番外編 異世界の英雄8
「な、何っ!? 《蛙》だけではなく、《魔獣王》様までもがお出ましになられただとッ!?」
部下の報告を耳にした《竜》が、驚愕の表情を浮かべる。トカゲのような容貌は表情の変化が掴みづらいが、この時だけは間違いなく驚いていることが分かる。
「嫌味ったらしい《蛙》だけならともかく、《魔獣王》様までお出ましになられたとなれば、我も《魔獣王》様と共に人間どもの巣へと攻撃をしかけるべきか……?」
その巨大な口からばふん、と硫黄臭い煙を吐きつつ、《竜》は思考する。
「い、いや、我が《魔獣王》様より命じられたのは、この城の守護だ。《魔獣王》様がおられぬ間、我はこの《魔獣王》様の城を守らねばならぬ」
人里より遠く離れた険しい山の頂上。そこに《魔獣王》の居城はあった。
こんな場所に誰が攻めてくるのか、という思いも《竜》にはあったが、それでも命令は命令。《竜》は与えられた命令を守ることを選んだ。
そもそも、あの偉大なる《魔獣王》様が御自らお出ましになられたのだ。いかにカーリオンとかいう銘の剣の使い手が優れていようと、人間が《魔獣王》様に勝てるわけがない。
「いかにカーリオンとやらが神剣聖剣の類であろうとも、《魔獣王》様には敵うまい」
だが、と《竜》は思う。万が一……そう、万が一のことはあるやもしれん、と。
「もしもカーリオンという剣が、《魔獣王》様さえも倒すほどの神剣聖剣であるとしたら……」
《竜》は配下の魔獣を何体も呼び出した。いずれも、変化や隠密の技に優れた魔獣ばかりである。
「至急、トーラムとかいう人間ども巣へと入り込み、カーリオンとやらの情報を集めよ。その姿形、そして使い手の特徴、分かることは全て調べ上げるのだ!」
《竜》の言葉に従った配下たちが、静かに《魔獣王》の居城を後にする。
その背中を見送りながら、《竜》は嫌な予感を覚えていた。
□ □ □ □ □
巨大なキノコが、ゆっくりとした速度でトーラムの街へと近づいてくる。
いや、違うかな。
トーラムの街の城壁と巨大キノコの間に距離が相当あるため、キノコの移動速度はゆっくりに感じられるが、間近で見たらかなりの速度だと思う。
なんせ、見る間に彼我の距離が縮まっているのが分かるのだから。
しかしあのキノコ、どうやって移動しているのだろうか?
当然ながら、キノコに脚はない。もちろんここは異世界だから、脚のあるキノコがいても不思議じゃないけど、ここから見る限り脚があるようには見えない。
もしかして、あの胴体……石突きって言うんだっけ? あれの下部分に小さな無数の脚でも生えていたりして。
ほら、ヒトデの管足みたいな感じで。
ヒトデが無数の管足を動かして移動するように、あの巨大キノコも同じ方法で移動しているのかもしれないぞ。
まあ、俺の想像でしかないけど……想像したら、かなり気持ち悪かった。反省。
それにしても、馬鹿みたいにでかいキノコだなぁ。
ここから見える森の木々よりも体半分以上は大きい。その石突きの太さも、森の木々が小枝のように見えるところから、相当太いと思われる。
ざっと目測だけど、石突きの太さは5メートル以上、全長は15メートルぐらいだろうか。
それにキノコというぐらいだから、当然傘もある。傘の大きさは石突きよりも遥かに大きく、その直径は10メートルぐらいになるだろうか。
しかも、その傘が毒々しい紫で、ところどころが赤く発光していたりする。
どこからどう見ても、あれって毒キノコだよなぁ。まあ、毒がなかったとしても、だから何だって話だけど。
「ま……まさか……」
俺がキノコを観察していると、隣から震えた声が聞こえた。
視線をそちらへと向ければ、そこにいたのはデリサカさん。彼は真っ青な顔をしながら、じっと近づいてくる巨大キノコを見つめていた。
「ま……ま、《魔獣王》……」
え? 今、デリサカさんは何て言った?
確かに、《魔獣王》って言ったよね?
ってことは……あれがこの街を襲っている魔獣たちの親分ってこと?
この世界でこれまで俺が見た魔獣は、幹部である《熊》、《狸》、《蛙》の三体と、その配下の有象無象たち。
幹部と配下の魔獣たちは、全て獣っぽい印象だった。《熊》にしろ《狸》にしろ、獣の特徴が大きかったと思う。
《蛙》は……まあ、獣かなぁ? ぱっと見た目は、頭以外は人っぽかったけど。
だけど……あれは違う。
獣っぽいイメージはまるでない。
《魔獣王》は、ただひたすら「キノコ」でしかない。
でも、それが逆に恐怖をかり立てる。手も足もなく、目も鼻も口もない。だけど、俺たちに対する敵意だけは確かに感じられるのだ。
実際、《魔獣王》の敵意というか殺気というか、そういった類のものを浴びせられて、城壁の上にいる兵士たちは完全に戦意を喪失させている。
飲まれている、というやつだろう。きっと。
兵士たちは《魔獣王》の姿を見た途端、顔色を悪くし、身体を震えさせ、中には尻餅をついている者もいた。
それでも、《魔獣王》から放たれる敵意が強すぎるのか、兵士たちは《魔獣王》から目が離せない。それが負の連鎖となって、兵士たちの身体を縛り付けていく。逃げ出すことさえできないみたいだ。
そんな中で、俺は特に何も感じていなかった。
聖剣がその不思議パワーで守ってくれているのか、それともこれまで俺が異世界で経験した様々な出来事が俺自身を鍛えてくれたのか、詳細は不明だけど《魔獣王》を見ても身体が震えるようなことはなかった。
確かに、恐怖は感じる。あんな巨大な化け物が接近しているのだから、それは当然だろう。
だけど、それだけ。
恐怖に身体が竦むこともなければ、逃げようとも思わない。
うーん、改めて振り返ってみれば、様々な異世界でいろいろなことを体験したからなぁ。
とにかく、俺がやることは決まっている。迫る《魔獣王》を何とかしよう。
それが大守様から依頼されたことだからね。
「みんな」
俺は背後にいる、ガムスたち傭兵に振り向いて声をかける。
「身体は動くか?」
「おう! 当然だろう、兄弟!」
ガムスが不敵な笑顔を浮かべる。
「足は前へ出るか?」
「へへ……誰に聞いていやがるんだ、兄さんよぉ?」
クラインさんが、その分厚い胸をどん、と叩きながら答える。
「手は得物を握れるか?」
「もちろんでございます、我が主よ!」
ホラミダさんが、その場で跪いて頭を下げた。
「その胸の闘志は消えていないな?」
「うふん、当然にきまっているでしょ?」
クラインさんが、ばちーんとウインクを決めた。
よし! さすがは名の知れた猛者たちだ。《魔獣王》のプレッシャーに飲まれている様子は全くない。
俺は腰から聖剣を引き抜き、その切っ先をぴたりと突きつけた。
ゆっくりと近づく、《魔獣王》の巨体へと。
「先に行く。後から来い」
……何とも、我ながら偉そうな物言いだね。それにすっげぇ恥ずかしい。
そもそも、こんなことを言うのは俺の柄じゃないのは百も承知だ。
でも、こうすることでガムスたちや兵士たちの戦意向上に繋がるなら、恥ずかしいなんて言っていられない。言葉だけで兵士たちの闘志が燃え上がるのであれば、いくらだって言ってやる。
正直、俺とガムスたちだけではトーラムの街は守れない。
近づいてくる《魔獣王》の周囲には、無数の点が飛んでいるのが見える。あれはおそらく、配下の魔獣たちだろう。
そして、魔獣たちは地上にもいるはずだ。森の木々が邪魔で見えないけど、間違いではないはずだ。
あれだけの数の魔獣を討つには、俺たち以外の兵士や傭兵たちの力が必要になる。
「数は力」。それは真理の一つだからね。
「デリサカさんは、ここから兵士たちの指揮をお願いします」
「任せてください。この街は俺たちの『家』です。絶対に守ってみせます!」
びしっ、と俺に向かって敬礼するデリサカさん。何か、言葉遣いも改まっているし……まあ、戦場でなあなあな雰囲気はよくないだろうから、そこを引き締めるという意図があるのだろう。きっと。
そんなことを考えつつ、俺は城壁の上から空中へと足を踏み出した。
もちろん、足の下には見えない足場がある。さすが聖剣先生、しっかりと仕事をしてくれるね。
さあ、ここからは任せるぜ、相棒。
ガムスたちに向かって偉そうなことを言ったけど、所詮俺は俺でしかないからね。
風のような速度で、俺は空中を駆ける。
《魔獣王》との距離が見る間に縮まり、その周囲を飛び回る魔獣の姿も詳細に見て取れた。
鳥のような魔獣や、竜のような魔獣、中には、《狸》のようにどうして飛んでいるのか分からないような魔獣までいる。
そんな魔獣たちが、俺に気づいて一斉に襲いかかってくる。
だが、魔獣同士で連携を取るという意思はまるでなく、ただ個別に襲いかかってくるだけ。
確かに、「数は力」だ。だけど、その力も有効に使いこなせないようでは意味がない。
それでは俺……じゃない、聖剣を倒すことはできないぜ?
先頭切って飛びかかってきたワイバーンのような魔獣を、聖剣が一閃して両断した。
明らかに聖剣の刀身よりも大きな魔獣が、真っ二つに斬り裂かれる。うん、気にしないでおこう。だって、聖剣のやることだし。今更だし。
てんでばらばらに襲いかかってくる魔獣たちを、聖剣が片っ端から斬り捨てていく。
一体魔獣を斬るごとに、背後のトーラムの街から歓声が上がる。どうやら、魔獣と倒す俺の姿を見て、《魔獣王》のプレッシャーを撥ね除けて戦意を向上させているようだ。
よしよし、まずは狙い通り。プレッシャーに飲まれたままでは、勝てる戦も勝てないからね。
だから、俺が先陣を切って魔獣を倒し、兵士たちの心に戦意という名の火を灯す。そして、その後はその火をどんどん大きくしていけばいい。
その成果があったからか、背後から一際大きな歓声……いや、鬨の声が響き渡る。ちらりとそちらを見遣れば、トーラムの街の正門から百人近い兵士や傭兵が出陣するところだった。
彼らの先頭に立つのは、もちろん四人の凄腕の傭兵たち。
地上にて、森を抜け出した魔獣たちと、兵士・傭兵連合軍との戦いが始まる。
山裾に広がる森から、わらわらと滲むように飛び出す魔獣たちと兵士・傭兵連合……いや、トーラム軍が接触し、激しい戦いが繰り広げられていく。
どうやら、味方は完全に《魔獣王》の敵意を撥ね返したみたいだ。トーラム軍の士気は高く、魔獣たちを何とか押し止めている。
とはいえ、敵である魔獣の数は味方よりも多い。
トーラム軍を擦り抜けやり過ごして、城壁へと近づく魔獣たちもいる。
だが、そうは問屋が卸さないってなもので。
城壁の上から、無数の矢が近づく魔獣へと射かけられる。
矢の雨に晒された魔獣たちは、ばたばたとその場に倒れて絶命していく。
よしよし、我が軍は優勢のようだ。
なんてことを俺が考えている間も、聖剣は近づく魔獣を片っ端から斬り払う。
今もまた、一体の鳥の魔獣──オウムに似ている──が、片方の翼を斬り飛ばされて地上へと落下していった。
気づけば、《魔獣王》の周囲に群れていた魔獣たちも、残り僅かになっている。
その魔獣たちも、俺……じゃなくて聖剣に恐れをなしたのか、近づくことなく《魔獣王》の周囲を飛び回るだけ。
まあ、逃げ出さないだけでも凄いのかもね。
戦意を感じられない魔獣を無視し、俺と聖剣は巨大な《魔獣王》へと迫る。
その時だ。
突然、俺の視界をピンクの霧が埋め尽くしたのは。
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