閑話 部活動



 ぱぁぁん、という心地良い打撃音が響くと同時に、赤い旗が掲げられた。

 正式の試合であれば、きっと三本の赤い旗が掲げられたであろうが、今はただの練習中。正式の試合であれば三人いるはずの審判も、今は審判役の先輩が一人いるだけだった。

「面あり! 勝者、森下!」

 開始線に戻った私と対戦者の先輩は、同時に頭を下げてその場から離れた。

 二人一緒に、武道館──もちろん東京にある有名な建築物ではなく、私が通う高校にある、剣道部や柔道部、そして体育の授業にも使われる施設──の隅へと下がると、面を外して大きく息を吐き出した。

 続けてその他の防具も外していると、同じ部活の同級生であり、友人の一人でもあるしおり……田中栞がにやにやとした笑みを浮かべながら近づいて来た。

「よ、香住! 最近随分と調子が良さそうだなぁ? 何か、秘密でもあるのか? ん?」

「べ、別に特別なことはしていないよ?」

「本当かぁ? 何か、疑わしいんだよなぁ、最近の香住は」

 腕を組んだままジト目で私を見る栞。と、そんな栞と同意するように、先程まで対戦していた佐々木先輩までが私に話しかけてきた。

「でも、確かに最近の森下は調子がいいわね。少し前までは、対戦すれば絶対に私が勝っていたけど、最近は互角どころか負け越しているし。これはもう、調子がいいというより、実力や地力が上がったと思っていいんじゃない?」

 部内でも実力者の一人である佐々木先輩に、そう言ってもらえるのはすごく嬉しい。

 そして、彼女たちの言うことは当たっているかもしれない。実はこの好調の原因に少しだけ心当たりがなくもない。

 もちろん、その原因とはあの聖剣である。茂樹さんが持つあの不思議な聖剣に操られて、異世界で実際に戦った経験が私に力をつけたのではないかと思う。

 言ってみれば、剣の達人に具体的な身体の動かし方を指導してもらったようなものだから。

 だけど、それを口にするわけにはいかなくて。

 私が曖昧に笑って誤魔化そうとしていると、栞が鋭い目を向けてきた。

「おい、香住。もしかして、好調の原因は…………男か?」

「え? えええ?」

 栞の言葉に、無意識に一人の男性を脳裏に思い浮かべてしまい、それが原因で頰が紅潮したのが自分でも分かった。

 熱を持つ頬を冷ますかのように、反射的に両手で頬に触れてしまう。

「お、その反応……大当りみたいだな? で、相手は誰だ? ひょっとして、以前にちょっといいかもとか言っていた、バイト先の大学生か?」

「あら、森下にそんな相手がいたの? それは初耳ねぇ」

 にやにやとした笑みを浮かべる栞の隣で、佐々木先輩まで栞と同じような笑みを浮かべている。

 これはちょっと、誤魔化し切れない……かも。

「よし、部活が終わったらちょっと付き合えよ、香住。いろいろと詳しいことを聞かせてもらうからな」

「じゃあ、私も同席していいかしら? 是非、私もその話を聞きたいし」

 ああ、これはもう逃げられないみたいだ。

 一体、彼とのことはどこまで話したものやら。もちろん、彼が持つ不思議な聖剣のことは絶対に言わないけど、既に彼……茂樹さんとのことは両親どころか祖父母まで公認済みみたいになっていることは…………さすがに言わない方がいいだろう。うん。



「へえ、やっぱり例の大学生が相手だったのかぁ」

「森下にも春が来たのねぇ………………ぶっちゃけ、すっごく悔しい! 剣道で負けたことより悔しい! まさか、後輩に先を越されるとは……」

 学校帰りの途中、ファミレス──以前、茂樹さんと幸田のお爺ちゃんと一緒に来たファミレス──の一角を占領した私たち。

 そこで私は、同じ部活の部員たちに取り囲まれていた。

 あっという間に、私に彼氏ができたという話が部全体に広がってしまい、そのことに興味を持った部活の仲間たちと一緒に、このファミレスにやって来たのである。

 もちろん、部員全員が揃っているわけではない。あまり親しくない部員や、何か用事のある部員は来ていないが、それでも部員の半数近くが集まっている。

 ちなみに、我が校の女子剣道部は総勢15人。その内、私を含めた6人がここに来ている。

 まったく、暇な連中が多いことで。

 いやいや、それよりも佐々木先輩。悔しい理由はそっちですか? 剣道部員としては、普通は悔しがる理由が逆じゃないですか?

 まあ、佐々木先輩も剣道部員の前に女の子、ということだろう。

 拳を握り締め、全身から負のオーラを放っている今の姿は、女の子としてちょっとどうかと思います。切実に。

「それでそれで? どんななの、相手の人って?」

「見た目は? 年齢は? どこの大学?」

「ねーねー、写真ぐらいあるんでしょ? 見せてくれてもいいじゃない? ってか、見せろ!」

 何とも、姦しいことで……部員たちからの質問攻勢に、どう答えたものやらと内心で悩んでいると──

「おや? そこにいるのは森下さんではありませんか?」

 涼やかな男性の声が、私の名前を呼んだ。

 私と、同じテーブルについていた部員たちが一斉に声のした方へと目を向ければ。

 そこに、長身で眼鏡の似合う、スーツ姿の爽やかなイケメンが静かに佇んでいた。



「あ……福太郎さん」

 そう。

 そこにいたのは、先日お会いした幸田のお爺ちゃんのお孫さんの、幸田福太郎さんだった。

 相変わらず芸能人さえ霞むようなイケメンオーラを周囲に振り撒きながら、にこやかに微笑んで私を見ている。

「久しぶりですね。先日はウチの祖父が失礼をしました」

「い、いえいえ、あの時は幸田のお爺ちゃんに、逆に助けてもらいましたし……」

「もしもまた、ウチのくそじじ……いえ、祖父が何かしでかしたら、遠慮なく僕に連絡してくださいね」

 うん、今日も実に爽やかだ、福太郎さんは。見れば、ファミレスに居合わせた女性の大半が彼を見ている。

 確かに福太郎さんは、そこにただ立っているだけで絵になる人だから、皆から注目を集めるのも無理はないと思う。

 しかも。

 しかも、だ。今日は福太郎さん一人じゃなかった。

 福太郎さんの隣には、彼と同じぐらいのイケメンで、福太郎さんよりやや長身で体格もがっちりした男性がいたのである。

「おい、コウフク、もしかしてこの子、以前に言っていた……」

「ええ、そうですよ、玄吾。こちらが例の女性……森下香住さんです」

「へえ、なかなか可愛い子だねぇ。あ、これは失礼。俺は中山げんといって、こいつとはガキの頃からの友人だ。よろしくな」

 福太郎さんの肩に親しげに肘を乗せつつ、玄吾と名乗った男性はにっこりと微笑んだ。

 しかし、一人だけでも目を惹くレベルのイケメンが、二人も揃うと実に圧巻だった。現に、ファミレスの中の女性のほとんどが、イケメン二人組を熱の篭もった視線で眺めている。

 そしてそれは、私の部活仲間たちも例外ではなく。

 福太郎さんは爽やか系、玄吾さんはワイルド系とタイプこそ違えども、二人が同じレベルのイケメンであるのは間違いない。居合わせたお客さんの中には、「あの二人、どこのアイドルグループ?」とか囁いている人もいたりする。

「ところで、今日は水野くんと一緒ではないのですか?」

「あ、は、はい、今日は部活帰りなので……」

「ああ、なるほど。いくら水野くんと森下さんでも、四六時中一緒ではありませんものね」

「しかし、夏休み中なのに部活とは、君たちもがんばるねぇ。んー、その持ち物からして、剣道部か?」

 玄吾さんが、私たちが持っている竹刀袋などを見回してそう言った。

「こう見えて、俺もガキの頃にちょっとだけ剣道は齧っていてな? まあ、剣道だけじゃなく柔道と空手も少しやっていたんだが」

「玄吾の家は、昔っから荒事が仕事のようなものですからね」

「ま、爺さんの代まではともかく、親父の代から中山土建は立派なカタギの土建屋だぜ?」

 と、何とも仲の良さそうなお二人である。

 こういう、男同士の友情ってなんかいいな、と思う。もちろん、女性でも友情は成り立つのだが、やっぱり男同士と女同士ではどこか違うような気がするのだ。

 ところで、佐々木先輩。さっきから涎が出ています。女の子として、それはどうかと思います。切実に。



 そして、福太郎さんと玄吾さんはファミレスを立ち去った。

 そう言えば、このファミレスは友人の家の近くだ、と以前に福太郎さんが言っていたっけ。おそらく、その友人というのが先程の玄吾さんなのだろう。

 しばらく、栞や佐々木先輩ら剣道部員が、立ち去る二人の背中を見つめていたが、それが見えなくなった途端、ぎろん、という音がしそうな勢いで全員が私を見た。

「お、おい、今の二人、何者だよ? 香住の知り合いみたいだったけど……ま、まさか、香住が付き合っている大学生って、さっきの二人のどちらかなのかっ!?」

「え? ち、違うよ? 福太郎さんは、ちょっと知り合いってだけで……そ、それに、福太郎さんは大学生じゃなくて社会人だし、玄吾さんの方は今日初めて会ったし」

「そんなことどうでもいいわ! 森下の彼氏じゃないのなら、私にあの二人を紹介して欲しい! いや、しろ! 絶対しろ!」

 さ、佐々木先輩、目が座っています。それに、鼻息も荒いです。女の子として、それはどうかと思います。

 そして、福太郎さんと玄吾さんに興味を示したのは、栞と佐々木先輩だけではなく。

 今日この場に居合わせた、部員全員が福太郎さんたちに興味津々だったのだ。

 今では部員たちは私のことなどほったらかしにして、きゃーきゃーと福太郎さんと玄吾さんのことをあれこれと話し合っていた。

 まあ、あのレベルのイケメンは、芸能界にもそうはいないし、みんなの気持ちも理解できる。

 だけど。

 だけどみんな、最初の目的を忘れていない?

 今日ここに集まったのは、私の話を聞くためじゃなかった? それなのに、みんなの話題は福太郎さんと玄吾さんばかり。

 そりゃあね? 私と茂樹さんとのことをあれこれ聞かれるのは、ちょっと……いや、かなり恥ずかしいよ? それは確かだけど、逆にちょっぴり茂樹さんのことを自慢したいなー、なんて気持ちも少しはあったわけで。

 そりゃあね? 茂樹さんの見た目は、福太郎さんや玄吾さんにはちょっと……いや、かなり及ばないけど、見た目じゃ分からない素敵なところが茂樹さんにはたくさんあるんですよ?

 その辺りをちょっとぐらいは自慢してもいいかなー、と思うのですよ、私は。

 福太郎さんと玄吾さんの話題で盛り上がる部活仲間たちから視線を逸らし、私は不貞腐れた表情でずずっとアイスティーをストローで吸い上げた。



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