番外編 異世界の英雄~エピローグ~




突然切り替わった視界。だが、よくよく見れば、そこはすっかり見慣れた俺の部屋で──

「……ああ、帰って来ちゃったのか……」

 そうか。

 もう、期限の三日が経過したのか。

 今回の異世界での滞在時間は、設定可能な範囲で最大である72時間。つまり、三日だ。

 三日前の昼前ぐらいに転移したから、丁度72時間経過したのだろう。

 壁にかけてある時計を見れば、確かに三日前のこれぐらいの時間に転移したもんね。

 ということは、ぎりぎりで《魔獣王》を倒せたことになるな。

 俺が突然消えたことで、残されたガムスを始めとしたトーラムの人たちがどうなったのか気にはなるが、正直どうしようもない。まあ、とりあえずは《魔獣王》を倒せたことでよしとしよう。うん。

 …………あれ? 何か忘れているような? 最大の脅威である《魔獣王》は倒したから、これでトーラムの街には危険はないはず……だよね?

 うーん、それでもやっぱり、何かが引っかかっている気がするぞ。何が引っかかっているんだ?

 俺は首を捻りながらも、荷物を片付けて着替えようとする。

 その時だ。

 その「存在」に、ようやく俺が気づいたのは。

「………………お帰りなさい」

「へ?」

 俺のベッドの上で、正座しながらじーっと俺を見つめているのは──我が最愛の香住ちゃんだった。

 彼女にこの部屋の合鍵こそ渡していないが、鍵の隠し場所は教えてある。だから、彼女が俺の部屋の中にいること自体は不思議じゃない。不思議じゃないけど……

「…………それで、茂樹さん? どこに行っていたんですか?」

 にっこりと微笑みながら、香住ちゃんが問う。

「その服装といい、突然空中から現れたことといい……異世界に行っていましたよね?」

 お、おぅ、バレテーラ。

「この三日、何回電話しても出ないと思ったら! あれほど一人で異世界に行かないでって言ったのにっ!!」

 見る見る機嫌が急降下していく香住ちゃん。う、うん、ごめんよ。俺が悪かったよ。

「さあ! どこでどんなことをしていたのか、きっぱりはっきり説明してもらいますからねっ!!」

 と、香住ちゃんはベッドの空いたスペースを指差す。はい、そこに正座しろってことですね。分かります。

 俺は黙って香住ちゃんの指示に従い、ベッドの上に正座する。

「茂樹さんに限って、異世界で浮気しているとかは全く心配していません! でも、茂樹さんはすぐに危ないことをするじゃないですか! それで、今回はどこへ行っていたんですか? まさか、ミレーニアさんのいるアルファロ王国じゃないですよねっ!?」

 い、いや、香住ちゃん。思いっ切り浮気を心配していますやん。

 ここは、正直に話すのが一番だね。でも、異世界で同性ハーレムができかけたことだけは、さすがに黙っていた方が良さそうだ。

 俺はベッドの上に正座したまま、この三日間のできごとを香住ちゃんに説明していくのであった。



 この三日で起きたことを、俺は全部正直に話した。

 そして、今回の異世界行のことを全て話し終えた時。

 突然、香住ちゃんが俺に抱き着いてきたのだ。

 その勢いに押され、俺は香住ちゃんを上にしたままベッドに倒れ込む。

「…………やっぱり、異世界で危ないことをしていたんじゃないですか……っ!!」

 俺の胸元に顔を密着させて、香住ちゃんが小声でそう言った。

 肩が小さく震えているのが分かった。もしかすると、香住ちゃんは泣いているのかもしれない。

 ああ、本当にごめんよ、香住ちゃん。君をこんなに心配させてしまって。

 今頃になってそんなことに気づいた俺は、相当な大馬鹿野郎だ。

 香住ちゃんを抱き留めた形でベッドに倒れて込んでいるため、今の俺の両手は彼女の背中にある。

 その背中を、俺はそっと撫でさすった。もう二度と、彼女を泣かせないようにしようと心に誓いながら。

「もう二度と、君を置いて異世界へ行ったりしない。約束するよ」

「こ、今度こそ、絶対ですよ……? 私、すっごく心配していたんですからね……?」

 顔を上げた香住ちゃんの両目は、僅かに涙で濡れていた。やはり、俺は彼女を泣かせてしまったようだ。

「うん、今度こそ絶対だ。二度と君を置いていったりしないか──っ」

 俺は、最後まで言葉を続けることができなかった。なぜなら、俺の口が突然塞がれてしまったから。

 俺の口を塞いだのは、香住ちゃんの唇。

 その柔らかな感触に驚きつつも、気づけば俺は彼女の華奢な身体を抱き締めていた。

 真夏の昼下がり、エアコンの駆動音──どうやら、香住ちゃんがこの部屋に来た時に稼働させたらしい──だけが、俺の部屋の中に静かに響く中、俺は香住ちゃんを改めてしっかりと抱き締めた。


□ □ □ □ □


「ま……《魔獣王》様が討ち死になされた……だと……っ!?」

 配下の魔物からもたらされた報告を聞き、《竜》は愕然とした。

 あの強大な力を誇る《魔獣王》が倒されたのだ。しかも配下の報告によれば、信じられぬことにたった一人の人間に討たれたらしい。

 だが、その人間は自在に空を駆け回り、手にした剣より強烈な電撃を放ったという。

「……やはりその者……聖剣カーリオンの使い手は、どこぞの神々が人間を救うために遣わした御使であったか……」

 ゆるりゆるりと首を振り、《竜》は考えに没頭する。その際、無意識に動かした尻尾で配下を吹き飛ばしそうになるが、沈思黙考する《竜》はそれに気づかない。

 果たして、《竜》が思考の海に沈んでいたのはどれくらいの間だったか。ようやく意識を浮上させた《竜》は、眷属たる配下の魔物たちにはっきりと告げた。

「これより百年……いや、念には念を入れて二百年の間、我は眠りにつく! 好都合なことに、休眠期も近づいていることであるしな」

 主たる《竜》のその宣言に、配下の魔物たちがざわざわと騒ぎ出す。彼らはてっきり、自分たちの主が《魔獣王》の仇を討つために出陣するとばかり思っていたからだ。

 そのことを主に告げれば、《竜》はきっぱりと断言した。

「愚か者が! 《魔獣王》様でさえ勝てぬ聖剣の使い手に、我が勝てるはずがなかろうが! だが、相手はどうやら神の御使。それほど長く人間の世界に留まることはなかろう。よって、二百年後の世になれば、聖剣の使い手のことは人間たちの間では単なる伝説となっていよう。所詮、人間など五十年ほどしか生きられぬ短命な生き物ゆえに」

 長い寿命を誇る《竜》に比べれば、人間の寿命など瞬く間のようなものだ。《竜》にとっての一眠りは、人間にとっては何世代もの時間を経ることになる。

 それだけの時間があれば、御使は天に帰るだろう。当然、愛剣である聖剣と共に。

 その聖剣の特徴はしっかりと覚えた。人間たちの巣に潜り込ませた配下たちが、聖剣の特徴を調べてきたから。

 たとえ二百年間眠りにつこうとも、けっして忘れることはないだろう。

「二百年後、我は改めて《魔獣王》様の仇を討つため、人間を苦しめて、苦しめて……最大限の苦しみを与えてから、一人残さず滅ぼしてやろうぞ」

 ぐふふふ、と硫黄臭い息と共に笑みを零す《竜》。

 配下の魔物たちもまた、主の意見に賛成して喝采を送る。

「二百年後……我は《魔獣王》様の後を継ぎ、次代の《魔獣王》……いや、《邪竜王》を名乗ろうではないか! 二百年後こそ、《邪竜王》ヒュンダルルムがこの世界を支配するのだっ!!」

 こうして《竜》は……いや、《邪竜王》は眠りについた。

 人間たちが「黒竜山脈」と呼ぶ、険しい山々が連なる山岳地帯の最高峰の頂上に存在する、《魔獣王》が居城としていた場所で。


□ □ □ □ □


 その言葉を聞いた時、俺は正直信じられなかった。

「すまねぇが、おっさん。もう一度言ってくれ」

「何度でも言うぞ、ガムス。おまえが兄貴に代わって新たな王となれ」

 思わず、おっさんと寝台で上半身を起こしている大守様を何度も見比べる。

 いや、背後にいる〈火駈振刀〉たち三人の傭兵も、俺と同じような有り様だった。

「太守様がご無事だったんだ。ならば、これまで通り太守様がこの街を治めていけばいいだろ?」

 俺がそう言うと、寝台の上の太守様がゆるりと首を横に振った。

「いや、我にはこの街を収めることは無理なのだ、〈斬没刃星〉……いや、ガムス殿」

 大守様が鋭い視線で俺を射抜く。

 普段はふわふわとした雰囲気のお方だが、いざとなればこのような態度を見せることもある。一つの街を治める以上、当然のことではあるが。

「〈大断斬波〉……いや、御使様のご活躍により、《魔獣王》という脅威は退けられた。だが、まだ敵には《竜》が残っている。いつ、《竜》が配下の魔獣を率いてこの街を襲うとも限らん。武の立たぬ我輩では、《竜》がもたらす脅威から民を守れぬ。我輩はこれ以上、民が傷つく姿を見たくはないのだ……」

 大守様は、痛ましげな表情で顔を伏せる。《狸》が夜襲をしかけてきた時、かなりの数の住民が命を落としていた。

 おそらく、大守様はそのことを気にしておられるのだろう。

「である以上、これからはこの街を護ることができるだけの力を持った者が、指導者として立たねばなるまい。例えば、ガムス殿のように腕の立つ者がな」

「ちょ、ちょっと待ってくださいや! それなら、おっさんだっていいじゃありませんか? おっさんは大守様の異母弟だし、剣の腕だって相当なものだろう?」

「そうは言うがな、〈斬没刃星〉……じゃない、ガムス殿。俺なんかより、貴殿の方が余程強かろう? 俺程度では駄目なんだよ。それに……」

「それに?」

「……前々から言おうと思っていたが、俺はまだ『おっさん』じゃねえ!」

 き、気にしてたのか……い、いや、今はそれどころではなくてだな!

「《魔獣王》を討った際、貴殿は兵士たちを鼓舞し、その戦意を巧みに燃え上がらせた。それは『王』としての資質の一つであると我輩は考える。よって……貴殿に新しい『王』となって欲しいのだ。もちろん、我輩も我輩の弟も力の及ぶ限りの協力はする。どうか……どうか、我らが新しき『王』になってはくれぬか?」

 と、太守様は寝台の上で頭を下げた。その隣では、同じようにおっさん……じゃなかった、デリサカも頭を下げる。

「だったら……だったら、新しい『王』には《魔獣王》を討ったシゲキこそが相応しいんじゃねえのか?」

 俺が零したその言葉に、背後にいる〈火駈振刀〉たち三人の傭兵も頷く。頷く気配がした。

「確かに、それが可能であればな……。だが、御使様は天に帰られてしまった。貴殿はその瞬間を見たのであろう?」

 確かに、大守様の言葉通りだ。俺はシゲキの姿が消える瞬間を見た。

 あいつが初めて俺の前に現れた時と同じように、突然消えてしまったのだ。

 その理由は分からない。だが、シゲキの……御使様の目的が、当初から《魔獣王》を討つことだったとしたら? その目的を果たしたので、この世界に留まることができなくなり、元いた世界へ帰ってしまったのだとしたら?

 そう考えれば、シゲキが突然消えてしまったことも頷けるというものだろう。

 そして、俺と同じことを、この部屋にいる者たちは考えているに違いない。

「俺はな、ガムス殿。御使様から聞いたんだよ」

 至極真面目な顔で、デリサカが俺に告げる。

「御使様ははっきりとおっしゃられた。『一番信用できるのはガムス』だと。それはもしかすると、御使様の下知だったのではないかと俺には思えて仕方がないんだ。貴殿を我らの『王』にするようにと、御使様は言いたかったのではないかってな」

 シゲキの野郎、そんなことを言っていやがったのか。

 くそ、あの野郎! 嬉しいことを言ってくれるじゃねえか! 俺のことをそこまで信頼していてくれたなんてよ。

 さすがは俺が惚れた男だ。あいつがそう言ってくれたのなら、俺としても決心しなくちゃならねえ!

「ちょいとばかり悔しいが、あの兄さんがそう言った以上、おまえが俺たちのアタマになるしかねえだろ。少なくとも、俺様はおまえに従ってやるぜ? まあ、あくまでも〈大断斬波〉の兄さんの言葉に従うからだけどよ?」

「いかにも、〈火駈振刀〉の言う通り! この〈逢闇喝断〉ホラミダもまた、我が主のお言葉に従い、〈斬没刃星〉の力となろう」

「そうねぇ。〈斬没刃星〉ちゃんが『王様』になってくれたら、きっと民たちも安心できると思うわ。なんせ、あなたが一番御使様から信頼されていたんだから」

 太守様が。デリサカが。〈破月出焔〉スカーロが。〈火駈振刀〉クラインが。〈逢闇喝断〉ホラミダが。

 そして何より、この場にいなくてもシゲキが俺を信じてくれるのなら。俺はその信頼に応えるしかねえじゃねえか。

「……分かった。俺が新たな『王』となる。だが、一つだけ条件をつけさせてくれ」



 あれから、何日が経っただろうか。

 今、俺の目の前には無数の人たちが集まっている。今から俺がする宣言を聞くために、各地からこの場に集まってくれたのだ。

「そろそろお時間ですぞ、我が王……ガムス陛下」

 そう告げるのは大守様。いや、もう彼は太守様じゃない。今の彼は、「王」たる俺を支える宰相だ。

 あれから──俺が「王」となると決心してから、一年以上の時が流れた。

 皆に勧められて「王」となると決めたものの、そのまますぐに「王」になれるわけがない。

 新たな「国」を作るための様々な礎作りに、近隣諸国への通達など、やることはいくらでもあった。

 それらの仕事を、不慣れな俺に代わって取り仕切ってくれたのが宰相である。彼の尽力なくして、俺は「王」になることはできなかっただろう。

 いや、宰相だけじゃない。デリサカやクライン、スカーロにホラミダ。この四人も俺に力を貸してくれた。今では「四将軍」などと呼ばれ、名実共にこれから俺が治める国の重鎮である。

 俺は座っていた椅子から立ち上がると、そのまま出窓テラスへと向かう。

 今日、俺は正式に「王」となる。戴冠式は先程済ませたばかり。これから、俺が「王」となったことを「国民」に正式に宣言するのだ。

 恭しく頭を下げる宰相に、俺は手にしていた物を手渡す。

「持っていてくれ」

「これは……いつぞやに御使様からいただいた……?」

「そうだよ。俺や宰相を助けてくれた、あの奇蹟の神水が入っていたいれものさ」

 研き抜かれた水晶のように透明で、それでいてとても軽いその容器。こんな物、人間の手で作り出せるわけがない。間違いなく、神々の手によって作られた物だろう。

「そいつは今後、この国の国宝にするつもりだから大切に扱ってくれよな」

「確かに……これにはそれだけの価値がありますな」

 俺と宰相は顔を見合わせながら笑う。きっと、彼も俺と同じようにあいつを思い出しているのだろう。

 あいつ……俺の兄弟分。そして、俺たちとこの街……いや、この国を救ってくれた英雄。

 その兄弟分の信頼に応えるため、俺は今日、王になる。

「一年前……陛下がおっしゃられた王となるための条件……いよいよ達成する時がきましたな」

「ああ……いよいよだ」

 俺が王となるための条件。それは、俺が興す国の名前を俺自身が決めること。

 そして、その名前は既に決まっている。

 俺と兄弟分が初めて出会った時、あいつが口にしたとある名前。

 その名前を俺の国の名とすれば、いつかまたあいつがこの国に訪れてくれるかもしれないからな。

 だから俺は、その名前を俺の国の名前にすると決めた。

 俺が出窓から姿を見せれば、大きな歓声が湧き上がる。

 国と言っても、まだまだ何もかもが途中だ。俺の家となる王城でさえ、まだ半分もできていない有り様だしな。でも、俺はこの国を大きくしてみせる。いつかあいつがこの国を訪れた時、胸を張って自慢できるように。

 俺は二階の出窓から、眼下に集まった人々を見下ろす。そして、高らかに告げるのだった。



 ここに、一つの国が興った。

 まだまだ小国ではあるが、活気に満ち溢れた国である。

 すぐ近くに「灰銀の森」や「黒竜山脈」といった、魔獣や魔物がひしめく魔境が存在するものの、それらに打ち勝つだけの力を秘めた国である。

 その国を治めるは、後の世に「英雄王」と呼ばれることになる偉大な王。

 この国を興す前に、この辺りを支配していた強大な魔獣を倒したことから、「英雄王」と呼ばれることになる王だ。

 もっともその王は、決して自分を英雄だとは認めはしなかったらしい。


──《魔獣王》を倒したのは俺じゃなく、俺の兄弟分だ。あいつこそが本当の英雄だよ。


 と、その王は常に口にしていたと、王家に伝わる古文書に記されている。

 そんな王が興した国は、見る間にどんどん大きくなっていった。

 わずか百年ほどで、近隣に存在するどの国よりも大きくなり、誰もが強国大国と認める国となるほどに。

 その国とは。

 強大な魔獣を倒し英雄が興した、その国の名は──




「今日ここに、初代国王ガムス・タント・アルファロの名において、『アルファロ王国』の建国を宣言する!」









~~~作者より~~~


 これにて、第5章および番外編は終了です。

 先週お休みしたばかりで恐縮ではありますが、いつものように二週間ほど休憩をいただきまして、次の章へと入る予定です。

 とはいえ、次はどんな章にするのか、まだ決まっていなかったり(笑)。


 次回は9月18日の更新となります。



 追記:Mzaryさんの予想、大当り(笑)!


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