闖入者
ふー、泳いだ、泳いだ。
こんなに泳いだのは、一体何年振りだろう?
家族や友人たちと海やプールには行ったが、ここまでのびのびと泳いだことはなかった。
そもそも、俺たちが普段行くような海やプールは、他にも大勢の利用者がいて混雑するような場所なのだ。そんな人がたくさんいるような場所で、ここまでのびのびと泳ぐことはできないわけで。
人が全くいない奇麗な海で泳ぐのが、ここまで気持ちいいことだったとは。これまでの人生の中で、初めて知ったぜ。
しかも。
「はぁ、さすがにちょっと疲れましたねー」
と、俺の隣でにっこりと笑う最愛の女性。
彼女──香住ちゃんが一緒だという事実が、俺の心を更に高揚させている。
更には、水に濡れた水着と女性の身体は、海に入る前とはまた違った色気を感じさせてくれる。
水に濡れたことで水着の色が更に鮮やかになり、身体のあちこちに付着した水滴が、宝石のように輝いて彼女を彩る。
濡れて額や頬に張り付いた髪が、普段見慣れた香住ちゃんとはまた違う印象を与えてくれる。
いつもの元気溌剌なスポーツ少女な香住ちゃんよりも、今の彼女は少し大人な雰囲気が漂っていた。
もちろん、普段の彼女も魅力的なのは間違いないが、こうして普段とはちょっと違う様子を見ると、また違う魅力を発見できるものなのだ。
うん、やっぱり、海に来て良かった! 海、最高! 夏、最高!
荷物と一緒に置いておいたスマートフォンを拾い上げ、時間を確認してみると午後一時をやや過ぎたところだった。つまり、二時間ほど海で遊んでいたことになる。
それだけ水中にいたので、体はかなり疲れていた。当然、お腹も空いてきたことだし。
そんな訳で、今は休憩中なのである。
ビーチパラソルが作る日陰の下で、俺は香住ちゃん謹製のサンドイッチを食べている。うん、もちろん、美味しい。
タマゴ焼きにキュウリ、そしてケチャップが織り成す三重奏が、俺の味覚を優しく刺激してくれる。
「良かったら、こちらもどうですか?」
と、香住ちゃんが差し出してくれたのは、一口大にカットされた桃だった。クーラーボックスの中に入れられていた桃は、適度に冷えていて実に口当りがいい。
ホント、香住ちゃんはいい仕事をするね!
そうして食事を終え、ペットボトルの冷えた紅茶で口を潤した俺たちは、互いに口を開くこともなく海を眺めていた。
俺たち以外には誰もいない浜辺。見渡す限りに広がる空と海と砂浜。
聞こえてくるのは、波が打ち寄せる音だけ。
俺と香住ちゃんの手。レジャーシートの上に置かれた二つの手が、どちらからともなく少しずつ少しずつ、躊躇いつつも彼我の距離をなくしていき、遂に互いに触れ合った。
それでも、俺たちは口を開くことはない。ただ、黙って海を見つめるだけ。
だけど、俺たちの視線はゆっくりと海から離れて、引き寄せられるように互いの顔へと向けられた。
日陰でもはっきりと分かるほど、香住ちゃんの顔は赤い。きっと、俺も同じぐらい赤くなっているだろう。
相変わらず、俺たちの間に言葉はない。
それでも、その沈黙が心地良かった。逆に、無言でいることで二人の気持ちがしっかりと結びつき、それが強固になっていくのが感じられた。
先程の手と同じように、どちらからともなく俺たちの顔の距離が近づいていく。
距離はどんどんと近くなり、互いの吐息さえ感じられるほど。
そして。
そして、遂に二人の唇と唇の距離がゼロに限りなく近くなる。
そこで、俺は目を閉じた。きっと香住ちゃんも目を閉じていることだろう。
自分の中から響く心臓の鼓動が異様にうるさい。でも、それはあまり気にならなくて。
いよいよ、二人の距離がゼロになろうかという時。
なぜか、俺の身体が勝手に動き、勢いよく立ち上がって近くに立てかけておいた聖剣を手に取った。
見れば、香住ちゃんも同じようで。
ははは、おい、
分かっているよ。おまえは悪くない。いつも通り、俺や香住ちゃんのことを考えていて、危険に備えてくれているってことは、俺はちゃんと理解している。
だけどな?
今だけは……今だけは、おまえが憎くて仕方がないぜ、こんちくしょうっ!!
立ち上がった俺と香住ちゃんは、油断なく剣を構える。だけど、実際にはまだ剣は鞘から抜かれることはなく、いつでも抜ける体勢でとある地点──海ではなく反対側──をじっと凝視した。
今まであまり気にもしなかったけど、砂浜の海と反対側は、俺たちが設営したビーチパラソルから少し離れた所で、背丈の高い草が生えている草地になっている。
生えている草の丈は、俺の腰よりもちょっと高いほどとかなり大きい。だから、何者かがそこに潜むことは決して難しくはないだろう。
「し、茂樹さん……」
香住ちゃんが震える声で俺の名前を呼ぶ。
声が震えている理由は、突然のことに戸惑っているからか、それともまだ姿を見せぬ「敵」を警戒しているためか。
いや、先程までのことが恥ずかしいからかもしれないぞ。
その理由は俺には分からないが、ともかく俺は無言で頷いてみせた。
聖剣が俺たちの身体を操って警戒させたのだ。おそらく、目の前の草地のどこかに何者かが潜んでいるのは間違いない。
「……誰かいるのか……?」
敢えて、声に出してそう尋ねてみる。ひょっとすると、潜んでいるのは「誰か」ではなく「何か」かもしれないが、その場合は声を出したことで逃げてくれる可能性もある。それを期待しながら尋ねてみたわけだが。
果たして、俺の声に反応するかのように、生えている草の一部がわさわさと揺れ出した。
「……何かいますね、やっぱり」
「うん、そのようだ。油断しないようにね、香住ちゃん」
先程の甘い雰囲気などまるで感じさせず、香住ちゃんは鋭い視線で揺れる草を見つめる。
その視線の先で。がさがさと揺れる草は、その動きを更に大きくさせていた。
どうやら、何かが出てくるようだ。
ちゃり、という音と共に、俺の身体が僅かに聖剣を鞘から引き抜く。すぐ近くから同じような音が聞こえたので、香住ちゃんも俺同様な体勢なのだろう。
そして、いよいよ見つめる先の草が大きく割れて。
そこからひょっこりと飛び出したのは、薄汚れた二つの小さな頭。
「え?」
「は?」
俺と香住ちゃんの口から、ちょっと間抜けな声が漏れ出る。
先程とは違った意味でじっと「それら」を見つめる俺たち。そんな俺たちの視線を受けた「それら」もまた、じっと俺たちを見ていた。
「…………お、お前ら……そ、そんな裸みたいな格好で、ここで何をしている……?」
「ここがペンギーナたちしか立ち入ることができない場所だと、知らないわけじゃないよな? 早くここから立ち去った方が身のためだよ?」
俺たちを見て、そんなことをいうのは二人の男性だった。いや、年の頃は俺たちよりも年下っぽいから、男性というよりは少年と呼ぶべきかもしれない。
そしてこれが、この海洋世界での現地民とのファーストコンタクトでもある。
あ、あのペンギン騎士はノーカンで、ひとつ。
「俺たちは、『
「オイラは『草の民解放団』のアルってんだ! で、おまえらは何者だ? こんな所でそんな格好で?」
イノとアルの目が、俺たち……いや、香住ちゃんに向けられる。しかも、かなりスケベったらしい目で。今、彼女が着ているのは水着だけだ。男であれば、肌も露な女性に目が向くのは仕方ないことだろう。
だけど、俺の香住ちゃんをそんな目で見ることは、この俺が許さん!
俺は二人の視線を遮るように香住ちゃんの前に立つと、すらりと腰から聖剣を引き抜いた。
「彼女をそんな目で見るのは止めてくれないかな? もし、止めないというのであれば……」
俺は聖剣の切っ先を、イノとアルと名乗った少年たちへと向けた。もちろん、斬るつもりはない。だけど、いつまでもスケベったらしい目で香住ちゃんを見るつもりなら、少しばかり感電してもらっちゃうよ?
一方、剣の切っ先を向けられた二人の少年は、慌てて手にしていた棒切れを放り捨てた。
ん? この二人、どうしてこんな棒切れを持っていたんだ? しかも、その辺に落ちているような単なる木の枝をさ?
「け、剣を持っているって……い、一体おまえたちは何者なんだ……?」
「も、もしかして、ペンギーナ族の奴隷なのか……? そ、そういえば、ここには見たこともない物が一杯あるし……」
イノが聖剣を見て怯え、アルがビーチパラソルの下にある俺たちの荷物を、物珍しそうに眺める。
「それで、君たちは何者だ? 『草の民解放団』とか言っていたけど……?」
俺は剣を突きつけながら、二人に質問する。ちなみに、この隙に香住ちゃんはパーカーを着込んでいた。これで、僅かなりとも露出度が減ってくれるだろう。
改めて、俺は目の前の少年たちを見た。見た目の年齢は俺や香住ちゃんよりも少しばかり下……大体、中学生の一年生ぐらいだろうか。
どちらも全体的に薄汚れて、着ている服も簡素な貫頭衣のような衣服で、腰の辺りでぼろぼろの帯のような物で締めているだけ。足元は裸足であり、露出した手足はかなり細い。肌は垢がこびりついているのか、所々黒ずんでいる。
正直言えば、体臭もかなりきつい。髪の毛もぎとっとしているし。
この世界の人間には初めて会ったけど、もしかしてここの人間は総じてこんな感じなのだろうか?
「お、俺たち『草の民解放団』は、やりたい放題のペンギーナ族から草の民を守るために立ち上がったんだ! 俺たちは、ペンギーナ族を……ペンギーナル帝国を打ち倒すんだ!」
拳を握り締め、イノが力説してくれました。その横では、アルが何度も頷いている。
彼らが言うペンギーナ族って、あのペンギン騎士たちのことだよね? 確か、以前に出会った時に、自分たちのことをそう呼んでいたような気がするし。
で……確かそのペンギーナ族の国が、ペンギーナル帝国って名前だったはず。ちょっとうろ覚えだけど。
ってことはナニ? この目の前の薄汚れた少年たちは、いわゆる革命団の一員ってことか? それにしてはちょっと見窄らしくない?
どうやら香住ちゃんも俺と同じ思いらしく、眉を寄せつつ俺を見ていた。
えっと……この状況、どうしたらいいと思う?
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