エルフの森の剣道教室




「………………実はな、シゲキ殿。シゲキ殿の剣を、それがしに教えていただけないものだろうか……?」


 と、確かにボンさんはそう言った。

 俺はボンさんを友人だと思っている。その友人の頼みごとであれば、可能な限り尽力するつもりだ。

 つもりなんだけど……さすがにこれは……ねえ?

「ど、どうしてボンさんは、俺に剣を教えろなんて言い出したんです? そもそも、俺がこの森にいられるのって、今日中ぐらいです。そんな限られた時間では、何も教えることなんてできないと思うんですが……」

 そう問い質すと、相変わらずもじもじしながらボンさんは言葉を続けた。

「前回シゲキ殿がこの森を訪れた時、この森は秘かな脅威に晒されていた。見知らぬ危険な怪物が、我が物顔でこの森の中を歩き回っていたのだ。某は後からそのことに思い至り、思わず身体が震えた……もちろん、恐怖でだ」

 前回遭遇した、オークと呼ばれる未知なる怪物。確かに、あの怪物は危険な存在だった。実際、何人かのアルラウネが犠牲になっているし、森の木々にも少なくない被害が出ている。

 もしもあの時、俺がこの森にいなかったら……正確に言えば、聖剣を持った俺がいなかったら、果たしてこの森はどうなっていただろうか。

「前回は偶然にもシゲキ殿がこの森に居合わせ、シゲキ殿の活躍で森の危機は回避できた。だが、あのような怪物が再びこの森に現れないという保証はあるまい? であれば、次にこの森に危機が訪れたらどうする? いつも都合よくシゲキ殿がいるとは限らぬだろう。では、シゲキ殿以外の誰かが森を……森とそこに暮らす者たちを守らねばなるまい」

「それの役目をボンさんが自ら担おうと?」

「う、うむ。某はシゲキ殿ほど巧みに剣を扱うことはできぬだろう。だが、努力すれば……いつかはシゲキ殿のように剣を扱えるようになり、この森を守れるようになれると信じている。いや、某はシゲキ殿のように強くなりたいのだ! 何卒! 何卒シゲキ殿の剣を某に教えてくだされっ!!」

 と、そこでボンさんはなぜか、おもむろに頭──に該当する部分──をずぼっと地面の中に突っ込んだ。

 え、えーっと……? も、もしかして、その頭だけを土の中に突っ込んだその姿勢、俺たちで言うところの土下座に相当するのかな? うん、きっとそうだと思う。

 だけど、ボンさんの気持ちは痛いほど分かる。俺だって、もしも香住ちゃんや俺の家族に何か危険が及ぶとなれば、何としてでも彼女たちを守りたいって思うから。

 まあ、聖剣の能力がなければ、俺よりも香住ちゃんの方がよほど強いけど、今はそれは度外視で。

 たとえ俺より強くても、それでも俺の力で香住ちゃんを守りたいと思う。

 だから、ボンさんの力になってあげたい。あげたいけど……実質剣に関して素人の俺に、ボンさんに剣術を教えるなんてことはできないわけで……どうしよ?

 困った俺は香住ちゃんへと振り返った。

 あ、そうか! 香住ちゃんがいるじゃないか。

 剣道有段者の彼女なら、剣の基本的なことをボンさんに教えることができるんじゃないか?

「香住ちゃんなら、ボンさんに剣を教えられるかい?」

「できなくはないですけど……教えると言っても、今日中にできることなんて、それこそ初歩の初歩だけですよ? 体育の授業で教わるよりも、もっと浅くしか教えられませんけど?」

 やっぱりそうだよね。でも、一応ボンさんに聞いてみよう。

「う、うむ、それでも構わぬとも! 初歩だけでも教えていただきたい! お願い致す、シゲキ殿、カスミ殿……いや、シゲキ先生にカスミ先生っ!!」

 と、再びずぼっと頭を地面に突っ込むボンさん。な、何かシリアスな状況でこんなことを言うのもあれだけど……ボンさん、可愛すぎだろ。



 そんなわけで、香住ちゃんによる剣道教室が急遽開かれることになった。

 参加者はボンさん……だけではなく、エルフも何人か参加することに。やはりエルフたちの中にも、ボンさんと同じことを考えていた人たちがいたようだ。

 自分たちの森は自分たちで守りたい。剣道教室に参加したいと言い出したエルフたちは、真剣な顔で俺にそう言ったんだ。

 しかも、その中にフィーンさんも交じっていたのにはちょっと驚いたけど。

 現在、俺は香住ちゃんがボンさんやエルフたちに剣道を教える様子を、ちょっと離れた所から無言で観察している。

 できれば俺も一緒に教えて欲しいところだが、ここでボンさんたちと一緒に香住ちゃんに教えてもらうのは、ちょっと躊躇われた。ほら、ボンさんに「先生」なんて呼ばれちゃったし。

 現代日本に帰ったら、改めて香住ちゃんに剣道を少し教えてもらおう。うん。

 さすがに竹刀なんてものはこの森には存在しないから、落ちていた木の枝を木刀っぽく加工して使用している。ちなみに、加工したのは俺である。

 この森のエルフたちは刃物なんて所持していないので、マイナイフしか加工できる道具ツールがないのだ。マイナイフ、大活躍だな。

 まあ、加工と言っても柄となる握りの部分をちょっと削って整えるだけだ。それでも、十本以上加工するとなると、さすがに疲れたけど。

 男性のエルフたちは、俺が加工した木刀モドキを手にして顔を輝かせていたっけ。世界や種族が変わっても、やっぱり男の子は刀剣にある種の憧れを抱くものなのかもしれないな。

 現在は、香住先生の号令に合わせて素振りの真っ最中。

 参加しているエルフのほとんどは男性だが、それでもフィーンさんのように女性も僅かに交じっている。

 エルフの集落の片隅で、全裸のエルフたちが一斉に剣を振り下ろしている光景。うん、改めて見るとちょっとアレだ。でも、みんな真剣に木刀を振っているので、そんな感想は俺の胸の奥に留めておこう。

 香住ちゃんの号令に合わせて剣を振る際、女性たちのナニがぽよんぽよんと揺れているのが実に眼福である。もちろん、当然これも胸の奥に秘めておく。

 なお、この森のエルフの女性たちは、それほど「大きく」はない。だが、形の整った実に美しいものを持っている、とだけ付け加えておこう。

 何が大きくはなく美しいかって? 言うまでもないよな?



 こうして、香住師範による剣道教室は、俺の腕時計が昼過ぎを示すまで続けられた。

 香住ちゃんはこうした指導に向いているのか、素振りを繰り返すエルフたちに懇切丁寧にアドバイスをしていた。

 腕の振り上げ方や、振り下ろす時の力の込め方、足の動きに重心の移動など、経験者でなくては分からないことを、的確に指導していく。

 これは後で聞いたのだが、彼女は通っている剣道道場で、小学校低学年の初心者や初級者をこうして指導することがあるらしい。

 道理で、指導に手慣れていると思ったよ。

 なお、その道場の道場主は香住ちゃんの祖父である権蔵さんの、古くからの友人らしい。そんな縁もあって、彼女は時々子供相手に師範代の役目を担うのだそうな。

「では、一旦休憩にしましょう」

 香住ちゃんがそう言った途端、指導を受けていたエルフたちがその場に座り込む。

 数時間も素振りを繰り返していれば、当然そうなるよな。あれ? もしかして香住ちゃん、意外と鬼教官タイプなんじゃ……?

「だ、大丈夫かな? 素人の俺が言うのも何だけど、かなり無理なペースの練習じゃないか?」

「はい、確かにかなり無理をしています。でも、教えてあげられるのは今日だけですから。初歩の初歩とはいえ、ここで徹底的に身体に覚えさせないと変な癖がつくかもしれません。それを避けるためにも、剣道の正しい動きをしっかりと覚えてもらいます!」

 ぐっと拳を握り締め、背後に炎の幻を背負った香住ちゃんがそう宣言する。

 う、うわー……や、やっぱり香住ちゃん鬼教官タイプだ。よ、よし、日本に帰っても、彼女に剣道を教えてもらうのは止めておこう。

 と、俺が若干引き気味になっていると、香住ちゃんは木陰に置いておいた自分のバッグを取り上げた。

 ネイビーブルーの、ちょっと大きめのリュックタイプのバッグである。きっとあの中には、異世界で必要になりそうな物が入っているんだろうな。

 そのバッグの中から、香住ちゃんはある物を取り出して俺へと差し出した。

「そ、その……た、大したものじゃないんですけど……お、お弁当を作ってきたので、良かったら一緒に食べませんか……?」

 顔を真っ赤にしつつ、どこかもじもじした仕草で香住ちゃんはそう言った。

 へ? い、今、彼女は何て言った? お、俺の聞き間違いじゃなければ弁当って言わなかった?

 え? マジ? お、女の子の手作り弁当? こ、これが伝説の……伝説の手作り弁当かっ!!

 その威力は一撃で羆を仕留め、反す刀で虎をも一刀両断するというあの……? い、いやいや、いかん、いかんぞ! あまりの嬉しさに、俺の脳細胞が非常に混乱している!

「い、いかがですか……?」

 と、弁当の包みを持ったまま、上目遣いで尋ねてくる香住ちゃん。おおおおおおお、もちろんいただきますっ!! この場で土下座してでもいただきますともっ!!

 お、女の子の……それも彼女の手作り弁当っ!! ふふふ、これで我が軍は、あと一年は戦える!

 あ、まだ混乱しているな、俺。

 でも………………いいいいいいっやっっっっほぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっっ!!

 まさか、憧れの「彼女の手作り弁当」がこんなにも早く味わえるなんて! ああ、今日まで生きていて良かったっ!!

「正直、料理はちょっと苦手なので少し失敗しちゃったところもありますけど……」

 うん、大丈夫! まだ食べていないけど、香住ちゃんが作ってくれた弁当なら、絶対に美味しいに決まっている! 少なくとも、俺にはある種の味覚補正がかかるだろうから!

 木陰に移動した俺たちは、香住ちゃんが持参したピクニックシートの上に座って、香住ちゃん謹製の弁当をいただくことに。

 味? 決まっているだろ?

 これ以上美味いものなんてないと断言できるぐらい、素晴らしいものでした。

 まあ俺にとっては、だけどね。他の人間が食べた時のことなんて知ったこっちゃないし。てか、俺以外に香住ちゃんの手作り弁当を食べる野郎がいたら、その時は聖剣でずんばらりんといく覚悟である。

 ああ、生まれてきて良かった! 本当に良かった!

 母さん、俺を産んでくれてありがとう!



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