かを傷つけるような人間では決してないのだ。

 背中を冷たいものが流れ落ちるのを感じながら、俺は再び母親へと視線を戻す。

 母親はどこか虚ろな目をしながら、ゆっくりと俺へと近づいて来る。

 弟といい母親といい、一体何がどうなっているんだ?

 理由は分からないが、半端ない恐怖を感じた俺はリビングから逃げ出した。

 いや、逃げ出そうとした。

 リビングから廊下へと繋がる扉の向こうに、妹の環樹の姿があった。

 環樹は母親と同じような虚ろな目をしながら、手にしたカッターナイフの刃をきちきちと伸ばしているところだった。

 今思えば、春樹の目もどこか虚ろだった気がする。あの時は、そこまで観察している余裕はなかったけど。

 明らかに、三人とも正気じゃない。

 その理由は分からないが、何かが起きているのは間違いないだろう。

 ふと、俺の脳裏にあることが浮かび上がる。それは、これまでに何度も異世界で遭遇した、俺を……いや、俺の聖剣を狙ってきたあの影たちのことだ。

 もしかして、俺の家族を操っているのはあの影ではないだろうか? ってか、それしか俺には思い浮かばない。

 だとしたら……どうしたらいい?

 今、俺の手元に聖剣はない。聖剣さえあれば、聖剣の不思議パワーで家族に傷をつけることなく影だけ撃退することもできるだろう。

 聖剣先生! 今すぐここに来てくださいっ!!

 心の中で念じてみるものの、聖剣が現れる様子はない。あの聖剣なら、空間を飛び越えて突然目の前に現れても不思議じゃないのにな。

 ともかく、今は家の中から脱出しよう。リビングは庭へと繋がっている。窓さえ開ければ、外へ逃げ出せるのだ。

 そう思ってちらりと庭を見れば──そこには、バットを持った春樹がいた。

 お、おぅ……すっかり俺の行動が読まれている。さすがは家族だ。

 家の中には母親と妹、そして、庭には弟。つまり、完全に退路を絶たれてしまっている。

 じりじりと距離を詰めてくる母と妹。庭からガラス越しにじっと俺を見つめる弟。

 母親は先程投げたものとは別の包丁、妹はカッターナイフを手にして、無表情に近づいてくる。庭の弟も、どことなくぼんやりとした様子ながらも、バットを手放す雰囲気はない。

 明らかな異常事態。家族に手荒な真似をするのは心苦しいが、少しだけ我慢してもらおう。

 そう決心した俺は、母親と妹のいる方へと一歩踏み出した。

 その時だ。俺の周囲を眩しい光が包み込んだのは。

 突然吹き上がる、激しくもどこか温かな光。

 反射的に目を閉じた俺の耳に、何かが倒れ込む音が響いた。

 恐る恐る目を開ければ既に光は消えていて、母親と妹は床に倒れていた。慌てて庭へと視線を動かせば、弟も同じように倒れている。

 一体何が……と疑問を感じた時。しゃらん、という涼やかな音と共に、何かが俺の頭上を通り過ぎた。

 そして、ぱん、という小さな破裂音が数回響く。

「ふむ……ご先祖の残した手記を基に作り上げた遺産のレプリカだが、『連中』にも充分通用するようだ」

 聞き覚えのある声に、思わず振り向く。

 そこにいたのは、ここにいるはずのない人物。その人物が、手首に細い鎖のようなものを巻き付けた姿で、俺に微笑んでいた。

「やあ、水野くん。危ないところだったね」

 のほほんと片手──鎖を巻き付けた手──を上げたのは……




「て、店長っ!?」



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