送っていこう




「うーむ……」

「うーん……」

 パソコンのディスプレイを眺めながら、よく似た唸り声を上げる俺と香住ちゃん。

 セレナさんたちが住む近未来世界から無事に帰還した俺たちは、早速聖剣をパソコンに繋ぎ、各種の設定を確認してみた。

「特に変わったところは見当たりませんねぇ」

「うん……俺も出発前と変わっていないと思う……」

 今日の異世界行で、俺の聖剣はこれまでにない能力を発揮した。香住ちゃんが持っている剣に、自分の能力を分割して投影したのだ。

 まあ、分割とか投影とか言っているけど、その辺は俺の予想でしかないけどさ。

「あとは……非殺傷モードがオンになっているのに、メガモスキートとか斬りまくっていたよな」

「あれも不思議ですねぇ」

 非殺傷モードがオンってことは、例のスタンガンモードになっているってことだ。だけど今日はスタンガンモードになることはなく、下水道の中の変異体をずばずば斬っていたっけ。

「あ……っ!」

 香住ちゃんが小さな驚きの声を上げた。

「ちょっと、マウス貸してもらっていいですか?」

「ああ、どうぞ、どうぞ」

 俺の隣から身を乗り出し、マウスを操作する香住ちゃん。今、俺と彼女はかなり密着している。そう、密着しているのだよ!

 俺の腕に香住ちゃんの胸の横の部分が……い、いかん! 鎮まれ、俺の獣性よ! 俺は紳士! 紳士なのだ!

 でも、香住ちゃんと密着できてとても幸せです。はい。

 俺がそんな馬鹿なことを考えている間も、香住ちゃんはパソコンの操作を続けていた。

「あ、ほら、ここ見てください」

 香住ちゃんが指さす先。そこは聖剣の非殺傷設定の欄だった。

「ここ、オートになっていますよ」

「あ……本当だ」


 香住ちゃんが言う通り、非殺傷設定が『AUTO』になっていた。

 あれ? ここにこんな設定項目、あったっけ? 以前に確認した時は、確かに「ON」と「OFF」しかなかったはずなのに……俺の見落とし?

 いや、そんなことはないはずだ。ってことは、いつの間にかここにも新たに項目が追加されていたってこと?

 これからはこまめに注意して、聖剣の設定を見直さないといけないな。うん。

 しかし、あれだね?

「この聖剣……今更だけど謎ばっかりだよな」

 まったく、俺の聖剣は秘密が多すぎると思う。そろそろデレ期に入って、いろいろと自分から説明してもよさそうなのに。

「そう言えば、前々から思っていたんですけど……」

「え? なに、香住ちゃん?」

「その聖剣、USBケーブルでパソコンに接続できるってことは、スマホにも接続できたりしませんか?」

 あ!

 言われるまで全く気にもしたことなかったよ!

 香住ちゃんにそう指摘された俺は、慌てて聖剣とスマホを接続してみる。すると、彼女の予想通りにスマホの画面にパソコンと同じアイコンが現れた。

「あ……接続できたっぽい」

「これで、行った先の異世界でも設定を確認できますね。それにスマホに接続できたってことは、モバイルバッテリーを使えば異世界でも充電できるかもしれませんし」

 ああ! またまた思いもしなかったことを指摘されちゃったよ!

 よし、今度モバイルバッテリーを買って来よう。



 そろそろ門限も近づいてきたので、俺は香住ちゃんを家まで送ることにした。

 さすがに出かけた時と違う服装で帰宅したら、彼女の家族も不審に思うだろう。だから、香住ちゃんには元の服装に着替えてもらうことに。

 もちろん、俺の目の前で着替えるわけじゃない。素直な願望を言わせてもらえば是非やって欲しいが、さすがにそんなことは言えない。

 彼女が着替えている間、俺は部屋の外で待機だ。当然、部屋の中を覗いたりはしないぞ。

 そして、着替えを済ませた香住ちゃんと入れ替わり、今度は俺が普段着に着替える。二人の準備が整ったところで、俺たちは揃って部屋を後にした。

「わざわざ送ってもらって、ありがとうございます」

「いや、気にしないでよ。いくら香住ちゃんが剣道の有段者だからって、女の子を一人で帰すわけにはいかないからさ」

 前回、香住ちゃんが俺の部屋から帰った後になって、送っていけば良かったことに気づいて一人悶絶しつつ後悔したのは、誰にも言えない秘密である。

 同じ失敗を繰り返さないため、今日こそはこうして彼女を送っていくのだ。

 ちなみに、本日近未来世界で手に入れた彼女の装備のうち、ツナギやジャケット以外の物は俺が預かることに。

 つまり、俺の部屋の押し入れには、拳銃やらSMGやらその実弾やらが隠されているってわけだ。もしも何らかの事件で家宅捜査でもされたら、絶対に言い訳できない状況である。どこぞの過激派のアジトと疑われても、言い逃れできないだろうなぁ。

 だからといって、香住ちゃんにSMGやら実弾やらを持たせるわけにもいかないので、俺が預かるしかない。

 女の子の肌に直接触れたツナギやジャケットは、さすがに俺が預かるわけにはいかなかったので、これは香住ちゃんが持ち帰ることに。ジャケットはともかく、ツナギは洗濯だってしないといけないしね。

 なお邪竜王の長剣は、これまで同様に竹刀袋に入れて香住ちゃんが持ち帰る。刀剣好きとしては、やはり剣類は直接手元に置いておきたいものね。その気持ち、俺にもよく分かるよ、香住ちゃん。

「次はどんな世界へ行きますか?」

 俺の隣を歩く香住ちゃんが、にっこりと微笑みながら尋ねてくる。

「そうだねぇ。俺としては、今回消費したエリクサーを補充したいところだけど」

 今日、俺が所持していたエリクサーは、そのほとんどを使ってしまった。致命傷を負ったセレナさんを助けるため、香住ちゃんがペットボトルの中のエリクサーを使い切ってしまったのだ。

 どの程度の量を使えばいいか分からなかった香住ちゃんは、少ないよりも多い方がいいだろうと、エリクサーをどばどばとセレナさんの首元にぶちまけたらしい。

 もちろん、そのことで香住ちゃんを責めるつもりはない。それどころか、妥当な判断だったと思う。

 あの場面でエリクサーをけちって、その結果セレナさんが死んでしまっては意味がないからね。

 とはいえ、やはり手元にエリクサーがないのは心細い。特に異世界ではどんなことが起こるか分からないし。そこでエリクサーを補充したいわけだ。

 だが、エリクサーを補充するには、少々問題もある。

 エリクサーを補充するには当然エルフたちが住む森林世界へ行かないといけないわけだが……果たして、あそこに香住ちゃんを連れて行ってもいいものだろうか。

 なんせ、あの世界のエルフたちには衣服を着るという習慣がない。あそこのエルフたちは、男性も女性も全員がオールヌードのフルヌードなのだ。

 まあ、衣服を着る習慣がないことをとやかく言うつもりはない。それがあの世界のエルフたちの文化なのだから、余所者がとやかく言うことでもないし、言う権利もない。

「確か、エリクサーをもらえるのはエルフたちが暮らす世界でしたよね? うわー、本物のエルフかー。会うのが楽しみだなぁ」

 まだ見ぬエルフたちを想像し、嬉しそうな顔をする香住ちゃん。ファンタジー好きな彼女にとって、エルフに会えることは楽しみで仕方がないのだろう。

 だけど、彼女が想像するエルフ像は、多分的外れだろうな。

 まあ、あらかじめあのエルフのことは説明しておいた方がいいだろうな。そうすれば、直接エルフたちを見てもショックは少ないだろうし。

 香住ちゃんのエルフに対する幻想が、壊れないよう祈るばかりである。



 空の色が段々と赤く変化するのを眺めながら、俺と香住ちゃんはゆっくりと歩を進める。

 そういえば俺、こうして女の子と肩を並べて町を歩くのって、初めてじゃなかろうか? できればここで更に一歩踏み込んで、手を繋いだり腕を組んだりしたいところだが……さすがにそれを提案するのは勇気が……あ、あれ?

 俺の左手に何か温かなものが突然するりと滑り込んだかと思うと、その何かはぎゅっと俺の左手を掴んできた。

 驚いて自分の左手を見てみれば、そこには俺の手よりも小さくて白い手があった。

 もちろん、心霊現象なんかじゃないぞ。その白い手の主は香住ちゃんである。

 思わず彼女の顔を見てみれば、香住ちゃんは素知らぬ顔で俺と視線を合わせようとしない。だけど、その頬は今の空の色に負けないぐらい真っ赤で。

 香住ちゃんの手は、小さくて温かかったけど、ちょっとだけごつごつしていた。おそらく、竹刀を振ることでできたマメとかタコとかがあるのだろう。

 しかし、それがマイナスだと俺は思わない。これは香住ちゃんが今日まで努力を積み上げた証だからね。他人ごとなのに、このちょっとごつごつした手が誇らしいぐらいだ。

「………………だめ……ですか……?」

 俺がそんなことを考えていると、小さな小さな香住ちゃんの囁きが聞こえてきた。

 相変わらず彼女は明後日の方を向いているが、その理由が分からないほど俺は鈍くはないつもりだ。

 うおおおおおおおっ!! だめなわけがないじゃないか! 大歓迎だよ!

 だけど、彼女に素直にそう言えるだけの、女の子に対する経験値が俺には圧倒的に不足していた。何か言わなければと思えば思うほど、緊張やら何やらで俺の喉からは声が出てこない。

 だから。

 だから、俺は言葉ではなく行動で是を示した。

 具体的には、繋いだ香住ちゃんの手を、俺の方からもぎゅっと握り返したんだ。

 この時、ようやく香住ちゃんは俺の方を見てくれた。今の彼女の顔に浮かんでいる表情は、嬉しそうであり照れ臭そうでありといった、ちょっと複雑なもの。

 だけど、頬を赤く染めたまま控え目に微笑んだその笑顔は、俺がこれまでに見た香住ちゃんの笑顔の中で、一番輝いていると思えるものだった。



 手を繋ぎながら町中を歩く俺たち。

 緊張と気恥ずかしさから、特に何かを言うでもなく無言で歩いていく。

 だけど、その無言は何とも言い表しようのない、心地のいい無言だった。

 香住ちゃんの家の場所を知らない俺は、彼女に導かれるままに歩いた。

 やがて。

「………………着いちゃった……」

 小さな声で残念そうに呟きながら、香住ちゃんが一軒の家を見上げた。

 建て売り住宅街の中の、ちょっと大きめな一軒家。見れば表札には毛筆調のロゴっぽい文字で「森下」と刻まれている。

 どうやら、ここが香住ちゃんの家のようだ。

 ん? よく見れば、「森下」という文字の他に「大森」という文字もある。ああ、そうか。いわゆる、二世帯住宅というやつか。

 おそらく、この家には香住ちゃんの家族と、両親のどちらか側の祖父母も一緒に暮らしているんだな。あ、玄関の横に階段があって、その先の2階にも玄関がある。やっぱり、二世帯住宅だ。

 今時は、二世帯住宅も珍しくないよね。目の前の家がちょっと大きめなのも、二世帯住宅用の建て売りだからだろう。

「茂樹さん……家まで送ってもらって、ありがとうございました」

「いやいや、気にしないでよ。やっぱり、こういうことは男の役目だからね。特に、紳士を自負する俺としては当然さ」

 ちょっと戯けた様子でそう言えば、香住ちゃんもくすりと笑ってくれた。

 なお、前回送るのを忘れたことは、一時的に棚に上げておく。うん。

「じゃあ、またバイトでね」

「はい、また」

 香住ちゃんは小さく手を振りながら、自宅の門を押し開いた。

 そして、門から玄関へと続く短い通路へと踏み出した時。玄関──1階の玄関──のドアが開き、中から一人の人間が姿を見せた。

 年齢は六十代から七十代ぐらい。だけど、そんな年齢を感じさせないほど、見るからに元気一杯といった感じの老人だった。

 間違いなく、あれは香住ちゃんのお爺さんだな。

 香住ちゃんとはあまり似ていないが、この家から出てきたのならそうに違いない。

 もっとも、誰かお客さんがこの家に来ていて、今から帰るところという可能性もあるけど。

 って、あれ? あのお爺さん、見覚えがあるぞ? いやいや、見覚えどころじゃない。ここ最近、日課となっている毎朝のランニングでよく顔を合わせる人だ。

「ご、ごんぞうさん……?」

「ん? おお? 水野の兄さんか。どうして兄さんがここにいるんだ?」

 顔見知りの権蔵爺さんは、俺に気づいて気さくにひょいと片手を上げた。

「え? お爺ちゃんと茂樹さん、知り合いだったの?」

 きょとんとした顔の香住ちゃんが、俺と権蔵さんを何度も見比べる。

 確かに知り合いではあるけど、まさか権蔵さんが香住ちゃんのお爺さんだったとは……いや、世の中狭いものである。

「お? なんだ、香住もいたのか。ん? 香住と水野の兄さんが一緒に……?」

 今度は権蔵さんが俺と香住ちゃんの顔を何度も見比べた。そして、何かを思いついたかのように、ぽんと右手の握り拳を左の掌へと打ち下ろした。

「なんだ、なんだ? 以前に水野の兄さんが言っていた、気になる女の子ってウチの香住のことだったのか?」

 にやにやとちょっぴり意地の悪い笑みを浮かべる権蔵さん。

 ちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!? と、突然なに言い出しているんだよ、権蔵さんっ!!

 そ、それ、ここで言ったらだめなやつぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!



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