砂浜の悪鬼




「む? おまえは……どこかで見たことがある草だな?」

 イノとアルたちの前に立った俺を見て、ペンギン騎士……ロクホプはその眉毛みたいな飾り羽を、片方だけきゅっと吊り上げた。

「ろ、ロクホプ様、ご覧ください! あ、あの人間、剣を持っております!」

 取り巻きのフンボルトペンギンの一体が、俺を指差し……いや、羽先で俺を差しながら叫ぶ。

「剣を持った草の民だと……? そう言えば、以前にもそんな草がいたような……」

 巨大なヤドカリの上で、ロクホプが首を傾げながら俺を見る。

 あいつ、俺のことを覚えていないみたいだ。

 俺たち人間がペンギンの個体差を見た目で判断しづらいように、ペンギン……いや、ペンギーナ族も人間の個体識別がしづらいのかもしれない。

 よし、俺たちのことを覚えていないのなら、それはそれで好都合かも。早速、平和的な交渉と行こう。

「あ、あのー、俺たちならすぐにここから立ち去りますので。お構いなく」

 フランクさを強調させ、俺はしゅたっと手を上げた。よしよし、このまま立ち去ってしまおう。

 俺はそそくさと背後にいる香住ちゃんとイノ、アルを促し、一緒にこの場を去ろうとした。どうやら交渉は上手く行ったみたいだ──と、思ったけど。

 現実はそう簡単には行かないってもので。

「そ、その剣はっ!? も、もしかしておまえはっ!?」

 あー……人間の区別はつかなくても、聖剣のことは覚えていたみたいだ。これは交渉決裂っぽいかな。

「貴様は以前、この私がこてんぱんにして、泣きながら逃げて行ったあの人間かっ!?」

 え、えっと……交渉決裂はともかく、ロクホプの奴、何言っているの? 負けたのはあいつの方なのにさ?

 もしかして、どこか──たとえば上司とかに──に俺が泣いて逃げて行ったって報告でもしたのかも。

「ふん、以前負けたことも忘れて、再びのこのこと我が前に現れたか! 今度こそおまえの息の根を止め、そして、貴様が持つその剣を我が物にしてやろう! その剣は草の民が持つには過ぎた物だからな!」

 ……ひょっとして、俺に負けたことを隠しているのではなく、あいつの中では本当に俺の方が負けたことになっているのかも?

 時々、自分に都合のいいように事実を捻じ曲げて理解しちゃう奴、っているよね? ほら、以前同じコンビニでバイトしていた豊田みたいにさ。

 そのロクホプは騎乗している巨大ヤドカリを操り、ゆっくりと俺へと迫ってくる。

 同時に、取り巻き……従者らしき六体のフンボルトペンギンたちが、俺を半包囲するように展開した。

「茂樹さんっ!!」

 背後から香住ちゃんの緊張した声がする。だけど、安心して欲しい。

「俺は大丈夫だよ。香住ちゃんはイノとアルを連れて安全な所まで下がっていてくれ」

「で、でも……」

「大丈夫だよ。ほら、俺にはコレがあるから」

 俺は腰の聖剣に手をやりつつ、それでいて背後の香住ちゃんの方を振り向くことなく応えた。

「わ、分かりました。で、でも……絶対に危ないことはしないでくださいね? ほら、君たち、一緒に向こうまで行くわよ」

 俺に一言そう釘を刺しながら、香住ちゃんはイノとアルを連れて草むらの方へと下がっていったようだ。まあ、実際に背後を見たわけではなく、背中越しの気配でそう感じただけだけど。

 そして、俺の眼前へと迫る巨大なヤドカリ。

「いくぞ、ペガサス! 共にあの不遜な草を倒すのだ!」

 ぺ、ペガサス? あ、あのヤドカリ、ペガサスって名前なのっ!?

 い、いやまあ、ここは異世界だし? 「ペガサス」という言葉が「翼の生えた馬」、いわゆる「天馬」って意味があるかどうかは分からないけどさ? だけど、ヤドカリにペガサスって……ねえ?

 俺がそんなことを考えているうちに、ペガサスという名前の巨大ヤドカリが俺の頭上に、その巨大なハサミ状の前肢を振り上げた。

 だが、その速度はそれほど速くはない。振り下ろされた前肢を、俺は余裕を持って回避する。

「お、おのれ! 下賤な草の民のくせに、ペガサスの一撃を躱すとは小癪な!」

 ヤドカリの上からロクホプが叫ぶ。いや、そんなに難しいことはしていないから。

 相変わらず、この世界の生物と俺たちの間には、何らかの「壁」のようなものがあるようだ。理由も相変わらず分からないけどさ。

「ふ、今のはたまたま幸運だっただけのこと! 次こそ仕留めてくれるわ!」

「おお、ロクホプ様が本気になられた!」

「これであの草も終わりだな!」

「あの草をさっさと仕留めて、逃げた連中を追いましょうぞ!」

 取り巻きのフンボルトたちが何やら勝手なことを言っているようだが、そうはいかないよ?

 とはいえ、ロクホプはともかく巨大ヤドカリに罪はないので、怪我をさせるのはしのびない。よって、ここは感電して大人しくしていてもらおうかな?

 俺の意思を感じてくれたのか、鞘から引き抜くと同時に聖剣がばちばちと帯電する。

「むむむ? な、何だ、その面妖な剣は?」

 ヤドカリ上のロクホプが、帯電した聖剣を見て明らかに怯みを見せた。そりゃいきなりこんな不思議な能力を見せられては、驚くなってのが無理だよな。

 当然、取り巻きのフンボルトたちも怯えて、数歩後ずさっている。

「おのれ、そんなもの見せかけだけだ! 恐れるな、ペガサス! 私と共にあの草の民を倒すのだ!」

 ロクホプが激励し、それに応えてヤドカリが再び前肢を振り上げる。

 ヤドカリの付き出た両の眼が、頭上から俺を見下ろしている。しかし、ヤドカリの眼って、どこかつぶらで可愛いよね。

 って、今はそんなことを考えている時じゃない。

 再び振り下ろされた前肢を、今度は回避ではなく聖剣で受け止める。

 巨体ゆえにそれなりの衝撃はあるが、それでも想像していたよりもその衝撃は軽い。

 同時に、聖剣からヤドカリへと電撃が奔り、ヤドカリが動きを止めた。

 ぴくぴく痙攣しているし、死んではいないみたいだから大丈夫だろ。うん。

「お、おのれ! よくもペガサスを! もはや死は免れないと思え!」

 運良く感電しなかったのか、ロクホプがヤドカリの背中から飛び降りて剣を構えた。




「最早、手加減はしない。覚悟するんだな!」

「おお、ロクホプ様が今度こそ本気を出されるぞ!」

「これであの草の民も今度こそ終わりだな!」

「ロクホプ様! ロクホプ様の華麗な剣捌きを今度こそ我らにお見せください!」

 あー、何か外野がうるさい。でも、やっぱりロクホプの動きは遅くて、聖剣の力を借りない俺の地力でも容易に躱せそうだ。

 どたどたと走り込んでくるロクホプ。俺はその進路上からひょいと身を躱す。すると、奴は俺の目の前を走り過ぎ、少ししたところでばたりと前のめりに倒れ込んだ。

「お、おのれ! す、すれ違いざまに足を引っかけるとか! 何と卑怯な奴よ!」

 身体に付いた砂をぷるぷると振り払いながら、ロクホプが再び剣を構えた。

「あ、あー……あのな? 別に俺、足なんてひっかけてないからな? おまえが勝手に転んだだけだからな?」

「黙れ! この卑怯者が!」

 そう叫んだロクホプが、ぶんぶんと左右に剣を振り回しながら再び突っ込んで来た。

「おお、さすがはロクホプ様だ! なんと素早い剣捌きか!」

「凄まじいばかりの速さだ!」

「ああ、我らではあれだけの速さはとてもではないが出せないからな!」

 またもや外野が騒ぎ出すが、やっぱりそれほど速いわけではない。精々、小学生ぐらいの子供がビニール製の剣──祭の景品などでもらえる、空気を入れるタイプの奴──を振り回している程度だ。

「ふはははははは! 食らうがいい! 我が秘剣、〈光剣乱舞〉を!」

 高笑いしつつ、ロクホプがまたもや突っ込んで来た。もちろん、剣を振り回しながらだ。

 いや、〈光剣乱舞〉って……別にあいつの剣、光っていないし。そもそも、ペンギンが剣を振り回している姿って、小さな子供が楽しげに遊んでいるものに通じるところがある。つまり、恐いとか感じるより、微笑ましく思えてしまうのだ。

 何となく、躱しつづけるのも可哀想に思えちゃうんだよね。わざと軽く当たって、「うわー、やられたー」とか言ってあげたくなるぐらい。

「はははは! 我が剣の迫力と速度の前に、動くこともできないようだな!」

 うん、この台詞さえなければなー。本当に当たってあげてもいいぐらいなのに。

 とはいえ、相手が振り回しているのも本物の剣だ。材質は骨っぽかったけど、それでも本物の剣であることには違いない。

 わざと当たるのは、さすがに止めておいた方が良さそうだよね。

 どたどたと突っ込んで来るロクホプ。それを再び躱そうとした時。

 突然、奴の足元の砂浜が爆発した。



 え、えっと……一体、何が起きた?

 立ち籠める砂煙。その砂煙が収まった俺の視界には、それまで存在しなかったモノが映り込んでいた。

「え……? む、ムカデ……?」

 砂浜の下から突然現れたのは、巨大なムカデだった。全長は一体どれぐらいあるのか。

 半分ぐらいはまだ砂浜の中に隠れているようだが、地上に現れているだけでも五メートル以上はあるだろう。おそらく、以前地底世界で見た巨大なグッタングと同じくらいか。

 だけど……よく見れば、こいつはムカデじゃない。

 ここは砂浜でありその下から現れたし、形がムカデとはちょっと違う。

 砂浜に棲息する、ムカデによく似た生き物。も、もしかしてこいつって……。

「ご……ゴカイ……か?」

 そう。

 海釣りの餌に使われる、あの長虫だ。

 ムカデほど体が硬質ではなく、色もムカデよりは白っぽいし。おそらく、こいつがゴカイなのは間違いないだろう。

 砂浜から体の半分ほどを出し、うねうねと蠢く姿はやっぱり気持ち悪い。

 このロケーション最高な砂浜の下に、こんな怪物が潜んでいたとは、さすが異世界だ。

 ある意味で感心していた俺のすぐ隣の砂が盛り上がり、そこからロクホプが姿を見せた。あ、どうやら無事だったみたいだ。

 ロクホプは砂を振り払いながら、目の前にいる巨大なゴカイを見つけると顎を外さん……いや、嘴を大きく開けて巨大ゴカイを見つめた。

「す……砂浜の悪鬼だ……ま、まさか、このような場所に砂浜の悪鬼が出現するとは……」

 す、砂浜の悪鬼? あの巨大ゴカイ、そんな大層な名前なの?

 砂浜の悪鬼と呼ばれた巨大ゴカイが、頭上から俺たちを見下ろしている。

 も、もしかして……俺たち、餌認定ですか?


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