番外編 異世界の英雄7




 さて。

 エリクサーの残量が最後のペットボトル四分の一ほどとなったところで、怪我人の治療の方は何とか目処が立った。

 もちろん、怪我人全員を治療できたわけじゃない。あくまでも、重傷者を命の危機から救い上げただけだ。

 当然、今後の怪我の経過次第では、再び危険な状態になるかもしれない。だけど、そこまで俺は力になれない。

 エリクサーが無尽蔵にあれば、話は違ってくるけどさ。

 それでも、デリサカさんを始めとした街の人たちは感謝してくれた。中にはお金や食料を提供してきた人たちもいたが、それは丁重にお断りした。

 でも、俺に向かって跪き、祈っているような人たちもいたけど……あれ、単なる感謝の表れだよね? そうだよね?

 それはさておき、俺がこの世界に滞在できるのも今日一日。できれば、今日中に《魔獣王》とかいう奴を何とかしたいところ。

 このまま元の世界に帰っても、気になって仕方がないだろうし、きっちりとしたところまで決着をつけたいな。

 でも、《魔獣王》以外にも幹部魔獣がいるんだよなー。いくら俺……じゃない、聖剣でも、今日中に倒せるだろうか?

 とにかく、まずはガムスやデリサカさんたちと相談だな。

 今、俺がいるのは昨日から泊まっている高級な宿屋の一室。この宿屋の数室を、怪我人の救護室としてデリサカさんが一時的に接収したのだ。

 最初は太守様の屋敷跡で行われていた怪我人の治療も、屋外で治療を続けるのもいろいろと問題があるだろうと、デリサカさんがここを使えるようにしてくれたってわけ。

 その他にも、壊れてしまった大守様の屋敷の代わりに、現在はトーラムの街の行政もここで行われている。

 まあ、状況が状況だし、宿屋の経営者もさすがに嫌とは言えなかったのだろう。いや、聞けば経営者さんは進んでこの宿の使用をデリサカさんに提言したとか。

 大守様といいデリサカさんといい、街の人たちに慕われているなぁ。

 それはさておき、怪我人の治療を切り上げた俺は、デリサカさんやガムスたちを探して宿の中を歩き出した。



 そろそろ太陽は天頂に差しかかろうかという時間帯……つまり、お昼前。

 夕べから一睡もしていないので、猛烈に眠気を覚えるけど、さすがに今は寝るわけにもいかないよね。

 廊下の窓の外へと視線を向ければ、見えるのはもちろんトーラムの街。その街のあちこちから喧噪が聞こえてくる。魔獣の夜襲を受けて破壊された建物などを、撤去したり修理したりしているのだろう。

 でも、壊された建物の数はそれほど多くはないそうだ。襲ってきた魔獣のほとんどが、大守様の屋敷で暴れたかららしいから。

 それに、重傷者のほとんどは俺がエリクサーで完治とはいかずとも治療したので、街の被害に比べると死亡者の数は少なかった、とデリサカさんから聞かされた。

「なんにしろ、貴殿のおかげだ。街の住民を代表して礼を言う。本当にありがとう」

 そう言って、深々と頭を下げるデリサカさん。更にはデリサカさんだけではなく、部屋の中にいた兵士や使用人らしき人たちもまた、俺に頭を下げている。

 ここは宿の一室。現在はここでトーラムの街の行政を取り仕切っている場所でもある。当然、人の出入りは激しく、デリサカさんは出入りする人たちにあれこれと的確な指示を飛ばしている。

 うん、この人、かなり有能なんだろうな。デリサカさん自身は兵士だけど、どちらかというと頭脳派というか文官タイプというか、前線で直接得物を振るって敵を倒すよりも、背後から軍全体を指揮する指揮官タイプみたいだ。

 そんな執務室(仮)の中で、デリサカさんが頭を下げたのだ。そりゃあ、他の人たちだって下げないわけにはいかないよね。うん、それは分かる。分かるんだけどさ。

「よ、よしてくださいよ、デリサカさん。俺は俺ができることをしただけですから」

「……まったく、貴殿は本当に無欲だな。貴殿がその気になれば、この街を含めた周辺一帯の王にもなれるだけの功績を打ち立て、更には奇蹟さえをも見せつけたというのに……まあ、貴殿からすれば人間の街一つなど、いかほどのものでもないのかもしれんな」

 なぜか、呆れたような笑みを浮かべるデリサカさん。それより、今後のことを相談しないと。

「………………きょ、今日中に《魔獣王》とその配下の幹部魔獣を倒す……? 正気か……? い、いや、貴殿ならばそれも可能なのだろうが……いやはや」

 またもや呆れた顔をするデリサカさん。あれ? 俺、また何か変なことを言いました?

「とにかく、《魔獣王》とその配下を倒してくれるのはありがたい。詳しいことは〈斬没刃星〉と相談してくれ。そして、魔獣どもを討伐した暁には、僅かだが褒賞も出そう」

 うん、褒美の方は期待していません。デリサカさんには悪いけど。

 なんせ、街がこの有り様だからね。今は俺たちに褒美を出すより、街を立て直す方が重要だろうし。

「そういや、《魔獣王》はこの近くの山岳地帯にいるんでしたっけ? 具体的にはどの辺りなんですか?」

「うむ、詳しいことを説明しよう。誰か、地図を持って来い」

「くくくく、その必要はないぞ?」

 突然、聞き覚えのない声が聞こえたかと思うと同時に、俺は腰から聖剣を引き抜き、そのまま抜き打ちの一撃を部屋の一角に向けて繰り出した。



「ほほほ、一瞬で儂の存在を嗅ぎつけたか。話に聞くより厄介じゃな、カーリオンとやらの使い手は」

 俺が聖剣を振り抜いたその一歩奥に、ぬらりと人影が湧き出るように現れた。う、今の一撃を躱された?

 攻撃が躱された驚愕を表に出さないように努力しつつ、俺はその人影を観察する。

 身長は俺よりもやや高いか? その全身を黒いローブのような衣裳ですっぽりと覆っている、見るからに怪しい人物だ。

「何者だっ!?」

 俺の横に並び立ち、剣を構えたデリサカさんが問う。

「ほほほ、我が名は《蛙》。偉大なる《魔獣王》様が配下よ。以後、よしなにな、カーリオンの使い手よ。ま、それほど長い付き合いにはなるまいがの?」

 か、《蛙》? ってことは、敵の幹部が向こうから出向いて来たのか? しかも一体だけで?

 俺は素早く周囲に目を向けるが、他に魔獣がいるような気配はない。もちろん、俺が感じ取れる範囲でしかないので、全くアテにはならないけど。

「《熊》だけではなく《狸》まで討たれては、さすがに《魔獣王》様もお怒りでなぁ。《魔獣王》様御自ら、討たれた《熊》と《狸》の報復に赴かれるとのことじゃ。そこで、まずは儂が先触れの使者を務めた次第じゃて」

 ローブの奥からくぐもった笑い声が聞こえてくる。

 そこへ、俺の……じゃない、聖剣の第二撃が。

 しゅん、という空気を斬り裂く音と同時に、ばさりと布が翻る音が部屋の中に響く。

 見れば、聖剣が《蛙》が着ていたローブを斬り裂いていた。だが、中身である《蛙》は無傷のようだ。どうやら、かなりの体術の使い手のようだぞ。

「ほうほう、これはこれは……紙一重で躱したつもりじゃったが……うむ、貴様を見くびっておったようじゃな」

 ローブが斬り裂かれたことで、《蛙》の姿が露になる。

 ローブの中から現れたのは、ぴしりとした執事服を着た紳士だった。

 ただし、その顔は名前の通りカエルのもの。黒い執事服の上に、緑のカエルの頭が乗っているんだ。かなりアレである。

 しかも、カエルの顎の部分には、豊かな白髭が生えていた。

 えっと……? 体毛って、確か哺乳類の特徴の一つだったよね? こいつ、両生類じゃないの?

 まあ考えてみれば、こいつは異世界の魔獣なのだ。地球の生き物の常識に収まるはずがない。

 しかし……上背のある執事服の男性──多分、こいつは「雄」だろう──で、声もまた低く耳に心地いい。そこだけ切り取れば、漫画などに登場する典型的な美形執事だ。言葉遣いはちょっと年配っぽいけど。

 だけど、その頭だけがカエルのもの。ぴょこんと飛び出た赤い両目がちょっとラブリー。

 ……うん、ちょっと、いや、かなり不気味だ。

「さてさて、まずは先触れの使者としての務めは果たせたかの? では、ここからは儂個人の用件じゃて」

 《蛙》の言葉が終わると同時に、俺の聖剣に何かが巻き付いた。これは……カエルの舌か!

「くくく、貰ろうたぞ、カーリオンの使い手よ。貴様ご自慢の得物を、儂の舌から分泌する強酸で溶かしてくれるわい」

 舌を伸ばして聖剣に絡みつかせているというのに、実に鮮明な《蛙》の声。その辺り、さすがは魔獣といったところだろうか。

 って、そんなことに感心している場合じゃない! このままだと、十万円もした俺の聖剣が溶かされてしまう!

 いや、もうね、落札価格の十万円とか関係なく、聖剣は俺にとって香住ちゃんと同じくらい大切な存在だからね。

 その聖剣が溶かされるとなれば────あ。

 あれ? よく考えれば、これって俺にとってチャンスじゃね?

 俺と同じことを聖剣もまた思ったのか、その刀身がばちばちと激しく帯電する。

 帯電した電気は、当然絡みついた《蛙》の舌を伝わるわけで……うん、もう説明する必要もないよな?

「ぐぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 舌を伝わった電撃が、《蛙》の身体を焼く。何となく、焼き鳥を焼いた時のような香ばしい匂いが……うん、気のせいだ、きっと。

 しかし、聖剣が電撃を放つってこと、こいつは知らなかったのだろうか? まあ、知っていたら、舌を聖剣に絡ませるなんてことはしないだろうな。

 考えてみれば、聖剣が電撃を放ったのは夕べ……というか、数時間前だ。この魔獣たちに、俺が属する現代社会ほどの情報伝達技術はないだろうから、《蛙》が聖剣の情報を知らなくても無理はない……のかも?

 そして、《蛙》が電撃を浴びたのは、時間にすれば十秒にも満たないほど。

 部屋の中を眩しく照らす電撃の光が収まった時、絨毯の敷かれた床に黒こげの「何か」が転がっていた。

 …………うん、思ったより弱かった……いや、馬鹿だったな、《蛙》って。



「あ……あ、お、おお……?」

 呆けたように、意味のない言葉を零すデリサカさん。彼だけではなく、部屋の中にいた彼の部下たちも同じような状態だった。

「か、《蛙》がこんなにあっさりと……?」

 床に転がった黒こげの「何か」と、俺を何度も見比べるデリサカさん。

 その背後では、彼の部下たちが跪いて俺に祈るようなポーズを取っている。なぜ?

 と、そこへ部屋の外からどたどたと騒々しい足音が聞こえてきた。

「おい、おっさんっ!! 今の悲鳴は何だっ!?」

 扉を蹴破らん勢いで部屋に飛び込んで来たのは、もちろんガムスたち傭兵である。ん? スカーロさんの姿だけ見えないけど、どこかに出かけているのだろうか?

「おっと、兄弟もここにいたのか……って、こいつは一体何だ?」

 ガムスたちの視線が、床に転がっている「アレ」に向けられた。うん、やっぱり気になるよね?

「じ、実はな……つい先程、この部屋に《蛙》が現れてな……」

 数分前の出来事を、デリサカさんが説明してくれる。

「さすがは兄弟だ! 敵の四将のうち、三将までを討ち取るとは、おまえじゃなきゃできないことだぜ!」

 豪快に笑いながら、ガムスが俺の肩をぽんぽんと叩く。だが、俺は……いや、聖剣は気づいていた。どさくさに紛れて、ガムスが俺の尻を触ろうとしていたことを。

 ぱしん、と乾いた音を立てて、尻を触ろうとしていたガムスの手が弾かれる。じとっとした目で睨んでやると、ガムスはわざとらしく視線を泳がせた。

 ホント、油断も隙もないな。

「しかし、また〈大断斬波〉の兄さんの手柄か……このままだと、全部の手柄を兄さんに持っていかれちまいそうだな」

「さすがは我が主。このホラミダ、またもや感服致しました!」

 苦笑を浮かべるクラインさんと、その場に跪いて頭を垂れるホラミダさん。

 そして、その時だ。今まで姿の見えなかったスカーロさんが、そのどギツイメイクを施した顔を、真っ青にしながら部屋に飛び込んで来たのは。

「た、大変よっ!! い、今、街の城壁の向こうに……っ!! は、早く城壁まで来てっ!!」

 焦るようなスカーロさんに促され、俺たちは城壁まで走った。

 俺たちがいた宿屋から城壁までかなりの距離があり、復興作業中のトーラムの街の中を俺たち五人が駆け抜ける。

 そして、走ること十五分以上。ようやく城壁に辿り着き、その城壁を登ってみれば。

 正直、体力は限界だったが、そんなことは言っていられない。なぜなら。

「あ……あれは……」

「ま、《魔獣王》……」

 城壁の上から北西の山岳地帯へと目を向ければ、そこにそいつはいた。

 相当距離があるにも拘らず、その姿ははっきりと見えた。

 山岳地帯の麓に広がる森の中、木々を圧し潰すようにしてこちらへとゆっくりと近づいてくる巨大な魔獣。

 そう。

 あれが《魔獣王》か。

 でも……どうして?

 あの姿は、魔って感じじゃないよね?

 だってさ?

 ゆっくりとした速度でトーラムの街へと近づいてくるそれは、どこからどう見ても巨大なキノコだったのだから。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る