雷神顕現




 空って本来、青いはずだよね。

 でも、今、俺が見ている空は青くはなかった。もちろん、曇天や雨天の灰色でもない。

 俺が今見上げている空は、所々青い色が覗いてはいるものの、そのほとんどを「黒」が占めていた。

 いや、正確には、「黒い影」のようなもの、だろうか。

 俺の推測が当たっているのなら、あの影は全て俺の聖剣の「敵」だ。

 その数は……数えることができないほど。

 数えることができないほどの「敵」に、俺たち──俺と香住ちゃん、そして瑞樹とかすみちゃんはいつの間にか囲まれていたのだった。

「……し、茂樹……こ、こいつらって……お、〈鬼〉じゃないわよ……ね……?」

 震える声で瑞希が問う。その視線は視界を覆う影に向けられ、ぴくりともしていない。震えているのは声だけじゃない。彼女の身体もまた、細かく震えていた。

 おそらく、瑞樹は目を離すことができないのだろう。もしもあの影たちから目を離せば、その瞬間に襲いかかられる──そんな想像が彼女の脳裏を占めているに違いない。

 だって、他ならぬ俺もまた、そう感じているからだ。

 聖剣を握る両腕は、がたがたと震えている。それなのに、剣の柄を握り締める手はがちがちに固まり、関節は力が入りすぎて白くなっているほどだ。

 背中をいくつもの冷たい汗が流れ落ちていく。かちかちと耳障りな音が絶え間なく聞こえてくるかと思えば、それは俺の歯が鳴らす音だった。

「……し、茂樹……さん……」

 細く不安そうな香住ちゃんの声が聞こえた。いつも元気で朗らかな彼女から、こんな声を聞くのは初めてだ。

 気づけば、香住ちゃんは俺に寄り添うようにしながら、自分の剣──俺の聖剣とそっくりな姿に「化けた」剣──を構えていた。

 すぐ近くにいるから、見なくても分かった。伝わってきた。

 香住ちゃんもまた、俺や瑞樹と同じように震えていることが。

 きっと、かすみちゃんの方も震えているだろう。

 香住ちゃんが。瑞希が。そしてもう一人のかすみちゃんが。

 みんな、無数の影を前にして恐怖に震え上がっていた。



 それを……彼女たちが恐怖に縛られていると悟った時。

 不意に、俺の心の中から恐怖が消え去った。

 それまで恐怖が占めていた場所に、ふつふつと沸き上がってきたのは怒りと闘志。

 そうだよ。

 何、震え上がっているんだよ、俺は。

 俺の背後には、守らなければならない女の子たちが三人もいるじゃないか。

 瑞樹も、こっちのかすみちゃんも、そして、俺の一番大切な香住ちゃんも。

 俺が守らないで、誰が彼女たちを守るっていうんだ?

 もしもこの場にいるのが俺一人であれば、間違いなく逃走を選んだだろう。逃げきれないと分かっていても、尻尾巻いて逃げ出していたはずだ。

 だけど……だけど。

 ここにいるのは俺だけじゃない。

 香住ちゃんが、瑞樹が、もう一人のかすみちゃんがいるんだ。

 俺が……いや、俺と聖剣が彼女たちを守らないでどうする!

 そうだろ、あいぼう! 女の子の前でカッコつけなきゃ、男はどこでカッコつければいいんだよ?

 先程とは違う力を込めて、聖剣の柄を握り締める。腕から俺の闘志が聖剣へと伝われとばかりに。

 そんな俺の心意気に応えてくれたのか、聖剣がばちばちと激しく帯電し始めた。

 ははは、どうやら相棒もやる気になってくれたみたいだ。

 俺は自分の意思で、一歩前へと踏み出した。

 その俺の背中に、背後の女の子たちの視線が刺さっているのが分かる。

 大丈夫だよ。

 俺が……俺と聖剣こいつがみんなを守るから。

 振り返ることはできないけど、心の中だけで彼女たちにそう告げる。

「さあて、行くぜ、相棒!」

 俺のその言葉が、戦端を開く狼煙となった。



 「黒」を駆逐するのは、いつだって「白」と決まっている。

 視界一杯に広がる「黒」を、塗りつぶすような勢いで「白」が駆け抜ける。

 「白」の正体は、もちろん雷光だ。

 聖剣から放たれた白い電撃は、投網のように空中で広がり、十数体の影を飲み込んでいく。

 稲妻の檻に囚われた影たちは、まるで握り潰されるように圧縮され、断末魔の叫びを上げながら消滅していく。

 先程は一体だけだったのでこちらの攻撃を避けられもしたが、これだけ数がいると回避は逆に難しくなるというものだ。

 たとえ一体、二体が回避に成功しても、手近にいる三体目、四体目の影が聖剣の刃を受けてしまう。

 聖剣の刃に斬り裂かれ、放たれる雷光に貫かれ、影たちは数体纏めて消えていく。

 もちろん、影たちだって黙ってやられはしない。

 俺が攻撃を繰り出す隙をついて、数体の影が俺へと忍び寄る。

 まるで砂糖に群がる蟻のように、影たちが一斉に俺へと殺到する。

 だけど。

 俺の傍らを、一条の雷光が駆け抜けて数体の影を纏めて貫いた。

「……まったく、茂樹さんはっ!!」

 勢いよく俺の隣に飛び込んで来たのは、もちろん香住ちゃんだ。

「あれほど危ないことはしないでって言ったのに、また自分から危険に飛び込んでっ!!」

 俺に近づこうとしていた影を、振り抜いた聖剣で斬り裂く香住ちゃん。いや、俺よりも間違いなく振りが鋭いよね。さすが剣道少女。

「仕方ないだろ? やっぱり、俺がみんなを守らないと」

「……本当に茂樹さんは……もう何も言いませんよ。だから、私も茂樹さんと一緒にがんばります! 茂樹さんがみんなを守るために戦うのなら、私は茂樹さんを守るために戦います!」

「ははは。よろしくお願いします、香住師範」

「はい、任せてください!」

 一度だけ拳と拳を打ち合わせた俺たちは、お互いに聖剣を振り回し、連携して影たちを消滅させていく。

 もちろん、連携を司るのは聖剣そのもの。今の俺たちは聖剣の左右の腕のようなものだから、その連携が乱れることはない。

 お互いがお互いをカバーし合い、確実に影を消していく。幸い、影たちは聖剣を持つ俺たち──正確には俺だけだろう──以外に興味はないのか、瑞樹やかすみちゃんの方に行くことはなかった。

 だが、影たちも学習するらしい。数を頼りに押し寄せるだけでは、俺たちを倒せないと判断したのか、遠距離からの攻撃に切り替えてきた。

 影の口らしき部分から、ぼこりと風船のようなものが飛び出す。その風船はすぐに爆ぜ割れ、無数の小さな針のようなモノを俺たちに向かって撃ち出してくる。

 影一体あたりから撃ち出される針は、大体五十本ぐらい。一度に十体近い影が針を放つので、俺たちに押し寄せる針の数は約五百本。

 当然、そんな数の針を躱すことなんて不可能だ。だが、そこは我らが聖剣先生、見事にこの攻撃にも対応してくれた。

 俺と香住ちゃんの聖剣の刀身から、同時に電光が迸る。放たれた二条の電光は空中で絡み合うと、花火のように弾けて広がる。

 広がった電光の密度は、先程の投網状態よりも更に細かく、それはまさに電光の「壁」であった。

 影が撃ち出した無数の針も、電光の壁を通過することはできない。針は壁に完全に阻まれ、そのまま燃え尽きるように消滅していく。

 ははは、やっぱりすげぇよ聖剣先生は。でも、バッテリー内の電気、いつまで保つのかな? それだけがちょっと心配だ。



 俺たちの死闘は、それほど長くは続かなかった。

 影がどれだけ数がいようとも、俺と香住ちゃん、そして聖剣のコンビネーションには敵わなかったからだ。

 まあ、コンビネーションと言っても、実際には全部聖剣がやっているんだけどね。

 今も、影が放った無数の針を、聖剣が雷光の壁で防御する。その壁の陰から飛び出した香住ちゃんが、数体の影を薙ぎ払う。

 俺が防御すれば香住ちゃんが攻撃を。俺が攻撃すれば香住ちゃんが防御を。

 変幻自在に立場と役割を替えながら、影を刃で斬り裂き、雷で焼き払う。

 確かに、香住ちゃんの剣に力の一部を分割したことで、俺の聖剣の力は落ちているのかもしれない。だけど、こうして俺と香住ちゃんが連携を取ることで、そのデメリットに勝るメリットを生み出している。

 1+1=2。これは間違いない。だが、時と場合によっては、1+1が3にも4にも、更には10にだってなるということを、俺は改めて実感した。

 それぐらい、俺と香住ちゃんは快進撃を続けたんだ。

 気づけば、空を埋め尽くすほどだった影は、残り十数体ほどにまで減っている。

 そろそろ逃げればいいのに、とも思う。だけど、影には撤退という選択肢はないようだ。


 タマゴ  ハカイ  スル


 ただ、その意思だけははっきりと伝わってくる。それほどまでに、こいつらはタマゴ……つまり、聖剣を破壊したいようだ。

「茂樹さんっ!! あと少しですっ!!」

「ああ、一気に行こう!」

 香住ちゃんの言葉に頷き、俺たちは同時に駆け出した。もちろん、いつものように身体は勝手に動いているわけだけど。

 俺の聖剣から連続して雷光が放たれる。だが、数が減ったことで回避のスペースを得た影たちは、これを易々と回避してしまう。

 うん、それぐらいは俺でも読めること。当然、聖剣だって予測済みだろう。

 それを証明するかのように、一体の影の回避行動を先読みして香住ちゃんが駆け込んでいた。

 明らかに俺よりも速く鋭い聖剣の一閃を受けて、影が一体また消滅した。

 どうやら聖剣に操られているとはいえ、元の身体能力の違いは出るみたいだ。つまり、ある程度は身体を鍛えておく必要があるってことね、これ。

 明日から早朝のランニング、少し距離を伸ばそうかな?

 と、決意を新たにしている間にも、俺と香住ちゃんは順調に影を消滅させていく。

 当然ながら、これだけ激しい攻防を繰り返してきたのだから、こちらも無傷というわけではない。

 今回、俺たちが住んでいる日本とそれほど違わない世界に来るということで、いつもの《銀の弾丸》のツナギとジャケットは着てきていないのだ。あれ、結構目立つし。

 そのため、俺も香住ちゃんも影の攻撃を数回ほど受けて怪我をしている。とはいえ、多少血が出る程度の掠り傷ばかりだが。

 あの影たち、毒とか持っていないよな? でも、後からどんな悪影響が出てくるか分かったものじゃないから、しっかりとエルフのエリクサーで治療しておこう。

 全く手応えを感じないが、影の一体を聖剣で薙ぐ。これで、残る影はあと二体だ。

 そう思って周囲を見回せば……あれ? 影がいなくなっているぞ?

 よく見れば、残る二体はどちらも香住ちゃんが倒してしまったようだ。やはり、素の身体能力の差が出たようだ。

 俺と香住ちゃんは、疲労から激しく肩を上下させる。それでも、お互いに見つめ合い、笑みを浮かべ合うと、再び拳と拳をこつんと合わせて健闘を称え合う。

 いや、いいね、こういう関係も。単なる恋人同士ではなく、一緒に肩を並べて戦える関係。うん、燃えるね。

「大丈夫かい、香住ちゃん。怪我はない?」

「はい、掠り傷ばかりで大きな負傷はありません。茂樹さんは?」

「俺も似たようなものだね。でも、エリクサーで傷の手当てだけはしっかりしておこう」

 俺の言葉に頷いた香住ちゃん。どうやら彼女も同じことを考えていたようだ。得体の知れない相手から傷つけられるのって、やっぱり気持ち悪いよね。

 おっと、瑞樹とかすみちゃんのことを忘れていた。それだけ戦いに集中していたってことだ。

 改めて二人の方を見てみれば、その二人はぽかんとした表情で俺たちを見ている。

 どうやら、彼女たちは無傷のようである。うん、安心した。

「……ら……」

 ら? どうした瑞樹?

「……ら、雷神がいるわ……それも二柱も……」

 瑞樹のその言葉に、かすみちゃんもこくこくと何度も頷いている。

 何を言っているのかね、チミたちは?

 俺も香住ちゃんも、ごく普通の日本人だってば。



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