おでかけ




 七月下旬の某日曜日。

 梅雨もすっかりと明け、学生たちが憂鬱となる試験期間も終わり、待望の夏休みへと突入したばかりの時期。

 そんな今日、俺は香住ちゃんと一緒に電車に乗っていた。目的はもちろん、先日予約したとある観光施設のナイフ作り体験だ。

 その観光施設は、昭和二十年代の山村の暮らしを再現した所で、当時の様々な生活を体験できる施設である。

 草鞋を編んだり、薪割りをしたり、竹トンボを作ったり。他にも竹馬やコマなど、当時の子供たちの遊びを体験できたりもする。そんな施設の中に「村の鍛冶屋」のコーナーがあって、そこで鍛冶仕事の体験ができるわけだ。

 当時の鍛冶屋さんは農具や生活用具を作ったり修理していたりしたのだろうが、観光施設で農具の修理を体験してもそれほど人気はでないだろう。

 そこで、ナイフ作り体験を考え出したんだろうな。これなら、刀剣に興味のある人とかナイフマニアとかに人気が出るだろうし。実際、結構な人気となっているらしく、ネットでの予約もほとんど埋まっていたほどだ。

 それ以外にももっと手軽な、五寸釘でペーパーナイフを作るなんてコーナーもある。こちらは予約不要のためか一般の人や子供たちにも人気らしく、以前家族で訪れた時にもたくさんの観光客が練炭で熱した五寸釘を、とんてんかんとハンマーで叩いていたっけ。

「へー、そんなコーナーもあるんですか。そっちはそっちでおもしろそうですねー」

 と、興味津々の香住ちゃん。本日も笑顔が眩しいぜ。

「今回は時間的にちょっと苦しいけど、次の機会にまた行ってみる? その時、五寸釘でペーパーナイフを作ろうよ」

「はい! 今日のナイフ作りも楽しみですけど、ペーパーナイフ作りも楽しそうですね!」

 うんうん、期待してもらえて俺も嬉しいよ。

 梅雨は終わったものの、今日の天気はイマイチすっきりしない。でも、今の時季はこれぐらいの方がいいよね。天気が良すぎるとかなり暑いし。昨今の日本の夏ははっきり言って暑すぎる。冗談抜きで死にかねないぐらいに。

 今日は曇天なためかなりマシだ。それでも、気温は余裕で三十度を越えるだろう。

 水分の補給には十分注意しないとね。

 でも、今は冷房の効いた電車の中。実に快適です。

 二人がけの電車の座席。俺の隣に座る香住ちゃんは、何とも涼しげな装いである。

 トップスは薄い紫のカットソージレ。裾がやや広がっていて、そこに縦の白いラインが入っているのがポイントかな?

 対して、ボトムスは八分丈のタックの入ったゆったりとしたカーキ色のパンツ。足元も涼しげなスニーカーで、活動的な印象を与えている。

 異世界に行く時といい、俺と一緒に出かける時は活動的なファッションの香住ちゃん。まあ、ひらひらとした格好で異世界へ行くのもアレだもんね。今日もナイフ作りが目的だし、動きやすいファッションをチョイスしたのだろう。

 でも、スポーツ少女である香住ちゃんには、今日の様なマニッシュな格好が実によく似合っていると思う。あ、もちろん、ガーリーな装いも似合うと思うぞ。

 さすがに、今日は二人とも剣は所持していない。どこぞの〈鬼〉の出る世界じゃあるまいし、ただの観光に聖剣は不要だからね。よって、本日の聖剣は家で留守番中である。

 そうそう、その〈鬼〉のいる世界だが、まだ行っていないのだ。香住ちゃんが試験期間に突入したため、ここしばらくは異世界には行っていないのである。もちろん、大学生である俺も試験はあったけど。

「前にも言ったけど、次はもう一つの日本に行こうと思うんだ」

「確か、女性の茂樹さんがいる世界でしたよね? あ、その世界には私もいるんでしたっけ」

「うん、そう。そこで、俺の聖剣について少し調べてみたいんだ」

 香住ちゃんには、例の敵かもしれない存在については話してある。危険だから、しばらくは一緒に異世界へ行くのは止めた方がいいとも言った。だけど。

「茂樹さんは目を離すとすぐに危険なことばかりするじゃないですか! 茂樹さんを一人で異世界へ行かせるわけにはいきません!」

 と、かなり厳しいお言葉をいただきました。いや、心配かけてごめんなさい。しかも、前科がありすぎて全く反論できません。

 今後の異世界行には、今まで以上に危険が伴うかもしれない。まだまだはっきりとはしないけど、聖剣にとって「敵」と呼べる存在がいるのは間違いないようだし。

 それでも、やっぱり俺には異世界行は止められない。既にあちこちの世界で知り合いができたことだし、何よりも異世界そのものが魅力的だし。

 まあ、聖剣という心強い相棒があってこそのことだけどね。聖剣と一緒なら、どんな窮地も切り抜けられると思うんだ。

 あ、もちろん窮地に陥らないにこしたことはない。今後は今まで以上に危険に対するセンサーを働かせよう。うん。



 観光施設の最寄り駅に、電車が到着した。

 ここでバスに乗り換え、目的地である観光施設へと向かう。

 おっと、施設に入る前に、どこかでお昼を食べた方がいいな。ナイフ作りには結構な時間がかかるし、予約も午後の十二時三十分からだしね。

 観光地だけあって、目的の施設の周辺には様々なお店がある。もちろん、飲食店だってあるわけだ。

 とある飲食店に入って、五平餅と鮎の塩焼きのセットを注文する。香住ちゃんも俺と同じものを注文だ。

 五平餅に胡桃と胡麻を練り込んだ味噌を塗り、そのまま炭火でじっくりと焼く。焼けた味噌が実に香ばしく、激しく食欲を刺激してくれる逸品だ。

 もちろん、鮎の塩焼きも忘れてはいけない。清流に棲む魚だけあって、泥臭さは全くない。柔らかで淡白な白身には、塩というシンプルな味付けが実によくマッチしている。

 魚料理にもいろいろあるけれど、やっぱり塩焼きが一番美味いと俺は思う。

「…………わぁ……」

 鮎を一口齧った香住ちゃんが、小さな驚きの声を上げた。うんうん、分かるよ、香住ちゃん。思わず声が出ちゃうぐらい、この鮎は美味しいよね。

 鮎はそれほど大きな魚ではないので、女性の胃袋にも最適だろう。

「五平餅も美味しい……っ!」

 どうやら、香住ちゃんも満足してくれたようである。

 さて、のんびりと食欲を満たして、いよいよメインイベントのナイフ作りに行ってみようか。



 かつての山村を再現した施設と言っても、村一つを丸ごと収められるほどに広くはない。施設の中は、村の一部を切り取ったような形になっている。

 そしてその施設の片隅に、今日の目的地は存在した。

「すみませーん。ナイフ作り体験の予約をしておいた水野と言いますが……」

「あ、いらっしゃい。待ってたよ」

 と、笑顔で俺たちを出迎えてくれたのはここの鍛冶屋の店主さん……ではなく、何とそのお弟子さんだった。以前来た時には、お弟子さんなんていなかったのに。

 そのお弟子さんに聞いたのだが、実はここの店主さん、ナイフクラフトでは結構有名な人らしい。いや、俺は刀剣に興味はあっても、職人さんまではそれほど詳しくないんだ。

 で、お弟子さんは店主さんのナイフ作りの技量に惚れ込み、それまでの仕事を辞職してここに弟子入りしたんだとか。

 ちなみに、以前の職業は山の測量とかやっていたらしい。

 木造藁葺き屋根の鍛冶屋の中は、かつての鍛冶仕事の場を再現しているのであろう。とは言っても、観光客相手に作業させる施設なので、全てが昔ながらというわけでもない。

 主な作業場であろう土間には、ペーパーナイフを作っている家族連れが数組、練炭で真っ赤に熱した五寸釘を金属製のハンマーで叩いていた。

 丸太を切っただけの椅子に、鉄床は……あれ、電車のレールの一部を切り取ったものかな? かつては電車の車輪が走っていた部分が、ナイフ作りの鉄床として利用されているみたいだ。

 その他にも、鍛冶屋の奥には電動式のグラインダーや、鉄を熱するための窯などもある。あの窯とグラインダーで、店主さんがナイフの最後の仕上げをしてくれるんだよね。

「えっと……お二人でそれぞれ一本ずつの作製だよね?」

「はい、そうですけど」

 予約の書かれた用紙を眺めながら、お弟子さんが聞いてきた。

「いやね、ついこの前、お兄さんたちのようなカップルが、二人で一本のナイフを作りに来てねぇ」

 へえ、俺たち以外にもナイフを作りに来る人たちがいるんだ。もしかして、その人たちも俺たちのように互いに刀剣が好きな恋人なのかな? でも、それなら二人で一本ではなく、一人ずつ一本作るんじゃないか?

「どうして二人で一本だったんですか?」

「それがねえ……そのお客さんたちが作ったのは、ただのナイフじゃなかったんだよ」

 と、楽しそうに言葉を続けるお弟子さん。きっと、このように誰かと接するのが楽しいんだろうな。とのコミュニケーションって、俺も楽しいと思うからその気持ちはとてもよく分かる。

 と、そんなことを考えながらお弟子さんの話を聞いていたら、なんとも驚きの事実を教えてくれた。

 そのカップルのお客さんが作ったのは、なんと結婚式でケーキ入刀の時に使うナイフだったらしい。

 なるほど、確かにそれなら二人で一本作ればいいわけだ。

 しかし、結婚式のメインイベントとも言えるケーキ入刀用のナイフを、自分たちで自作するとは……いや、いいアイデアだな。

 ちらりと横にいるお嬢さんの様子を確かめてみれば、やっぱり彼女も目をきらきらさせながらお弟子さんの話を聞いていた。

「だからもし、お兄さんたちもその時が来たら、またここでナイフを作ってみたらどうかな?」

 お弟子さんは、笑顔で俺たちにそう言った。

 もちろん、言われた俺たちは互いに顔を見合わせ、真っ赤になって言葉をなくしたのは言うまでもない。



 その後、店主さんやお弟子さんの指導を受けながら、俺と香住ちゃんは熱した金属片を叩いて、形を整えていく。

 どのような形のナイフにするのか、それは俺たちの自由だ。

 俺はボンさんに譲った以前のナイフと同じような大きさのナイフを、そして香住ちゃんは俺のものよりやや小振りなナイフを作っていく。

 鉄が冷えてくると、店主さんがやっとこで挟んだナイフを炭火の入った窯に入れて、再び熱してくれる。そしてその熱が逃げてしまわない内に、俺たちは何度も何度もハンマーを振り下ろした。

 片手用のハンマーでの作業だが、これが結構大変だ。ハンマー自体にもそれなりの重量があるし。

 しかし、以前に父親とここで作業した時より、今回の方がやや楽な気がするのは……おそらく、気のせいではないだろう。

 聖剣と共に異世界へ行き、そこで様々な経験を積み重ねたことで、俺自身の筋力が上がっているのだと思う。

 一方、香住ちゃんの方はというと。

 彼女も俺と同じように、いや、俺以上に真剣な表情で何度もハンマーを振り下ろしていた。普段から俺以上に身体を鍛えている彼女なので、ハンマーを振る手にもブレは一切ない。

 鉄材を何度も叩いてはその様子をじっくりと眺め、店主さんやお弟子さんにあれこれと指導されつつ再びハンマーを振り下ろす。

 うん、本当に真剣だ。もしかすると、普段剣を振るう時の香住ちゃんも、こんな様子なのかもしれない。

 いつか、彼女が剣を振るところを見てみたいな。部活の試合とかあれば、絶対に応援に行くのに。

 さて、俺も負けてはいられない。時々香住ちゃんの様子を確かめつつも、真剣にハンマーを振り下ろした。



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