帰還して
「………………見当たらないね……」
「………………見当たりませんねぇ……」
俺と香住ちゃんは、白い砂浜に二人並びながら首を傾げる。
え? 何が見当たらないかって? それは、例の黒いイモムシたちが食った跡らしき「黒い筋」のことである。
あのイモムシたちが這った跡は、まるでブラックホールのような真っ黒な黒い筋になった。おそらくだけど、あの黒い筋は砂浜をイモムシたちが食ったからできたのだと思う。
とか言いながら、「砂浜を食う」ってイマイチ理解できないのだけどね。
それはともかく、その黒い筋がいつの間にか消失していたのだ。黒いイモムシたちを倒した後、黒い筋のことを思い出して辺りを見回したのだが、その時にはもう全く痕跡さえ残っていなかった。
どんな理屈で筋ができて、どんな理屈で筋が消えたのか、全く理解できない。それを言ったら、聖剣絡みで理解できることってほとんどないけどさ。
そういや、その聖剣らしき声が初めて聞こえたのもあの時だっけ。
確か……虚無がどうとかこうとか言っていたように思う。
うん、そっちもよく理解できません、俺。
「なーなー、兄ちゃんたちって、どこで剣を手に入れたんだ?」
「教えてくれよ、兄ちゃん。俺たちも剣が欲しいんだ」
「そうだよ。俺たちだって剣を手に入れられたら、兄ちゃんや姉ちゃんたちみたいに強くなれるかもしれないだろ?」
「俺も兄ちゃんたちみたいに強くなりたいんだ!」
「なあ、いいだろ? せめて剣の使い方ぐらい教えてくれよな!」
「そうだそうだ! 俺たちも兄ちゃんたちみたいにカッコよく剣を使いたい!」
あれこれと考えている俺たちに、先程からイノとアルの質問攻勢が続いていた。
どうやら、俺たちがゴカイやエイを倒したことが、彼らの心の中の何かを動かしてしまったらしい。
逃げていったロクホプの言葉を信じるなら、あのゴカイやエイは相当強い生物だったみたいだ。それを倒した俺たちを、イノとアルは尊敬してしまったってところだろう。
男の子だから強い人間に憧れる気持ちは理解できなくもないし、尊敬されて嫌な気持ちにもならないけど……実際に倒したのは俺じゃなくて聖剣だしなぁ……。そして、それを正直に言うわけにもいかないし。
他人の手柄で自分が誉められているようで、どうにも、こう、落ち着かない。
そしてそれは香住ちゃんも同じようで、困ったような顔で俺を見ていた。
「え、えっと……ここはひとつ、香住師範の出番ということで」
「え、えー? ま、また私に振るんですかぁ?」
森林世界同様、剣のことは香住師範に任せよう。ちょっと……いや、かなり情けないけど。
それでも、なんだかんだ言いつつ香住ちゃんは相変わらず面倒見がよく、嫌がることなく剣道の基本的なことをイノとアルにレクチャーしてくれる。
剣の握り方から剣を持った時の姿勢、振り上げ、振り下ろしと、実演しながら指導するその姿は、以前も思ったけど堂に入ったものだと思う。
で、イノとアルに実際に香住ちゃんの剣──今は聖剣の姿ではなく、本来の姿に戻っている──を、試しに鞘に収めたまま持たせたところ。
「うわっ!! な、何だよ、この剣っ!? お、重くて持ち上がらねえぞっ!!」
「ほ、本当だ……兄ちゃんや姉ちゃんは、よくこんな重い物を持てるな……」
香住ちゃんの剣を両手で保持し、必死に持ち上げようとするイノ。何とかイノがふらふらしながらも剣を持ち上げることに成功した後、アルもチャレンジしたようだが……うん、やっぱり持ち上げるのが精々って感じだ。
やはり、この世界の生き物はいろいろと俺たちとは違うみたいだ。どんな理屈でそうなっているのかは分からないけど。
まあ、目の前にいるイノとアルだって、見た目こそ俺たちそっくりだけど、生物的にも俺たちと一緒か近しいという保証はないわけで。
外見こそ変わりないけど、生物的にはまるで別の生き物ってことも考えられるんだよね。ここって異世界だし。
そう考えると、俺たちとは違っても不思議じゃないのかもしれないね。
アルとイノに香住師範が一通り基本的なことを教えたところで、俺のスマホのアラームが鳴った。どうやら、帰還の時間が来たようだ。
アラームにびっくりしているイノとアルに、簡単に事情を説明する。
「え? じゃ、じゃあ、兄ちゃんと姉ちゃんはもうすぐいなくなっちゃうの?」
「そ、そんなぁ……もっと俺とイノに剣を教えてくれよ!」
すっかり懐かれた俺と香住ちゃんだが、こればかりは仕方ない。まさか、イノとアルを俺たちの世界へ連れていくわけにもいかないし。
涙さえ浮かべて俺たちを見つめる二人をなだめつつ、帰り支度をする。
せめてもの餞別に、持ってきていたジュースやお菓子の残りを二人にあげることにした。さすがに剣をあげちゃうわけにはいかないしね。
「な、なあ……俺たち、兄ちゃんや姉ちゃんみたいに強くなれるかな?」
「ああ、おまえたちならなれるさ。ただ、日々の努力は必要だぞ?」
「そうですよ。日々の努力は一日たりとも欠かしてはいけませんよ?」
俺たちはイノとアルの頭に手を乗せながらそう告げた。香住師範の言葉はともかく、俺の言葉には全く説得力なんてないけどな。
それでも、俺なりに彼らを激励したかったんだ。
「うん、分かったよ! 俺たち、絶対に兄ちゃんや姉ちゃんたちみたいに強くなってみせるからな!」
「お、俺なんか、兄ちゃんや姉ちゃんよりも、ずっとずっと強くなるぜ!」
よしよし、その意気だ。人間、やる気さえあれば大抵のことは何だってできるものだからね。
畳んだビーチパラソルやクーラーボックスなどの荷物を持ち上げ、最後にもう一度彼らの頭に手を置こうとした時、不意に景色が切り替わった。
「あ……」
「帰って来ちゃいましたね……」
見慣れた俺の部屋の中を見回しながら、俺と香住ちゃんが呟く。
抱えていた荷物を新聞紙の敷かれた床に置きつつ、俺と香住ちゃんはしばし見つめ合う。
今回もまた、いろいろなことがあった。それでも、本来の目的であった海水浴はそれなりに楽しめたと思う。
荷物の片づけは後で行うとして、まずはシャワーかな? 身体に付いた砂や海水を落としたい。きっと香住ちゃんも同じ思いだろう。
「じゃあ、香住ちゃんが先にシャワー使ってよ」
「私が先でいいんですか?」
「もちろんさ。まあ、狭い風呂場だけどね」
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えますね」
そう言った香住ちゃんは、この部屋に置きっぱなしにしておいた荷物から、着替えなどを取り出して浴室へ向かう。
男と違って女の子の場合、ただシャワーを浴びるだけじゃないからね。シャワーの後にそれなりにケアするものもあるのだろう。
特に、シャンプーやリンスは自分の物を持ち込んでいるようだ。俺の部屋には当然、普段俺が使っている男物のシャンプーやリンスしかないから、香住ちゃんがそれを使うわけにはいかないからだろう。
もしも俺のシャンプーなどを使って家に帰れば、匂いなどから家族から変に思われるかもしれない。特に、お母さんやお婆さんはそういうことに目敏いだろうし、元刑事である権蔵さんも鋭そうだよね。信之さん? あの人はどうかなぁ? 気づかないような気がしなくもないな。
浴室へと消えた香住ちゃん。当然、中で彼女は水着を脱いで、裸になってシャワーを浴びていることだろう。
しかし、自分の部屋の浴室で、女の子がシャワーを浴びているって思うと……な、なんかこう、すっげぇどきどきするね!
シャワーの流れる水音を聞くだけで、心臓の鼓動がどんどん速くなっていく気がする。
お、落ち着こう! 落ち着こう、俺! 俺は紳士だからな。こんな時こそ、俺の紳士力が試されるのだ!
自分で自分にそう言い聞かせながら、俺は香住ちゃんが浴室から出てくるまで必死に自分の心を抑えつけるのであった。
さて、俺もシャワーを済ませた後、香住ちゃんを家まで送っていく。
道中、今日のできごとやこれからのこと、他には香住ちゃんの部活の話などをしながら。
「そっか……インターハイ、県予選で負けちゃったんだ」
「ウチの学校の剣道部、今年は団体戦で準決勝まで残れたんですけど……残念ながら、そこで負けちゃいました」
香住ちゃんはちょっと悔しそうにそう言う。しかし、部活の試合があったのなら、教えてくれてもいいのに。彼女が試合をするところ、是非見てみたかった。
そう思って尋ねてみたら、なんと県予選は五月頃に行われたそうな。その時はまだ単なるバイト仲間でしかなかった俺が、部活の応援に行くのはちょっと変な話だもんね。
でも、次の大会は絶対に応援に行くぞ。うん。
「実は最近、部活の先輩や顧問の先生から、調子がすごくいいって言われるんです。実際、これまで全然相手にならなかった先輩と、互角に競り合えるようになりましたし、もっともっと強くなってみせますよ、私」
むん、と拳を握り締めながら、香住ちゃんが宣言する。うんうん、そんな香住ちゃんもすごく可愛いぞ。
しかし、彼女が調子いいのって、もしかして聖剣の影響ではないだろうか。直接何らかの教えを受けたわけじゃなくても、香住ちゃんは聖剣に操られる形とはいえ幾度か実戦を経験したのだ。
その経験が、剣道の上達に繋がっているのかもしれない。ほら、実戦に勝る訓練はないとかってよく聞くし。
もちろん、その辺りの関係は俺には分からないけど、香住ちゃんがやる気になっている以上、俺はそれを応援するだけだ。
「次の試合はがんばってね。絶対、応援に行くから」
「は、はいっ!! 私、がんばりますっ!!」
嬉しそうに満面の笑顔で頷く香住ちゃん。いつしか、彼女の右手は俺の左手に回されていて。
夕方とはいえまだまだ気温は高いのに、俺たちは互いに密着しながらゆっくりと町を歩くのだった。
□ □ □ □ □
「……なんだってっ!?」
がたりと音を立てながら、その女性は椅子から立ち上がった。
「連中が実体を得ていただと? まさか、もう連中がそこまで到達していたとはな……」
やや乱暴に椅子に腰を下ろしながら、その女性は腕を組んで考え込む。
これまでぼんやりとした霧──霊体でしかなかった連中が、物理的な体を得たのだ。それは、連中が確実に力をつけている証だ。
しばらく無言であれこれと対策を考えていた女性が、再び「それ」へと視線を向けた。
「思ったよりも、連中の動きが早い。そろそろ、水野くんに本当のことを話すべきではないかな?」
女性の提案に、「それ」は否定的だった。「それ」には横に振るべき首はないが、それでも「それ」の感情は女性にしっかりと伝わった。
「なぜだね? 水野くんならば、全てを聞いた後でも必ず君を受け入れてくれる。それは間違いないと思うよ? そもそも、彼がそういう人物だからこそ、君を預けたのだからね」
いろいろと裏から手を回し、彼がインターネットオークションで「それ」を落札できるように細工したのは、他ならぬ彼女である。
彼と「それ」との出会いは、あくまでも「偶然」でなくてはならない。たとえ彼女の意思が介入した結果だとしても、彼の主観では「それ」との出会いは偶然と感じているだろう。それこそが、彼にとっても「それ」にとっても重要なことなのだ。
彼の性格は身近に接することで直に理解している。たとえ「それ」にどのような事情があろうとも、今更「それ」を見限ったり見捨てたりすることはない。
彼女は自信を持ってそう断言できた。
「ふむふむ……ああ、思わず少し語りかけてしまったのか。だが、そのことで彼は驚きはしただろうが、君を拒絶したりはしなかったのだろう? え? 今更彼と直接話すのが恥ずかしい? やれやれ、本当に君は照れ屋さんだねぇ」
女性は呆れたように肩を竦めた。
「だが、近いうちに水野くんには全て話さなければなるまい。それは理解できるね?」
その言葉に「それ」は僅かに躊躇った後、実に恥ずかしそうに肯定の意思を伝えた。
「よし、それでは我々も行動に移ろう。少なくとも、連中が我らのいる『葉』に来られない細工はしておかねばね」
~~作者より~~
と、いうことで第5章はこれにて終了。
いつものように数話ほど閑話を挟みまして、次章へと入る予定です。
また、近々連載開始100話記念で、ちょっと脇道に逸れた番外編も用意しております。
ある程度本編と関わりながらも、本編とはちょっとずれた話になる予定。
どのような話になるかは、100話到達を待て(笑)!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます