第6章

帰省




 雨降って地固まる。

 なんて言葉があるけど、先日はそれを実感した次第。

 まあ、悪いのは全面的に俺です。はい。

 でも、何とか香住ちゃんとは仲直りできた。ってか、二人の関係は確実に前進したのだ。

 え? どこまで進展したのかって? そこは想像にお任せだ。うひひ。

 しかし、今後は彼女を泣かせるようなことは控えないとね。

 確かに異世界へ行くのは楽しいが、香住ちゃんを悲しませてまですることじゃない。

 そして、異世界……ガムスたちの世界から帰って来て数日が経った。最初こそ、何か大切なことを忘れているような気がしていたが、それもどんどん薄くなってしまった。

 きっと、大したことじゃなかったんだよね。うん。



 さて。

 暦はいよいよ八月の中旬へと差しかかろうとしている。

 全国的にお盆の里帰りの時期であり、俺も一度ぐらいは実家に帰ろうかと思っている。

 現在はバイトのスケジュールや、その他もろもろを調整中。何とか、八月中旬に実家に帰ることができそうだ。

 まあ、実家といってもそれほど離れているわけじゃない。県こそ跨いでいるものの、交通機関を使った移動で二時間もかからないので、帰ろうと思えばいつでも帰れる距離である。

 そのせいか、一人暮らしを始めてから今日まで、一度も実家に帰っていなかった。そろそろ一度帰らないと、と思っていたのだ。

 実家に帰ると言っても、精々二、三日。あまり長く向こうにいるつもりはない。

 とはいえ、別に家族と仲が悪いわけじゃない。両親とも、弟と妹とも、ごく普通に問題なく交流はある。

 それなのに、長く実家にいるつもりがないのは、聖剣を実家に持っていくわけにはいかないからだ。

 布などに包んで電車に持ち込むことはできるだろうが、もしも何かの事件に巻き込まれた時、おまわりさんに「君、どうしてこんな物を持ってんの?」とか聞かれたら困るし。

 そんな簡単に事件に巻き込まれることはないとは思うが、最近はいろいろと物騒だしね。

 異世界へ行く度に何らかの騒動に巻き込まれている以上、こちらの世界でも何か起こらないという保証はないわけで。

 最近は通り魔じみた事件や、自動車の暴走事故などもちらほらあるし。やはり、聖剣は持ち歩くべきじゃないと思う。

 いっそのこと、俺が実家へ帰っている間、聖剣は香住ちゃんに預けておこうかな? そうすれば盗難などの心配もなくなるし、聖剣も誰もいない部屋に残されて寂しい思いをすることもないし。

 うん、案外悪くないアイデアじゃないかな、これ。

 よし、早速香住ちゃんにメールしてみよう。彼女のことだから、快く承諾してくれるに違いない。

 ついでに、実家に行く時に彼女を誘うか?

 い、いや、それはまた今度に……だって、初めての帰省で彼女連れなんて、いくらなんでも恥ずかしすぎるだろ?

 そりゃあ、俺は既に香住ちゃんのご家族とは親しくしてもらっている。なので、彼女を俺の家族に紹介するのが当然かもしれない。

 だけど、やっぱりちょっと……いや、かなり恥ずかしいんだよ!

 今回は、彼女ができたことだけを家族に知らせるぐらいで。もちろん、いずれは香住ちゃんを家族に紹介するけどな! だけど、それはまた今度!



 そして、実家に帰る当日。

 最寄りの駅へと向かう途中、森下家に立ち寄る。

 もちろん、聖剣を香住ちゃんに預かってもらうためだ。

 在宅中だった権蔵さんと奥さんの佳代さんに挨拶し、俺は香住ちゃんの部屋へ。

「じゃあ、悪いけどお願いするね、香住ちゃん」

「はい、任せてください」

 フローリングの上に置かれたクッションに座りながら、俺はタオルで厳重に梱包した聖剣を香住ちゃんに手渡す。

「実家の帰りにまたお邪魔させてもらうから」

「久しぶりにご家族の所へ帰るんですよね? ゆっくりしてきてください」

 と、にっこり笑顔で応えてくれる香住ちゃん。

 だけど、その笑顔に僅かな影が差していることに、俺は気づいていた。

「香住ちゃん?」

「んー……正直言うと……ですね?」

 香住ちゃんは、やや上目遣いで俺を見つめる。

「正直言っちゃうと、やっぱりちょっと寂しい……かな?」

 これまで──俺たちが付き合い始めてから今日まで、二、三日会えないことはざらにあった。俺も大学があるし、香住ちゃんも高校があるし、先日の俺一人の異世界行の時もそうだった。

 でも、俺たちは会おうと思えばいつでも会える距離にいた。ちょっと足を伸ばせば、お互いの家に行くこともできた。

 だけど、さすがに俺が実家に帰ってしまうと、そうはいかない。

 わずか二、三日。されど、二、三日。

 その事実を前にちょっと寂しそうにする香住ちゃんが、可愛いやら愛しいやらで。

「や、やっぱり、実家に帰るのは中止にしようかな……」

「だ、駄目ですよ、それは! もうご両親には帰るって伝えてあるんでしょう?」

 思わず唇から零れてしまった呟きに、香住ちゃんが慌て始めた。

「私だって子供じゃないんですから。それに、茂樹さんの聖剣のこともありますし」

 わざとツンとした表情で顔を逸らす香住ちゃん。俺に心配させまいとする彼女の態度が可愛くて仕方がない。

 だけど、香住ちゃんの言う通りだ。聖剣を家に持っていくわけにはいかないしね。

 ちなみに、香住ちゃん一人では聖剣の力は発動しない。以前に実験してみたのだが、俺が同行しないと異世界へは行けないようだ。

 理由は定かではないが、やはり聖剣の正式な所有者はあくまでも俺ということだろう。所有者である俺以外では、聖剣の不思議な力は発揮されないみたいだ。

 そういう意味では、安心して聖剣を香住ちゃんに預けることができる。もちろん、彼女が勝手に聖剣を使うなんて思ってもいないけど。

「じゃあ……毎日メールしますね」

「うん、いつでも大歓迎だよ」

 その後、二人の間に沈黙が舞い降りた。

 だけど、その沈黙は決して居心地の悪いものではなく。ただ、お互いがお互いを身近に感じながら、まったりとした時間だけが流れていく。

 どれだけそうしていただろう。突然、香住ちゃんの頭がクッションに座る俺の太股の上にぽてん、と乗せてきた。

「……ちょっとだけ……こうしていてもいいですか……?」

 満足そうに目を閉じ、すりすりと俺の太股に頬を擦り付ける香住ちゃん。

 普段はしっかりしている彼女だが、二人きりの時は時々こんな甘えた猫みたいになることを、俺は最近に知った。

 香住ちゃんの問いかけに俺は返事をすることなく、ただ、膝の上に存在する彼女の頭をゆっくりと撫ぜたのだった。



 ぷぁぁぁぁぁん、と独特の音を鳴らしながら、俺が乗った電車が走る。

 実家から大学のある町まで、乗り換え一回で行けるので移動はかなり楽である。

 実際、やろうと思えば実家から大学へ通うこともできなくはない。でも、そこは一人暮らしというものに憧れがあったので、親に頼み込んで現在に至るわけだ。

 本を読んだりスマホを弄ったりしている内に、電車は実家の最寄り駅へ到着。ここからはバスに乗ってもいいが、歩いても帰ることはできる。

 久しぶりの生まれ育った町並みを眺めながら、俺はゆっくりと歩くことに。

 八月中旬の太陽は、とても元気だ。それでもやや標高の高い土地のためか、俺が今暮らしている町に比べると、少し涼しい気がしなくもない。

 田舎というほど田舎ではなく、都会と呼べるほど都会でもない。そんなごく普通の町並みは、わずか数ヶ月しか離れていなかったのにどこか懐かしい。

 駅から実家まで、何度も通り慣れた道をゆっくりと歩く。途中、自販機で水分の補給をしつつ歩くこと30分ほど。

 見慣れた町並みの中に、最も見慣れた家が俺の視界に入ってきた。

「…………帰って来たんだな」

 玄関の前に立ち、家全体を眺める。

 祖父の代から続く木造建築。外観は古めかしいが、内側は何年か前にリフォームしたので、それなりに快適な家。

 生まれてから十八年以上暮らしてきた俺の家だ。別にどこか変化があったわけじゃないのに、なぜかしんみりとした気持ちが込み上げてきた。

 何となく嬉しいやら照れ臭いやら、複雑な気持ちで玄関のドアノブに手をかけた時。

 突然、背後から聞き慣れた声がした。

「あれ? 兄貴? 兄貴も今帰ってきたのか?」

 その声に背後を振り向けば、そこには大きなバッグを肩からかけた坊主頭の少年が立っていた。

「おう、はる、ただいま。春樹も今帰ってきたところか?」

 こいつこそ、俺の弟の水野春樹である。現在は高校二年生──香住ちゃんと同い年──であり、県内でも有名な高校野球の強豪校に通っている。もちろん、野球部に所属だ。

 なお、ポジションはピッチャー。

 中学時代、中学野球ではなくシニアリーグで野球をしていた春樹は、何校も高校からのスカウトが来るほどその道ではちょっとした有名人だったのだ。

 現在は県内の強豪校で寮生活。春樹もまた、久しぶりに我が家へと帰ってきたわけだね。

「そういや、夏の県予選、残念だったな」

「まあね。でも、来年こそ絶対に甲子園へ行ってみせるぜ!」

 今年、春樹が通う高校は県予選の決勝で敗退した。

 春樹はエースでこそないものの、それでも予選では何度もマウンドに上がったのだ。

 決勝敗退が決まった瞬間も、マウンドにいたのは他ならぬ春樹だった。

 敗退が決まると同時に、春樹はマウンドで泣き崩れた──と、俺は母親から聞いていた。

 ちなみに弟が通う高校は、春樹が一年の時に甲子園へ行っている。だが、その時の春樹は一年生ということもあり、ベンチ入りさえできずに観客席から応援しただけだった。

 だけど、今年の夏の大会が終わり、三年生が引退したことで春樹は遂にエースナンバーを与えられたとか。そのせいか、こいつはこれまで以上に野球に情熱を燃やしているのである。

「そういう兄貴こそ、大学生活は?」

「まあ、のんびりとやっているよ」

「へえ? で、彼女とかは……って、聞くまでもないか」

 くっくっく、と意地の悪そうな笑みを浮かべるマイ・ブラザー。

 まあ、こいつがこんな態度を取るのも無理はない。実際、俺と違って春樹は昔からモテたからな。

 現在も強豪校のエースなんてやっているので、校内はもちろん他校の女子生徒から声をかけられることもあるぐらいだ。

 だがな、弟よ。兄を見縊るなよ?

「彼女ならできたぞ? それもとびっきり可愛い彼女がな!」

「え? 嘘だろ? 兄貴に彼女? そんなすぐバレる嘘つくなよ?」

 確かに、俺の言うことを信じられないのは理解できる。かなり悔しいけど。

 春樹がこれまでに何人もから告白とかされてきたのに対し、俺はそんなことは一度もなかったから。

 だが弟よ。今の兄は以前の兄ではないのだよ!

「では、嘘ではない証拠を見せてやろうではないか!」

 俺はスマホを操作し、香住ちゃんが写っている写真を表示する。

「これが俺の彼女だ!」

 ばばーんとスマホの画面を春樹へと突きつける。しばらくその画面に見入っていた春樹が、なぜか溜め息を吐き出した。

「やっぱり嘘じゃんか。これ、じょう西せい高校の森下香住さんだろ? どうして兄貴が彼女の写真持っているのかは知らないけど、こんな可愛い子が兄貴の彼女なわけがないじゃないか」

 ん?

 弟よ。なぜに君は香住ちゃんのことを知っているのかね?




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