もう一度、地底世界へ



 いつものように、転移の激しい光が収まると……周囲は真っ暗だった。

「…………香住ちゃん……?」

「…………こ、ここにいます……」

 なぜか、俺も香住ちゃんも声を潜めてしまった。別に、小声で話す必要なんてないのにね。

「ちょっと待ってて……っと、これかな?」

 背負っていたリュックを下ろし、手探りでジッパーを開ける。そして、中から電池式のLEDランタンを取り出して点灯する。

 白く明るい光が周囲の闇を駆逐し、俺は改めてその周囲を見回した。

 剥き出しの岩肌……いや、土肌と言った方が正確か。周囲には何もなく、ただただ暗闇の中にぽっかりとした空間が広がっている。

 そして、遥か遠くにちらちらと星のような輝きが見える。

「もしかして……あの光が……?」

「そうだよ、香住ちゃん。あの光こそが……グルググたちの地底都市、テラルルルの光だ」

 もうお分かりだろう。

 今、俺たちがいるのはグルググたちのいる地底世界だ。どうやら、テラルルルから少し離れた場所に転移したらしい。

 いや、良かった、良かった。もしも最初の時のように地上に転移していたら、どうやってこの地底都市まで来るか、その方法が全然分からなかったからね。

 それに、運良くジョバルガンかそれ以外のグルググたちと出会えたとしても、あの長い地下通路を四つん這いで進むのはちょっと大変だったし。

 ほら、今回は俺だけじゃなく、香住ちゃんもいるしね。女の子に延々と地下を四つん這いで進ませるのはさすがに気がひけるから。

「ちょっと距離があるけど、あの光を目指して進もう。あ、それからLEDランタンは消して、暗視ゴーグルに切り替えようか。この世界のグルググたちは、光の明滅で『会話』をするから、強い光を点灯しっぱなしにするのは『騒々しい』だろうから」

「そうですね……んしょ、と」

 俺も香住ちゃんも、リュックの中から暗視ゴーグルを取り出して顔面に装着する。

 これで、暗闇の地底世界でも、ある程度の視界は確保できるってものだ。

 俺と香住ちゃんは緑色の視界の中、互いに頷き合うとゆっくりと歩き出した。

 向かうは地底都市テラルルル。グルググたちが住む街である。



 さて。

 今回の異世界行は、いつもとちょっと違う点がある。

 それは、昨日、今日と連続で異世界へ来ていることだったりする。

 土曜日の昨日は、エルフたちがいる森林世界へ行ってきた。

 目的はエリクサーの補充と、エルフたちへの剣道指導。そして、以前頼んでおいた情報収集の結果について。

 エリクサーの方は、今回も問題なくエルフたちが分けてくれた。今回はペットボトル四本分、俺と香住ちゃんで二本ずつってわけだ。

 しかも、まだ未使用のエリクサーがペットボトル一本分残っているので、俺たちはそれぞれ三本ずつエリクサーを所持していることになる。

 もっとも、異世界へ行く時は一本ぐらいしか持っていかないけど。だって、三本も持っていったら、荷物が重くなっちゃうから。

 どこかへ遠出する時、荷物が軽いってのは結構重要なことだからね。

 次に、エルフたちへの剣道指導。こちらは香住師範にお任せである。

 その香住師範が言うには、基本以上のことは教えられないらしい。

「剣道などの武道は、あくまでも人に対して用いるものです。でも、エルフさんたちが剣を向ける相手は、おそらく『ヒト』ではないと思われるので……」

 とのことだった。

 確かに、香住ちゃんの言う通りだね。

 剣道にしろ柔道にしろ空手にしろ、武道武術ってやつは人間を相手にすることを前提に発展してきたと言っても過言じゃないと思う。

 そりゃあ中には、空手で熊を倒した達人の逸話もあったりするけど、それでも現状の武道があくまでも「ヒト」を相手に想定されているのは間違いないだろう。

 だけど、この森の中には「ヒト」はいない。エルフたちの外敵になるような存在は、この前の白い怪物のような「ヒト」ではない何かだ。

 なお、エルフを「ヒト」の範疇に入れていいものか、実に微妙だね。だって彼ら、基本的に植物だし。

 つまりは、基礎以上の剣道を教えることは、エルフたちにとってマイナスになるかもしれないってわけだ。

 ここから先は、エルフたちが独自に剣を発展させる必要がある。もちろん、それには長い年月が必要だろうけど、それは仕方のないことだと思う。

 武の道に近道なし、と香住ちゃんのお爺さんの権蔵さんも言っていたし。

 そして、最後の情報収集について。

 この前この世界に来た時、帰り際にエルフたちに俺の聖剣について調べておくように頼んだのである。

 とはいえ、こちらの世界のエルフたちは、文字か何かで記録を残すということをしないらしい。なので、主な調査は昔のことを知っていそうな者たちに尋ねて回ることになる。

 その結果、「聖剣カーリオン」に関する情報は皆無だった。

 ただ、この森林世界には一つの伝説があった。

 森林世界の中心には、文字通り世界の中心ともいうべき世界樹が存在するという。

 そして、その世界樹の名前が──「クァリオン」と言うんだそうだ。

 もちろん、その「世界樹クァリオン」を見た者は誰もいない。ただ、そんな伝承や神話の類だけが残されているらしかった。

 ちなみに、この話の出元はトレントの長老さんだ。エルフよりも更に長寿のトレントの長老さんもまた、「世界樹クァリオン」を見たことはないそうだ。

 まあ、この世界のトレントは基本移動できないので、世界樹があるという世界の中心に行くことができないから当然なわけだけど。

 うーん、これ、俺の聖剣と何か関係があるのかな? 以前に行った「もう一つの日本」でも、俺の聖剣とよく似た剣の伝説が残されていたっけ。確か、「そうの剣」とか言ったな。

 世界の中心に突き立ち、世界が創られた切っ掛けになったと言われる、「始創の剣」。そして、こちらの世界の中心に聳え立つと言われる、「世界樹」。

 何となくだけど、剣と樹の違いだけで、同じような伝承のような気がしなくもない。

 これは偶然に過ぎないのか、それとも何か意味があるのか。

 …………また謎が増えた気がするな。はぁ。



 その後、俺と香住ちゃんは二時間ほどで森林世界から戻った。元々、本命は今日の地底世界の予定だったので、森林世界の滞在時間を短めにしたんだ。

 それに、俺も香住ちゃんも午後からバイトのシフトが入っていたこともある。

 ちょっと強行軍な気もしなくもないが、それなりに収穫はあったと思う。まあ、謎が増えただけとも言えるけど。

 そして今日、俺たちは改めてこの地底世界を訪れたというわけである。

 体感時間で一時間ほどだろうか。香住ちゃんとあれこれと話しながら歩いていたら、いつの間にかテラルルルがかなり近づいてきた。

 テラルルルに近づくにつれ、そこに暮らすグルググたちの姿もまた見えてきた。

 当然、グルググたちも俺たちに気づき、頭の横から生える触角をせわしなく動かし、その先端に存在する発光器を激しく明滅させる。

【あ、あの生物は……確か、ジョバルガンの友人の……】

【そうだ! 我らがテラルルルに侵入しようとした百体以上ものグッタングを、単身で殲滅させた……】

【我らが〈頭〉、ズムズムズ様がジョバンをお与えになった……】

【そう、確か……シゲキとかいう名だったはず】

 前回同様、グルググたちの光による会話を聖剣が「翻訳」してくれているようで、頭の中に「翻訳結果」が響いてくる。

 どうやら香住ちゃんも同様な様子。俺ほど慣れていないせいか、ちょっと首を傾げたり、こつこつと軽く頭を叩いたりしている。うん、可愛い。

 それより、グルググたちは俺を覚えていてくれたようだ。

 以前に一回、それも一日に満たない間しかこの世界にはいなかったのに、こうして覚えていてくれることが嬉しい。

 まあ、グルググたちは見た目こそダンゴムシだけど、下手したらその知能は人間よりも高いかもしれないからね。

 きっと、記憶力もいいのだろう。うん。

「あ、あのー、すみませんが、誰か俺が来たことを……水野茂樹がこの街に来たことを、ジョバルガンに伝えて欲しいのですが……」

 俺たちを見つめるグルググたちに向かって、俺はそう声をかけた。

 同時に、俺の腰にある聖剣の柄頭が、ぴかぴかと光って俺の言葉を「翻訳」してくれる。

 ちなみに、こちらの世界に来ると同時に、香住ちゃんの剣も聖剣と同じ姿になっていた。おそらく、この「翻訳」が必要だからだろう。

 そして、俺の「声を聞いた」グルググたちは、互いに頭を向け合うと、くるくると複雑に触角を振り回し、ぴかぴかとその先端を明滅させた。

【ジョバルガン……彼のことを伝えてもいいものか……?】

【だが、あの者はジョバルガンの友であろう? ならば、ジョバルガンのことを伝えるのが善意ではないか?】

【だが、ジョバルガンのことを聞いたら、あの者は深い悲しみに囚われるやもしれん。果たして、それは善意と呼べるだろうか?】

【では、嘘をつけと? それこそ善意ではないだろう】

【善意から出た嘘は、決して卑下したものではないと我は思うが?】

 う、うーん。何やら問答を始めたぞ? ま、まあ、グルググっていう種族は、このような問答こそを尊ぶらしいからなぁ。

「え、えっと茂樹さん? あの人たち……? あ、あのグルググさんたち、放っておいていいんですか?」

 熱く言葉を交わし合う二体のグルググたちと俺を見比べながら、香住ちゃんが心配そうに尋ねてくる。

 大丈夫だよ、香住ちゃん。グルググって、こういうヒトたちだから。

 でも、さっきのグルググたちの会話に、ちょっと聞き捨てできないものがあったぞ。

 もしかして、ジョバルガンの身に何か起きたのだろうか?



「だ、脱皮……?」

【う、うむ、ま、まあ、我々グルググ……特に戦いに身を置く階級に属する者にとって、脱皮の時期はある種の弱点と言えるのだ】

 口論を交わすグルググたちとは別のグルググに案内してもらい、俺たちはジョバルガンの家へと辿り着いた。

 そして、その家の中で。

 久しぶりに会ったジョバルガンの身体が、全体的に白っぽくなっていたのだ。

 最初は何かの病気かと思って焦ったが、話を聞くに単なる脱皮の時期だったらしい。

 まあ、脱皮の直後は外殻も柔らかく、防御力が格段に落ちるからね。それはこの世界のグルググにも適用されるようだ。

 また、脱皮を完全に終えるまで、身体もあまり自由に動かないらしい。それに精神的にも不安になって、情緒不安定になるとか。

 俺は脱皮した経験がないから、ジョバルガンが今、どんな心境でいるのかは分からないけど……おそらく、人間なら下着姿か全裸で家の外に出るような心境ではないだろうか。まあ、勝手な想像だけどさ。

【して、そちらがシゲキのつがいというわけか。なるほど、以前、君たちの世界はおとこおんながほぼ半数だと言っていたな。ふむ、どこで雌雄を判断すればいいのか……外見だけでは分からんな。いや、興味深い】

 俺と香住ちゃんは、いつものように《銀の弾丸》特製のツナギとジャケットを着ているから、外見的な違いはそれほどない……というか、グルググたちにはそう見えているのだろう。

 人間だって、ぱっと見ただけでダンゴムシの雌雄は判断できないもんね。ダンゴムシの専門家とかならともかく。

 かと言って、ここで裸になって男女の違いを説明するわけにもいかないので、グルググの学術的興味から来るこの質問には、答えない方向でひとつ。

 ……今度来る時、人間の男女の区別の一助になるような本を持ってきてあげよう。どのようなジャンルの本なのか、絶対に詮索しないように。

「あ、あの、初めまして。私のことは香住と呼んでください」

【うむ、カスミという名前なのか。シゲキの同族だけあって、聞き慣れん響きの名前だな。だが、そこが興味深い】

 ぴかぴかと光るジョバルガンの触角が、ぶんぶんと左右に振られる。あれ、きっと楽しい時の動きだと思う。

 お互いの名前が聞き慣れないのは仕方ないよね。同じ地球の上にあっても、国が違えば発音さえ難しい名前もあるぐらいだ。それに比べたら、グルググたちの名前は親しみやすい方だと俺は思う。

 それはともかく、まずはこの世界へ来た理由をジョバルガンに説明しないとね。



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