第5章
いきなり……?
網膜を焼くような、眩しい光がゆっくりと消え去る。
瞼を閉じていても明るく感じられる光が消えたことを実感した俺は、ゆっくりと目を開いた。
そして周囲を見回せば、ここは女性らしさを感じさせる部屋の中。
同時に、俺はこの部屋に見覚えがある。
「……どうやら、今回も問題なく転移できたみたいだ」
「ここが、もう一つの日本……〈鬼〉のいる日本なんですね」
俺の隣で、同じように部屋の中を見回していた香住ちゃんが呟いた。
そう。
ここは、もう一つの日本。
〈鬼〉という正体不明の怪物が存在し、人々はその〈鬼〉を遠ざけるために、常に剣を持ち歩く世界なのである。
今回、俺と香住ちゃんがこの世界を訪れた理由。それは、この世界で俺の聖剣──聖剣カーリオンについての情報を集めることだ。
もちろん、この世界に俺の聖剣に関する情報があるとは限らない。だけど、調べてみる価値はあると思う。なんせ、この世界では刀剣類が重要な意味を持っているからね。
そんな世界だから、何かしら俺の聖剣に関する情報があるのでは、と思ったわけだ。
このところ、異世界で立て続けに遭遇した連中……俺が持つ聖剣の敵と思しきモノたち。あいつらに関することを知るには、まず聖剣のことを知るべきだろう。
敵らしき連中のことは全く手掛かりはないけど、聖剣なら少しは分かっていることもあるしね。
異世界へ行くことができる不思議な剣、そして、俺の身体を勝手に操ることもできる。最近では、香住ちゃんが持つ剣に自分の能力の一部を付与することもできることが分かった。
後は聖剣の銘がカーリオンということ。
あれ? 改めて考えてみると、これだけしか手掛かりがないぞ? あと分かっていることと言えば……アルファロ王国の建国に関係したらしいことと、聖剣の製作者……というか、ネットオークションへの出品者の名前が「もけぴろー」という名前ってことぐらい?
うーん、たったこれだけの手掛かりで、聖剣自身やその敵のことまで分かるだろうか?
今更ながら、ちょっと不安になってきた。
「どうしたんですか、茂樹さん?」
先行きの暗さに思わず溜め息を吐いていた俺を、香住ちゃんが不思議そうな顔で見ていた。
そうだ。
香住ちゃんの問題もあるんだよな。
俺の聖剣には敵がいる。これは間違いない。
明確に敵対的なモノが存在する以上、今後異世界へ行く時は、これまで以上に危険が伴うだろう。つまり、俺としては大切な香住ちゃんを、危険な場所へ連れて行くことに抵抗を感じるのだ。
もちろん、彼女には聖剣に敵らしい存在がいることは伝えたさ。
「たとえ、茂樹さんの聖剣に敵がいるとしても……私は茂樹さんと一緒に異世界へ行きますからね? 放っておくと、茂樹さんは何をするか分からないじゃないですか! そんな茂樹さんを一人で異世界へ行かせるわけにはいきません!」
と、一歩も譲らなかったんだ。まあ、俺が異世界へ行かなければいいのかもしれないが、もう
あちこちの世界に知り合いもできたし、今後も新たな異世界へ行けるかもしれないし。
それに、異世界に行かなければ安全……とも言い切れないだろう。
聖剣の敵は、別の異世界に現れた。最初はセレナさんたちのいる近未来世界で、そして次はフィーンさんたちエルフがいる森林世界で、それぞれ敵らしきモノと遭遇した。
ってことは、連中は聖剣と同じように世界を越えることができるってことだ。もしくは、いろいろな世界に存在しているのかもしれない。だったら、俺たちの地球世界にだって、連中は来ることができるかもしれないし、もう既にどこかにひっそりと潜んでいるかもしれない。
そのことに気づいてから、俺は常に聖剣を身に着けるようにしている。もちろん、家の中だけだけど。
聖剣を腰に佩いたまま外に出るほど、俺は勇者ではないのだ。
でも、何となくだけど……聖剣を持っていない時に、敵は現れないような気がするんだ。だって、あいつらが狙っているのは俺ではなく聖剣そのものみたいだし。
じゃあ、聖剣を手放すか? たとえば、俺が聖剣を手に入れた時のように、ネットオークションで売るとかして。
いや、そんなことはしたくない。俺にとって、この聖剣は既に相棒とも友人とも言える存在だ。確かに聖剣は話したり美少女に変身したりしないけど、聖剣には確かな自我があるのは間違いない。
そんな相棒とも友人とも言える聖剣を、売り飛ばすなんて俺にはできないよ。
だったら、俺にできることはただ一つ。最後まで聖剣に付き合うだけだ。
敵がいるって事実は確かに恐いけど、聖剣と一緒ならきっと乗り越えられるだろう。
それに、俺は一人じゃない。
異世界には頼りになる友人たちがいる。そして何より、俺の傍には香住ちゃんがいてくれる。彼女の存在は、俺に敵へと立ち向かう勇気をくれる。だって彼女、俺より確実に強いし。うん、我ながらちょっと情けなくて涙出た。
とにかくだ。何があっても、香住ちゃんだけは絶対に守る。俺はそう決めたんだ。きっと、聖剣もそのために力を貸してくれるだろうし。
頼りにしているからな、相棒。
「ところで、ここはどこですか? 誰かの……女の人の部屋みたいですけど……?」
俺が心の中で秘かに覚悟を決めていると、香住ちゃんは今俺たちがいる部屋の中を興味深そうに眺めていた。
うん、俺はここがどこだか知っている。だって、前に来たことがあるもの。
「間違いなく、ここは
「瑞樹さん……って、この世界の茂樹さんのことですよね?」
そう、この「もう一つの日本」には、当然俺もいるわけだ。ただし、この世界の俺は女性であり、名前は瑞樹という。
俺は改めて瑞樹の部屋の中を見回す。どうやら、あいつは留守のようだな。
耳を澄ませてみるが、他の部屋からも物音はしない。この前のように、実はお風呂に入っていました、ってこともないようだ。
よしよし、一安心だな。さすがに彼女である香住ちゃんの目の前で、同一存在とはいえ別の女性と裸でご対面だけは避けたかったし。
「瑞樹のやつは、どこかに出かけているみたいだね」
「予めこっちに来ることを知らせる……ってこともできませんものね」
こっちの「日本」にも携帯電話やインターネットはあるが、さすがに別の世界からは繋がらない。
当然と言えば当然だね。
ちなみに、俺と香住ちゃんのスマホは、こっちの「日本」では使えなかった。そこはやはり、いくらよく似ていてもここが異世界には違いないからだろう。
それはともかく。壁に掛かっている時計で時間を確認してみれば、今の時間は午前十時を少し過ぎたぐらい。もしかして、今日はバイトのシフトが午前中から入っているのかもしれないな。
それとも、週末ということでどこかに出かけたのか。
「……瑞樹が帰って来るのを待つしかないかな?」
「そうですねぇ。いくらこっちの『日本』が私たちの世界とよく似ていると言っても、あまりふらふらと出歩くのはちょっと心許ないですし……それに、この部屋の鍵の問題もありますよね?」
それもそうだ。俺たちがこの部屋から外に出ることは簡単にできる。だが、その時にこの部屋の扉に施錠することができない。
さすがに施錠もせずに出かけるのは、防犯上いろいろとまずいだろう。しかも、ここは女性の部屋でもあることだし。
もしかすると、俺の持っている鍵が使えるかもしれないけど……ちょっと試してみようか?
俺は香住ちゃんと相談の上、施錠することができるかどうか試してみることにした。
なお、ついでに両手に持っていた靴も玄関に置かせてもらおう。
部屋の中から転移する時は、靴を手に持って転移するからね。さすがに土足で自分の部屋の中に上がり、それから転移する気にはなれないし。
自分と香住ちゃんの靴を持って、俺は玄関へと近づく。そして、靴を置いた後、玄関のドアへと手を伸ばした。
その時だ。
がちゃり、という聞き慣れた音が聞こえてきたのは。
「…………へ?」
思わず、俺の口から間抜けな声が零れ出た。
同時に、目の前にあるドアが開いていく。
そして、開いたドアの向こうには、当然というか何というか、やっぱり瑞樹がいて。
彼女は俺のことにすぐに気づき、大きく目を見開いた。
あー、何だ? ひ、久しぶりだな、瑞樹?
「…………し、茂樹……?」
「お、おう、瑞樹。る、留守中に勝手にお邪魔して悪いな」
とりあえず、ひょいっと手を上げて挨拶してみる。
「び、びっくりしたわよ、本当にもう……もう少しで悲鳴を上げるところだったわ」
そういや、初めて会った時も悲鳴を上げそうになっていたっけ。何となく、奇妙な縁のようなものを感じるね。
それはともかく。
「俺としても、『こっち』に来ることを予め連絡したいのはやまやまなんだが……さすがに無理だからな」
「それは理解しているわよ。でも、こういう心臓に悪いことはできれば止めて欲しいのが本音ね」
瑞樹が微笑みながらそう言ってくれた。どうやら、勝手に部屋に入り込んだのを怒ってはいないっぽい。
「茂樹さん? もしかして、瑞樹さんが帰っていらしたんですか?」
俺の背後から、香住ちゃんの声が聞こえた。そうだ、瑞樹に彼女のことを紹介しないと。もちろん、俺の彼女だってしっかりと紹介する所存だぜ。
俺が瑞樹に声をかけようと思った時。今度は瑞樹の背後からも声が聞こえてきた。しかも、その声は俺の背後からたった今聞こえてきた声と全く同じもので。
「み、瑞樹さん! も、もしかして、茂樹さんが来ているんですか? だ、だったら私にも挨拶させてください!」
瑞樹の背後から、ひょいっと「こちら」の香住ちゃんが顔を出した。どうやら、瑞樹のやつは彼女とどこかに出かけていたらしい。
俺の顔を見て、「こちら」の香住ちゃんが満面の笑みを浮かべる。だが、その笑みは次の瞬間にぴきりと音を立てそうな勢いで凍りついた。
なぜなら。
今、「こちら」の香住ちゃんは俺の顔を見ていない。彼女が見ているのは、俺の背後だ。
そこにはもちろん、「向こう」の香住ちゃんがいるわけで……。
あー、この二人が鉢合わせするのは、何とか避ける方針だったのだが……いきなり計画が狂ったな。
思わず、片手で目を覆いながら、天井を仰ぐ俺であった。
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