突然遭遇
「ごちそうさまでした!」
「お粗末さまでした……そ、それで、ど、どうでしたか? 味の方は……」
おずおずとそう切り出す香住ちゃん。そんな彼女に、俺は無言で右手を突き出した。もちろん、その右手の親指はにゅっと突き出されている。
それを見た香住ちゃんは、ぱああっと顔を輝かせた。うん、いい笑顔だ。
「お世辞抜きで、本当に美味しかったよ。できれば、また食べたいぐらいだ」
うん、俺の欲目抜きにしても、香住ちゃんの弁当はとても美味かった。
「うふふ。そう言ってもらえると嬉しいです。え、えっと……じゃ、じゃあ、また作ってきますね?」
はい、よろしくお願いします!
よっしゃ、これで異世界へ行く時の楽しみがひとつ増えたぞ!
それはそれとして、紳士を自称する俺としては、弁当の容器を洗うぐらいはしたいところだ。とはいえ、俺たちが今いるエルフの森には水道なんてもちろんないわけで。
かと言って、エルフたちが使っている泉の中で洗うのも躊躇われる。あれ、いわばエルフたちの食料だし。
それでも一応、フィーンさんの了解を得てから泉の水でざっと洗うことに。もちろん、洗った後の水は泉に戻さず、手近な木の根元に流したよ。
元の世界……俺の部屋に戻ったら、もう一度洗剤を使ってしっかり洗おう。それぐらいはやらないと罰が当たる。
さて、休憩もこれで終わりだな。あと少し休んでから、また香住師範の剣道教室の再開だ。
そうして始まった午後からの剣道教室。その参加者は午前中よりも増えた。どうやら、午前中の参加者たちが実際に木刀モドキを振り下ろしているのを見て、興味を引かれたエルフたちが新たに参加を表明したようだ。
他人がやっているのを見ると、ついつい自分もやりたくなる時ってあるもんね。
そんなエルフたちの威勢のいい掛け声を遠くに聞きながら、俺は集落の近くを散歩することに。
だって、香住ちゃんの剣道教室に俺のやることないもの。
香住ちゃんとフィーンさん、そしてボンさんに一声かけてから、俺はぶらぶらと散歩することにしたんだ。
その際、香住ちゃんから何度も「危険なことはしないでくださいね」と言われてしまった。それほど信用ないかな、俺? あ、ないかも。思い返してみれば、これまで香住ちゃんの知らないところで、かなり危険な目に遭ってばかりだしな。
でも、さすがに今は大丈夫だろう。エルフの集落からそんなに離れるつもりはないし、前回遭遇したあの白いイモムシは、あくまでもイレギュラーだったみたいだし。
俺はのんびりと、森林浴を楽しみながらぶらぶらと歩く。途中、日本では見られないような昆虫や小鳥などがいてとても楽しい。
こういう生物を見ることもまた、異世界での楽しみの一つだよね。
あ、もちろん、異世界の生物たちに不用意に触れたりはしないぞ。毒などがある可能性もあるし、牙や爪も侮れないし。
体を張って毒の有無などを確かめる気は俺にはないです。よって、異世界生物には必要以上に近寄らず、観察するだけに留める。
それだけでもやっぱり楽しい。今、俺の足元を極彩色の甲虫らしき生物──足は十本あった──が歩いている。見た目は日本のカブト虫より一回り大きいぐらいだろうか。全体の形としては、北アメリカに棲息するグラントシロカブトに似ているかな? 玉虫の色彩を持った小型のヘラクレスオオカブトと言えば、何となくその姿をイメージできると思う。
その玉虫色の昆虫が、近くを這っていたイモムシのような生き物に飛びかかり、そのままむしゃむしゃと食べ始めた。
ふむふむ、どうやらこの虫は肉食らしいな。できれば持ち帰って飼ってみたいが、さすがにそれは止めておこう。今は外来種がいろいろと問題になっているしね。
海外どころか異世界の生物が俺と香住ちゃん以外の人間の目に触れたら、どんな騒ぎになるか分かったものじゃない。
この森の中にはその他にも、俺の興味を引く生物たちはたくさんいた。
空中を泳ぐように飛ぶ魚の群れだったり、岩かと思えば実は巨大な蟹のような生き物だったり。
ちなみにこの巨大な蟹モドキ、後でフィーンさんに聞いたところ、岩のような外観の甲羅に生えた苔みたいな器官で光合成をして栄養を得ているらしい。更には生物的にこの世界のエルフに極めて近い生物なのだとか。
一体、この世界の生態の進化はどのように行なわれてきたのか。見た目がまるで違うエルフと蟹モドキが生物的に近い種族であるとは、異世界はやっぱり侮れない。
まあ、俺たちが住む日本だって、先祖は同じなのに今はまるで違う生き物はいるわけだし。例えば、ゴキブリとカマキリは先祖を同一にするって説があるそうだ。お尻にある二本の突起とか、類似する点も確かにあるよね。あ、シロアリもゴキブリの近縁だっけ。
それを考えれば姿形は違っても、生物的に近しくても不思議じゃないのかもしれない。
だけど、エルフと蟹モドキが親類だと言われても、やっぱり俄には信じられないものがある。
ほら、エルフに対する幻想とかその辺りの理由で。この俺の気持ち、きっと分かってくれると思う。
そうやって散歩することしばらく。
異世界の珍しい生物たちをたくさん観察した俺は、とても満足していた。
いや、生物だけじゃない。とても大きくて綺麗な池……いや、湖もあったな。水はどこまでも透き通っていて、泳ぐと気持ち良さそうだ。よし、今度来る時は水着も忘れずに持ってこよう。特に香住ちゃんの水着姿……うん、想像するまでもなく楽しみだ。だって、男の子だもの。
そういえば、これまでいくつもの異世界へ渡ったけど、こんなにのんびりとしていたことってなかったもんなぁ。
思い返せば、行く先々で何か危険生物との戦いがあったな。例外はペンギン騎士がいた海洋世界ぐらいだろうか。
あの世界は滞在時間が短かったこともあって、あのペンギン騎士しか出会っていなかったし。あの世界にも、他の世界で出会ったような危険生物はいる可能性は捨てきれないけど。
でも、たまにはこうしてのんびりと異世界を楽しむのもありだよね。
腕時計で時間を確認すれば、一時間以上歩いていたようだ。そろそろ一度、エルフの集落に戻るべきかな? 香住ちゃんも心配しているかもしれないし。
どうせなら、剣道教室が終わった後にもう一度香住ちゃんと一緒に散歩しよう。うん、それがいいな。
元の世界に戻るタイムリミットまでまだ時間はあるから、夕暮れ間近の森の中を香住ちゃんと一緒に歩くのは悪くない。
それ……静かな森の中で二人っきりとなれば、当然俺たちの気分も盛り上がるというもので……も、もしかしたら、キスぐらいはできちゃうかもっ!?
うん、いい! 絶対に香住ちゃんと散歩しよう! 別にキスできなくても、二人で時間を共有することが大切だよね!
青少年らしき妄想を膨らませつつ森の中を歩いていたら、突然俺の身体が上へと飛び上がった。
な、何が起きた? 驚きつつも、空中から周囲を見回す。見える範囲で、何らかの異常は見当たらない。では、どうして俺の身体は勝手に飛び上がったんだ? これ、間違いなくいつものヤツだろ? 聖剣が俺の身体を勝手に動かすアレだ。
ということは、何らかの危険が潜んでいる可能性が高い。身体の方は既に落下を始めているが、俺は素早く、かつ慎重に周囲を見回した。
ん? あれは……何だ?
俺の真下、つまり、先程まで俺が立っていた場所に黒い点が見えた。あれって……穴か? どうも、地面に拳ぐらいの大きさが開いているっぽい。
さっきまで、あんな穴はなかったなずだ。もしかして、落ち葉の陰になって見えなかったとか? 確かにその可能性もあるけど……うん、何か嫌な予感がする。
そうこうしている内に、俺の身体は地面に落ちる。その瞬間、またも俺の身体は勝手に動き出し、森の中を全力で駆け出した。
自転車なみのスピードで走る身体。ともかく走るのは身体……というか聖剣に任せて、俺は背後を確認する。さきほど見かけたあの穴が、どうしても気になるんだよね。
だけど、俺は背後を振り返ったことをすぐに後悔した。
だって、さっき見つけたあの小さな穴から、何かが地表にゆっくりと這い出してくるのを見てしまったからだ。
あ、あれは一体何だ?
まるで数日前に行った近未来世界の下水道で見かけた、不定形変異生物のブロブみたいなヤツが、ずるりずるりと小さな穴から這い出してきた。
その大きさは、近未来世界の下水道で見たブロブの比ではない。ブロブよりももっと大きく、その大きさはワンボックスカーぐらいか。まさに「巨大スライム」といった生物──たぶん生物だと思う──だ。
ぶよぶよとしたその体は全体が灰色で、周囲に落ちている落ち葉や枯れ枝、石ころなどが次々に巨大スライムの体内に取り込まれては、しゅうしゅうと溶けていくのが見えている。
おそらく先程突然ジャンプしたのは、あの巨大スライムの攻撃を躱すためだったのだろう。あの穴も、地下から攻撃した際にできたものと思われる。
そして、巨大スライムからある程度離れた所で、俺の身体は停止して銃を構えた。
うん、銃だ。いつものように聖剣じゃない。あれ? どうして? でも、身体が勝手に動いているってことは、聖剣が俺を操っているんだろ? だったら、どうして銃?
脇下のホルスターから引き抜いた9ミリ口径軍用オート拳銃。それを片手で保持した俺は、装填されているマガジンが空になるまでスライムに向けて連射した。
撃ち出された弾丸は、狙い違わず全弾命中する。どうやら、聖剣先生は射撃のセンスもあるみたいだ。俺が自分で撃ったら、全弾外す自信があるからね。自慢じゃないけど。
その後も流れるように俺の身体は勝手に動き、空になったマガジンをリリースし、予備のマガジンを銃のグリップに叩き込み、再び連射する。
おっと、マガジンが空になるまで撃ったと思ったけど、ちょっと違ったみたい。最後の一発は撃つことなく、
だけどマガジン交換の時、俺の手にある拳銃のスライドは閉じていた。これって、次弾を撃つのをスムーズにするために、意図的に藥室の中に一発残したのだろう。
聖剣先生、あなたはどこでこんな知識を身に付けたのですか? 剣のくせに銃の扱いにも通じているなんて、聖剣先生は凄腕の傭兵か何かですか?
改めて聖剣に感心しつつ、俺はスライムの様子を確認する。マガジン二本分、計三十発の弾丸──ダブルカーラムマガジンのため、マガジン一本に十五発の弾丸を装填できる──を撃ち込まれたスライム。だが、苦痛などは全く感じていないようで、平然とぷるぷるしている。それどころか、叩き込まれた弾丸は全てスライムの体内に留まり、先程見た石と同じように瞬く間に溶かされてしまった。
どうやら、あのスライムに銃弾は……いや、物理的な打撃は効果がないらしい。
鞘から抜かれた聖剣の刀身には、既にばちばちと雷光が弾けている。
あ、あれ? 聖剣先生が結構マジになっていらっしゃる? ってことは……今の俺、かなりピンチなんじゃね?
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