番外編 異世界の英雄6
血溜まりの中で、仰向けに横たわるガムス。その右の肩から左の脇腹にかけて、大きな裂傷が刻まれていた。
ま、まさか……が、ガムスの奴、既に……?
「す、済まねぇ、〈大断斬波〉の兄さん……俺様が下手こいたばっかりに、〈斬没刃星〉の奴が……」
大きな身体を小さく震わせながら、クラインさんが言う。
どうやら、ガムスはクラインさんを庇ってこの傷を受けたらしい。
「調子に乗った俺を庇って、〈斬没刃星〉が……くぅぅ……す、済まねぇ……済まねぇ……」
盗賊の親分のようなちょっと凶悪な顔をくしゃくしゃにして、クラインさんが涙を零す。
なんだかんだ言ってこの人、すごくいい人みたいだ。
そして、そのクラインさんの背後では、ホラミダさんとスカーロさんも沈痛な表情で俯いていた。
「そ、それで、ガムスはもう……?」
恐る恐る、俺は聞いてみた。横たわるガムスの身体に触れてみれば、彼が生きているかどうかはすぐに分かるだろう。
でも、親しい人間が無惨な姿で横たわるのを間近で見て足が竦んでしまったのか、俺はガムスに近寄ることもできなかったのだ。
「いえ、まだ辛うじて息はあるわ。でも……これ以上苦しめるのは酷と言うものよ。できれば、あなたが〈斬没刃星〉ちゃんを楽にしてあげて。きっと、〈斬没刃星〉ちゃんもそれを望んでいるだろうから……」
そ、それっていわゆる、「引導を渡す」って奴かな? 聞けば、戦場で致命傷を負った場合、一番親しい仲間が楽にしてやるのが、傭兵たちの間の流儀らしい。
って、それよりも、今、スカーロさんは何て言った?
が、ガムスの奴、生きているのっ!?
よく見れば、確かにガムスの胸は僅かだが上下していた。それに気づいた俺は、慌ててリュックの中からペットボトルを引っ張り出すと、無遠慮に血溜まりの中に足を踏み入れた。
そして、ガムスの身体にペットボトルの中身をぶちまける。
途端、それまで浅く速かったガムスの呼吸が、深くゆっくりしたものへと変わっていく。
さすがエルフのエリクサー。致命傷でも一発で治療したね。
そして、これもまたエリクサーの効果なのか、ガムスはすぐに目を開けた。
「あ……あ、あ? し、シゲキ? どうしておまえの姿が見えるんだ? 俺、死んだはずじゃあ……ってことは……シゲキ、やっぱりおまえは天上の……」
「何、寝ぼけているんだよ、ガムス。おまえは死んじゃいないって」
「え?」
俺の一言で完全に正気づいたのか、ガムスががばりと上体を起こした。そして、負傷した胸やら腹やらを自分でぺたぺたと触れ始めた。
「き、傷がない……こ、こいつは一体……」
「まあ、助かって良かったよ、ガムス」
俺は呆然としているガムスに親指を突き立てて見せた。
なお、この時俺の背後では、クラインさんとホラミダさん、そしてスカーロさんが、目を大きく見開き、大口を開けて俺たちを見ていたらしいのだが、俺がそのことに気づくことはなかった。
エリクサーのおかげで危機から脱したガムスに、俺は持っていたペットボトルを放り投げた。
ガムスの治療に500mlのペットボトルほぼ一本分のエリクサーを使ったけど、まだちょっとだけ残っていたからね。
「見た目の傷は塞がったけど、まだ身体の中に傷が残っているかもしれない。一応、それを全部飲んでおいた方がいいぞ」
「お、おう……。しかし、俺の傷を瞬く間に癒したこの神水もさることながら、この容れ物もまた……これ、水晶か? いや、それにしては軽すぎるか……?」
俺からペットボトルを受け取ったガムスは、それを月の光に翳しながら何度も眺めていた。照明弾の効果は既になく、光源は月ぐらいしかない。
まあ、この世界の人たちからすれば、ペットボトルは謎の素材だからね。ガムスが不思議そうにするのは無理もない。
それよりも、《狸》が引き連れていた飛行タイプの魔獣は、全てガムスたちによって倒されたようで、周囲にはたくさんの魔獣の屍が転がっている。
「ガムスも無事のようだし、改めて大守様の屋敷に向かおう。先に行ったデリサカさんも心配だし」
もちろん、デリサカさんだけではなく、大守様や屋敷で働いていた人たちのことも心配だ。
「じゃあ、皆さん、急ぎましょ……ん? どうかしましたか?」
背後を振り返れば、クラインさんたちが呆然と突っ立っていた。
「い、いや……な? 俺様は目の前で起きたことが信じられなくてよ……」
「さすがは我が主! 小さな太陽の奇蹟に続き、致命傷を負った人間を瞬く間に癒すとは! まさに、我が主は神々の御使であらせましょう!」
「アタシ、もう驚くのを通り越して、呆れてきちゃったわ……」
「さすがは俺の兄弟分だ! ますます惚れちまったぜ!」
う、うん? な、何か、四人が俺を見る目が先程以上に熱い気がするんだけど……?
そ、それよりも、今は大守様の屋敷に急ごう。そうしよう、うん。
あ、俺、先頭を走るのはちょっと嫌だな。何か、四人の視線が俺の尻に向けられそうで。
きっと、男性から好色な視線を向けられる女性って、こんな気持ちになるんだろうな。
そんな場違いなことを考えつつ、俺たちは改めて大守様の屋敷を目指して走り出したのだった。もちろん、最後尾で。
大守様の屋敷に到着した俺たちが見たのは、一人瓦礫を掘り返していたデリサカさんの背中だった。
無言でひたすら瓦礫を掘り起こすデリサカさんに、俺たちは声をかけることもできない。
「な、なあシゲキ……あの、小さな太陽を呼び出す奇蹟、もう一度使えないか? せめてあのおっさんのために、それぐらいはしてやってくれないか?」
俺はガムスの問いかけに、ゆるゆると頭を横に振った。あの携帯型照明弾は、一回限りの使い捨て。しかも、数もあれ一つしかない。つまり、もう使えないんだ。
今度近未来世界へ行ったら、もっと買い込んでおこう。
「さすがの〈大断斬波〉の兄さんの奇蹟も、そう何度も使えないか……」
「何を言うか、《火駈振刀》! あのような奇蹟、使えるだけでもまさに神の御技なのだぞ!」
「確かに《逢闇喝断》ちゃんの言う通りよね。でも……」
傭兵たちが、痛ましそうにデリサカさんの背中を見つめる。
太守様の屋敷は完全に崩壊し、既に火の手も収まっていた。一体、何人が無事に逃げ出せただろうか。
もしかしたら、あの瓦礫の下に生存者が……とも考えなくもない。実際、震災などで瓦礫に生き埋めにされ、数日後に無事に救出された人の話を聞いたことがある。
だけど……屋敷の瓦礫を取り除くのに、どれだけの労力が必要だろうか? 明るくなれば、街の人たちも手伝ってくれるかもしれない。だけど、魔獣の襲撃を受けたのは大守様の屋敷だけではないみたいで、街のあちこちから騒々しい声が聞こえ始めていた。
襲撃してきた魔獣を全て退治できただけでも、まだ良かったと言えるだろう。これ以上、被害は広がらないから。
聖剣の力なら、瓦礫だけを斬り飛ばすことができるかも……なんて期待したけど、どうやら無理っぽい。もしもできるなら、きっと聖剣先生もとっくにやってくれているはずだ。
それに、下手に瓦礫を一気に撤去するのも危険だと思う。急に瓦礫を移動させることで、逆に崩壊を進めてしまう恐れがある。辛うじて空いていた隙間に入り込んだ生存者が、それが原因で押し潰されてしまう可能性だってある。
実際の災害現場でも、重機などが入るのは生存者がほぼ見込めなくなってからだ。
「……デリサカさんを手伝おう」
「……だな」
俺の言葉に、ガムスたちも頷いてくれた。それ以降は、無言で瓦礫の撤去に取りかかる俺たち。
もちろん、デリサカさんも俺たちに気づいて驚いた顔をしていたが、すぐに無言で瓦礫の撤去を続けた。
その際、彼の目元が濡れていたのを、僅かな月明かりの中──暗視ゴーグルは《狸》との戦いが終わった後で外した。あれも結構目立つから──で確かに見た。
その原因は、兄である大守様の無事を願うからか、それとも俺たちへと向けた感情からか。
誰一人としてそのことに触れることなく、俺たちは空が明るくなるまで無言で瓦礫を処理し続けた。
さすがに力自慢の傭兵と兵士が五人もいれば、瓦礫の撤去もかなりスムーズに運んだ。
かく言う俺は、撤去には直接関わらず、ガムスたちに指示を出すことに専念する。
その理由は、俺だけが暗視ゴーグルで周囲を詳細に見ることができるため。
再びリュックから取り出した暗視ゴーグルを、ガムスたちは首を傾げながら見ていたな。でもすぐに、「ああ、またか」みたいな顔になったけど……なぜに?
それはともかく、建築の勉強などしたこともない素人の俺の指示が、正しいなんて保証はない。だけど、夜明け前の暗闇の中、視界の利く俺の指示はそれなりに役立っていた。
「あ、そっちの瓦礫はまだ動かさないで! それより先に、右のちょっと小さな方を……そうそう、それです、デリサカさんとスカーロさんで、そっちを先に動かして……よし、今だ、ガムス! その瓦礫をどけろ!」
「おう、任せろ! 行くぜ、おめぇら! 踏ん張れ!」
「よっしゃっ!!」
「承知!」
そんな調子で、少しずつだが確実に瓦礫をどけていく。
やがて夜が明け、街の人々が徐々に集まって撤去を手伝い出した。
明るくなれば、俺が指示を出す必要はもうない。
現状、一番身分が高いのは太守様の異母弟であるデリサカさんだろう。彼と指示を出すのを交代し、俺も街の人たちと一緒に瓦礫の処理に加わる。
そのまま作業することしばらく。途中、街の女性陣が炊き出しを差し入れてくれて、それを街の人たちと一緒に食べる。
実際の味は、普段食べている物以下だろう。素材も、日本で手に入るほど新鮮ではないだろう。
でも、大勢で一緒に食べると、なぜか美味しく感じるものだよね。
撤去作業中は、皆が皆無言だった。沈痛な表情で、ただ黙々と作業を
でも、食事の時だけは、皆の顔に僅かにだけど笑顔が戻る。
もしかすると、無理に笑っているのかもしれない。そうやって、落ち込んでしまう気分を少しでも上向きにさせているのかもしれないな。
だけど、食事中になぜか変な雰囲気になっていった。
理由は、ガムスたちが夕べの武勇伝を語り出したからだ。場の雰囲気を少しでも明るいものにしようという、彼らなりの配慮なのかもしれない。
街の人々もまた、ガムスたちの話を楽しそうに聞いていた。元々娯楽の少ない世界っぽいので、こういう「物語」は受け入れられ易いのだと思う。
実際、ガムスたちの話は、俺が聞いていても妙にわくわくするものだった。
傭兵たちの語り方が、妙に上手いんだ。随分と話し慣れているって感じだね。おそらく、自分の武勇伝を語ることもまた、傭兵には必要なことなのだろう。宣伝効果が見込めるし。
でもさ?
「──そして、俺様が気づいた時には、〈大断斬波〉の兄さんは空を飛びながら魔獣と戦っていたのよ! しかも、その相手は《狸》ときたもんだ! 《狸》と空で戦える人間なんざ、〈大断斬波〉の兄さんだけだろうな!」
自分の武勇伝ではなく、俺のことを話すのはどうかと思う。それにクラインさん、しっかりと俺のことを見ていたんだね。もしかして、俺のことばかり見ていて、魔獣に隙を突かれたんじゃないよね? 違うよね?
「そ、それで、《狸》との戦いはどうなったんだよっ!?」
という街の人の問いかけに、語り手であるクラインさんはにやりと笑みを浮かべた。
「当然、〈大断斬波〉の兄さんが勝ったぜ! なんせ、当の本人がこの場で飯を食っているんだぜ? それぐらい気づけよな!」
ちょっとおどけたクラインさんの物言いに、街の人たちがどっと笑い声を上げる。
同時に、俺に対して街の人たちが熱の篭もった視線を向けてきた。いや、だからね? 自分の手柄じゃないことで、そんな目を向けられると……正直、困っちゃうんだってば。
中には「人間が空を飛ぶわけがないだろ」なんて突っ込みもあったが、クラインさんがその強面で、「俺様が嘘を吐いているとでも言いたいのかよ?」と凄めば、そんな声も引っ込んでしまった。確かにその時のクラインさん、すっげぇ迫力だった。
まあ、場の雰囲気も少しだけ明るくなり、瓦礫撤去に対する意欲も増したので、結果オーライということにしておこう。うん。
その日は夕方まで、大守様の屋敷の後始末に明け暮れた。
結果としては、何とか生き残っていた数人の人たちを助け出すことができたのだから、良かったのではないだろうか。
残念なのは、やはり死者が出てしまったこと。だけど、その人数は予想よりも遥かに少なかったとデリサカさんは言っていた。
その中でも一番の朗報は、大守様が無事に救出されたことだろう。
大守様は年若い侍女さんを庇うようにして、瓦礫の下敷きになっていた。もう少し救出が遅かったら、その命を落としていたかもしれない。
全身に大怪我を負った太守様を、俺はエリクサーで治療する。
太守様には申し訳ないが、エリクサーの量は節約させてもらった。なんせ、これから負傷者はどんどん増えると思う。街のあちこちで被害が出ているからね。
何とか命を取り留める程度の治療に留めたけど、それでも大守様は意識を取り戻した。
「……此度の救済、心より御礼申し上げます、御使様」
とか、よく分からないことを言っていたけど、きっと大守様の意識が混濁しているからだろう。
大守様を救出して治療した後、俺は瓦礫の撤去作業と並行して、怪我人の手当ても行った。
とはいえ、やはりエリクサーの残量が心許なくなってきたので、治療は怪我の酷い人を優先的に行うことに。軽傷の人には申し訳ないが我慢してもらおう。
撤去作業中の太守様の屋敷跡の一角で、俺は怪我人にエリクサーを少しずつ振りかける。エリクサーを節約するため、ガムスの時のように一気に振りかけることはせず、怪我の治り具合を確かめながら。
ガムスの時は俺も気が動転していたせいか、ペットボトル一本分を使い切っちゃったけど……あの時ももう少し節約しておけば良かったな。
怪我が見る間に治っていくのを目の当たりにした街の人たちが、きらきらした目で俺を見ているが、今はそれを気にしている暇はない。ひたすら、怪我人の治療に集中する。
時には「自分を優先して治療しろ」とゴネる人もいたが、ガムスたち傭兵がその迫力を込めて睨めば、大抵はすごすごと引っ込んでいった。
それでも中には治療を強要してくる人もいたが、そこはデリサカさんの一声で大人しくなった。さすが、太守代理である。
現状、デリサカさんは太守代理という立場にいる。デリサカさん自身がはっきりそう宣言したわけではないが、皆がそう思っているようだ。
怪我で満足に動けない太守様の代理ってことだけど、誰もそれに反対しないのはデリサカさん本人の人柄のおかげなのかもしれない。
そういや、異母弟とはいえ、どうして太守様の弟であるデリサカさんが、この街の門で衛兵をしていたんだろうね? 大守様本人も、デリサカさんのことは信頼している様子だったから、もっと上の役職でも不思議じゃないのに。
本人に聞いてもいいかな? いいよね?
「ああ、少し話したが、俺は兄貴の力になりたくてな。でも、変に上の方の役職に就くと、俺自身が兄貴の迷惑になるんじゃないかと思ってなぁ。だから俺は、ただの衛兵として兄貴を支えるつもりなんだよ」
な、なるほど。こんなデリサカさんだからこそ、大守様も彼を弟として、そして部下の一人として信頼していたんだろうな。
「いいですね、そういう信頼関係って。なんか憧れます」
「そういう貴殿は、誰か信頼できる人物はいるのか?」
「そうですねぇ……やっぱり、『こっち』で一番信頼できるとしたらガムスですかね? ちょっと問題はあるけど、信頼できる奴だと思っていますよ」
「ふむ、やはり〈斬没刃星〉か……」
と、何やら考え込んでしまったデリサカさん。あれ? 俺、何か変なことを言ったかな?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます