進展、そして……
それは、ここ最近の日課となっている早朝のランニングのこと。
いつも休憩地点かつ折り返し地点として利用している公園で、俺は
俺が公園に到着すると、いつも公園の高鉄棒でひょいひょいと懸垂をしている元気なお爺さんがいる。そのあまりにも見事な懸垂を見て、俺もちょっと真似してみた。
早速、俺はお爺さんの隣の高鉄棒に飛びついてみた。もちろん、そのお爺さんみたいにひょいひょいと懸垂ができるわけがなく、十回に到達する前に俺は鉄棒から手を放してしまった。
「はははは、腕力ねえな、兄さん。若いんだから、もうちょっとがんばらねえとよ」
地面に座り込み、懸垂をしたことで痛む両手をぷらぷらさせていた俺を、まだ隣で懸垂を続けていたお爺さんが笑った。
「いやー、お恥ずかしいです。お爺さんみたいにはいきませんね」
「ま、儂はこう見えても若い頃から体力勝負な仕事をしていたんでな。今じゃ
一旦鉄棒から手を放し、俺の背中を親しげに叩いたお爺さんは、もう一度高鉄棒に飛びつくと再び懸垂を始めた。
軽々と三十回以上懸垂を続けたお爺さん。いや、お爺さんの腕、俺よりもよっぽど太いな。
むぅ。まだまだ鍛えないと駄目だね。じゃないと、いつまで経っても聖剣に振り回されちゃうから。
「儂は、
「あ、俺は水野茂樹って言います。最近、体力作りでランニングしていまして、この公園は折り返し地点なんですよ」
「ほう、そいつはいい心がけだ。なんなら、もうすぐ始まるラジオ体操にも参加していかねえか? まあ、参加者はじじいとばばあばっかりだがよ」
そう言いながら、楽しそうに笑う権蔵さん。
言われてみれば、俺がランニングの復路に出発する頃、聞き慣れた音楽がいつも聞こえていたっけ。どうやらこの公園では、毎朝ラジオ体操が行なわれているらしい。
「あー、参加したいところですが、これから大学がありまして。ちょっと時間が厳しいんですよね」
「そいつは残念だ。兄さんみたいな若いモンが参加してくれたら、常連のじじばばたちも喜んだろうにな」
「じゃあ、今度時間のある時に参加させてもらいますよ」
「おう、待っているぜ」
その後、約束した通り俺は何回かラジオ体操に参加させてもらった。
常連らしきお爺さんお婆さんたちも楽しい人たちばかりで、時々お菓子とかくれたりもする。きっと、孫に接しているようなつもりなんだろうな。
それから、俺は権蔵さんと公園で会うと少し話をするようになった。
権蔵さんの若い頃の話、すっげえおもしろいんだ。権蔵さんの話し方が上手いのもあるけど、やはり実際に体験したことは迫力が違うね。
なんでも権蔵さん、定年退職する前は警察官……しかも地元所轄の刑事課員、それも暴力犯係に所属していたそうだ。
所轄とはいえ暴力犯係ってことは、本庁で言えば「マル暴」に該当する部署ってことだよね? もちろん、本庁と所轄とではいろいろと違うだろうけど。
そりゃあ、体力も必要なわけだ。「マル暴」とか暴力犯係とかの刑事って厳ついイメージしかないけど、権蔵さんは見た目は温和そうだな。
それとも、やっぱり若い頃は厳つかったのかな? 定年退職したことで、温和な感じになったとか? 今でも怒ると相当恐いのかもしれないぞ。
いつか機会があったら、権蔵さんの若い頃の写真とかぜひ見せて欲しいものである。
「で、どうよ、水野の兄さん。兄さんには彼女とか恋人とかいねえのかい?」
「いやあ、俺、全然モテなくて。そういう存在とは無縁なんですよね」
「そいつぁいかんぞ、兄さん。やっぱり、若いうちはいろいろと楽しまねえとよ? 若いうちの楽しみと言えば、やっぱり色恋だろ? なんなら、儂の孫娘を紹介してやろうか?」
ある日。
いつものように公園で権蔵さんと話をしているうちに、そんな内容へと発展した。
どうして色恋の話になったのか、よく覚えていない。あれこれといろいろなことを話しているうちに、いつの間にかこんな内容になっていたんだ。
「そいつは嬉しいんですが、俺にだって気になっている女の子ぐらいいるんですよ。もしも俺がその女の子に振られたら、その時はお孫さんを紹介してください」
「ははは! なんでぇ、兄さんもやっぱり年頃か! うむうむ、結構、結構! がんばって、当たって砕けて来い!」
「……砕けること前提ですか……」
がはははと、豪快に笑う権蔵さん。あれ? これって俺、結構失礼なこと言われている?
でも、権蔵さんの人柄か、そう言われてもそんなに腹も立たないし憎めないんだよな。
その後も権蔵さんとは、他にもいろいろと話をした。
昔から古武術とかが好きで、権蔵さん自身もあれこれと武術を修得したそうだ。もちろん警察官という仕事柄、武術は必須だったってのもあるだろうけど。
警察官は引退しても武術の方はまだまだ現役で、現在では剣道柔道合気道とそれぞれ五段以上の実力の持ち主らしい。改めて
その時、権蔵さんのお孫さんも剣道の有段者だとは聞いてはいた。だけどその時は、「へー、香住ちゃんと同じだなぁ」ってぐらいにしか考えなかったんだ。
だけどまさか、剣道の有段者だという権蔵さんのお孫さんが、香住ちゃん本人であるとは思いもしなかった。
事実は小説よりも奇なり。いや、ホントにね。
俺と香住ちゃんを見て、にやにやと笑う権蔵さん。
だけど、俺はそんな権蔵さんに注意を払っている余裕はない。
今、俺の目の前で香住ちゃんが真っ赤になりつつも、俺のことをじっと見つめている。
う、うわわわわわ、か、顔が熱い! き、きっと俺も今、香住ちゃんに負けないぐらい顔が赤いんだろうな。
「…………し、茂樹さん……」
「か、香住ちゃん……い、いや、そ、その……」
こ、こんな時、な、なんて言ったら……何を言ったらいいんだ? い、今までにこんな経験したことないから全然分からないよっ!!
どうしたらいいのか分からなくて、俺はついついあちこちを見回した。もちろん、いくら周囲を見回しても、現状を打破するための答えが見つかるはずがなく。
結局、俺の混乱はいや増すばかりだ。
見れば、先程とは違って香住ちゃんの目も激しく泳いでいた。きっと、彼女も俺と同じような心境なのかもしれない。
あ、あれ? 俺と同じってことは……香住ちゃんも俺を意識していてくれたってこと?
確かにこれまで……正確には一緒に異世界へ行くようになってから、香住ちゃんからある種の「手応え」は感じていた。だけど、それが俺の勝手な勘違いだったら……とつい考えてしまって、そこから踏み込むことを躊躇ってしまっていた。
だけど。
だけど、その「手応え」が俺の勝手な勘違いじゃなかったとしたら。
香住ちゃんもまた、俺を異性として意識していてくれたってことで……。
「…………か、香住ちゃん……、お、俺……じ、実は……」
あああああああああっ!! 上手く言えないっ!! 言葉が出てこないっ!! こんな時こそ、いつものように聖剣が俺を操って、素晴らしい口説き文句を垂れ流して欲しいっ!! 切実にっ!!
もちろん、こんなことまで聖剣に頼ってはいけないってことは理解している。そもそも、こういうことは俺自身がばしっと決めないといけないってことも。
ってか、聖剣は身体の動きこそ操るけど、思考や言語までは操らないからね。結局、最後は自分で決めないといけないんだ。
でも、どう決めたらいいのっ!?
「……し、茂樹さん……」
香住ちゃんの両目が、うるうると潤んでいる。も、もしかして、こんな時にすぱっと決められない俺に、愛想を尽かしつつあるのでは……?
そ、それはマズいっ!! 絶対にマズいっ!! それだけは回避せねばっ!!
よ、よしっ!! 要は、俺の気持ちを伝えればいいんだ! な、なぁに、それだけだ! 難しくなんてないさ!
自分自身にそう言い聞かせて、いざ、自分の気持ちを言葉で言い表そうとした時。
それまで、じっと俺たちを見ているだけだったあの人が動いた。
「何、玄関先で見つめ合って、甘い雰囲気を振り撒いているんだよ、二人とも。折角だから上がっていけや、な、兄さん。茶ぐらいは出すぜ?」
にやにやと意味ありげに笑う権蔵さんがそう言った。
ご、権蔵さん……分かっていて、今のタイミングで言葉を挟みましたね? 俺が一大決心をして勝負に出ようとしたこと……分かっていましたよね?
ばしばしと俺の肩を叩きながら、家の方へと連れていこうとする権蔵さん。俺は香住ちゃんを見ることもできずに、深々と溜め息を吐き出しつつ権蔵さんの案内に従った。
香住ちゃんの家には、彼女のお爺さんである権蔵さんとその奥さんがいた。
ご両親は両方とも仕事らしい。土曜日も仕事があるなんて、どんな職種だろう? まあ、今どきは土日出勤の仕事なんてたくさんあるもんな。
ご両親が不在と聞き、安心したやら残念だったやら。なんとも複雑な心境だった。
一階の居間── 一階が権蔵さんとその奥さんの生活スペースで、二階が香住ちゃんとその家族の生活スペースらしい──で、奥さんからお茶とお菓子をいただいた。
もちろん、ただお茶とお菓子をいただいただけではなく、権蔵さんと奥さん相手にあれこれといろいろな話をした。
そんな俺の隣には香住ちゃんが座っているけど、権蔵さんと奥さんは始終微笑ましそうに俺たちを見ていた。
どうやら、少なくとも権蔵さんと奥さんには好印象を与えたっぽい。まあ、権蔵さんとは以前からの顔見知りなので、今更好印象もないかもしれないけど。
そろそろ娘夫婦──香住ちゃんのご両親のこと──も帰ってくるだろうから、ついでに夕飯も食べていけと権蔵さんに誘われたが、さすがにそれは辞退させてもらった。
いくらなんでも、初めて訪れた家で食事まで一緒にするのは、いささかハードルが高すぎる。しかも、その相手が気になっている女の子のご両親ともなれば、ハードルの高さはいや増すばかりだよ。
そんな俺の心境、きっと理解してくれると思う。
それに、香住ちゃんのご両親だって、帰宅して知らない男がいたりしたら驚くだろうし。
やっぱり、ここはお暇しよう。うん。
権蔵さんの折角のお誘いを断り、俺は家に帰ることに。
香住ちゃんの家の外に出ると、周囲はすっかり暗かった。ここに来た時、既に夕方だったから当然だね。
「済みません、茂樹さん……ウチのお爺ちゃんったら強引で。でも、お爺ちゃんと茂樹さんが知り合いだったなんて、びっくりしました」
「俺もまさか権蔵さんが、香住ちゃんのお爺さんだとは思いもしなかったよ」
あれから時間が経ったこともあり、俺と香住ちゃんの気持ちもかなり落ち着いてきて、多少ぎくしゃくはしているものの何とか会話できるようになっていた。
「そ、それで……ですね……? お、お爺ちゃんとお婆ちゃんが、良かったらまた来なさいって言っていたんですけど……」
やや首を傾げ、ちょっと上目遣いで、香住ちゃんが問う。
「も、もちろんお邪魔させてもらうよ。そ、その……か、香住ちゃんさえ嫌でなければ……」
「わ、私は嫌なんかじゃありませんよ……? そ、それどころか……う、嬉しいぐらいで……」
俺と香住ちゃんの間に、妙な沈黙が訪れた。
俺たちは次に何を言ったらいいのか分からず、ただただ相手のことをじっと見つめた。
そうやって……香住ちゃんの家の前で、どれぐらいそうしていただろう。
やがて。
「きょ、今日はウチのお爺ちゃんが、へ、変なことを言っていましたけど……わ、私……し……私も茂樹さんのことが……そ、その……」
真っ赤になりながら、意を決したように口を開く香住ちゃん。だけど、それを彼女に言わせるわけにはいかないんだ。そこから先を言わせたら、俺が俺を許せなくなる。だから、俺は決心した。
更に言葉を続けようとした香住ちゃんの唇を、俺はそっと人差し指で触れて閉ざした。
「……香住ちゃん。それ以上は言わないでくれ」
「…………え?」
大きく目を見開き、驚いた表情を浮かべる香住ちゃん。けど、その驚きはすぐに悲しみに変化した。
おそらく、彼女はちょっと誤解しているのだろう。
彼女を安心させるように、今の俺にできる精一杯の笑顔で告げる。緊張し過ぎて、うまく笑顔になっているかちょっと不安だけど。
「そこから先は、俺に言わせてくれ。こういうことは、やっぱり男の方から言わないと……ね?」
その日。
俺たちはそれぞれにとって特別な存在になった。
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