弟と妹
「あら、お帰り、茂樹。春樹と一緒になったの?」
玄関をくぐると、すぐに奥から母親が顔を出した。そして、並んでいる俺たちを見て笑顔を浮かべる。
「二人とも、ちょっと見ないうちに結構印象が変わったかしら? 春樹は伸び盛りだし野球で体が鍛えられたからだろうけど、茂樹も随分と男らしい顔つきになったわねぇ」
俺たちを順番に見て、満足そうに何度も頷くマイ・マザー。
確かに春樹は高校生という成長期真っ只中で、日々野球に明け暮れているから肉体的な成長はかなりのものだろう。実際、弟の体はかなり逞しくなっている。もう、その点はお兄ちゃんの完敗です。
だが、俺だって春樹に決して負けてはいない。
異世界であんなことやこんなこと、更には何度も修羅場を潜り抜けてきた経験は伊達ではないのだよ、伊達では。
そんな俺の変化に、母親はしっかりと気づいたらしい。
「何にせよ、二人とも元気そうで良かったわ」
俺と弟の肩をぽんぽんと叩いた母親は、そのまま家の奥へと戻っていく。
奥からは良い匂いが漂ってくるので、久しぶりに家に帰った俺たちのために、何か美味いものでも作ってくれているのだろう。
俺たちはそれぞれ、自分の部屋へとまずは向かう。そこに荷物を置いたら、次はシャワーだ。
駅から家まで歩いたことで、かなり汗をかいたからね。
春樹、俺の順番でシャワーを使う。弟に先を譲ったのは、もちろん兄として余裕と寛大さを見せるためだ。
ちなみに、俺と弟の仲は決して悪くはない。男兄弟にありがちな取っ組み合いの喧嘩もかつてはしたものだが、この年になってそんなことはさすがにやらない。
あ、もちろん、俺たちは妹とも仲がいいぞ。妹も俺たちには懐いてくれているしね。
さて、シャワーを浴び終え、自室で楽な服装に着替えてからリビングへと向かう。
きっと今頃、母親が冷たいお茶でも用意してくれているだろうし。
「さて、聞かせてもらおうか」
「ん? 何の話だよ、兄貴?」
「どうしておまえが、香住ちゃんのことを知っていたのかって話だ」
「ああ、それか」
俺同様に楽なTシャツ短パンに着替えた春樹が、ちょっと呆れた感じでそう答えた。
「だって、
な、なぬ? どゆこと?
「ほら、兄貴も知っているだろ? 俺の昔からダチでずっと剣道やっている奴のこと」
ああ、もちろん覚えているぞ。弟の幼い頃からの友達で、小学校に上がる前から剣道に打ち込んでいた男の子のことだろ?
確か……名前は中村くんだっけ? 何度も家に遊びに来たこともあるし、小学生の頃は俺も弟たちと一緒に遊んだことだってある。
「あいつ、高校は剣道の推薦で隣県の学校に入ったんだよ。今、兄貴が住んでいる県ね」
へえ、そうだったのか。中村くんが俺と同じ県の高校にねぇ。
ん? 剣道部? も、もしかして……?
俺が感じた疑問が顔に出たのだろう。弟はうんうんと頷きながら言葉を続けた。
「そう、あいつが推薦で入学したのが、城西高校ってわけ。当然、推薦で入った以上、剣道部に所属しているよ」
なんと! 中村くんが香住ちゃんと同じ高校だったとは!
話によると、中村くんは春樹同様に寮生活らしい。香住ちゃんたちが通う高校は、それなりにスポーツに力を入れている学校らしく、県外からも優秀な選手をスカウトしているそうだ。
もちろん、全ての部活がそうしているわけじゃない。学校の中でも特に有力な部活だけが、寮などを構えて選手を集めているとのこと。
そんな有力な部活の一つが、中村くんが所属する剣道部ってわけだ。ただ、残念なのは有力なのは男子剣道部だけであり、香住ちゃんが所属する女子剣道部はそれほどでもないらしい。
「それで
香住ちゃんだった、ってわけか。
実質的に男女で別の部活とはいえ、そこは同じ剣道部。当然男女間での交流もあるし、時には合同で練習することもあるだろう。
となれば、同じ学年の部員同士、一緒に行動することだってあるわけで。
部活帰りに一緒にみんなでお茶したり、部員同士集まって写真を撮ったり……なんてこともあるに違いない。
で、春樹が中村くんに見せられた写真も、そんな写真の一枚だったそうだ。もちろん、中村くんと香住ちゃんのツーショットではなく、同じ学年の部員が集まった写真らしいけど。
あ、春樹のいう聡太ってのは、もちろん中村くんのことね。
「聡太の奴、すっかりその香住って子に惚れちゃってさ。実際、俺もその子のことは可愛いと思うし、聡太が惚れ込むのも分かるしね。で、聡太はいつか絶対に告白するんだっていつも言っているんだよ。まあ、いつになったら実際に告白するんだ、って突っ込みは置いておいて、俺も友達としてあいつを応援していたってわけ」
なるほど……俺の知らないところで、そんなドラマがあったとは。
でも……ごめんよ、中村くん。君が告白するつもりだった香住ちゃんは、既に俺と付き合っているんだ。
更に春樹が聞いた中村くんからの情報によれば、香住ちゃんは同じ学校の男子生徒から結構人気があるらしい。
最近では、剣道の実力もぐんぐん伸びてきていて、全国大会でその勇姿を見るのも間近だろうと噂されているとか。
そのため、周辺高校の剣道部関係者からは、要注意選手としてマークされ始めてもいるそうだ。
うん、香住ちゃんが評価され、評判がいいのは俺としても嬉しい。しかし、その反面で彼女の周囲に変な男たちがうろつくのは心配でもある。
もちろん、香住ちゃんの気持ちが俺から離れるなんて心配は…………うん、ないですよ? 心配なんて全くしてませんよ?
実家帰りのお土産、ちょっと奮発した方がいいかな?
「えっ!? じゃあ本当に、兄貴とあの森下香住さんは付き合っているのっ!?」
香住ちゃんとのメールによるやり取りを見せたり──他人に見せられないような、恥ずかしい内容のものは除外して──、俺と香住ちゃんのツーショット写真を見せたりしたことで、ようやく春樹も俺と香住ちゃんが本当に付き合っていることを信じてくれた。
「う、うわぁ……このこと、聡太になんて言おう……」
うん、別に言わなくてもいいんじゃないかな? もしも中村くんが香住ちゃんに告白すれば、おのずと分かることだろうし。
あ、でも、成功しないことが分かっている告白をさせるのも、ちょっと中村くんに悪いかな?
まあ、その辺りは春樹にお任せだ。がんばれ、マイ・ブラザー。
「あれ? 二人とも帰ってきていたの?」
突然、そんな声と共にリビングに入って来た、小柄な人物。
「お帰り、茂樹兄さん、春樹兄さん」
そう。彼女こそが俺と春樹の妹、
現在、小学六年生。同世代の平均よりもやや小柄で、ポニーテールの髪と赤い金属フレームの眼鏡がトレードマーク。
身内自慢をするわけではないが、我が妹はとても成績優秀なのだ。
ごく普通の俺、野球一辺倒な春樹と違い、環樹は学業に優れている。現在は私立の中学受験に向けて、猛勉強しているそうだ。
おそらく、今日も塾で勉強していたのだろう。
「で、兄さんたちは何していたの?」
「聞いてくれよ、環樹。どうやら兄貴に彼女ができたみたいなんだ!」
「え? 茂樹兄さんに彼女? 嘘っ!?」
おいおい、マイ・シスター。君は自分の兄をどう見ているのかね?
「俺も最初はそう思ったけど、どうも本当らしいんだな、これが」
「へー。それで、どんな人? 写真ある?」
妹に求められ、俺は再びスマホを操作して香住ちゃんの写真を画面に表示する。
「…………こんな可愛い人が、本当に茂樹兄さんの彼女なの?」
疑わしそうに、俺の顔とスマホの中の香住ちゃんを、何度も見比べるマイ・シスター。
春樹といい環樹といい、俺と香住ちゃんが付き合っているの、そんなに不釣り合いなのか? お兄ちゃん、悲しくなってきちゃったよ。
「それが、どうやら嘘じゃないらしいんだ。しかもさ……」
春樹は環樹に中村くんのことを説明する。
もちろん、環樹も中村くんのことは知っている。もっと小さかった頃から、結構彼に懐いていたしね。
「そんなことが……世間って思ったより狭いんだね」
それ、小学六年生が言う台詞じゃないぞ、妹よ。
でもまあ、確かに環樹の言う通りかも。俺もまさか、中村くんと香住ちゃんにそんな接点があるなんて思いもしなかったから。
「でも、聡太くんには悪いけど、こればっかりは仕方ないよ」
「そうなんだよなぁ。聡太のために、兄貴と彼女さんに別れてくれ、なんて言えないよなぁ」
当たり前だろ。既に向こうのご両親やお爺さんお婆さんにまでよくしてもらっているのに、そんな理由で別れるなんてできないぞ。
結局、香住ちゃんの存在は、その日の内に家族全員に知れ渡った。
父親が仕事から帰宅した夕食の席で、環樹がぶちまけたのだ。
当然、父親も母親も香住ちゃんに興味津々だ。
「何? 既に向こうのご家族に、そんなに親しくしてもらっているだと? ならば、こちらもそれ相応のことをしないといけないな。よし、その香住さんというお嬢さんを、近い内に我が家にご招待しなさい」
「そうね、お父さんの言う通りね。近々、そのお嬢さんをお呼びしなさい。いいわね、茂樹?」
とまあ、そんなわけで、俺は近々実家に香住ちゃんを呼ばなくてはならなくなった。
元々、実家の家族には紹介するつもりだったので、その点はいいのだが、やはり香住ちゃんがこの件に関してどう答えてくれるかが問題だろう。
その日の夜、入浴も全て済ませて自室に戻った俺は、早速メールで香住ちゃんにそのことを伝えた。
すると、すぐに彼女から承知の旨を伝える返信が来た。
さて、となると……やはり、夏休み中に一度香住ちゃんを連れてきた方がいいかな?
夏休み以降だと、彼女も部活とかで忙しいかもしれないし。
俺は香住ちゃんに直接電話をかけ、お互いのスケジュールの調整をするのだった。
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