変異体はしゃべらない
ブレビスさんを始めとした、《
あれ? 俺、何か変なことを言った?
思わず隣にいる香住ちゃんを見れば、やっぱり彼女も不審そうな顔で俺を見つめているし。
「おいおい、《サムライマスター》、昼間っからナニ寝ぼけていやがるんだ、おまえさんは」
呆れたように肩を竦めるブレビスさん。
「〈ビッグフット〉が言葉を話すわけないだろ? こいつはあくまでもゴリラだぜ? 確かに変異体となって身体能力はゴリラ以上だが、知能の方は逆に下がっているんだ。その〈ビッグフット〉が喋るわけないじゃねえか」
え? そ、そうなの? で、でも、俺は確かにこいつが喋るのを聞いたんだけど。
「だ、だけど、こいつは確かに……半熟卵がどうとか、止まり木がどうとか言っていましたけど……」
あれ? 半熟卵じゃなくて、別のものだっけ? それに止まり木でもなかったような気がしなくもないぞ。
「ははは、そんなわけあるかよ!」
マークが俺の背中をどんとどつく。
「大方、俺たちをからかおうって魂胆なんだろ? だけど、そんな下手な嘘には騙されないぜ?」
マークのその言葉に、《銀の弾丸》のメンバーたちが呆れたような笑みを浮かべた。
「なんだ、シゲキが俺たちをからかおうとしたのか」
「おいおい、剣の腕はマスタークラスでも、ジョークの方は全くなってないぜ?」
「俺たちをからかうつもりなら、もっと上手いこと言わねえとな!」
いや、別にからかうつもりなんて、全くないけど……うーむ。
「香住ちゃんにも、こいつの声は聞こえなかった?」
「はい、私には何も……もしかして、例の翻訳能力の関係では?」
ああ、聖剣の翻訳能力で、〈ビッグフット〉の声が俺にだけ聞こえたのか。
あれ? でも、香住ちゃんにも翻訳能力は有効だったはずだぞ? だったら、彼女も〈ビッグフット〉の声が聞こえたはずだけど……どうやら、本当に香住ちゃんには〈ビッグフット〉の声は聞こえていなかったっぽい。
うーん、これ、どういうことだろう? 少なくとも、俺以外に〈ビッグフット〉の声は聞こえていなかったのは間違いないようだ。
何か、聖剣がらみの問題なのは違いないだろうけど、これがどういう状況なのか全く分からない。
なあ、
例えば、可愛い女の子の姿になってこの状況を説明してくれるとかさ。
心の中で何度目かの問いかけをするが、相変わらず俺の聖剣は何も言わない。
くそぅ、この照れ屋さんめ。
「しかし……セレナの報告を疑うわけじゃないが、SMGの弾丸が通用しなかったってのは、ちっとばかし信じられねえな」
「SMGだけじゃないぜ、
「ほう、《サムライマスター》でもか。そういや、カスミもシゲキと同じぐらい剣の腕が立つんだってな。さすがはシゲキの
俺がこの時代の人間ではないことを知っているブレビスさんは、含みのある言い方をした。
そうそう、香住ちゃんの聖剣は〈ビッグフット〉との戦いが終わった後、気づいた時には元の長剣の姿に戻っていたんだ。
どうやらあれは、一時的な能力付与っぽい。とはいえ、香住ちゃんの身の安全がある程度とはいえ保障されたと考えれば、俺としては十分安心できると思う。俺、聖剣を信じているから。
問題は、どんな状況でこの付与能力が発動するかだ。俺や香住ちゃんの意思で発動できればいいのだが、何らかのトリガーが必要なのだろうか? 元の世界へ帰ったらいろいろと検証したいところだ。
「確かに〈ビッグフット〉の皮膚は元のゴリラよりはかなり丈夫だ。だが、九ミリの軍用拳銃弾に耐えられるほどじゃねえ」
俺が聖剣のことを考えていた間も、ブレビスさんとセレナさんは〈ビッグフット〉について話していた。
セレナさんたちが使っていたSMGは、香住ちゃんが使っているものと同じ九ミリ口径の物で、一般的に普及している軍用SMGだとか。
香住ちゃんのSMGはそれよりもやや小型で、口径こそ九ミリではあるものの装弾数を犠牲にして携帯性を高めたモデルらしい。
聞けば、この世界には一般的な自動拳銃とほぼ同じサイズのSMGもあるそうだ。それは香住ちゃんのSMGよりも更に小型であり、ボディの小型化の影響を受けて小口径で装弾数も多くはない。もっともこちらは軍用ではなく、民間の護身用として開発されたものなのでこれで十分だそうだ。
護身用にSMGを用いようと発想するあたり、俺たちの感覚ではちょっと理解できないね。それはともかく、一口にSMGと言ってもいろいろな種類があるんだな。
そりゃそうだよな。SMGを製造しているメーカーは一つじゃないだろうし、俺たちの住む世界でもそうだけど、地域によって採用しているモデルは違うだろうし。
「これまでの〈ビッグフット〉との交戦記録をざっと確かめたが、〈ビッグフット〉の皮膚が弾丸に耐えたなんて記録はひとつもなかったぞ」
「私だって信じられないわよ。でも、事実は事実よ。戦闘時の記録映像もあるから、それで確かめてみてよ」
「おう、そうさせてもらうぜ」
確かに、この〈ビッグフット〉には俺の聖剣やSMGが通用しなかった。しかし、それでも耐久限界のようなものがあったらしく、九ミリの鉛玉を雨あられとくらうことで最終的にSMGの弾丸は、皮膚を突き破ってビッグフットを穴だらけにした。
もしかしてあのままずっと戦い続けていたら、俺の聖剣も通用するようになっていたかもしれないな。
「さて、と。ゆっくりしたいのはやまやまだが、向こうを放っぽって来ちまったからな。すぐに帰らないといけねえんだわ、これが」
一通り下水道での戦闘記録を見終えたブレビスさんが、がりがりと頭を掻きながらそう言った。
「しっかし、〈ブラムストーカー〉に〈ビッグフット〉か。もしかして、何か天変地異でも迫っているんじゃあるまいな?」
本来なら北米東部には棲息しない変異体が、なぜかネオデルフィアの下水道内にいたわけだから、何か大きな異常気象が迫っているのではないかと疑う気持ちは俺にも理解できる。
「この戦闘映像のコピーと、〈ビッグフット〉の死骸は
「了解よ」
「しかし、ま……」
やおら、ブレビスさんがセレナさんを抱き締めた。
「おまえが無事で本当に良かったぜ。結構な怪我を負ったんだって? マークたちから聞いたぜ」
そう言った時のブレビスさんの顔は、傭兵団の団長ではなく娘を心配する父親のそれだった。
「私の怪我なら大丈夫よ。シゲキとカスミのおかげで大したことにならなかったから」
ぱちん、とセレナさんが俺たちにウインクを飛ばす。
「そうか。前回といい今回といい、おまえさんには本当に世話になったな」
ブレビスさんが差し出した右手を握り返しながら、前回この世界に来た時のことを思い出した。そういえば、前回もセレナさんが危ないところを、俺と聖剣が救ったんだっけ。
「今後もこの
はい、頼りにさせてもらいますよ、ブレビスさん。だって、この世界には《銀の弾丸》のメンバーしか知り合いはいないしね。
それに今のブレビスさんの言葉には、「また来いよ」って意味も含まれていると思う。
やっぱり、転移した先に信頼できる人たちがいるって、安心できるよね。
その後、ブレビスさんは任務に戻るために《銀の弾丸》のオフィスビルを出ていった。
どうやら任務地からここまでバイクで移動したようで、オフィスビルの裏手にあるガレージから、一台のバイクがもの凄い勢いで走り去っていった。あのバイク、以前に見かけたな。確か、トレーラーの中に積んであった奴だ。
ってか、あんな勢いで走って大丈夫かな? そもそも、この
そんなことを考えながらちらりとセレナさんを見やれば、彼女は呆れたような顔でゆるゆると頭を横に振っていた。
「相変わらずあんな無茶な運転をして……事故を起こさなければいいけど……」
セレナさんはそう言うが、それだけ娘であるセレナさんのことが心配だったんだろうな。
俺にはまだ息子や娘はいないけど、弟や妹に何かあれば今のブレビスさんぐらいの勢いで実家に帰るだろう。もっとも、自動車とバイクの中型免許はあれど、肝心の自動車もバイクも持っていないので、帰るにしても電車を使うしかないわけだが。
「もう、いくら言っても聞きもしない父さんは放っておきましょう。ところで、そろそろシゲキたちも時間じゃないかしら?」
あ。
気づいてみれば、俺たちがこの世界に滞在できる時間も残り少なくなっていた。
腕時計で確認すると、大体あと一時間ぐらいか?
さすがに、マークたちの目の前で突然消えるのはまずいよな? 俺たちがこの世界の人間でないことを知っているのは、ブレビスさんとセレナさんだけのはずだし。
帰る時間が近づいたら、このビルを出た方が良さそうだ。もちろん、しっかりとみんなには挨拶をしてからね。
「そういえば、シゲキに返さないといけないものがあったわね」
「え? 何かありましたっけ」
「ええ。ほら、前回こっちに来た時、着ていた服を忘れたでしょ?」
あーあー、そうだった。こっちで《銀の弾丸》のツナギやジャケットを買って着替えたのはいいけど、その時に着ていた服をこっちに忘れていったんだった。
「クリーニングして保管してあるから、帰る時に持っていってね」
今回は香住ちゃんもツナギとジャケットに着替えたからね。彼女の服も忘れずに持ち帰らないとな。
「………………茂樹さん?」
俺が忘れ物をしないように心のメモ帳に書き込んでいると、隣にいた香住ちゃんが小さな声で俺の名前を呼んだ。
「……どうして服を忘れるなんて状況に……なったんです? しかも、どうして茂樹さんの服をセレナさんが持っているんですか……? きっちりと、はっきりと、すっぱりと、余すところなく説明してもらえますよね……?」
ぷくーっとほっぺたを膨らませた香住ちゃんが、何とも言えない鬼気を纏いながらそう言った。
あ、いや、だ、だからね? 単に購入したツナギとジャケットに着替えたからであって、別にセレナさんと
そりゃあ、俺だって健康で元気な男だから、セレナさんみたいな美人とあんなことやこんなことになる妄想をしたりもするけど、あくまでも妄想だけだから! 俺ぐらいの年齢の男なら、誰だって妄想するから!
「…………っっっ!!」
無言でほっぺたを膨らませたまま、俺の腕をぽかすかと何度も殴りつける香住ちゃん。
あ、あの、地味に痛いんですけど、それ。もちろん全力で殴っているわけじゃないだろうけど、意外と香住ちゃんって腕力あるよね。さすが剣道少女。
それに、香住ちゃんがこんな態度を取ってくれるのが、ちょっと嬉しいのもまた事実で。
そんな俺たちのやり取りを、セレナさんが慈愛に満ちた笑みを浮かべ、優しく見守っていてくれたことに気づいて、俺と香住ちゃんは揃って真っ赤になるのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
《銀の弾丸》がオフィスとして使用しているビル内にいる、全ての人間たちが寝静まった真夜中。
このビルに居を構えているのは、団長であるブレビスとその娘のセレナのみ。他の団員たちはそれぞれにアパートメントなどを借りて暮らしている。
傭兵団という仕事柄と治安がそれほど良くはないという立地から、当直として泊まり込む団員が数人いるものの、自分たちで構築したセキュリティシステムと、何よりこの近辺で《銀の弾丸》と事を構えようとする愚かな者たちはほとんどいないため、ビル内にいる者たちは全員、安らかな眠りの世界へと旅立っていた。
そんなオフィスビルの一角で、わずかな動きがあった。
明日、
そのコンテナのハッチが、僅かだがずるりとずれたのだ。
もちろん、コンテナがある部屋の中には誰もいない。ただ、冷却装置のファンやその他の機械類が動く駆動音だけが、真っ暗な部屋の中に静かに響いていた。
それなのに。
間違いなく、コンテナのハッチが僅かとはいえ勝手に動いたのだ。
そして、その僅かな隙間から、闇よりもなお暗い「何か」が霧のように立ち上る。
もしこの場に誰かがいたとして、その誰かが何らかの暗視装置を備えていたとしても、その黒い霧のようなものを見ることはできなかっただろう。
黒い霧はゆっくりと渦巻くように動き、朧気ながらも人の形に近くなる。
「…………キシシっ」
黒い霧の中から、軋むような小さな声が聞こえた。
「……タマゴ……ヤドリギ……ミジュク……ミジュク……」
霧はゆっくりと宙を揺蕩いながら、小さな声で誰に聞かせるでもなく呟いた。
「……ダガ……キョウイ………………っ!!」
やがて、黒い霧はゆっくりと消え去った。まさに朝日に照らされた霧のごとく。
そして、翌朝になって変異体の死骸を運び出そうとした《銀の弾丸》の団員が、冷却コンテナに収めてあった死骸がなぜかミイラのように干からびているのを発見するのだが、それは数時間後のことである。
~~作者より~~
来週はお盆休み!
次回の更新は、8月22日となります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます