黒い影



──キシシっ!! タマゴ  ミツケタ。


 はっきりと聞こえた。間違いなく、聞こえた。

 あの声には聞き覚えがある。近未来世界で、そして森林世界で。俺はあの声を確かに聞いている。

 あの影が……あれが聖剣の「敵」なのか?

 これまで俺が遭遇してきた「敵」は、〈ビッグフット〉に〈土肥やし〉と呼ばれる異世界の生き物たちだった。

 だけど、〈ビッグフット〉にしろ〈土肥やし〉にしろ、俺が遭遇したのは少しおかしな個体ばかりだったようだ。

 〈ビッグフット〉は本来いないはずの場所にいたし、〈土肥やし〉は本来大人しいはずなのに俺に襲いかかってきた。

 もしかして……もしかして、だ。

 あの恐ろしげな黒い影こそが、「敵」の本来の姿なのではないだろうか。あの影は他の生物に憑依できるのではないだろうか。ほら、この世界にいる〈鬼〉のように。

 だとしたら。

 だとしたら、このまま逃げても意味がないんじゃね? だってアレ、絶対に諦めずにどこまでも追ってくるヤツだろ? そんなヤツを相手に、どこへ逃げろと?

「し、茂樹さん……っ!? あ、あれは一体……っ!?」

 俺に手を引かれて走りつつ、かすみちゃんが恐怖を貼り付けたで尋ねてくる。

「単なる俺の推測だけど……あれが……あれこそが聖剣の『敵』だと思う」

「せ、聖剣の敵……?」

 必死に走りながら、何とかそれだけを答える。いや、走りながら話すのって、実はすっげー難しいんだ。

 だから俺は足を止めて、だけど黒い影から目を離すことなくかすみちゃんに告げる。

「かすみちゃんはこのまま逃げてくれ。できれば、このことを瑞樹やもう一人の香住ちゃんに知らせて欲しい」

「茂樹さんはどうするんですかっ!?」

「俺はあいつを……迎え撃つ!」

 そう。

 おそらく、アレからは逃げきれない。単なる俺の勘だけど、きっとそれは正しいだろう。

 なら、対抗策は一つだけ──すなわち、迎撃だ。

 とはいえ、こんな町中で聖剣を振り回すわけにはいかないよな。いくら剣の所持が認められている「こっちの日本」でも、人通りも人目もある場所で剣を振り回せば、お巡りさんのご厄介になること間違いなしだ。

 幸いにも、こっちの世界の町の地理は、俺の住んでいる町とそれほど変わりはないみたいだ。ならば、俺にだって土地勘というものがある。

 確かこの先に、普段からほとんど人はいないけど、それなりの広さのある公園があったはずだ。そこであの影を迎え撃とう。

 それに、影が本当に聖剣の「敵」であれば、その狙いは間違いなく聖剣だろう。なら、かすみちゃんが俺から離れても危険はないに違いない。

「頼んだよ、かすみちゃん」

 俺はその場にかすみちゃんを置き去りにして、再び走り出す。そして、俺の推測通りに影はかすみちゃんには目もくれず──目があるかどうか不明だが──、俺の後を追ってきた。

 よしよし、そのまま俺について来い。

 心の中でそう叫びつつ、俺は公園を目指して走り続けた。



 目的の公園に辿り着いた。

 やはり、この公園に人の姿はない。片隅に錆の浮いた遊具がいくつか、放置されるように置いてあるだけだ。

 その公園の真ん中で、俺は後ろを振り返る。

 いた。

 やっぱり、いた。

 俺の後を追って、黒い影が公園の中に入って来た。


──タマゴ  ハカイスル  キョウイ  ト  ナル  マエニ。


 再び、俺の耳にあの声が届いた。

 タマゴ? そういや、以前もそんなことを聞いたぞ。話の流れ的に考えて、そのタマゴって俺の聖剣のことだよな?

 剣が卵って、どういうことだろう?

 俺が内心で首を傾げたその瞬間。

 それまでゆらゆらと宙を漂うだけだった影が、突然速度を上げて俺の方へと突っ込んできた。

 そのことに驚くより早く、俺の身体は反応する。言うまでもなく、いつものように聖剣が俺の体を操った結果だ。

 雷光のような速度で鞘から引き抜かれた聖剣が、迫る影に迎撃の一太刀を見舞う。

 だが、影は聖剣の刃が届く直前、ひらりと身を翻して抜き打ちを回避した。

 まるで、慣性というものを感じさせない今の動き。ひょっとしてあの影、物理法則さえ超越しているのかも。

 まあ、俺の聖剣だってかなりアレな存在だ。その敵っぽい奴らなら、物理法則を捩じ曲げることぐらいできても不思議じゃない。

 その後、俺は──正しくは聖剣が──斬撃を何度も放つが、影はそれをひらひらと全て回避する。

 こいつ、思ったよりもすばしっこい! 聖剣の攻撃を、これだけ連続で回避されたのは初めてだ!

 どうやら聖剣先生も回避ばかりされることに焦れたのか、別の攻撃手段へと切り替えた。

 両手で保持した聖剣を、ぐっと力強く前へと押し出す。同時に、俺の前方の空間一杯に眩しい光が広がった。

 広範囲に及ぶ放電攻撃。ばりばりどかーんと、結構派手な音が静かな公園に響き渡る。

 お、おいおい、聖剣先生! こ、こんな派手な攻撃をして大丈夫なのかっ!?

 音に驚いた近隣住民の皆さんが、警察に通報とかしないだろうか?

 俺は素早く周囲を見回す。町中に存在する公園なので、周囲には民家が立ち並んでいるのだ。

 だけど、どの家からも住人が顔を出すことはなかった。これだけの音が響けば、一人ぐらいは窓からこちらを覗きそうなものなのに。

 も、もしかして、聖剣さん、遮音結界的なものを予め張っておいたとか? これまでそんなことは一度もしたことないけど、この聖剣ならできても不思議じゃないからね。

 ウチの聖剣、何でもアリだからなー。

 果たして、俺の考え通り聖剣が何か細工をしたのか、それとも細工をしたのは目の前の影なのか。

 理由は定かではないが、俺たちの戦いの場に乱入してくる者はいないようだ。

 おっと、肝心の放電攻撃の結果だが──どうやら、さすがの影も広範囲の放電は避けきれなかったらしい。

 幾条もの雷の直撃を受け、影が苦しげに身を捩る。どうやら、電撃は効果があるみたいだ。

 聖剣からの放電が止まった瞬間、再び俺の身体が動き出す。電撃を浴びて動きが鈍った影に一瞬で迫り、とどめとばかりに上段からの振り下ろしを繰り出す。

 だが、影もただ黙ってやられはしない。迫る銀光を体を捻って回避を試みる。

 しかし、動きが鈍っている今、聖剣の一撃を完全に回避することはできなかった。振り下ろされた聖剣の刃が、影の肩に該当する部分に深々とめり込んだ。

 何の手応えを感じることもなく、聖剣はするりと影の中を通過する。

 もしかしてこの前遭遇した〈土肥やし〉みたいに、物理的な攻撃は効かないのか? と疑問に思いもしたが、よく見れば影の右腕の部分が消滅していた。

 どうやら、この影に斬撃は効果があるようだ。斬り離された腕が周囲に見当たらないところを見ると、影の体から切り離された瞬間に消滅でもしたのだろう。

 まさか、こっそりと俺の背後に回り込んでいる……なんてことはないよな?

 一応、周囲を見回してみるが、何かが動いている気配はなかった。おし、一安心だ。


──タ タマゴ  ヤハリ  キョウイ!!


 また、軋むような声が聞こえた。だが、今度の声には苦渋が滲んでいるような気もする。あの影も、俺たちと同じように苦痛を感じるのだろうか?

 とにかく、動きが鈍っている今がチャンスだ!

 その思いはあいぼうも一緒のようで、俺は──聖剣に操られた俺の身体は──横一閃の追撃を繰り出した。

 電撃を浴び、腕を失って明らかに動きが鈍くなった影に、この攻撃を躱すだけの力はなかったようだ。

 聖剣は影の腹の部分をすぱりと両断した。もちろん、俺には何の手応えもない。それでも、この攻撃が奴に致命傷を与えたことは理解できた。

 よし、勝った!

 そう思った瞬間だった。

 既に下半身は消滅し、最後に残された上半身。その上半身の頭部にある、影より尚暗い奴の口がにぃと大きく吊り上がったのは。

 次に、その口が大きく開かれた。そして、そこからごぼりと何かが溢れ出す。

 それが何かと疑問に思う暇もなく、奴の口から溢れ出したソレは風船のように大きく膨らみ、そのまま俺に向かって破裂──する前に、しゅん、という空気を斬り裂く音と共に真っ二つにされ、空に溶け込むように消滅した。

「大丈夫ですか、茂樹さんっ!?」

 俺の耳に、すっかり聞き慣れた声がした。

 影が消滅したことで開けた視界の中にいるのは、もちろん香住ちゃん──俺の世界の、俺の恋人である香住ちゃんの方──だ。剣を振り抜いた姿勢のまま、彼女は心配そうに俺を見ていた。

 あ、香住ちゃんが手にしている剣、俺の聖剣と同じ姿だ。どうやら、いつの間にか彼女の剣に、また聖剣が力を与えていたみたいだな。

「危ないところだったけど、助かったよ、香住ちゃん」

「ホントに茂樹さんは……どうして私のいないところで危険なことばかりを……」

 呆れているのか、怒っているのか、複雑な表情で俺を見る香住ちゃん。

 そうはおっしゃいますがね、香住さん。今回は不可抗力というものでしてよ?

 俺もまさか、図書館で襲われるとは思ってもいなかったし。

 まあ、不可抗力と言えば、これまでだってほとんどそうだけどさ。



「し、茂樹……だ、大丈夫なの……?」

 声がした方へと視線を向ければ、公園の入り口の所から、瑞樹とかすみちゃんが俺たちを心配そうに見つめていた。

「ああ、もう大丈夫だ。『敵』は退けたから」

「あ、あの、影みたいなヘンな奴が……茂樹が言っていた『敵』なの……?」

「おそらくね。あの影みたいな姿こそ、『敵』の本来の姿なんだと思う」

 俺の聖剣に敵対する存在がいることは、こっちに来た時に瑞樹とかすみちゃんには話してある。それでも、実際に「敵」の姿を目の当たりにすれば、説明を聞いた時には感じられなかった恐怖を、改めて感じたことだろう。

 実際、瑞樹とかすみちゃんは、小さく震えていた。

「かすみちゃんが瑞樹たちを呼んで来てくれたんだね? ありがとう」

「い、いえ……わ、私には他にできることなんてないですし……」

 今もなお、顔色がよくないかすみちゃん。それでも、俺の言う通りに瑞樹や香住ちゃんを呼んできてくれた。本当に感謝である。

「しかし、よく俺がここにいるって分かったね?」

「実は……急に身体が勝手に動き出して……それに、いつの間にか私の剣がまた茂樹さんの聖剣と同じ姿になっていました」

 どうやら、香住ちゃんたちをここに引っ張ってきたのは聖剣のようだ。

「しかし、びっくりしたわよ。急に香住から電話がかかってきたかと思ったら、茂樹が襲われているって騒ぐし。しかも、それを聞いた香住さんは脇目も振らずに飛び出して行くし」

 俺がこの公園に辿り着く間に、かすみちゃんは瑞樹にスマホで連絡をしたようだ。

 幸い、この公園から瑞樹の部屋までそれほど離れていないので、香住ちゃんの救援も間に合ったってところかな。

「とにかく、一度私の部屋に戻りましょう。そこで改めて、何があったのかを聞かせてもら──」

 突然、瑞樹が言葉を途切れさせた。

 見れば、彼女は目を見開き、先程のように細かく震えている。

 今、瑞樹は何を見てそんなに驚いているのか。反射的に瑞樹の視線を追ってみれば。

「お、おい……嘘だろ……」


 タマゴ

 タマゴ

 タマゴ

 タマゴ

 タマゴ


 ミツケタ

 ミツケタ

 ミツケタ

 ミツケタ

 ミツケタ


 ハカイスル

 ハカイスル

 ハカイスル

 ハカイスル


 瑞樹の視線の向こうに、無数の黒い影が浮かんでいた。








~~~作者より~~~

 年内の更新は、これで最後となります。

 次回の更新は、新年1月9日の予定です。

 今年は拙作にお付き合いいただき、本当に感謝です。

 来年もまた、引き続きお付き合いいただけますよう、よろしくお願い致します。

 では、ちょっと早いですが、よいお年をお迎えください。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る