青い空と青い海




 まだかな?

 まだかな?

 まだかな?

 まだかな?

 まっだっかっなー?

 俺は逸る気持ちを理性で強引に抑えつつ、フローリングの床に置いたクッションに座り、じっとテレビを見つめている。

 でも、俺の視線が時折テレビから離れ、ついついそちらに向いてしまうのは仕方ないと思う。

 だって──

 今、俺の部屋の浴室内では、香住ちゃんが着替えをしているのだ。

 それも、水着に!

 俺の心がそわそわしちゃう理由、きっと分かっていただけると思う。



 今日は待ちに待った週末。

 ここ最近、週末になるといつも異世界へ行っているわけだが、今日はちょっと事情が違う。

 もちろん、異世界に行くこと自体は違わない。だけど、行く異世界が問題なのだ。

 そう、本日行く異世界は、あの海洋世界なのだ! 目的はもちろん海水浴!

 今日この日のために、香住ちゃんはわざわざ新しい水着を用意してくれたらしい。実に嬉しいじゃありませんか!

 で、その香住ちゃんが今、浴室内で水着に着替えているわけだ。

 当然ながら、海洋世界には更衣室なんてものはない。そのため、こちらで着替えてから行く必要があるわけで。

 いつもなら、部屋の外で香住ちゃんの着替えを待つ俺だけど、さすがに今日はそういうわけにはいかない。

 なんせ、俺は既に水着に着替え済み。一応、パーカーを羽織ってはいるが、この格好で部屋の外でぼーっと立っていると、ご近所さんから不審者に思われかねない。

 かと言って、香住ちゃんに先に着替えてもらい、俺が着替えるまで外で待ってもらう……なんてのはもっと論外だ。

 そんなわけで、順番に浴室で水着に着替えているわけです。はい。

 思わずちらちらと見てしまう浴室の扉。その扉には小さな曇りガラスが嵌められていて、時折そこに人影が映るのだが……曇りガラス越しにも肌色の影がちらついて、それがこう、なんて言うか……あーもう! あーもう!

 む、むぅ、いかん! 俺は紳士! 紳士なのだ! こんなことで取り乱してどうする!

 心の中で、紳士ではない俺を紳士な俺が殴りつけた。紳士でない俺は紳士な俺に殴られ、大昔のボクシング漫画の見開きシーンのように豪快に吹き飛んでいく。

 そりゃあもう、「銀河が泣いた!」「虹が砕けた!」とばかりにだ。

 いや、父親があの漫画が大好きで、いまだに単行本を大切に保管しているんだ。で、俺もそれを読ませてもらったことがあるわけ。

 って、今はそんなことはどうでもいい!

 落ち着きなく、そわそわとしながら待つことしばし。

 遂に……遂に、浴室の扉が内側から開けられた!

 もちろん、そこから登場するのは香住ちゃんだ!

 彼女は今、淡いブルーのパーカーを水着の上から羽織り、はにかみながら俺を見た。

 うん、俺も彼女の水着姿に目が釘付けです。

 パーカーを羽織っているため、どんなデザインの水着なのかはイマイチ分からない。でも、ビキニタイプであるのは間違いないようだ。

 そして……そして!

 閉じられたその薄手のパーカーの胸元には、くっきりとした谷間が覗いている。

 す、素晴らしい! 実に素晴らしい!

 水着とパーカーの上から分かるのだが、香住ちゃんは巨乳というタイプではない。だが、決して小さくもない。

 言うなれば、美乳! そう、美乳と呼ぶに相応しいモノをお持ちなのである!

 もちろん、直に見たことはないので、実際の彼女の胸がどんな形をしているのかなんて分からない。だが、きっと美乳に違いないという確信が俺にはある! あるのだ!

 そして、パーカーの裾から見える白い脚が、これがまた素晴らしい。

 美しい曲線を描きつつすらりと伸びた、細からず太からずなそのおみ足。

 ああ、今日は人生で最高に幸せな日……即ち、さいこうの日に違いない!

「お、お待たせしました……え、えっと……あ、あまり見ないでもらえると……そ、その……」

 頬を赤らめながら、途切れ途切れにそんなことを言う香住ちゃん。

 お、おう、いかん! 俺は紳士だからな。なんせ、紳士ではない俺は、いまだに心の中にある、リングの中央でダウンしたままなのだから。

 俺は香住ちゃんに謝りつつ、慌てて視線を逸らす。

 だけど、先程見たその光景はしっかりと脳裏に焼き付いている。いや、忘れたくても忘れることなんてできないだろう。

 …………写真撮らせてくれって頼んだら、やっぱり怒られるかなぁ?



 さて、いよいよ海洋世界へ転移する時が来た。

 だがその前に、少し準備をしておかないとね。

 俺と香住ちゃんは、手分けしてフローリング張りの床に新聞紙を敷いていく。

 あっちの世界にはシャワーなんてものはないだろう。となると、こちらに帰って来る時は海の水に濡れたまま、そして、砂が身体に付着したままの可能性が高い。

 そのため、予め部屋の床に新聞紙を敷いておくわけだ。以前、あの世界から帰ってきた時は床が砂だらけになったからね。あの時の教訓を忘れないように活用しないと。

 いつも異世界へ行く時に着る、《銀の弾丸》のジャケットやツナギも今日はお休み。代わりに水着の出番である。

 足元はいつものアーミーブーツではなく、夏らしい涼しげなビーチサンダル。

 うんうん、今回に限り、実に完璧な装いと言えるだろう。

 もちろん、拳銃やサブマシンガンも持って行かない。代わりに持って行くのは、冷たい飲み物を詰め込んだクーラーボックスと、レジャーシートにビーチパラソルである。

 本来なら、サマーベッドなども欲しいところだが、さすがに購入するのは躊躇われた。そもそも、使わない時に置いておく場所がないよ。

 代わりに、近所のリサイクルショップで程度のいいビーチパラソルが売っていたので、そちらを購入。結構お買い得だったぜ。

 そして、忘れちゃいけないのが聖剣。香住ちゃんも剣帯を巻き、そこに俺がプレゼントした剣を吊り下げている。

 ちなみに彼女の剣帯、ネットで見つけて購入したそうだ。

 最近ではコスプレ用などに、こんな物まで売っているらしい。ホント、何でもあるよな、ネットには。なんせ、不思議な聖剣も売っていたぐらいだし。

 しかし……水着に剣帯って、確かにアンバランスだけど、そこが逆に何て言うかこう……うん、いいよね!

「さて、準備はいいかな?」

「はい、ばっちりです!」

 香住ちゃんの笑顔が、夏の太陽に負けないぐらい眩しく輝いた。

 よし、じゃあ行くぞ!

 俺は腰から聖剣を引き抜いて構えると、その柄頭の青い宝玉をぐっと押し込んだ。



 燦々と降り注ぐ太陽の光。

 寄せては返す潮騒。

 砂浜を吹き抜ける心地良い風。

 今、俺は夏の海辺にいる!

「わぁ………………」

 目の前に広がる、青く輝く海。日本近海の濁った海水など全く見当たらない、どこまでも澄んだ奇麗な海が、どどーんと広がっている。

「前に来た時も思いましたけど、本当に奇麗ですね、ここの海は……」

「本当にね……」

 俺と香住ちゃんは、ぼーっと海を眺めていた。だって、そうしたくなるぐらいに、どこまでも奇麗な海なんだ。

 まあ、ここは人間の手が全く入っていない、正真正銘の「自然の海」だからね。その代わり、大きなペンギンがこの海に入っているみたいだけど。

 今回、あのペンギンとは遭遇しないことを祈るばかりである。

 なお、今回の異世界滞在時間は約四時間。俺の腕時計は今、午前十一時を差しているので、午後三時には元の世界に帰還する予定である。

 香住ちゃんの門限に合わせるのは当然として、帰ってから着替えたりシャワーを浴びたりする時間も必要なのだ。そのため、ちょっと短めの滞在時間なのである。

 でも、この海で四時間も遊べれば十分だよね。

 さて、いつまでも海を眺めていても仕方がない。そろそろ拠点作りに取りかかろう。

 ビーチパラソルに付属していた小さなドリルで砂浜の適当な場所に穴をあけ、そこにビーチパラソルを突き刺してパラソルを展開する。

 よしよし、いい感じに日陰ができたぞ。

 そのパラソルの下、レジャーシートを敷いて、これまた付属のペグで四隅を固定する。最近のレジャーシートには、四隅をペグで固定するための穴が開いている物もあるんだね。俺、こんなのがあるなんて全然知らなかったよ。

 なお、このレジャーシートは、近所のホームセンターで見つけました。

 広げたレジャーシートの上にクーラーボックスを置けば、拠点作りは完了だ。

 さあ、後はいよいよ海へと飛び込むばかりである。

 俺は羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てると、香住ちゃんの方へと振り返った。

 その香住ちゃんはと言えば、パーカーの合わせ目に手をやりながら、もじもじと俺の方を見ている。

「も、もうっ!! す、少しの間、こっちを見ないでくださいっ!!」

 俺はその言葉に素直に従い、くるっと香住ちゃんに背を向ける。

 そして背中越しに聞こえてくるのは、じじじじっ、というファスナーが引かれる音。

 な、なんか……すっげぇどきどきするぞ、これ。

「も、もう……いいです……よ?」

 そして、待ちに待ったお許しが出た。俺はどきどきと暴れる心臓を宥めながら、ゆっくりと香住ちゃんの方へと振り返り──急に視界が何かに包まれた。



「…………へ?」

 ばさり、という何かが広がる音と共に、俺の頭を何かが覆った。そのため、俺の視界は完全に塞がれてしまった。

 一体、何が起きた?

 反射的に腰の聖剣に手を伸ばそうとして、ふと思い出す。今、聖剣は俺の腰にはないことを。

 その聖剣は、ビーチパラソルの支柱に立てかけられている。だって、さすがに聖剣を持ったまま、海に入るわけにはいかないから。

 海水に浸かった聖剣が、錆でもしたら大問題である。まあ、あの聖剣が海水に浸かったところで錆びるとは思えないけど。

 でも、聖剣はバッテリーを内蔵しているわけだし、やはり水は厳禁だろう。

 もちろん、香住ちゃんの剣も一緒だ。こちらは普通の金属製なので、当然海水に触れさせるのはまずいからね。

 実際には潮風でさえ問題になるだろうから、帰ったらしっかりと手入れをしておこう。

 それはともかく、俺は慌てて頭部を覆った物をどける。意外にも、俺の頭を覆ったソレは、すんなりと俺から離れてくれた。

 そして、俺はソレの正体を知る。

「こ、これは……香住ちゃんのパーカー?」

 そう。俺の頭を突然覆ったのは、先程まで香住ちゃんが着ていたパーカーだったのだ。

「あはははは! あんまりじろじろと私を見ていた罰ですよー!」

 と、少し離れた所から香住ちゃんの声がする。

 どうやら、彼女は自分が着ていたパーカーを俺の頭に投げつけたらしい。

 そして、俺がパーカー相手に格闘している間に、香住ちゃんは一人海に向かって駆け出していた。

 お?

 おおっ!?

 おおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!

 当然、パーカーを脱ぎ捨てた香住ちゃんは水着姿を披露してくれたわけで。

 海へ向かって走っているわけだから、俺からはその背中がよく見えた。

 同時、その下で健康的に揺れるお尻も、また。

 香住ちゃんが着ている水着は、フリルを多用した可愛いデザインのものだった。

 色は明るいライムグリーン。太陽の光が降り注ぐ中、鮮やかな緑がよく映えている。

 ミニスカートのようになっているボトムのフリルが、走るに合わせてひらひらと揺れる。まるで、俺を誘っているかのように。

 まあ、誘っているってのは俺の思い込みだけど。

 そして、時折振り返る際に見えるトップスもまた、ひらひらとしたフリルで覆われていた。

 やはり、俺の目に狂いはなかった。水着越しでも、彼女が美乳の持ち主であることはよく分かる!

 くっきりとした谷間と、その周囲でひらひらするフリルが実に眩しい。そして、走ることでふわふわと揺れるその胸も実に素晴らしい!

「茂樹さーん! こっち、来ないんですかー? 水が冷たくて気持ちいいですよー?」

 既にふくらはぎの辺りまで海水に浸かった香住ちゃんが、水を蹴り飛ばしながら俺に問う。

 もちろん、行かないわけがないじゃないか!

 俺はその場から駆け出した。水際で戯れる、大切な女性の元へと。



 あ、でも、完全に海に入る前に、準備運動だけはしておこうね。



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