もう一振りの聖剣



 ど、どういうことだ……?

 黒い変異体が振り下ろした巨大な拳。その拳を、香住ちゃんは手にした剣で受け止めた。

 だが、その剣はなぜか俺の聖剣とそっくりで……え、えっと……あ、あれ?

 俺は慌てて自分の手の中を確認する。そこには、確かに俺の相棒たる聖剣があった。

 じゃ、じゃあ、香住ちゃんが持っているあの聖剣は……一体何だ?

 確かに香住ちゃんは剣を持っていた。だがその剣は、俺がプレゼントした邪竜王の財宝の中にあった長剣だったはず。それなのに、なぜかその剣が俺の聖剣そっくりな姿に変わっていて……い、一体、何が起きているんだ……?

 混乱する俺をよそに、「ヤツ」……黒い変異体が再び動き出した。

 一旦大きくバックステップしたかと思うと、下水道の壁を蹴って天井へ、そして天井を蹴って香住ちゃん目がけて急降下する。

 肉眼ではまともに追いきれないようなその速度。俺は聖剣のおかげか、どうにか「ヤツ」の動きを目で追うことができた。

 香住ちゃんの頭上から、黒い影が舞い降りる。両方の巨大な手を頭上でしっかりと組み、落下の勢いに乗せてハンマーのごとき両手を振り下ろす。

 どん、という大きな音と衝撃が、下水道の中を駆け抜けた。その衝撃を受けて、少し離れた所にいたマークたち《銀の弾丸シルバーブリット》のメンバーたちは、思わず数歩後退した。

 か、香住ちゃんは……っ!? それに、気を失っているセレナさんは……っ!?

 暗視ゴーグルを装着した頭を必死に動かし、俺は二人の姿を探す。そして……見つけた!

 「ヤツ」の着地点から少し離れた場所に、セレナさんを抱き抱える香住ちゃんの姿を見つけた。

 いまだセレナさんは気を失ったままだ。だが、遠目で今ひとつよく判断できないが、どうやら出血の方は収まっているっぽい。おそらく、エリクサーが効果を発揮したのだろう。

「香住ちゃんっ!!」

「し、茂樹さん……っ!! と、突然身体が勝手に動いて……こ、これ……何がどうなって……っ!?」

 香住ちゃんもかなり混乱しているようだ。そりゃそうだろう。突然自分の長剣が俺の聖剣と同じ姿になったかと思ったら、身体が勝手に動き出したのだから。

 うん、香住ちゃんの今の気持ち、とてもよく分かるよ。俺もその経験があるからね。ってか、香住ちゃんが持っているあの聖剣、見た目だけではなくオートモードも搭載されているようだ。

 果たして、あの聖剣が一体何なのか、俺には想像もつかない。だが、香住ちゃんが持っているもう一振りの聖剣にもまた、不思議な力があるのは間違いないのだろう。

 もっとも、どこまで俺の聖剣と同じなのか、それは分からないけど。

「とにかく、落ち着いて身体から力を抜いて!」

 俺は香住ちゃんに聖剣を使う際のアドバイスをする。俺自身がいつもやっていることなので、間違いようがない。

 そして、俺のアドバイスを受け入れた香住ちゃんが、ふっと全身から力を抜いたことが分かった。途端、彼女の身体が「ヤツ」以上の速さで動き出す。

 一度後方へ退いた香住ちゃんは、安全な場所にセレナさんを横たえた。そして、まるで突風のごとき鋭い踏み込みで、「ヤツ」へと肉薄する。

「────っ!!」

 香住ちゃんは吐息と同時に聖剣を振り抜く。この辺り、たとえ身体の力を抜いていても剣道有段者だけあって、身体の動きに呼吸を合わせているみたいだ。うん、俺なんかとは全然違うね。

 暗い下水道の闇の中、銀色の流星が駆け抜ける。

 だが、銀の剣閃は黒い腕に遮られた。やっぱり、香住ちゃんが持っている向こうの聖剣でも、「ヤツ」の体は斬り裂けないようだ。

 もしかして、何らかの理由で香住ちゃんの長剣に聖剣の能力がコピーされて、聖剣一本一本の能力は、コピー……というか分割されたために低下しているのかもしれない。

 例えば、聖剣本来の能力を「十」とした場合、二つに分割したためにそれぞれの能力が「五」になっているとか。

 だとしたら、これって一長一短だよな。デメリットとしては、当然聖剣の能力が低下することで、「ヤツ」のような強敵に歯が立たなくなること。それに対してメリットは、香住ちゃんの安全を確保することができることだ。

 これ、状況に応じて使い分けることができたら便利だけど……所詮は全部推測でしかないしね。

 あ、そう言えば、今の聖剣は非殺傷モードだったっけ。もしかして、「ヤツ」が斬れないのはそのため……? で、でも、〈ブラム・ストーカー〉は斬れたよな? ああ、もう、全くわけがわからないっ!!

 いくら考えても答えなんて出ないことより、今は「ヤツ」を倒すことに専念しよう。うん。



 再び、銀色の流星が駆け抜けた。

 しかし、先程とはやや違う点がある。それは、奔った流星は一つではなく二つであること。

 そう。

 香住ちゃんだけではなく、俺の身体もまた、いつものように勝手に動き出していたのだ。

 二条の銀閃が、まるで一つの生き物のような抜群のコンビネーションを見せて「ヤツ」へと襲いかかる。

 そりゃそうだろう。俺と香住ちゃんを動かしているのは聖剣そのものだ。あいぼうにとって、俺と香住ちゃんを操るのは自分の両腕を操作するようなもの。そこにコンビネーションの齟齬が生じるわけがない。

 確かに聖剣の個々の能力は、分割されて低下したのかもしれない。だが、こうして俺と香住ちゃんが連携を取ることで、「五」まで低下した能力は「八」にも「九」にも……いや、本来の「十」にだって届くだろう。

 実際、「ヤツ」は俺と香住ちゃんのコンビネーションに完全に翻弄されていた。

 「ヤツ」がその豪腕を振るうが、それは俺の聖剣がしっかりと受け止める。そして、俺の背後から絶妙のタイミングで飛び出した香住ちゃんが、「ヤツ」の胴体を薙ぐ。

 確かに能力の低下した聖剣では、「ヤツ」の体を斬ることはできない。だが、聖剣がぶつかった衝撃までは無効化できるわけではなようだ。

 俺が「ヤツ」の攻撃を防ぎ、香住ちゃんが攻撃する。かと思えば、香住ちゃんが防御を行ない、俺が「ヤツ」を攻める。

 俺と香住ちゃんは巧みに攻守を入れ替え、何度も「ヤツ」を斬る。確かに斬ることさえできないものの、俺たちの攻撃を受ける度に「ヤツ」の動きは少しずつ鈍くなっていく。

「……キシ…………シ……?」

 「ヤツ」の足元が随分と覚束なくなってきた。もう、先程のような動きは無理みたいだ。今の「ヤツ」はいわば、ボディーブローを何発も受けたボクサーだ。その効果がじわじわと現れてきている。

「……タマゴ……ミジュク…………」

 それでも、「ヤツ」は逃げたりはしなかった。ふらつく脚で下水道の床を蹴り、俺たち目がけて突っ込んで来る。

「………………ヤハリ、キョ……」

 何かが軋むような声で「ヤツ」がぼそぼそと呟く。

 だけど。

 悪いな。俺の……いや、俺たちの勝ちだ。

 「ヤツ」が呟いている途中で、俺と香住ちゃんは全く同じタイミングで床を蹴る。それも、左右に分かれるように。

「総員、撃て!」

 そして、俺たちがいなくなった空間を無数の鉛玉が駆け抜けた。

 それはもちろん、《銀の弾丸》のメンバーたちのSMGから放たれた弾丸だ。

 俺と香住ちゃんの聖剣の斬撃を何度も受けて、「ヤツ」の体は既にぼろぼろだ。そこへ無数の弾丸を撃ち込まれて、「ヤツ」は無様なダンスを披露する。

 千発以上にも及ぶ弾丸の雨に、さすがの「ヤツ」も無事では済まない。最初の内こそSMGの弾丸にも耐えたその体も、何十何百という弾丸の洗礼には耐えきれなかったようだ。

 鉛玉が「ヤツ」の体にめり込み、空中に真紅の花を咲かせる。

 そして、「ヤツ」は糸の切れた操り人形のように、仰向けに倒れ込む。倒れた体はぴくぴくと痙攣していたが、やがてそれも止まった。

 ふう、何とか勝てたようだ。俺と香住ちゃんは互いに笑顔で頷き合うと、そのまま背後を振り返った。

 そこには。

 ユニフォームである青銀のジャケットを血で汚してはいるものの、しっかりと自分の足で立っているセレナさんが親指を立て、片目を閉じて見せていた。



 俺と香住ちゃんが同時に左右へと分かれたのは、もちろん偶然ではない。

 俺たちが装備しているヘッドセットから、セレナさんの指示が聞こえたからだ。もっとも、俺たちの身体を操っていたのはあくまでも聖剣なので、全く同じタイミングで左右に跳ぶことができたわけだけど。

 けたたましい銃声と無数のマズルフラッシュが止み、下水道の中には銃声の残響とマズルフラッシュの残像だけが残された。

 やがて残響と残像も消え失せ、下水道の中を静寂が支配していく。

「…………本当に、とんでもない化け物だったわね」

 静まり返った下水道の中に、セレナさんの声が響いた。その声は生気に満ちていて、怪我の後遺症のようなものは感じられない。

 さすがはエルフ印のエリクサーだ。本来なら致命傷だったであろうセレナさんの怪我を、しっかりと治してくれたらしい。

「すげえじゃねえか! さすがはサムライマスターだ! あの化け物相手に、剣だけで渡り合うなんてよ!」

 突然、どんと背中をどつかれた。もちろん、その犯人はマークである。彼は満面の笑み──口元は防毒マスクで塞がれているので、見えるのは目の周りだけだけど──を浮かべつつ、両手の親指をおっ立てていた。

「しっかし、カスミまでシデキと同じぐらい強いとは驚いたぜ! 今後はサムライガールと呼ばないとな!」

 香住ちゃんに、何か変な二つ名がついたようだ。まあ、剣道少女である彼女に「サムライガール」は似合っていると思うけど。

「それより、セレナ隊長は大丈夫なのか? 結構、出血が酷かったみたいだけど……?」

 マーク以外の《銀の弾丸》のメンバーの一人が、心配そうにセレナさんを見ていた。

「ええ、私なら大丈夫。出血はあったけど、それほど深手でもなかったみたいね」

 いや、そんなことはありません。あれ、間違いなく致命傷だったはず。でも、エリクサーのことを聞かれると上手く誤魔化す自信がないので、俺は何も言いません。

 俺は香住ちゃんに向かって、口にチャックをするジェスチャーをこっそりと送る。とはいえ、防毒マスクの上からなので、ちょっと滑稽かもしれない。

 でも、香住ちゃんは俺の言いたいことを理解してくれたらしく、小さく頷いてくれた。

 一方で、セレナさんは自分の首筋に手を当てながら、若干首を傾げている。暗くてよく見えないが、きっと彼女の首筋には傷跡さえ残されていないだろう。

 それが不思議らしくて、彼女の目はしっかりと俺を見ていた。

 うん、そんな目をされても、答えるわけにはいかないんだ。

 まあ、セレナさんは俺や香住ちゃんが普通の人間ではないと思っているだろうから、その辺りの事情は汲み取ってくれるはずだ。

 ひょっとすると、セレナさんは自分が受けた傷が、致命傷だったことに気づいているのかもしれない。だけど俺たちのことを考えて、あえて大した怪我ではないと言ってくれたのかもしれないね。



「おいおい、こいつは〈ビッグフット〉じゃねえか。どうして〈ビッグフット〉が下水道の中なんぞにいやがったんだ?」

 俺たちが倒した変異体の死骸を見て、呆れたようにそう言ったのはブレビスさんである。

 〈ビッグフット〉とは、アメリカでよく目撃されるUMA……では、もちろんなく。ゴリラの変異体の俗称だそうだ。

 かつて北米各地の動物園などで飼育されていたゴリラが変異し、北米大陸で僅かながらも繁殖が確認されている変異体である。

 とはいえ、〈ビッグフット〉が棲息していると思われるのは、もっと西側のいわゆる西海岸付近であり、北米東部に位置するこの都市シティの周辺では見かけられない変異体だとか。

 ちなみにこの都市シティは、かつてフィラデルフィアが存在した場所にあり、そのため「ネオデルフィア」と呼ばれている。もっとも、この名前も俗称であり、正式な名前はあるものの長ったらしいので一般的に「ネオデルフィア」で通っているそうだ。

 それはともかく、下水道で〈ビッグフット〉との戦いを終えた俺たちは、証拠として〈ビッグフット〉の死骸を地上に持ち帰った。

 そして、まずは《銀の弾丸》の団長であるブレビスさんに、標的ターゲットらしき変異体を倒したことを連絡したんだ。

 別の作戦行動中だったものの、その連絡を受けたブレビスさんはすぐさま単身ネオデルフィアに戻ってきた。

 団長が作戦の途中で抜けても大丈夫なのかとか、単独行動をしても危険はないのかとか、いろいろと不安に思うこともあったものの、まずは倒した変異体をブレビスさんに確認してもらったわけだ。

「理由は分からないけど、〈ビッグフット〉が下水道にいたことは事実よ。そして、今回の標的はこいつで間違いないと思うけど」

「まあ、その辺りは依頼人クライアントの判断任せだな。俺たちが判断できることじゃねえしよ。とりあえず、依頼人に連絡しておくぜ」

「あ、団長。下水道の中には、こいつだけじゃなくて〈ブラムストーカー〉もいたぜ。しかも集団で」

「〈ブラムストーカー〉の集団だぁ? おいおい、近頃の北米の生態系はどうなっていやがるんだよ?」

 横から口を挟んだマークに、ブレビスさんが口をへの字に曲げた。その様子からして、おそらく〈ブラムストーカー〉もネオデルフィア近郊には棲息していない変異体なのだろう。

 生態系がどうとかは大袈裟にしても、おかしいことには変わりないな。

 それに。

「この変異体、言葉を喋っていましたもんね。変異したことで知能の方も上がっているんですかね?」

 俺が誰に聞くでもなくそう言うと、その場にいたみんなは不思議そうな顔で俺を見ていた。

 あれ? 俺、何か変なこと言っちゃいましたか?



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