森下家の人々



 ぱちり。

「そういえば君は……水野くんは、大学は歴史学科だそうだね?」

 ぱちん。

「はい、そうですが……それが何か?」

 ぱちん。

「いや、その……私は歴史方面はあまり詳しくないので恥ずかしいのだが、歴史学科だと将来の就職はどのような道を選ぶのかと思ってね」

 ぱちり。

「ああ、就職先ですか。俺はまだ一年なので就職に関してそれほど調べてはいませんけど、知り合いの先輩の話によると、博物館の職員とかが人気の就職先らしいですね。ただ、人気があるだけに就職するのも狭き門で、募集もそれほど多くはないことから、かなり難しいと聞きます……王手」

 ぱちん、と。

 俺は相手の王の正面に飛車を差す。

「むむ……ここは逃げの一手か……いや、歩を置いて受け止める……いかん、ここは二歩になってしまうか。なら、他の駒を……」

 そう。

 俺は今、将棋を差している。

 そして、その相手というのが……実は、香住ちゃんのお父さんであるのぶゆきさんだったりするのだ。



 どうして俺が、香住ちゃんのお父さんと将棋を差しているかと言えば。

 香住ちゃんのお父さんである信之さんは、大の将棋好きらしい。

 だが、大好きだからといって、その実力はどうかと言えば……まあ、なんだ。その……ちょっと……いや、かなり……うん、ぶっちゃけ、相当弱いのだ。

 信之さんがどれぐらい弱いかと言うと、父親であり香住ちゃんのお爺さんである権蔵さんは言うに及ばず、奥さんや娘である香住ちゃんにもボロ負けするぐらいに弱かったりする。

 そんな信之さん、初めて会った時──ナイフを作りに行った帰りのこと──に俺に聞いてきたのだ。

「水野くんは将棋はできるかね?」

 と。

 きっと、娘が突然彼氏を連れて来たことで、信之さんも話題に困ったんじゃないかな? で、唐突ながらも俺に将棋のことを聞いてきたのだと思う。

 もっとも、今になって思えば、信之さんは将棋の相手に飢えていただけかもしれないけど。

 なんせ信之さん、弱すぎて家族には全く相手をしてもらえないそうなのだ。

 スマホやパソコンの将棋ゲームではやはり味気ない上に、最も難易度の低いモードでもほとんど負けるらしい。

 で、突然現れた俺に、将棋の相手をして欲しかったのだろう。

 信之さんのことを弱いと言う俺もまた、実は将棋はかなり弱い。どれぐらい弱いかというと、信之さんと互角に戦えるぐらい弱い。

 つまり、相当弱いのだ。

 だが、信之さんからしてみれば、俺は互角に戦える貴重な存在だった。

 ようやく互角に将棋を差せる相手を見つけた信之さんは、時々こうして俺を香住ちゃんの家に呼び出すのである。

 呼び出す名目は、あくまでも食事を食べに来いというもの。一人暮らしの食事は味気ないだろうからいつでも食べに来なさいと、信之さんだけではなく香住ちゃんの家族はそう言ってくれた。

 もちろん、信之さんの本当の目的が、食後に俺と将棋を差すことなのは間違いないだろうけど。

 最初は香住ちゃんを通して将棋の──いや、食事のお誘いがきていたのだが、いつしか信之さんから直接電話がかかってくるようになった。

 香住ちゃんから「お父さんに茂樹さんの携帯の番号、教えてもいいですか?」と聞かれた時は、一体どうしてと思ったものである。

 でも、こうして香住ちゃんのお父さんと親しくなれたのだから、文句を言うことでもないよね。

 もちろん、香住ちゃんのお母さんであるひでさんや、権蔵さんとその奥さんであるさんにも、遊びに行くたびにいつも良くしてもらっている。

 これは後に香住ちゃんがこっそり教えてくれたのだが、彼女の家族はみんな俺に感謝しているという。

 でも、その理由というのが、「信之さんからしつこく将棋の相手をしてくれと言われなくなった」というものだったのだが……信之さん、どれだけ将棋の相手に飢えていたんですか?



 信之さんが自分の王を逃がす。俺はそれを追うように更に駒を動かしていく。

「ふむ……博物館の他には、どのような就職先があるのかね?」

「そうですね……歴史の教師とかも就職先としては人気らしいですね。他には、歴史とは全く関係ないような道へ進む人もいるようですよ」

「ほう。その辺りは他の学科でもよく聞く話だね。それに、学校の教師は手堅くていい就職先だと私は思うよ……よし、今度はこっちが王手だ!」

 信之さんが自分の角を動かして俺の王を狙う。くそ、こうきたか。

 結局、それから数手ほど信之さんの猛攻を凌いだものの、俺の王は追い詰められて討ち取られてしまった。

「ははは。この前は私の負けだったが、今日は勝ちだね!」

 とても機嫌良さそうに、勝利宣言する信之さん。

 そんな彼を、香住ちゃんやお母さんの秀美さんがちょっと呆れた感じに眺める。

 そういや、俺の就職先は当然まだ未定なんだけど、信之さんってどんな仕事をしているのかな? 聞いてみても別に失礼じゃないよね? よし、聞いてみよう。

「ところで、信之さんはお仕事は何を?」

「私かね? 私はとある会社で製品開発の主任をしているよ。まあ、それほど大きな会社ではなく、大会社の子会社のような所だけどね」

 へえ、開発の主任さんってことは、結構偉い立場なんじゃないかな? どんなものを開発しているのかは分からないけど。

「私が行なっているのは、自動車のオートマチック・トランスミッションの改良と発展だね。あまり具体的なことは社外秘だから、君どころか家族にも詳しいことは話せないかな」

 ほうほう、自動車のオートマの開発か。あれ? 自動車のオートマと言えば……。

「もしかして、コウダ・オートマチック・システムの系列会社ですか?」

「うん、君の言う通りだが、よく分かったね?」

 まあ、あの会社の前社長さんとか、次期社長さんとかと顔見知りだからね、俺。

 それを言ったら、香住ちゃんもだけどさ。

「実は幸田のお爺さん……コウダ・オートマチック・システムの前社長さんが、俺がバイトしているコンビニの常連さんでして。ちょっと顔見知りなんですよ」

「………な、なに?」

 あ、信之さんってばびっくりしている。そりゃ自分が勤める系列会社のトップと知り合いだなんて言えば、驚くのは当然だよね。

「お嬢さん……香住さんも、俺と同じで幸田さんとは顔見知りですよ? 知りませんでした?」

「は、初耳だぞ……お、おい、香住! 水野くんの言っていることは本当なのか?」

「あれ? お父さんに言わなかったっけ? てっきり、幸田のお爺ちゃんのことはお父さんに話したつもりだったけど……あ、お爺さんだけじゃなくて、お孫さんの福太郎さんともちょっとした縁があって知り合いだよ?」

 大きく目を見開いた信行さんが、交互に俺と香住ちゃんを何度も見つめる。

 自分の娘とその彼氏が、自分が勤める会社の親会社のトップと知り合いだなんて知ったら、誰でも信之さんみたいになるよね。

 ちなみに、福太郎さんからこんな物ももらいました、と彼の名刺を信之さんの前に出したら、再び目を大きく開いて名詞を凝視していた。その名刺、香住ちゃんも持っていますけど?

「き、君は……一体、何者なのかね……?」

 いや、何者も何も、ただの大学生ですよ?

 ちょっと不思議な聖剣を持っているけど、それ以外は本当にごく普通の大学生です。はい。



 信之さんとの将棋の後、俺は香住ちゃんの部屋を訪れた。

 いまだにリビングで何か呟いていた信之さんを、放置したままだったけどいいのかな? とも思ったけど、香住ちゃんに腕を引かれるまま彼女の部屋へと向かう。

 なお、俺が香住ちゃんの部屋に足を踏み入れるのは、これが最初ではない。これまでに数回、この家にお邪魔した時に招き入れられている。

 もちろん、ご両親に顔向けできないようなことは一切していない。なんせ、俺は紳士だからね。

 ほらそこ、チキンとか言わないように。

 あくまでも、俺は紳士……紳士なのだよ!

 香住ちゃんの部屋の中、小さなテーブルの上にお茶を置いて、俺と彼女は向かい合って座る。

「本当に、いつもお父さんが迷惑かけて……ごめんなさい、茂樹さん」

「いやいや、気にしなくていいよ。俺も信之さんと将棋を差すのは楽しいし」

 嘘じゃないよ? 本当だよ? こうして、バイト帰りに時々森下さん家に招かれるのは、俺も楽しみにしているんだ。

「それよりも……次の週末はどうしようか?」

「そうですねぇ……他の世界に茂樹さんの聖剣に関する手掛かりがあるといいけど……」

 この前……〈鬼〉のいる「もう一つの日本」から戻って来てから一週間。再び週末が近づいてきたのだ。

 まあ、今は夏休みだし、週末に限らず異世界へ行けなくはないのだが、やはり普段の生活を疎かにするのもアレなわけで、香住ちゃんと相談の上、異世界へ行くのは週末限定としたのである。

 もしも、何らかの状況で異世界へ行かなくてはならない場合は、その限りじゃないけどね。

 でも、急いで異世界へ行かなくちゃならない状況って、どんな状況だろうか? 自分で言っておいて何だが、ちょっと想像がつかない。

「今、俺が考えている異世界の候補は二つあるんだ」

「二つ……ですか?」

 そう、二つだ。一つはこの前も行ったエルフたちの「森林世界」。「もう一つの日本」で、エリクサーを向こうの瑞樹たちにあげちゃったので、その補充を行ないたい。とは言え、まだ手元にエリクサーは残っているから、急いで行く必要はないけど。

 そしてもう一つは、ジョバルガンたちグルググがいる「地底世界」。あの世界で聖剣に関して調べてみたいんだ。

 何よりも考えることを尊ぶグルググたちなら、聖剣に関する資料や伝承などが残されているかもしれないし。

「そうですね……エルフたちのいる世界にも行ってみたいです。エルフたちには日々基礎を繰り返すように指導しましたけど、あれからどの程度上達しているのか興味ありますし」

 ああ、そうか。それもあったね。

 この前エルフたちの世界に行った時、香住ちゃんはエルフの希望者たちに剣道を教えていた。俺たちがいない間も基礎を繰り返すように指導したそうだが、それがどうなったか確かめたいわけか。

 指導をした身としては、当然の思いだろうね。

「でも、茂樹さんから聞いた大きなダンゴムシ……グルググさんたちがいる地底世界も行ってみたいし……うう、迷うなぁ」

 うーん、いっそのこと、土日連続で異世界へ行っちゃおうか?

 土曜日に「森林世界」へ行き、日曜日に「地底世界」へ行く、みたいな感じで。

 「森林世界」での滞在時間を短めにしておけば、負担も軽減されるだろうし。

 異世界へ行く度に何らかの騒動に巻き込まれるので、意外と疲労が蓄積されるんだよ。だから普段は、週末に行く異世界は一か所のみにしているわけだ。

 それに、聖剣の転移能力は一日一回しか働かないし。

 一日に何回も転移できれば、あちこちの世界を順に回れるのになぁ。まあ、一日一回が限界なんだから、文句を言っても仕方ないよね。



 さて、次の週末はどこへ行こうかな?






~~作者より~~


 仕事が年度末進行に突入!

 毎年この時期は、仕事がとても忙しくなります。

 早速仕事が山積みとなり、徹夜もしましたよ(笑)。

 そんなわけで、来週は更新はお休みさせてください。

 今後は極力毎週更新するよう努力しますが、年度末進行が終わるまでは時々更新できないこともあるかと思います。

 なにとぞご了承いただけるよう、お願い申し上げます。


 次回は2月6日となります。


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