店長
それは、とある平日の夜のこと。
その日、俺は午後五時から九時までのシフトでバイトに入っていた。
この時間帯は、それなりの客足が見込める時間帯である。
部活帰りで腹を空かせた中高生や、仕事が終わって帰宅途中に晩飯や晩酌用のアルコール飲料を買い求める会社人、時には運送業の人たちが休憩がてら立ち寄ることもある。
ちなみに今日、香住ちゃんはお休み。俺たちだって、常に一緒にバイトしているわけではないのだ。
それでも、店長の計らいで極力同じシフトにしてもらっているんだよね。本当に店長には感謝しています。はい。
今日、同じシフトになったバイト仲間の田中──俺と同じ大学生──と、時折無駄な話をしながら仕事に精を出していた時だ。
その人物が突然現れたのは。
長く真っ直ぐな黒髪と、極上の大理石のような白い肌。そして、猫目石のような奇麗な茶色の双眸。
日本人離れしたその容貌は、見事な化粧が施されていることもあって、極めて美しい。
どれぐらい美しいかと言えば、異世界の王女であるミレーニアさんと並んでも、見劣りしないくらいだ。
これだけの条件が揃えば、当然目立つに決まっている。実際、店内にいた他のお客さんが全員、その人物──三十歳前後ぐらいの女性へと視線を向けていた。
もちろん、俺と田中も例外じゃない。レジに立ちながら、思わずその女性を見つめてしまう。
更には、その女性が着ている服がまた凄い。
いわゆるそれは、イブニングドレスというやつだろう。ワインレッドの落ち着いた印象のドレスだが、胸元と背中が大きく開いているため、とても扇情的だった。
深く刻まれた胸の谷間のちょっと上には、大粒の宝石があしらわれた、凝ったデザインのネックレス。よく見れば、耳元にも同じ宝石とデザインのイヤリングも光っている。おそらく、ペアで使う宝飾品なのだろう。
とまあ、そんな女性が突然コンビニに現れれば、ちょっとした騒ぎになっても仕方ない。だけど、俺は周囲のお客さん以上に驚いていた。いや、俺だけじゃなく、隣に立っている田中もだ。
なぜなら、その女性は──
「て、店長っ!?」
「やあ、水野くんに田中くん。お仕事ご苦労様。悪いけど、ちょっと奥を使わせてもらうよ? 早いところ、こんな動きづらい服は着替えたいんだ」
と、俺たちににっこりと笑ったその女性──このコンビニの店長は、イブニングドレスの裾を翻して奥の事務所へと消えていった。
「いやー、ようやく楽になったよ」
バイトの終業時間となったので、後を田中に任せて店の奥の事務所に入ると、そこには制服に着替えた店長がいた。
ただ、化粧はそのままだ。でも、化粧したまま着替えるのって、結構大変じゃなかったっけ? ほら、着替える時に服に化粧が付かないようにしないといけないし。
まあ、俺が気にすることじゃないかもしれないけどさ。
「それで店長。あんな格好でどこ行っていたんですか?」
「ああ、今日は母の誕生パーティがあってね。以前からどうしても今日のパーティには出ろと両親がうるさかったんだ。ここ最近、両親ともあまり会っていなかったし、ちょっとだけ顔を見せようと思ってパーティに出席したんだけど……そしたら、これがまあ!」
ひょい、と肩を竦める店長。どうやら、ただの誕生パーティじゃなかったみたいだ。
そういえば店長の両親って、このコンビニの経営会社のトップクラスの人じゃなかったっけ? パートのおばちゃんたちが、そんな噂をしていたのを聞いたことがあるぞ。
そのお母さんの誕生パーティともなると、いろいろな人が大勢集まったんじゃないかな?
しかも、その日本人離れした容姿を見て分かるように、店長は純粋な日本人じゃない。これもパートのおばちゃんたちが情報源だけど。
「確か店長のご両親って、お父さんがイギリスの人で、お母さんが日本人でしたっけ?」
「正確にはちょっと違うね。父親がイギリス人なのは確かだが、母はイギリスと日本のハーフなんだ。まあ、母の国籍は日本だから、日本人で間違いじゃないけどね」
へー、そうだったんだ。つまり、店長は日英のクォーターってわけか。
「それで、パーティで何かあったんですか?」
「それがね、水野くん。確かに母の誕生パーティには違いなかったけど、実際は私のお見合いパーティさ! 碌でもない男たちが次々に集まってきて、あれこれと自分を売り込んできて……本当に鬱陶しいったら。どうやら、両親が仕組んだみたいだね! あまりにも男どもが鬱陶しいんで、途中で抜けて来ちゃったよ!」
怒っているのか、それとも呆れているのか。どちらか判断つかない様子の店長。
どうやら店長のご両親は、いつまでも結婚する気のない店長を日頃から気にかけているらしい。それで、母親の誕生パーティという名目のもと、店長の結婚相手候補──優良な男性ばかりだっただろう──を大量に呼び寄せたみたいだ。
それに男側から見ても、店長ってかなりの優良物件だよね。
実家は大金持ち、店長自身も見て分かるように相当美人だ。それに、性格もさっぱりしているし、付き合うにしろ結婚するにしろ、一緒にいて楽しい相手だと思う。
でも、今日集められたであろう男性たち、全員玉砕したってわけか。同じ男として、ちょっと同情するなぁ。
「……店長は、結婚する気はないんですか?」
「そうだねぇ。いつかは結婚するとは思うけど、今はまだするつもりはないよ。ほら、昨今は三十代半ばで結婚する女性も少なくないし、私はまだ三十前だしね」
え?
て、店長ってまだ二十代だったの? 俺、てっきり三十越えているとばかり……うん、このことは絶対口外しないようにしよう。特にパートのおばちゃんたちがいる所では。
その後、店長は制服のまま自宅へと帰って行った。手荷物は小さなバッグだけ。
そういえばあのバッグ、店長が店に来た時に持っていたな。じゃあここに来るまで着ていたイブニングドレスはどうしたんだ? 持って帰らなくてもいいのかな?
それとも、後日ここからクリーニング屋にでも送るつもりなのだろうか? コンビニの宅配便の発送サービスを使って。
さすがに店長のロッカーを開けてドレスの有無を確認するわけにもいかないので、気にはなるけど気にしないことにした。
「お疲れー。後はよろしくな、田中」
「あ? ああ、水野か……お、おつかれー……」
俺も家に帰ろうと思って、レジに立っていた田中に声をかけた。だが、田中のやつ、どうも心ここにあらずって感じだ。
あれ?
もしかして?
田中の奴、さっき見たイブニングドレス姿の店長に惚れたんじゃないだろうか? 今までどちらかというと中性的だった印象の店長だけど、さっきの一件で一気に見る目が変わったからね。
田中が思わず惚れてしまっても、無理はないと思う。そういや田中のやつ、年上が好みだって以前に言っていたもんな。
え? 俺? 俺は別に店長に惚れたなんてことはないぞ。ほら、俺には香住ちゃんがいるし。
確かに、店長に対する見方は変わったかもしれないけど、それと恋愛感情とは別ってものでさ。
店長はもともと信頼できる人だったし、「信頼できる上司」が「信頼できる美人の上司」に変わったぐらいかな?
しかし、そうかぁ。田中のやつ、店長になぁ。
今もどこかぼーっとしているっぽいし、多分間違いないと思う。
あまりぼーっとしすぎて、仕事をミスしなければいいけど。もしもミスなんてすると、店長の田中に対する評価が下がっちゃうぞ。
そんなことを田中に小声で囁いてやると、田中はびくっとして背筋を伸ばしていた。こいつ、分かりやすいな。
まあ、がんばれ、田中。一介の大学生には、店長はちょっと高嶺の花かもしれないけど、諦めなければワンチャンぐらいあるかもしれないぞ。
俺は心の中で田中を応援しつつ、コンビニを後にしたのだった。
『え? え? て、店長のドレス姿? う、うわー、私も見たかったなー』
家に帰った俺は、早速今日あったことを香住ちゃんに電話で伝えた。
香住ちゃんは小さな頃から店長を知っているらしいけど、ドレス姿の店長を見たことはないそうだ。
『どうして、ドレス姿の店長の写真を撮らなかったんですかっ!?』
「おいおい、仕事中のスマホ所持が厳禁なのは、香住ちゃんも知っているっしょ?」
『あ、あー……そういえばそうでしたね……』
香住ちゃん、相当店長のドレス姿を見たかったんだな。基本的なバイトの禁則事項を忘れるほどに。
『店長にお願いしたら、着て見せてくれませんかね?』
「どうだろうね? 店長自身、ドレスを着るのはあまり好きそうじゃなかったけど」
『ああ、もう! どうして私は今日バイトじゃなかったんだろう……』
きっとスマホの向こうで、香住ちゃんは相当悶えているんだろうなー。そんな香住ちゃんもラブリィで大好きだぜ!
さて、それよりも、だ。
「今度の週末の異世界行きの件だけど、準備はどう?」
『え、あ、は……はい、今日、友達と一緒に行って、買ってきました……」
「じゃあ、問題ないってことでおーけー?」
『お、おーけーです……で、でも、やっぱりちょっと恥ずかしいですよぉ……』
スマホの向こうで、きっと香住ちゃんは真っ赤になっていると思う。さっきの彼女じゃないけど、その姿が見られないのが残念だ。
しかし、本気で次の異世界行きが楽しみだ。
なんせ……次に行く予定なのは、あのペンギン騎士がいた海洋世界なのだから!
ただし、今度の主目的は聖剣に関する情報収集ではなく、単なる海水浴だったりする。
ほら、今、世間は夏だし! まあ、異世界にこっちの季節は関係ないけど。
あの海洋世界、ロケーションは最高だからね!
誰もいない真っ白な砂浜と、どこまでも続く青い海と空。
そんな場所で、二人っきりの海水浴。これが楽しみでなくて、何が楽しみというのか!
あー、早く週末にならないかなー。
もちろん、香住ちゃんの水着姿にも期待していますですよ! ここだけの秘密だけどな!
問題はあのペンギン騎士だけど……そうそう、遭遇するものではないと思うんだ。
以前にあの海洋世界に行った時も、あのペンギンと遭遇するまで、相当歩いたし。おそらく、半日ほどであれば出会うことはないと思う。
まあ、あくまでも、「思う」だけだけど。それに、出会ったら出会ったで、何とかなるんじゃないかな? あのペンギン騎士、かなり弱かったし。
ともかく、多少の気がかりを覚えつつも、俺は週末に期待するのであった。
~~~ 作者より~~~
仕事が多忙を極めるため、来週の更新はお休みさせていただきます。
次回の更新は3月13日の予定です。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます